鈍響の彼方

「ぐおっ…!」


背中に鈍痛が走る。

パラシュートがあるとは言え、仮にも上空2000から落ちているわけだから、背嚢だけでは衝撃を0にはできまい。


「総員いるかッ!?」

「はっ!欠員無しです中隊長殿」


無風だしどこかに飛ばされたということもないだろう。

ほぼ集中して降下に成功している。


「よし……全隊前進!」


小銃の他の支援物資だけでなく、退路までもが存在しない。武装は各員所持の小銃と、軍刀のみだ。文字通り敵地のど真ん中に朱一点。ここで全てを終わらせる。


「小銃構え、目標補足次第射撃開始!」


正面には紫禁城の荘厳なる正門。

即座に銃口を持ち上げ、駆け出す小隊。


「敵影視認!」

「撃てッ!」


射撃音が響き、呆然とこちらを眺めるだけだった警備兵が倒れていく。


「前方敵影無し」

「――抜刀、制圧戦闘。」


あの北方戦役の地獄を潜り抜けた旧網走即旅の後身である第一空挺団。標準装備の打刀を鞘から一気に抜きつつ。宮廷内に先陣が雪崩れ込む。混乱の続く清朝近衛兵の防衛線は正面から崩壊し後三宮へ殺到した。


「続け! 清朝300年の優雅なる帝城に、紅蓮の激震をッ!!」

「「「はッ!!」」」




・・・・・・

・・・・

・・




その日、私は後三宮へ清朝の真の権力者、西太后に呼び出されていた。


「鴻章。倭寇の脆弱な軍勢ごときに、奉天まで落とされたのかしら?

 一体、ワタクシを馬鹿にしていらして?」

「そ、それは殿下が完全近代化へ反対なさかったから―――」


私は我慢の限界だった。

これ以上の西太后の横暴は認められない。奴は、この国を滅亡へ導く漢奸だ。


「ワタクシに文句でも?」


だがこの腐り果てた艶蘭樹の怒りに触れた者は、すでにこの世に存在しない。いくら憤ろうが逆らえない。


「たッ、大変申し訳ありません!必ずや蛮族を海へ!」

「その必要はありませんわ。」


西太后は控えていた近衛に目で命じる。

四の五の言わずに近衛は私を拘束した。


「な、何を為されるつもりですか殿下!」

「さぁーて、どのやり方が最も面白いかしら…。辛酉政変の時の載垣、端華、粛順のようにただ処刑するだけでは面白みに欠けるものね……」

(く…狂ってやがる……!!)

「そうだ、手足を削いで瓶に詰め込んで差し上げるわ。市内中で見せ物にするの。穢らわしい臣民ども下劣に大喜びするに違いありませんわね……!」


血が頭から引いていく。私も殺されるのか、この悪女に。


「な――、何を…!」

「鴻章、ワタクシは悲しんでいるのです。天下の華外、穢らわしい東夷にどうして天子が負けているのかしら?」


私はヤケクソになる。どうせ死ぬなら持論を堂々展開したっても別に損はない。


「彼らは我らと違って政体的な面においても西洋化を成し遂げております!だからこそ西洋の武器を投入しただけの我軍は日本に及ばなかったのだと――!」

「その文脈からすると西洋が強者、と聞こえるのは気のせい?……くだらないわねぇ、あの洋狗どもを信仰するだなんて。」


途端に西太后は呆れ返ったような、侮蔑したような視線で私を捉えた。


「いい?穢らわしい南蛮の洋狗共は昔から中華圏には属していない独立文明。たまたま卑怯な兵器をその下劣な思考で開発することに成功しただけ。」


西太后は続ける。


「けれども倭奴に限っては違う。同じ中華文明圏の端、それも朝貢国でしょう?蛮族の海賊の成り上がりでしか無い東夷の軍門になぜ下らなければならないの?」

「ですから彼らは!」

「もういい。倭寇の連中はワタクシを怒らせた。元代倭征の時のようにでしゃばった蛮族には教育をしなければね。」


腐った清朝最高権力者は、ばっ、と扇を広げて微笑む。


「在清日本領事館員を拷問にかけて、全てを聞き出した後に抹殺しなさい。国内にいる倭奴共は全員速やかに殺処分よ。」

「そ、それは流石に…!」

「黙らっしゃい。勝てばいいのよ勝てば。これから私達は戦力を建て直して、倭の本土を火の海にし倭寇どもを一匹残さず駆除しなければならないでしょう?」


この女は現実が見えていない。だがそれでも。


「死にたくなければすぐに取り掛かりなさい鴻章。さすれば今までの失態はワタクシが恩赦し、貴方と一族郎党の命を助けてあげますわ。感謝なさい。」

「……っ、はッ…。」


――従うしか無い。


そう思った瞬間。


バタンッ!


「殿下!」


すると突然、警備兵が御殿に飛び込んできた。


「空から何かが降ってきています!!

「何かって?」

「外をご覧いただければ…!」

「ワタクシ自ら動けと申すのかしら?」

「い、いえ…。ですが……、どう対応致せば宜しいでしょうか。」

「はぁ?そんなの――」


何気なく視線を窓の外に持っていった西太后は固まった。

私はその意図をつかみかねていた。私も外の景色へ視線を移す。


「ば、…かな……。」


私は唖然とした。

西太后も呟いた。


「なんですの…、これは……!?」


空に、華が咲いていた。

美しく不気味に百の純白の蓮が降りて来た。


「ワタクシの城で…、一体、何がぁっ…!!?」


程なくして太和殿に赫灼の太陽が翻った。北京の帝城に日が出づる。


「な――、日本、軍…?」


私は理解が追いつかなかった。天から降ってきたのだ、日本人は。


(や、…奴らは天の使いか何かか!?)


あるいは―――、

本当に、日出処ひのもとに住まう者なのか。


「殿下、早くお逃げに!」


唯一つ分かること。

もはや彼らを朝貢国として扱うことは出来ない。


「鴻章!なにを呆けっとしているの!?早く裏門から―――!!」


彼らは中華を既に大きく凌駕していた。

空から兵を送り込んだのだ。


「殿下、お逃げの前に、忘れ物ですよ…。」


思えば初戦から我軍は彼らの手玉に取られて弄ばれていた。

一方的に猛火力を喰らい、前世代の我軍は遊ばれた。


「た、助かるわ。一体何かし―――……ッ!!?」


北洋艦隊は誘き出され全滅。

旅順要塞は恐怖に叩き落され降伏。


「ええ、”戦争責任”を忘れてお逃げのつもりなわけが無いですよね?」


近代化たった25年そこそこで、断続的とはいえ二千年続いてきた朝貢体制を打ち破り、かつての師の帝城を蹂躙するのか。


「な、日本兵……ッ!?」


どう足掻いても、我々が勝つことはできなかった。




―――――――――





「第一目標、西太后の身柄拘束に成功しました!」

「第二目標がいないぞ!皇帝は何処に行った!?」

「……ッ、まずいな。」


皇帝自身がいないと詔勅を出せない。追跡の必要がある。


「第1、第2小隊は残存地域の制圧を!皇帝は発見次第拘束せよ!」

「「了解!」」


少尉は敬礼した後、西へ進軍を開始した。


「……さて。」


一人残された僕は、屋根の裏の方へ声をかけた。


「そこにいるんだろ?降りてこい。」


少しの沈黙のあと、銀髪を棚引かせて少女が姿を現した。


「…よくわかったわね。」

「ちょっと付いて来てくれ。皇帝ファンディェを探せ、だ。」

「はいはい、見つけりゃいいのね」


裏の御花園に到達したが、依然皇帝の姿は見えない。


「司令小隊と第3は何処に向かった?」

「司令小隊は紫禁城正面から見て南東の文華殿、第3は中央西、武英殿よ」

「ということは皇極殿か?」


北東、つまり皇極殿方面が空いている。そちらに逃げたと考えるのが妥当か。


ひたすらに数分走っていると、やっと皇極殿が見えてくる。


「――!?」


角を曲がって、目にしたものに絶句した。


「……な…。」


高身長に白肌、異質な髪の色に特徴的なロシア帽。

皇極殿を守護するように異国の士官と、清朝兵士が数名待ち構えていたのだ。


「ロシア軍…??」

「遅かったですねぇ、日本陸軍の諸君。」


一人前に出た男は、流暢な日本語で話しかけてきた。


「敵対の意思がないのならそこを退け。」

「此処を通るのならば、交戦するしか無いでしょう。」

「ロシアは戦争に介入するつもりか?」

「まさか。我々はあくまで清朝軍事顧問団。

 清朝皇帝を守るためにここにいるだけです。」

「……国籍不明、だ?笑わせてくれる。」


指摘したところで、男はどこ吹く風といったかのように周囲を見回す。


「しかし、この戦力差、いかんともしがたいですなぁ…。

 どうです、正々堂々一騎打ちにしませんか?」


身体年齢は、僕も咲来も数えでたったの15歳。

二重帝国とて、数名の清朝兵士を前に突破は不可能だ。


「…へぇ、なら喜んで。」


十分な勝算を以て一騎打ちを受け入れる。

無論僕みたいなノロマじゃ勝てっこない。

だが咲来の強さは僕を遥かに凌駕する。なんたって熊と渡り合う現行の狩猟民族だ。

そうして咲来は、前へ出た。


「おぉ、これはまた…――。混血、ですか。」

「だから何?」


刹那、長槍が繰り出された。

咲来が一気に仕掛けに出る。


「その顔立ちに、銀髪?

 我々スラブ系とアイヌの特徴を併せ持つ、ような……」


男は独り言ちながらも、攻撃の手は緩まない。


「待て…アイヌ、か?なぜ北方原住民が我々との混血を…?」


それどころか段々と強くなる。


「――…いや、なるほど。約20年前のアレか。

 サハリンにおけるアイヌ集落リンチ事件の末の、混血…忌児ですか。」


「……ッ!!」


男からその言葉が出た瞬間、彼女の動きが鈍った。


アイヌ、集落リンチ事件だと?

聞いたことのない話に、僕は硬直する。


「相当肩身が狭かったでしょうに、あなたの母親は。」

「随分とお喋りね。集中しないと死に晒すわよ」


キッ、と睨めつけて、長槍を突き上げる。

男はその軌道を見切って撥ね払う。


「陵辱の末の混血を忌み嫌う村民から守り続けた、か。

 あなたは――、孝行をして然るべきだった。」


咲来が繰り出した刃先を男は難なく避ける。

間髪おかず、咲来は近くの石楼を蹴り飛ばし、体を宙に浮かす。


「なのに…、なんとも嘆かわしい。

 、事件が。」


しかし、男はふっと笑って咲来の右斜め下に滑り込む。

そのまま背後に降り立って咲来へサーベルを叩きつけた。


「1888年末、貴様らの祖国が始めた『北方政策』とやらのおかげで、両国関係は極端に悪化。情勢は、10年ほど前の――"最初の襲撃が起こった" 75年末、交換条約が結ばれる前へと逆戻り。」


その刃先を男は軽々しく受け止めると、反攻に転ずる。


「『交換条約により確定した祖国の領土を奪おうと、また手を伸ばす蛮国への抗議』という大義の下、村を再び…今度は、私の部隊が襲撃した。」


男は右へ左へ、剣を繰り出す。


「あなたたちが忠誠を誓った政府は何もできず。軍隊も動かず。

 まぁ、我が大ロシアの領内の事件ですから、そもそも当然でしょうが。」


ふっ、と薄ら笑って飛び退き、間合いを取る。


「ねぇ、”母親殺し” さん?」


そう呼ばれた瞬間、咲来が目を見開いて硬直した。

そのまま、その瞳から色が消えてゆき――不穏な黒色が、彼女を巻く。


その左手を強く握りしめ、震わせて。

やがて爪が喰い込んで、そこから血までを流し始めたとき。


「――その名を2度と聞かせるな」


酷く冷徹な声が、脳の奥まで透き通った。


咲来が物凄い速さで地を蹴った。

渦巻く黒色を置き去って飛び出した彼女は、真反対の虚白色を纏い。

槍先は、完全に男を捉えていた。


到底回避など間に合わない。

決まった、と肌で感じた、次の瞬間。


カァンッ!


「私が聞かせるのではなく、あなたが聞きたくないのですよ。」


その槍突を、あろうことか、男は振り払ったのだ。


「なぜならその全ては事実ですからね。」


即座に反転、返すサーベルで斬り戻す男。


「あなたがた一族が、まだサハリンで暮らしていたあの日。

 ――実に痛快な事件でしたね。今も覚えているほどには。」


咄嗟に、彼女は攻撃を槍先の峰で受け止める。

それゆえか。

今にも崩れそうな、危うい体勢を晒してしまう。


「くぅッ――!」


彼女は言葉にならない唸りを上げながら突進する。


「あなたは、襲撃から村落を守るために剣を取った。

 されど母親は、実娘にまだ殺しをさせたくなかった。」


男は嘲笑を浮かべ、容赦なく攻め立てる。


「黙りなさい……っ!」


彼女の動きは悪くなっていく。


「あなたは、侵入した私に斬りかかった。

 けれども、その刃を身で受けたのは――あなたの母親。」


「らぁぁ…ァァ!!」


彼女は男の剣を受け流すことさえままならなくなって。


「『まだ貴女は、人殺しの咎を背負うには早すぎるわ。』…最期の言葉でしたっけ?いやはや、傍から見ても実に良い母親でした。」


男は巨大な中華建築の門を抜け、皇極殿の中に咲来を押し込んでいく。


「斬られそうになった私を庇った実母を、斬りつけた。

 なのにあなたは――、逃げ続ける。この永遠の罪咎と、責任と、後悔から。」


男は、咲来の首筋を掴み上げた。


「く、ぁ…っ!」


思わず僕は男を睨めつける。

咲来の抵抗は乱れ、動揺をこらえきれていない。


「全ては、あんたの所為よ……!!」

「私の所為?違うな、あなたの選択です。

 あの場ではあなたは選べたのです、母親を生かす選択肢を。」


それに、と男は言う。


「そもそも、あなたがたの祖国が『北方政策』などという、実に列強国を舐めた外交方針を執らなければ、このような事態にはならなかったんですよ。」

「……ッ!」

「我々とて20年前の第一次事件のように、独断でやったわけではありません。あなたがたの祖国への重大な警告として…、この残虐事件を起こし。治外法権を行使して完全無罪とした。

 一連の計画された悲劇は、貴国『枢密院』とやらの情報部だけに流してやったのですよ。わざわざ教育として、列強の力を見せてやったんです。」


男は、はぁと溜息をつく。


「しかし、蛮族の非文明集団には理解できなかったようで。」


咲来の息はもはや絶え絶えだ。

拳を握りしめて、最悪撤退、咲来と脱出する場合を描いておく。


「なんと愚かなことに、貴国は戦争に身を投げた。事件はなんら意味を生まず、ただただ私達は、穢らわしい先住民を犯して殺しただけになってしまったんです。」

「ふざけないで…!警告だか列強だか、大層なことは言うけれども、事実はっ!」


咲来は長槍を、憎悪のままに打ち付けた。


「――あたしの家族を犯して、殺して、奪っただけじゃない!!」


男は笑う。

そうして狙ったように、咲来を突き飛ばした。


「そう。だから、貴様を殺せば、この事件を知る者はいなくなる。」


ふと、すぐそこに別の気配を感じた。

接近するというよりかは――いや、これは違う。

不味い。


「はぁ…?」

「憎悪の怨鎖は絶たねばならない。そして、世界に冠たる我が帝国に傷がつく歴史を、その生き証人を、残してはならない。」


瞬間、隠れていた清兵が飛び出る。


「ッ!」


清兵は近くの木柱を、振り上げた斧で切断した。

その木柱が支えていたのは僕と咲来、その直上の天井。


崩れ始めた天井の上に詰め込まれたありったけの岩石が、視界の端に映る。

まともに喰らえば命はない。

咲来は、動く体力すら無い。

僕も含めて誘導され、罠に嵌められた、だと?


そんな事を考えているうちにも、勝手に身体は動いていた。


「ぁっ!?」


僕は咲来を突き飛ばした。

自身も、身体を捻って直撃だけは回避する。

刹那、背後に大小の重礫が落ちて、砕け散った。


男の声が止む。


咲来は無事だ。

僕もどうにか、少し掠っただけに抑えられたみたいだ。

ゆっくりと立ち上がって、告ぐ。


「部外者による小細工――。

 明確に一騎打ちの定義に反する。」


「まさか防がれる、とはね……。

 おかげで暗殺に失敗した。」


男は不敵な笑みを浮かべる。

そうして、潜ませていた清朝伏兵に、交戦開始の合図を出した。


「さて君は――、君たちは、どうする?」




「咲来、そろそろどこかの小隊が来ても、おかしくはないよな?」


彼女は、その虚ろな目で一瞬僕を見上げる。


次の瞬間、背後に銃声。

清兵の何人かが、その射撃に倒れた。


「中隊長殿、別海以下司令小隊、到着いたしました!」


僕は、振り向かずとも手を上げて、歓迎の意を示す。


「大変宜しい。」


軍刀を抜いた。


どうやら僕も少しばかり、

咲来の過去に、憤りを感じたらしい。


「代償、払ってもらうぞ。」




―――――――――





現実が、容赦ない刃を突きつける。

何も言い返せない、何も言い訳できない。


この男は大嫌いだ。

だが、自分自身に対してはもっと腹が立つ。


どう逃げようと、「母親を殺した」という事実は変わらない。

ただただあたしは、現実から目を背けて、徹底的に逃げているだけ。

そうして醜態を晒し、また、人は自分から離れていく。


その惨めな境遇がたまらなく嫌いだ。


罪は罪、背負うべきもの。

そんなことはわかりきっているのに。


あぁ…、何をやっているのだろうか。

やるべきことをしなければならないのに。


………やるべきことって何だ?

”罪”を償うことか?

どう償うんだ?やってしまったことを。

そもそもそれは、背負いきれる”罪”なのか?


敵に復讐することか?

復讐して何になる?誰のためになるんだ?

その先には、ただ虚無が広がっているような気がしてならない。


わからないことだらけ。


首筋を掴まれ持ち上げられ、男に嘲けられる。

だけど、その全ては事実。


男は頭上で嗤う。

投げ捨てられた感触がした。

それでも自分は、憤怒への逃避に始終する。


男は約束を破り、全面的な交戦状態に入った。

戦力差は不利。時間はない。



斬撃。

初冠が、吹き飛ばされた。

左腕から血が流れている。

甚大なダメージを負ったことが見て取れる。

なのに、自分は動くことさえままならない。


「ほら。今も、昔も、あなたにできることなんて一つもない。」


男は嗤う。


「惨めですねぇ。仲間の危機に、何もしてやれない。

 眼前で見捨てることしか出来ない。そうして貴方はまた繰り返す…!」


黙って聞くことしか出来ない。

全て事実。自分がよくわかっている。


嫌だなぁ…、という漠然的な自責。


何故自分は生かされているのだろう。


ふと、そう思った。


決して逃がれられない”罪”。

一生許されることのない”罪”。

大罪を背負ってまで生きる意義。


「……あたし、生きる価値、なかったのね。」




「はぁ?」


初冠の右足が男の頬に触れている描写が一瞬見えたような気がした。

そして男ははるか向こうへ転がっていた。

間髪入れずに初冠は男のところまで走り、拳を突き落とした。


「がッはっ……!?」


男が血を吹いた。

自身の血と返り血を頭から引っ被った初冠は、こちらへ向き直る。


「価値がない、だぁ?

 お前、舐めてんのか?」


刀身血で染まった打刀を地面に刺す。


「ふざけんなよ、帝冠お前に価値なりゃ王冠にもない。

 二重帝国共々価値がない、それだけの話じゃねぇか。」


彼は血反吐吐きながらも続ける。


「それを、傲慢にも自分だけ背負しょい込んで、死に走る?

 傲慢にも、程ってものを考えろよ…!」


そして、その手をあたしの頬に当てた。


「さっきの解はもう出てんだ。

 帝冠聯邦オーストリア王冠諸邦ハンガリーのために。逆もまた然り――それが『二重帝国』だろ。

 地獄の北方戦役の誓約を、忘れたか!!」


「………っ」


「隙あり、だ」


男は鉄槌のように初冠にサーベルを振り下ろす。

振り返った初冠は何を考え、迫りくる刃を見つめているんだろうか。

それを見ながら何も出来ることはないのか。


「…――否、ね。」


落ちた長槍を掴み。

初冠の影から飛び出して、男のサーベルを跳ね除けた。


「っ、ぐゥ!?」


サーベルは男の手から離れ、天井に突き刺さる。

隙を突いて間合いを詰め、男に鋒を押し当てた。


男は飛び退いて、懐から小刀を取り出す。


「何故!何故そんなにも傷だらけで……!!」



次の瞬間。



ズカカカカカカッ!


連射6発。


「なァっ!?」


男は正面から連撃を受けて、小刀を取り落とす。

刀身は6.5mm銃弾6発の直撃を受けて折れ曲がり、もはや使えない。


「何だ今のは…!?」


「短機関銃――『五一式』。」


初冠が右足を捌いて飛び出す。

その銃剣の刀身からは、円弧を描いて鮮血が散り、男に否応なく降りかかる。


「なんだその速射力はぁ!?」


男は、拳銃を初冠に向けた。


「ここで始末しておかねば…、貴様らは、危険だ!!」


見るも美しく強力な軌跡で、翠星が迫る。


「もう、何も出来ないわけじゃない…」


今できること。やらねばならないこと。

それは――。


「やるわよ、王冠諸邦トランスライタニエン。」

「ずいぶん遅い復帰じゃねぇか、帝冠聯邦ツィスライタニエン。」


初冠の、淡々と銃を執る様が視界を遮る。

ああ、そうか。

この姿に、すでにあたしは――。


「…ったく、とんだ醜態を晒したわね。」


それを隠すように呟くと、


「なら――、僕も晒さないとダメだわな。」


ほんの一瞬だけ、彼は言った。


「……教えてやる。

 僕は、『逆行者』だ。」


聞き返すまでもなく、初冠は言葉を継ぐ。


「時空を逆行してきたんだ…。今から110年先の、平成という時代から」


それっきり、彼は戦闘へ戻る。


納得できたような気がした。

そう、徐々に思った。

彼の価値観、知識、発想が周囲と大幅に違うことなど、知っていた。

―――それも、生きている時代が違うんじゃないかと言うほどに。



・・・・・・



いくら時が経っただろう。

双方ボロボロになって、これ以上の継戦は厳しくなった。


「どうでしょうっ…、停戦と、…いきませんか?」


息を切らしながら男が提案した。

初冠は男に尋ねた。


「何が、出せる?」

「あなた達の目標、清朝皇帝・光緒帝はここに残してあります。縛ってあるため逃げはしませんよ。それを譲り渡します。」

「いいだろう、停戦成立だ。さっさと連れてこい。」


男は、しばらくして、絢爛豪華な椅子に縛り付けられた青年を引っ張り出してきた。写真と照らし合わせても、本人だと確認できる。


「用済みだ、去れ。」


そう言うと、配下の私兵10人を連れて男は失った左腕の付け根を抑えながら、皇極殿を出た。そこで突如振り返り、言った。


「楽しませてくれたお礼に、一つ教えてやりましょう。」


そして大きく息を吸い込むと、言い放った。


「新皇帝ニコライ二世陛下の即位に、万歳。」




「――ロシア、か。」


これが長い長い因縁の序章でしか無いことを、双冠の翠星はまだ知らない。




―――――――――




見渡す限り、赤い屋根に覆われた宮殿。

眼下に紫禁城が広がっていた。


右に血塗れの銃剣を立て、左手に軍旗を握り。


「…ようやく、か。」


ガツリ、と頂点付近の瓦に旗竿を刺し込む。


紫禁城へ、十六条に華開く旭章が翻った。




屋根の上に、遥か大興安嶺へ沈みゆく夕陽に向かって、咲来が座っていた。

その長い銀髪は、暮光が反射して、茜色にさらさらと靡く。


ふと僕へ振り返って、彼女は微笑んだ。


「やったわね、れい。」


なるほど、いつもどこかしら不機嫌に見える咲来も、今夕ばかりは機嫌が良い。

出会った頃より、僕も彼女も随分互いを理解したものだ。


今じゃ、安心して背を預け合える程度には。


「――やったな、りょう。」


そう僕も、3月の北京の寒空に白い息を漏らして笑う。


この大逆境の召喚劇、されど実に良い戦友に恵まれたものだ。


西に落ち行く斜陽を背後に、東から昇る旭紋がはためく。

かくして、紫禁城全域の占領が成った。




明治28(1895)年3月23日17時、北京陥落。

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