氷紋に華は咲く

明治35(1902)年8月 紋別


「稲作は順調?」

「ん、問題なし。」

「そりゃよかった…。」


3カ年計画で造成された農地では全力で自動車が稼働、耕耘機による代掻きと硝安の投入も相まって圧倒的な労力削減と大農法の遂行に役立っている。


ポーッ!


遠くに汽笛が聞こえる。

ふと窓の外へ目をやると、軽便軌道を機関車が駆けてゆく。積荷は金鉱石で満載だ。


「うむ…よろしい」


金鉱山が操業を開始したのは先週。

大農法の投入による余剰人口は鉱業へと流れ込み、毎朝鉱夫は紋別集落の自宅から紋別停車場に赴き、軽便軌道に乗って鴻之舞金山へと通勤、昼間は金鉱石を山積みにした機関車が紋別の精製工場と鉱山を行き交い、夕方には鉱夫を乗せた通勤列車が紋別の停車場に滑り込む。そんな情景が見られるようになって、一週間ほどだ。


金本位制の件で、大蔵省から官営鉱山時代の多大な技術供与を受けて鉱山経営に乗り出したわけだが、官営鉱山の全てをパクってきているわけではない。

採掘器具はツルハシとシャベルではなく、昭和初期に夕張の炭山で導入された携行ドリルが主体、万一の湧水に備えてポンプを投入している。


「労働意欲が高い。……掘れば掘るほど収入になるからか。」

「移住者も、凄い。夏までに…600人。」

「そりゃぁすごいや、出生数も増加だしな」


史実、住友財閥に経営された鴻之舞ではやはり酷悪な労働環境に死者が多発したのだが、あいにく僕は硝安の売却で、投資に回す分の内部留保も含めて収入は間に合っている。

というわけで利益の9割がたを、坑口ごとの採掘量で週給として配分しているわけだが、坑口のチーム毎に採掘量を競い合ってくれるため、士気が高く保たれ非常によろしいのだ。

あと労働意欲が高いのは自宅出勤であるからというのもあるだろう。なにせこの時代の鉱山では狭小な鉱夫住宅に鉱夫が無理矢理詰め込まれて、家族に会えないどころか太陽を見ることすら叶わず年間坑内で地獄の労働というのが主流だ。


「しかし…問題は収入源の硝安工場にあり、なんだよなぁ」

「なにか、あった?」


楓の質問に、本拠の元紋別の小屋裏に建設された硝安製造機の資料を広げる。

廃潜水艇を4隻横並べにしたこの合成炉からは、日産600kgもの硝安が生産される。しかし、だ。


「硝安の化学肥料としての強力さが、冬のうちに全道に広まってな。今年の稲作では冬のうちから旭川や札幌といった遥か西部方面からも購入希望が多発して、今も輸出のためにフル稼働状態なんだよ」


そんなわけでかつてはハワイへ行った廃潜水艇が連日の酷使に悲鳴を上げて、E217系よろしくぶっ壊れ寸前なのだ。

更に、今年中には重機を使って紋別から元紋別までの平野を大々的に乾田で埋め尽くしていくから、来年春には耕地面積が2倍になる。

この程度の硝安生産施設じゃ、輸出も含めれば到底足りない。


「日産600kgでも足りないのか…、本当に北海道は広いのじゃなぁ」


長老の呟きに、僕も頷く。


「上川や石狩の平野で、来年から農業聯合が始動しますし。」


農業機械の一通りの開発完了。

大蔵省から資金を得るため、僕らは農業機械の青写真を速やかに令嬢殿下へ転送、これを受けた松方と令嬢殿下率いる大蔵省は北海道全土における機械化大農法の推進を決断した。


さしあたっては拓務省及び農務省が大きく動き、北海道全域を先進農業地域に指定し、拓務省は重機を北海道に集中導入することを決定、農務省は農業機械の普及のための投資と開拓地の割り振りを目的に、JA的組織『農業聯合』を立ち上げた。


『農業聯合』においては、加盟員のうちで農業機械が共有され、収穫物は聯合所有の穀物保管庫――"カントリーエレベーター"へとトラクターで集められる。

すべてのカントリーエレベーターは鉄道駅の直上または横に設置される予定であり、そこから直接貨車に詰め込んで、鉄道輸出されるという仕組みだ。


なお、各種特殊自動車の生産も始まっている。

本明治35(1902)年早々、陸軍に納入されていた運土車ダンプカー排土車ブルドーザーの緊急増産を拓務省が苅田工廠フォードに発注し、年明けから流れ作業で1000輌体制を目指す。

苅田工廠においては、陸軍が大量発注した輸送車の需要がピークを過ぎて、生産レーンに余裕があったため、空いてきた生産レーンを転用。

工業用重機の全成後は、僕らの開発を元にして改良を施し、農業機械を量産型化、順次量産して農業聯合に納入していくようだ。が、それは早くても来年のことだろう。


「北海道は明治期に入ってからの開発ですから、開拓地が碁盤の目状になってまして、農業機械の稼働にはもってこいの環境なんですよ。……ですから、来年に入れば硝安の需要も爆発します。」


ゆえに、と僕は続ける。


「新規大規模硝安製造工場が必要です。」

「新規…え?」


硝安の強力さと効用の認識は、既に去年硝安を使用した紋別をはじめとする、網走にかけてのオホーツク沿岸、さらに名寄や旭川まで共有されている。どれも昨年、稲の生産量が激増した地域だ。


「でも、それだけじゃないんだよな…」

「……陸軍から発注来てるんでしょ?」

「なんで知ってんだよお前ストーカー?」

「ばっか違うわよ、伊地知少将がいらしたときに偶然」


僕は机上に新たな資料を広げて、楓と長老へ示した。


「陸海軍から、火薬製造のための窒素固定剤として純粋なアンモニアだけを発注されたんです。」


なにも硝安工場で産出できるのは硝安だけじゃない。プロセスの途中で、純粋なアンモニアを取り出すことだって出来るのだ。

窒素固定剤はあらゆる爆薬の製造に必須となる。それをアンモニアで補えるのだから、陸海軍からは大量のアンモニア製造を求められたのだ。


「アンモニアの合成終了過程で、タンクに流し込む分を確保して、そこから貨物タンク車にポンプでアンモニアを流し込む。そこから空知や石狩地域の陸海軍火薬工廠へ輸送って形ですね。」


なるほどね、と裲が頷いた。


「というわけで。農業用からアンホ爆薬用、軍需まで全ての需要を考慮した結果、新規工場で必要になるスペックがこれです」


新規工場の建設計画を提示した。


「日産…、」

「…10t!?」


「はい、日産10tです。将来的には最大40tへの増産も視野に入れた設計ですね」


現在の生産力が日産600kgであることを踏まえれば、どれだけ巨大規模の工場になるかは伝わっただろう。




「――村の共有耕作地って、残ってますか?」


敢えて、全く関係ない問いを尋ねる。


「本村隣接の湿田地帯にいくつかあるが…、近世農法はもはや非効率も極まりないんじゃし、来年にはおそらく湿田ごと廃止じゃぞ?」

「…よし。なら遠慮なく市街化できますね」

「市街化?」


これは、これからの数年を見据えた長期的な話。


「市街化区域を設定してしまいましょう。商店や公共施設を集約して意図的に町を形成する…。よし、硝安工場の件も含めて、地図にでも描いてみますか」


懐から紙切れを出して、適当に書き記していく。




【開発計画図】

  名寄本線

___┃___

_川_┃__

渚 滑┃工業団地⚓

市街地◇硝安工場

田¦田┃田¦田▲

▲:田┃田:▲▲▲

▲▲潮見町¦田:▲

▲:田┃田¦田

田¦田┃田¦:

川==┃==

:¦市 紋¦  海

:¦街  ⚓

:¦地 別¦

川==┃==

田¦田┃田¦

▲:田┃田¦

▲▲田┃田¦  洋

▲▲田┃田▲:

▲:田┃田▲▲:

田¦田┃田¦▲▲

:¦元紋別¦:▲:

:¦入植地¦━━⚓

::::::::

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

名寄本線(1903年秋開通予定)

(旭川/名寄方面)→渚滑駅→潮見町駅→紋別駅→元紋別駅



「そんなに広く取るのかね」

鉄道誘致・・・・ですよ。用地は広大なのを確保すべきです。――1903年秋には開通の予定ですから。」


ほぉ、と長老が息漏らす。


「村落中枢を横断する形で大通りを整え、南北にも新たに道路を敷く。

この交点あたりに駅前広場を設け、周囲に各種商店、郵便局、尋常小学校を集めて市街を形成しちゃいましょう。」


楓もいつの間にかそれに見入っていた。


「駅用地の海側には、穀物倉庫街カントリーエレベーターを形成して。将来的に、貨物ホーム及び築港への運び出しに便利な感じにしますか」

「…硝安製造機、どうなるの?」

「?」

「日産10tの新工場、作るって…」

「拡張再設置って形だね。硝安は爆発的に売れて、今や常時品不足だ。硝安工場は速やかな拡張を求められてる。だけど、残念ながらもう僕らの実験設備じゃ場所的にこれ以上の拡張が難しい――」


そうして、紋別市街地(予定)から名寄本線(予定線)を北に進み、潮見町駅(仮)を通り過ぎて二駅目、渚滑市街地(予定)をマークする。


「渚滑駅に新たな硝安工場を設置したい。」

「紋別から二駅も…?は…離れすぎじゃなかるまいな??」

「まさか。それ以上に工場が巨大です。年間産出量は現行の1日600kgから暫定10t、最大40tに激増させるんです。」

「よ…40トン…!」


超巨大生産設備の構想なのだ。


「……あの、戦時体制が迫っていて、渚滑に作るのは硝安工場だけじゃないと聞いたんじゃが…。」

「あ、そうそうそれ。渚滑にはまだまだ工場群を造成するっぽいですね」


手元の地図の渚滑駅予定地付近に次々と工場予定地を書き記していく。


「まずは先述の通り日産40tの大硝安工場。そこから出てきた硝安の半分・・は、すぐ隣の渚滑貨物駅から貨車に突っ込まれます。そんでもって名寄本線から鉄道で外界へポーン!です。まぁ…、これらは全部化学肥料と硝安爆薬枠ですよ。」


お察しの通り、硝安は軍事用途にバリバリ使う。


「だからこそ、硝安工場から出てきた硝安のもう半分は隣接して建設予定の陸軍爆弾工廠に輸送されます。ここの工場の広さは半端じゃないですよ…、なんたって、巨大生産レーンが5つもある!」


手榴弾、迫撃砲弾、野砲榴弾、航空機爆弾、機雷。一つ海軍用のが混ざってはいるが、この世界線の陸海軍は枢密院の存在でそこまで仲が悪いわけではないので、海軍による委託生産と言うかたちで丸く収まっている。


(当然、枢密院は有能な面もあるから一概に憎めないんだよなぁ…。)


北方戦役の件があったとは言え、助けられている面もある。完全な『悪』など存在するはずがないわけだ。

まぁそれは置いておく。


「これは…労働人口も凄まじいことになるのぉ。これが『渚滑工業団地』かね?」

「ええ。で、ここに一気に市外から労働者が流れ込むんです。が…、紋別に無制限に流入するハメになったら、治安の低下も招くし…第一、旧来の住民と一切すれ違いを起こさないとは限らないんです。」

「……それは、確かに同意。」


楓が頷く。

これは彼らへ安心を与えなくてはならない僕の仕事のうちなのだ。入植中断者の僕をここまで歓迎してついてきてくれた紋別の人々を、娘を嫁に出すわけじゃないが、何処の馬の骨かも知らぬ連中の波に呑ませるわけにはいかない。


「だからこそ、居住区域を分ける必要があります。あなたがた旧来住民は紋別市街、流入労働者の方々には渚滑市街で暮らしていただきましょう。」


地図に次々と文字を書き込んでいく。

今年春に着工、来年秋に暫定で鉄道開通予定の紋別駅予定地を中心とする、現在湿田が広がっている湿地帯が、彼らの暮らすことになる紋別市街造成地。

渚滑市街が硝安工場労働者たちの住まいだ。


「出身別で、居住地区を…分ける?」

「――あぁ、別に流入者たちを差別して冷遇したいわけじゃないんだ。まぁ適当な僕の硝安工場計画に協力してくれるんだ。もちろん平等にしなくちゃならないし…、それに、潮見町駅で境界が接するから、そこを中心に交流事業を拡大していく。」


初めから交流だなんてきれいごと謳って後先考えず突っ込んでは、免疫反応みたいなものが起こって、既存のそれと新入のそれが大反発を起こし、全体を機能不全に陥れてしまう。最初は徐々に、それから全体に、なのだ。


「穀物保管庫…カントリーエレベーターは紋別駅に設置します。秋の収穫ではトラクターを総動員して収穫物を一帯から全てそこに集中させ、集積。ここから鉄道で外界へポーン!」

「……ポーン!」

「…真似しなくてよろしい」


楓が無垢に真似する姿が意外に可愛くて動揺してしまう。

取り繕うように早口で続きを述べ立てた。


「まぁつまり、農産物貨物駅が紋別、硝安・軍需品の貨物駅が渚滑駅ってわけです」

「なるほどのぅ。…金鉱石はどうするのじゃ?」

「おっと忘れてた。軽便軌道が鴻之舞から紋別へ金鉱石を届けて…紋別に精製工場があるから、そうですね。紋別駅からは農産物とともに金銀を積載させましょうか」

「じゃな」


僕はここで、ふぅと一息つく。


「これで、一通りの都市計画は完了ですね」

「ふむ」

「現在、紋別村落の中心部になっている本町や幸町は、周囲の湿田に住宅街が造成されていくに従い、紋別新市街の中心になるでしょう。この村役所も含めて」

「…ここが、中心街かの。」

「ええ。これが全成したとき――…紋別市街は、人口2万を収容する。」


楓が目を見開いた。


「……に、まん。」

「ああ。ちなみに北の渚滑は1万の収容を目指しているが、なにせ渚滑川北岸が未開発だから…面積的には、10万までの拡張が可能だろうな。」


紋別2万、渚滑1万。

合計3万人を誇る都市――これは室蘭とほぼ同じ規模だ――が極北に出現する。


「さて、あとはこの計画を重機突っ込んで実現させるだけ。」


金銀・農業・軍需の要都が、かつての寒村に花開く。

さぁ、5000などすぐそこだ。


「掛けますよ――…正真正銘の、ラストスパートを。」




【1902年8月 紋別郡】

紋別村落人口 / 3573名(あと1427名)

稲自給率 / 116%(クリア)

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