閑話 豊島沖海戦 前編

閑話ですので飛ばしても大丈夫です。

東郷平八郎の物語です。


――――――――




時系列は旅順攻略前まで遡り、明治27年(1894年)7月25日。


第一遊撃隊、戦艦富士、防巡吉野、防巡秋津洲、防巡浪速は先発隊としてソウル南方の牙山湾に向かった。豊島沖にて戦艦八島、通報艦八重山と合流する予定だったが2隻は現れず、代わりに牙山港から航進して来た清軍北洋水師の戦艦鎮遠、防巡済遠、防巡広乙、防巡致遠と遭遇した。


「遂に始まるのか…、皇國海軍史上初の、本格的海戦が。」


眼前に一列で続く清朝海軍北洋水師を前に、巡洋艦”浪速”艦長の東郷平八郎は言った。

東郷は艦隊の中では唯一史実を知る人間。故に、艦隊司令長官・伊東祐亨中将に助言をしてあった。この状況を最大限活かし、日本に最大の勝利を与える方法を。


(…にしてもやけに数が多いな。確か史実では済遠と広乙しかいなかったはず。)


ついでに戦艦1隻と防巡1隻が加わっているところを見るに、おそらく護衛対象が多いのだろうと東郷は考えた。状況は朝鮮中部及び釜山は漢城政府側、朝鮮北部は反乱軍側。そしてここ、朝鮮南西部は未だ中立を取っており、どちらにもついていない。


ここに清軍を上陸させ、脅して朝鮮南西部を清側にできれば、漢城政府及び漢城に駐屯する日本軍部隊8000名は陸上補給路を断ち切られ、日本軍優勢の戦局は一気に覆る。清軍が一気に南西部の牙山に兵力を送ろうとしてもおかしくはない。


(試作品だから受け取れるかは怪しいが…、ひとつ無線機を使ってみるか)


無線電信機は東郷用に、秘密裏に浪速に搭載されており、昨年松代松之助が月島―お台場間で通信実験をしたものを技研科学技術研究院で改良し、50kmほどの距離を理論上通信可能にしたものだが、調子の悪いときはわずか10kmの距離でも聞こえづらく、正直言ってあまり信用できる代物ではない。


東郷はモールス信号を打ち、周辺を哨戒中のはずの、”ある部隊”に救援を要請した。


「これで私の仕事は終わり。あとは伊東中将が枢密の作戦通り動いてくれれば、この海戦は勝てる。」


枢密は伊東中将に、戦略をあらかじめ伝えてある。それは無論、史実という土台の上に立った方程式だ。それ故に、自身で物を考えることを大切にする東郷にとっては、正直気に食わない作戦だが、実行に移されたのだから、指揮系統上従う他はない。


「発砲炎確認!」


見張員の叫び。すでに宣戦布告はなされており、清側の発砲は国際法に準じている。


「左回頭〜。」


弾着位置を予想し、東郷は指示を出す。濃霧の中で視界は全くいいものとは言い難く、敵艦隊が霞み、どちらに進路を取っているかは全くわからない状況だ。突如、かなり手前に水柱が吹き上がる。


「弾着、手前遠し!」


見張員が報告する。


「よし、もう少し近づいてから砲撃。敵を引きつけるぞ!!」


東郷は命じた。艦隊は進路を北北西にとり、着実に北洋艦隊に接近する。艦隊速力は平均20ノットであり、北洋艦隊の15ノットとは比べ物にならない。この間も北洋艦隊は攻撃をやめず、盛んに水柱が上がる。清朝は弾薬が豊富にあり、わざわざ精密な照準をして、節約する意味は無いのだろう。


「右舷夾叉!!」


ぐっと船体が右に持ち上がり、傾斜する。


「間もなく敵を完全に視界に捉えます!」


弾薬があまりない、貧しい日本艦隊は砲撃時百発百中にしないとコスト的に厳しいのだ。


(松方がワーワー喚いていたから、弾薬の使用には細心の注意を払うか…)


「これで精密な照準ができる。主砲装填!」


26cm単装砲に弾薬が装填される。各艦も照準を開始し、砲身の先を北洋艦隊に向けている。


「準備よし、いつでもいけます!」


戦艦「富士」を先頭に、防巡「浪速」以下「吉野」、「秋津洲」が続く単縦陣で、第一遊撃隊は北洋艦隊に突撃をかける。これ以上時間を置けば、集中砲火に晒され被害を被る可能性があ。命に関わる時は金なり。射撃の準備が整ったのにもたついてはいられない。


「撃ち方、始めッ!」


「っ、てぇ――っ!!」


第一砲塔から、遅れること第二砲塔からも爆炎。交互独立射撃によって、散りばめられる主砲弾は放物線を描いて清朝北洋艦隊へ一直線。彼方に水柱。


「着弾、遠!」


夾叉はまだない、気は抜けない。


「敵艦反転、進路を西へ!」


「逃げ出したか!?」


史実でも北洋艦隊の防巡済遠は豊島沖海戦で逃走を図っている。


「島影に隠れるのか…」


朝鮮西岸はリアス海岸である。島は多く、北洋艦隊はそこに身を隠す算段らしい。


(だが幸運なことに我が艦隊はまだ連中とは距離がある…。伊東中将、秋山真之参謀と枢密のテコ入れで大物が続く遊撃艦隊司令部が、どう動くかだな。)


「追撃中止、島の反対側に回り込んで敵艦隊を叩く、とのことです!」


「そう来たか。」


第一遊撃隊も針路を西にとり、島影から出てきた敵艦隊を正面から叩きに行った。先述の通り艦隊速力はこちらのほうが断然上。追撃は容易だし、振り切られる心配はない。挙句北洋艦隊は練度が低いので実際の速度は10ノットそこらだろう。


「しばし休息、といったところか。」


東郷は声を漏らす。


(しかし、この豊島沖海戦、史実よりも圧倒的にスケールが大きい。このままだと黄海海戦は非常に小規模なものになるか、なくなるだろう。)


どうして清軍がここまで大規模な艦隊を出してきたのだろうと思考する。史実では強力な日本艦隊との艦隊決戦を避け続け、のらりくらりと戦争を長期化させ、列強の仲裁による停戦を望んでいた張本人だ。


(こちらは清に長崎事件やら甲申政変やらで苦渋をなめさせてきたから、か。ここでなんとしてでも勝たなければ、大中華清朝の面目が丸つぶれ、といったところか?史実同様の手を、こちらが今まで勝ってきたゆえに使えない、というところか。)


史実では清が勝利してきた日本との紛争を、この世界では日本が勝っていたため、これ以上いくら小規模な戦いでも”敗北”の文字は許容できないということだ。清朝は満州人による征服王朝のため、漢族の感情、中華思想を考慮した政策をとりつづけているためだ。


(この戦いには清朝の焦りがある、と考えていいだろう。)


焦りは慢心同様、隙を生み出す。第一遊撃隊はそこにつけこみ、その隙を致命傷に広げなければならない。


(この海戦はおそらく、勝てる。)


以上のことから東郷は結論を出しかけた瞬間、島影から敵艦隊が顔を出した。第一遊撃隊は北洋水師に追いついた…が、


―――先程の余裕はどこへやら、東郷の顔はみるみるこわばる。


敵艦隊はこちらに側面を見せて、島の裏側から現れた。対する第一遊撃隊は先ほど島の角を曲がったばかりで、”浪速”を先頭に敵の側面に垂直に、一列単縦陣。今の第一遊撃隊の位置関係は、史実11年後の5月27日の、ロシア帝国バルチック艦隊と同じ。


「偶然か、必然か…、俺らは見事に嵌ったってわけだ…。」


要するに―――


「最高だよ、おまえら清国海軍。」


―――丁字戦、不利。

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