永蘭樹の死
「さて、西太后殿下、皇帝陛下。やって頂きたいことがあります。」
僕は、急ごしらえの牢に入れられて身柄を拘束されている全大清の権力者と、影の実力者へ話しかけた。
「は、早くここから出しなさい!ワタクシにこんなことをして、ただで許されるとでも思ってるの!?」
西太后が喚く。
対する光緒帝はただただ萎縮するばかり。
「大丈夫です、今から我々の要求を聞いてくだされば、近いうちに貴女の身は無傷で、権威もそのままで解放されるでしょう。」
「嫌よ!誰が倭奴の言うことを聞――」
「要求を聞いていただけなければ、貴方に待ち受けるのは”死”のみですよ?」
「そ、それは……、その時は!
あなた達を、精鋭なる我が大清軍で包囲、殲滅させるだけよ!」
西太后は長年、腐敗しきった末期清朝のトップに立ってきただけあって、簡単に負けを認めない。
それどころか、どこまでも引き下がっていくつもりのようだ。
しかし、それに付き合っている時間はない。
「その時は貴女の両手両足を拘束、身動きの取れなくして城下に放り出すだけです。貴女が権力をもぎ取るために手段を選ばず蹴落としてきた相手…、その復讐心はどれぐらいの深さなのか。」
「い、嫌よ!それだけは!」
「ならば我々の要求を大人しく聞く以外に方法はありませんよ、西太后殿下。」
「っ、チッ!穢らわしい倭寇が…、言わせておけば調子に乗りやがって!!」」
西太后が取り乱す。
しかし、お遊びに付き合う時間はない。
すぐにでも終わらせる必要がある。
「想像してみましょうよ。抵抗もできずに踏みにじられる自身の惨めな姿を。」
「その醜い口を閉ざせ!中華に這い蹲るしか出来ない穢族が!」
「今まで散々下に見てきた相手に、嘲笑われ、ありとあらゆる辱めを受ける太后陛下の醜い末路。……実に残念ですよ、貴女ほどの権力者がこんな終わり方なんて。」
「黙れ!今すぐワタクシに三跪九叩頭で命を乞え!その頭踏み潰してくれるッ!!」
僕はもう一歩、踏み込むことを決めた。
「なるほど、それが貴女のご回答というわけですか。」
「は…、はぁ!?」
「こうなれば仕方ありませんね。貴女を捕虜として、北京城下、市内引きずり回して北京陥落の見世物にでも致しましょう。」
「ッ……!」
西太后は自身の醜態を想像できたのか、顔を歪める。
「絶対権力者が、戦争責任を全て負って、民衆から罵詈雑言と投石を浴びせられながら歴史の渦に消えてゆく。」
「黙れ…、黙れ…!」
「実に哀れなれどもやむなし。1895年すなわち光緒21年、清朝はその300年の歴史に、大衆の手によって膜を引きずり降ろされ――、暴君は引き裂かれる。」
「その、口を…!!」
「やがて貴女は、集団リンチの末に串刺し火炙りの刑。貴女が気に入らない、もしくは気まぐれで無辜の人間にやってきた清朝最悪の残虐刑で、貴女自身が、燃え盛る民衆の憎悪に焼かれてゆく。…なんとも皮肉な喜劇です。」
これが決定打となったようで、西太后はその繕っていた表情を崩れさせた。
「やめて…、やめてくださいっ…!」
「それは、我々の要求を聞く、ということで宜しいですね?」
「聞く…、聞きますから…、それだけは…ぁ!!」
西太后はそうして、屈服した。
清朝30年の腐敗の権力者が、たかが一国の中隊に敗けた。
その強烈な光景は光緒帝さえもを黙らせるのに、十分すぎた。
「皇帝陛下も、宜しいですね?」
「は、はいっ。」
一呼吸置く。
光緒帝と西太后の瞳を交互に捉えて、こう言った。
「難しいことじゃありません。ただ一言命令して頂くだけで結構なんです。」
時間にしてみれば十秒程度。
二人に求める仕事は実に簡単な後片付けだ。
僕は二人へ、手短に、はっきりと、かつ残酷に、現実を突きつけた。
「――ね?簡単な話でしょう?」
西太后の顔が屈辱に歪む。
「そんなのッ…誰が認め……」
「認めてもらわない、というなら結構ですよ、『囚われの太后様』?」
「っ!……わ、わかったわよ…、やればいいんでしょうやれば!」
「理解していただけたようで幸いです。」
そう言ってから、牢から西太后を出した。
無論、手錠はつけたままだ。
そのまま、宮中の電信室へ向かわせる。この時代には、漸く清朝にも電信が通り、汽車が走り始めている。指揮系統は無事のはずだ。
広大な紫禁城の一角の、これまた巨大な建物の前に到着する。
その中に入って、少し笑う。
絢爛豪華な中華風の装飾にまみれた、権力の象徴とも見える一室の中に、巨大な電信機。どう見ても似合わない。
そのギャップが面白かった。
そこには別途、李鴻章が拘束されていて。
「敬礼!」
李鴻章の身柄の監視を言い渡していた別海少尉が元気よく敬礼した。
「ご苦労。」
僕はそう応える。
李鴻章――末期清朝の実力者で、数少ない有能な人材。
当時の清朝は腐敗と賄賂が横行し、無能な人物が高官に就くことも珍しくなかった。軍隊も酷い有様で、清軍は、清朝の実力者の、その私軍の寄せ集めと言っていい状態だった。
戦争において皇國陸海軍が戦ったのは、史実もこの世界線でも、李鴻章の私軍である”淮軍”であった。その最高司令官が李鴻章、目の前に捕まえた男である。
この状況で要求することなど、ただ一つだった。
「では、始めてください。」
「……はい…。」
李鴻章は力なく受諾の意を示す。彼は電信を打ち始めた。
皇國陸海軍と向かい合う自軍に向けて。
そして、北京と天津に駐留する部隊に向けて。
”こちら紫禁城、北京・天津・満州に駐屯する全部隊に告ぐ”
時間はあまり取らずにその作業は終了した。
彼の指示はたった六文字――。
”総員降伏せよ”
・・・・・・
・・・・
・・
「大英が文句を仰って?」
有栖川が問う。
「ああ。…ただ、確かに史実でも、その節はあったしな。」
松方は重々しく返す。
有栖川は不審がる様子も全くなく、うなずく。
「これ以上の進撃はアジアの平和と安定を乱す、とのことらしいが、本音は清朝における大英利権の防衛のためだろうな。」
「…そう、ですのね」
利権がらみのことになると途端に険しい顔になる二人。
「大英には、ロシアの南下の危機を煽って黙らせるのが得策ではなくって?」
「いいやそれでも…」
「ならもはや、朝鮮の開発に大英利権の許容でもちらつかせて、納得させるほかありませんわよ。」
うーん、と大蔵省に唸り声が響く。
「まぁ構わん、か。どうせまもなくケリはつく。
ジョンブルの連中が文句を言ってきたのはついさっきだからな。」
「閣下?本来はその情報、一介の令嬢に漏らすべきものではなくってよ?」
「まぁまぁ。実行中の作戦の即時中断など困難だ、完遂したとても文句は言えまい。まさか我軍が空から一気に進撃しようとするなど、誰も考えないだろうな。」
松方が愉快そうに笑う。
バタン!
「閣下、此処におられましたか!」
奇しくも、タイミングよく大蔵省、ここ中央会計室に飛び込む伝令。
「『初冠中尉以下”第一空挺団”、北京ノ制圧ニ成功セリ』!」
―――――――――
・・・・・・
・・・・
・・
明治28(1895)年4月5日 北京
「随分と派手にやるもんだなぁ……。」
響く軍歌、見事な行進。
その列の先頭には日章旗と旭日旗が掲げられている。敵だった清軍とは大違いだ、なんてことを考えつつ、その美しさに目を奪われているとふと感じる。
二千年朝貢し続け師と仰いできた大国の帝城を、自立してわずか30年でまさか、こんなにも美しく鮮やかに滑らかに制圧し、あまつさえその中華皇帝を捕虜にするなど、皇國兵たちは一ミリも思っていなかっただろう。
紫禁城へ続く北京市内の行進は、意気揚々というよりかは、北京を踏み進む彼ら自身が困惑しているように見えた。
それでも無論、北京市民側の当惑のほうが凄まじい。
半ば恐慌状態だ。
体格も文字も文化も余りにも自分ら中華とかけ離れている白人達は、中華民族にとってはもはや別生物のようなもので、彼らが自分らを
だが今、眼前で現に進んでいる人間たちは、顔つき、骨格、目の色からして、紛れもなく同じ人類。東夷だったはずの朝貢国だと感じるだろう。
ここに至り、中華民族は漸く想像を絶する衝撃を受け、認めるのだ。
「天下の中心たる中華は敗けた、しかも、永遠の宿敵たる騎馬民族や北方族相手ではなく、二千年来の朝貢国――従属してきた蛮族、『東夷』に。…か、」
感慨深げに吐き出すと、別海少尉から声がかかった。
「間もなくですよ。」
第一空挺団を迎えに、東鎮が天津に上陸したのは3月29日。天津の部隊は既に降伏しており抵抗はなかった。一週間で東鎮は北京へ到着し、第一空挺団と合流する。
一応他国の観戦武官は連れてで、である。
中華の首都を占領しても、市民虐殺疑惑などが上がれば皮肉でも冗談じゃない、悪夢の再来だ。
こうして眼下、メディアを国内外各地から集めて堂々たる入城式が行われている。
「…近代化たった30年、か。」
皇國陸軍の威風を前に、”Oh, my god..."と漏らしていた、外人の記者。
自分たちが散々格下に見ていた黄色人種の、その強大な軍隊と、想定の斜め上を行く新戦術。彼らにとっても、まさに脅威の異文明、といったところか。
間もなく、”正式なもの”が執り行われる。
電信室のときの”実質的なもの”とは違うものだ。
僕は静かに足を紫禁城の中核――黄龍は何処へ飛び去ったか、今や十六条の旭日が棚引く後三宮へ向ける。
・・・・・・
・・・・
・・
第一軍司令・大山巌と東鎮司令・乃木希典が着席していた。続くは北京を占領した実働部隊たる、第一空挺団の第一小隊の長の僕。
「遅れてすみません、大山司令、乃木仙鎮司令。」
「気にするな。…それに、もうひとかたがいらっしゃるまで、どの道始められん」
もう一つ、席が残る。
この式典は皇國にとって――いや、後世の歴史にとっても、実に重大なものとなる。
それゆえに、皇國が皇國たる象徴として、皇國側からはもうひとり。
皇族の実力者が、内地から遠路はるばるやってくるとのことだ。
(それも、皇族でも五本の指に入る実力者らしい。一体どんな天才だ…?)
インテリ、ムキムキ、いろんな「実力者」のステレオタイプを脳内に巡らせつつ、乃木に促されるままに、席へ座る。
大山は、山陽道戦争の件を未だ引きずっているのか、こちらを警戒するばかりで何も発しない。
そんな僕らに対面するは、清朝皇帝の光緒帝と、李鴻章。
もう大体、この面子なら、なにが起こるか理解できる。
そんなこんなで暫く待っていると、清朝側から権力者・西太后が出てくると同時に、皇國側からも、白い入口幕のレースを潜って、例の皇族が現れる。
ぼうっとその皇族が纏う衣装に目をとられ、綺麗だなぁなどと思いつつ、視界にその顔を捉えた瞬間。
「!!?」
絶句した。
それも、見事に頭が真っ白になった。
「は?え?は??」
硬直しながら間抜けな声を垂れ流すラジカセと化した僕へ、”皇族”は目を合わせる。
「あら、御機嫌よう。お元気そうでなによりですわ。」
その微笑み、その声、その金髪。
一切、間違いない。
「ああ…そういえば、この立場でお会いするのは、初めてになりますわね。」
唖然を通り越して自失となる。
”皇族”は、畏まって一歩出て、ドレスの裾を少し持ち上げた。
「お初にお目にかかります。
「み…、や…?あ、有栖川、ではなく?」
「ええ。有栖川宮家の生まれでしてよ」
「旭川にいらしたことはありませんよね?」
「わたくしから申し上げるのもはしたないのですけれど――早くから松方正義に才を見い出され、5歳から師事。11でシュトゥットガルトに留学のち、男子なら元服の14には旭川に赴任。研究施設の統括をやらせて頂いておりましたわ。」
「"統括"…!?い、いやまさか…14歳で旭川に実務派遣だなんて」
「満14つまり、数えで16。」
「ッ!」
「数えで16」、たしかにその言葉は今でも鮮やかに覚えている。
それを言い放った4年前のあの有栖川の面影は、眼前の皇女の姿と重なって。
「特に、初冠藜という才児若しくは災児のことは、よく覚えておりましてよ。」
完全に、言葉を失った。
「……嘘ですよね?」
ふふ、と楽しげな声を漏らして、殿下は歩み去る。
そうして席につくとほぼ同時に談が動き出した。
光緒帝が震える声で紡ぎ出すそれも、衝撃的事実の処理が追いつかず脳がクラッシュ、僕には聞こえてこない。
「朕は、日本天皇と同国政府に対し告ぐ…。
我が大清帝国は…っ―――」
大山巌の顔が一瞬緩み、西太后の顔が雪辱に歪むが、もはやどうしようもない。
絞り出された声が宮殿に響いた。
「日本皇國に対し、無条件降伏する…。」
数千年に渡って保たれてきた東洋の秩序。
中華が全ての中枢で、周辺諸国は従属し、朝貢する。
いつの時代も、国や民族は変われど、その構図は変わったことはなかった。
それが、この時刻を以て―――、たったの一言で崩壊した。
皇國――。
中華にしてみれば、かつて中華沿岸を荒らした海賊・倭寇の、成り上がりの蛮族としか見ていなかった存在。
西洋列強という異物が、この国家に衝撃を与え、たった30年にして東洋の秩序をぶち壊した。
中華思想が間違っていたのか、否か。
そんなものは誰にもわからない。
はっきりとしている事実はただ一つ―――。
旧秩序には終止符が打たれたのだ。
旧東洋世界は終焉を迎えたのである。
「………なんで。」
そんな歴史の大転換点を、紫禁城の椅子に腰掛け、長机に腕を置いて、今まさに眼前で迎えているにもかかわらず。
処理落ちしてしまった僕の視線は、失墜した清朝皇帝ではなく、有栖川の澄ました顔を捕らえ続けている。
(おいおいおい嘘だろ、は?皇女殿下、だぁ?あの有栖川先生が???)
けれどどこか、とんでもなく育ちのいい雰囲気があった。
旭川に来るには不審なほど頭が良かった。
考えてみれば、思い当たるフシはいくらでもあった。
なるほど、復員後は辞令より先に不敬罪で告発されそうである。
(有栖川宮殿下――…、)
長ったらしいし、どうしても違和感が走る。
とりあえず令嬢殿下でいい。今は。
少なくとも、このわけのわからない展開を受け入れて、反芻して、理解するまでは。
「いや出来るわけねぇだろ!!!」
その日、ある尉官の絶叫が紫禁城に木霊したという。
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