停戦
「空襲開始―――!」
号令とともに爆撃が始まった。
重すぎるガトリング砲は仰角を上げることができず、本来野戦砲の砲身から撃ち出されるはずの砲弾が、容赦なく上空から降り注ぐ。
「な、なんだ!?」
「空中から…攻撃だとぉ…!??」
「た、対空戦闘!対空戦闘!」
「だめだぁっ、対抗手段がない!!」
「な…なんなんだありゃぁっ!?」
重量や風向きの関係で、第一波の攻撃は7発命中に留まったが、外れた12発のうち5発が、ガトリング砲を取り巻く形で周囲に設営されていた敵の仮眠野営を貫き、爆炎で包んだ。
「敵ガトリング砲左翼及び中央は完全破壊、沈黙!」
「敵野営陣地を爆撃、敵戦力推定4割が戦闘不能!」
「だそうですよ、伊地知少佐。」
「もう少し緊張感ってのはないのか?負けたら文字通り私とお前は処刑だぞ。
…主にあの時、あんなことを中将閣下に抜かしたお前のせいでな。」
そう言われると返す言葉もない。
構図的には僕が彼を巻き込んだ形になってしまった。
「まぁ、なに、気にすんな。どうせあとは賽を投げるだけだ。」
気遣いのような言葉を僕に投げ、彼は命令を下す。
「全軍、強襲渡河開始!!」
木舟が一斉に岸を出た。分隊毎に乗り込んで必死にオールを漕いで対岸を目指す。
一度猛烈な弾幕を受けた兵士たちは、決死の表情で手を動かし、体を屈める。そんな怯える彼らを出迎えたのは、驚いたことに、ただひたすらの沈黙だった。
砲も銃も火を吹かない。そこにあるのはただ混乱し、上空の爆撃から逃げまとうだけの敵兵だけ。
「っ、突撃ィ――!!」
ワァァァァ――…!
という歓声が河に響く。
揚陸隊が突撃を開始する。
敵側は突然の奇襲に大混乱に陥り、一部ではガトリング砲同士の撃ち合いにも発展、壊滅状態となった。
「右翼を突破しろ!そこ、何をもたついてやがる、延翼陣だ!」
目まぐるしく移り変わる戦局。息継ぎさえ難しい吹奏を思わせるそれに、名鎮の参謀たちはついていくのに精一杯だった。
「敵が……、」
「退いていく……?」
叛乱軍が防衛線から抜けていく様を凝視する。
続けて彼らは伊地知と僕を見て、つぶやく。
「俺達は、名鎮だぞ…たかが北鎮の田舎者に…」
「なんで…あいつらが……」
「どうしてこんな……あっさりと…!」
「気球撤退させろ!第三小隊が当該地域へ掃討に向かう!」
檄を飛ばす伊地知の下で僕は戦局更新、分析を伝え続けた。いつの間にか太陽は南を過ぎ、大きく西へ傾く。
「間もなく第3戦域掃討終了します!」
「よし、中央突破が可能か!」
「おれらは…名鎮だぞ…。」
「……たかが、尉官どもが…ぁっ!」
「到底及ばない発想…戦術…。一体、連中はなんだと言うんだ…!?」
彼らは、呆然と僕らを見るしかない。
「中央突破の兵力枯渇してます!」
「回せる兵力は!?」
「駄目です、右翼は延翼攻撃、左翼は遅滞戦闘、中央は制圧射撃中です!」
「クソ…、……なら我ら参謀本部直衛だ!」
「い、伊地知少佐正気ですか!?本部中隊ですよ!!?」
「タイミング失うのが一番の痛手だ!初冠少尉、突撃を開始せよ!」
「…っ、はッ!」
馬を飛ばす伊地知。
馬を駆る彼の背中を、僕は慌てて追い。
「全軍突撃ッ!逆賊を討ち滅ぼせ!」
万歳の掛け声の下、本部騎兵中隊が突破を開始する。
敵の陣形は大きく突き崩され、その中枢に突入した。
「敵将、視認――!!」
僕は立ち上る土煙の先に明らかに高貴な軍装をした2騎を発見する。
「山縣と大隈だ!絶対に逃がすなァッ!!」
伊地知の命令が響くと同時に手綱を震わせ、一気に2騎へ迫る。
――――――――
山縣と大隈は馬を駆る。
おなじ天保9年生まれの同期である彼らは、枢密が支配する政府と反目するうちに、共闘するようになった。
山縣は長州藩、大隈は肥前藩。相反する藩閥であり、史実は政党同士で死闘を繰り広げた彼らが、互いに協力する様は、藩閥政治が終焉へ着実に向かい、新たに枢密と反枢密に政治が分断されてきている証拠だろう。
「応戦開始!」
嵐のような攻撃が始まった。
9歩連の砲が火を吹き、絶え間ない銃撃が、防衛線を命からがら脱出し、敗残兵と化した叛乱軍を襲う。
士気のもともと低かった叛乱部隊は崩壊、すぐさま戦場からの独断撤退を始めた。
「……私はここで潔く散るのを選ぼう。」
そう言って突撃しようとした大隈を山縣は制した。
「ならん…!」
「何故だ、潔く死ねないのは男の恥!」
「馬鹿か、貴様もここで散華したら、どこの誰が志を継ぐ?」
驚いて、言葉に詰まった大隈を尻目に山縣は続ける。
「連中が貴様を追撃せんように
「なぜだ…言うべき言葉が違うだろう…。ここは共に戦って切り抜けるべきだろうが!……お前に守られる筋合いなんてない、それは『共闘』とは言わん!!」
それを聞いて、乾いた声で山縣は笑った。
「そう言ってくれるような戦友を持てたことは、こんな無念の中でも、間違いなく誇るべきことだろうな。」
でも、と山縣は続けた。
「ここに至ってはどちらかが犠牲になるしか進路は開けない。
さもなくば二人とも戦死か、最悪とっ捕まって枢密の連中に大逆容疑で死刑にかけられる可能性だってある。」
大隈は山縣を睨みつけた。
「ふざけんな、何勝手に諦めたような雰囲気放って―――」
「もうそんな綺麗事を言っていられる場合じゃないってことも、お前わかってて言ってるだろ?」
「――ッ!」
大隈は言葉に窮した。
「おれとお前、どっちが生き残るほうが合理的か。それだけなんだよ。お前さんは政治に精通し、明治十四年の政変のあとは、政府に反抗して政党まで立ち上げた。」
山縣は荒れ狂う砲弾の中でも、はっきりと言葉を紡ぐ。
「かたやおれは根っからの軍人だ。政治なんか足を突っ込んだことすらねぇ。ずっと軍隊畑一筋でここまで来たんだよ。だから、わかるだろ?――これからの時代は武力じゃなく政治力なんだ。」
西南戦争で証明されたはずだった。
すでに中央集権政府の軍隊には叛乱じゃ敵わない。これからの時代、意見を押し通すには武力ではなく、政治力が試されるのだ。
「これからの祖国――そして、暴走しかねない枢密に楔を打つに必要なのは、お前のような政治家だ。」
「納得なんか…出来るものか……」
「納得してくれなんて言わない。ただ一方的に頼むだけさ、将来のことを。」
山縣は寂しげに頬を緩めた。
誰よりも謙虚に、誰よりも天皇に忠誠を尽くした男は、理不尽にも、逆賊の汚名を着せられて、ここで朽ちてゆく。
「山縣………」
それでもなお食い下がる大隈を見て山縣は怒鳴った。
「行け!!グズグズするな、おれの犠牲を無駄にする気かッ!」
大隈はそれを受けて、一瞬涙腺を潤ましかけて叫んだ。
「お前の意思、確かに受け継いだ!」
そうして山縣に背を向け、広島鎮台へ行くべく一目散に最街道へ向け馬で駆けっていった。最後まで大隈は振り返らなかった。
「――さぁ、もう思い残すこともない。」
少し笑って。
山縣有朋は、サーベルを引き抜いた。
―――――――――
「戦場で揉め事たぁ随分余裕じゃないですか!」
僕は騎馬を鞭打って、一気先鋒に躍り出てから山縣へと斬り込んだ。
瞬間、山縣は山陽道への退路を塞ぐように塞がり、左腰に手を掛ける。
カァンッ!
山縣はその抜刀でもって僕の軍刀を受け止める。
「何か、揉めてたようですけど、通してもらいますよ…!」
「……くくッ、貴様のような若造に、通されるものか。」
もう50代のはずの山縣と、力量互角。
歴戦の軍人だということを、肌で感じる。組合いでは埒が明かないどころか、不利の可能性も悟り、一旦後退する。
だがすぐ後ろには伊地知率いる中隊が迫っている。時間はこちらの味方だ。
「よかったんですか?大隈さんとの一生の別れが、あんな荒々しいもので」
「ふっ…、それも含めて、
「大隈さんも討ち取らせていただきますけれど。」
2騎睨み合ったまま、僕がそう疑問を口に出すと、乾いた声で山縣は笑った。
「本当にそれでいいのか?枢密に利することになるぞ。」
「だから、なんだというんですか。」
「――枢密を利するのか?連中に踏み躙られた、北鎮の人間が。」
「ッ!!」
絶句する僕の胸元を、山縣は指差す。
「徽章。北鎮所属を示している。」
「…よくご存知ですね、北鎮のことを。」
「あぁ。――だからこそ、お前らの屈辱もよく解る。」
「……ッ!!」
静かに震えながら言葉を紡ぎ出す。
「絶対に、枢密を利することなんかにはなりませんよ。」
「…ほう?」
「大隈を討ち取ろうが、変わりません。…『枢密への反抗』という灯火は、僕の…いや、僕らの中に宿り続けます。
だから、本叛乱鎮圧を、枢密が利する結果になんかさせない。」
山縣の目が驚愕に見開き――。
「そう、か…。」
やがて、頬を緩めた。
「まだ、この国も捨てたもんじゃない。」
その言葉を聞き終えるより前に、後ろから伊地知の半ば叫ぶような命令が遮った。
「初冠少尉!即座に下がれ!一斉砲撃まで残り10秒ッ!!」
「…っ!!」
一気に手綱を引いて、反転する。
だが、数歩戻ったところでどうしてか手綱を握る手が震えて動かなくなった。そうして僕の視線は、引きつけられるように、山縣を捉える。
「…陛下の下でお役に立ちたかった、陛下の権威を取り戻すために…武器を取った…それが故に、おれは、大逆罪の国賊…、か。」
誰よりも君主に忠誠を誓い――それ故に反旗を翻した『帝國軍人』は。
もはや運命を悟ったように動かず、静かにもそう紡ぎ出す。
「何をやっている少尉!直ちに退却しろ!!」
伊地知の命令は僕の耳に入ることなく、ただ山縣の訴えにも似た懺悔が響く。
「こんな汚名…引っ被って、この世を、後にしなくちゃ…、ならないわけだ。」
「…ッ――!」
消え入るような声で、彼は無念を告げた。
「…あぁ、悔しいなぁ…――。」
刹那、炸裂。
山縣有朋はその爆炎に身を任せ。
その最期の言葉は、煤煙となって、空に高く立ち上っていく。
「ッわ――!」
そして僕も、当然ながらにその爆風に呑まれる。
「がっは…、げほっ…げっほ…!」
黒煙で視界が閉ざされる中、パカラッパカラッと蹄音が迫り響く。落馬しかけたところを、どうにか伊地知に支えられた。
「馬鹿かお前!砲撃危険範囲に突っ立ってたらそうなる!!」
「す、すみませ…げほっ!」
「本当に気をつけろ…、誤射殉職は洒落にならん」
騎兵隊も後に続いて来る。
「急ぐぞ、大隈逃しただろう」
「…っ、申し訳ありません!」
「日没まであと少しだ!早くしろ、まだ戦闘は終わっておらん…!」
どうにか身を起こし、煙幕の中を山陽道へ向かって猛進する。
「騎兵突進!この不毛な内戦に終止符を――!」
まだ渡河戦は終わっていない。ここで僕らが中央突破をして漸く、本隊の安全が確保され、勝利が確実となる。迫る日没までにギリギリ間に合う算段だ。
形成圧倒的優勢。だが、時間猶予なし。
ここですべてを決めなければならない。
「貫徹、吶喊――ッ!!」
軍人の本懐を、守り抜くという意思を。もう二度と悲劇は起こさない。
斯くして最後の一歩、決定的戦線突破は。
『停戦命令、停戦命令――!』
刹那、戦場に響き渡った停戦の号令に止められる。
「…は?」
わけも分からず呆然と突っ立っていると、伝令兵がこちらに走ってきた。
「停戦命令です、これ以上の交戦は認めません!」
「待て、すでに本隊は橋頭堡確保戦中だ!勝利目前、ここでの撤退は損失しか生まないばかりか、事実上不可能だぞ!?」
伊地知がそう返す。
「ですが、撤退してください!これは枢密院直々の命令です!指揮系統は枢密院以下の鎮西司令部に直属する以上、停戦は絶対です!」
僕はおもむろに、破壊されたガトリング砲に目を向ける。
その銃架には”England-1872"と彫られていた。
「…っ!」
否が応でも察してしまう。
「列強の介入か……。」
ガトリング砲はそもそも皇國陸軍に叛乱軍が確保していたほどの数は配備されていなかった。誰かが叛乱軍に兵器を供与したのだ。
この内戦が列強の代理戦争の舞台となることに怯えた枢密が、内戦の即時中断を決定してもおかしくはない。
「お言葉だが」
当然、僕は反抗する。
「この突破で確実に戦闘が落ち着く。逆に撤退強行は多くの犠牲を生むぞ。撤退に必要な木舟が破壊され不足している。」
「不可能です、指揮系統からの逸脱は叛乱とみなされます。」
「っ――!」
味方の犠牲を最小限に押しとどめるための戦闘でさえ、叛乱扱いか。
「伊地知閣下」
「なんだ」
「戦闘継続を進言します。出さなくていい犠牲を出す必要はありません。」
また僕らは守ること叶わず失うのか?
冗談じゃない、そんな理不尽にもう散々、北洋で押し潰され尽くしただろう。
「……ダメだ、流石に真っ向から軍令に明言される事項に刃向かう行為は、私みたいな軍人の端くれでも、認められない。」
だが、今回ばかりは伊地知は力なく首を振った。
「……ッ!!」
こうなっては、引かざるを得ない。
そうこうしているうちに、太陽は西の地平線の先に沈んでしまう。
「――結局…。」
沈黙と夜闇が支配した戦場の中央で、僕は静かにつぶやいた。
「枢密に振り回されなければならないのか……、どこまでも。」
儚くもその嘆きは虚空に消え、撤退が決まった。
僕は、ゆっくりと手綱を引いて、とぼとぼと戻り始める。
だが、僕は途中で馬を止めた。
破けてボロボロになった軍服を身にした、一人の帝國軍人の姿が、まるで絵画のごとく、儚く戦場の中央に、既に日が沈んだ漆黒の夜空の下に横たわっていた。
物言わぬ帝國軍人の亡骸を背に、准尉の階級章を肩に付けた影は、堪えきれなくなって宇宙を見上げる。
勝利を目前にして、全てが崩れ去った。
どこにも理不尽も不条理も感じさせないような、規則的に
―――――――――
最後の最後での撤退命令は、出さなくてよかった大きな犠牲を生んだ。
明治24年(1891年)11月27日、叛乱軍との和睦が決定し、停戦協定が成立。
講和条約が激戦地に程近い岡山城にて翌週には行われた。
・叛乱軍の「朝敵」認定は取り消され、加担した者の名誉は回復される。
・叛乱軍は速やかに武装を解除する。
・大隈重信を内務事務次官に登用する。
・憲法における枢密院の最終審査を、臣民投票から衆貴両院での議決へ変更。
・三権を天皇の元に戻す。
明治24年12月5日の停戦協定発効により、開拓団衝突に始まり、北方戦役、山陽道戦争と、4ヶ月にわたり日清戦争前の希少な国力を大きく削ぐことになった一連の紛争―――『明二四年動乱』は、一応の終結を見た。
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