泥河
明治24年10月3日
岡山近郊 吉井川
「があぁぁッ!」
また一人の兵が周りの水を赤く染めた。
首をやられたようで、助かる見込みは薄いだろう。
絶え間なく向こうの堤から恐ろしい量の銃撃が襲い続ける。
既に統制が崩壊し、独断で後退を開始する小隊もちらほら出てきた。
猛烈な雷雨は、止む気配がちっともない。
大波が舟を襲う。舟があっけなく転覆する。
(対岸までまだ300m程あるんだぞ…!?最大幅500mを誇るこの河川を、こんな状況下で渡ろうと判断した司令部は、気でも狂ってんのか…!)
土砂降りの雨のせいで視界は狭く、対岸から、尽きること無い地獄のような発砲炎のみがわかる。
滅茶苦茶に重い歩兵銃を引っさげて渡ろうなんて無理な話だ。
身体が波と雨に打ち付けられて沈んでいく。
「ぐぅ!?」
首に激痛が走った。
ふと水上に浮いた頭に、弾が運悪く当たったのだろうか。
それもつかの間、意識が遠のいていく。
(ああ、ここで尽きるのか…)
最期にそう感じて、それ以上は、何も思うことはなかった。
一人の悲しき一等兵はその亡骸を見つけられることもなく、河底に沈んでゆく。
―――――――――
「なんで枢密の連中の尻拭いを僕らが……」
ぶつぶつ文句を垂らしながら唸る。
それを伊地知は遮った。
「そこまでにしておけ。聞かれるぞ」
彼は僕を制す。
「曲がりなりにも、もうここは前線だ」
「その『前線』に戦傷者送っちゃう枢密君さぁ…」
「それは…、確かにな。」
「いやまぁ、もうほぼ治癒してますけどね」
「支えてやらなきゃ列車にも乗れなかったくせに、よく言う。」
「此処着いてから2週間経ってますって」
随分安静にして歩けるようにはなった。
『
東鎮1連は行動開始、東鎮3連は不測の事態に備え警戒続行!!』
「あ〜、こんな話をしている場合じゃないな。そろそろ向かうか。」
「そう…、でした…。」
窓際で煙草を吸っていた伊地知と共に、僕は参謀詰所へ向かう。
天幕を開けると、そこには苦悩の表情で唸る参謀幕僚の姿があった。
「これ以上の攻勢は全壊に繋がるぞ…!」
そこには大きな戦略地図が机の上に広げられていた。
そこに目を落として、頭の中を再整理する。
現在不平士族と民権主義者を中心とした叛乱軍は山縣有朋を首魁とし、中国から北部九州にかけてを占領している。
(山県有朋…。伊藤博文と並び、明治維新期に大出世した軍政家か。
火葬戦記じゃ多分すごく重要な役割を果たすんだろうけども…)
ここで彼を退場させることが、僕らに下された軍令である。
西征を掲げ叛乱軍の根拠地岡山へ進軍する
姫路を進発した軍は、相生、上郡と戦闘を続けつつ播備国境を突破。刻下、岡山三大河川の一つ吉井川に到達したのだった。
「10月2日、名鎮の9歩連が渡河を開始した。木舟に分隊ごとに乗り込み、対岸を目指した。…しかし、対岸まで残り100mを切ったところで異変が起こったんだ。」
参謀の一人が悲痛な表情で状況説明を始める。
「…向こうの堤防から突如、連射音が響いた。」
叛乱軍は果たして、手持ち8基のガトリング砲を川に沿って配備し、堤防を弾除けにすることによって理想的な河川防衛陣を見事に再現したのだった。
「大量の銃弾が、乗り込んだ兵士ごと木舟を砕き、一分足らずして地獄のような光景が吉井川を覆った…」
「さらに唐突に襲いかかった猛烈な雷雨が、大波で舟を襲う羽目に…!」
「結果…。最大幅500mを誇るこの河を渡ることは、叶わなかった…。」
参謀将校たちは一同に頭を抱えた。
「渡河隊は壊滅状態に陥った、そういうことですかね?」
僕は状況説明を聞きながら伊地知を伺う。
「多分そうだな。」
彼はそう深く頷いた。
「速やかに攻撃を中止すべきだ!近年清との関係悪化も甚だしく、これ以上皇國陸軍で相撃つのは全くの損害にしかならない…!」
「中止してどうする!敵の防衛線はより強固になるだけだろう、ここでの攻勢中断ほど馬鹿馬鹿しいことはない!」
参謀の一人がそう主張すると、すかさず反論が飛ぶ。激論が飛び交う中、僕は傍観に徹してみたのだが、暫く討論が続いても埒が明かない。
「……気球、使えませんかねぇ?」
「…どういうことだ??」
「二次元戦闘で打開不能な戦況。
なら――三次元はどうでしょう?」
「…具体的には?」
「『爆撃』。詳しく言えば、上空からの攻撃です。」
「……ばく、げき??」
「詳しく説明しますね。」
踊る会議を傍目に、考えうる限りの攻撃作戦を提案する。
「……おまえ、正気か?」
「少なくとも継続攻勢をかけるよりかは。」
伊地知は、深くため息をつく。
「樺太の時もそうだったが、よく思いつけるなそんなにバンバンと…。」
「伊地知少佐、提言をお願いします。」
「待て、なぜ私が。
少佐――それでさえ野戦任官が、中将に物申せと?」
「なら少尉の僕が言いますか?」
「それはやめろ。鼻で笑われるだけだ。」
いかにも渋々と、伊地知は大山の前に出る。
「……司令、それでは、ただ戦死者を増やすことしかできません。」
少佐が、中将の作戦を真っ向から否定しにかかる。
「ほう、北鎮付の野戦任官少佐か。」
周囲の制止に目も遣らず、彼は続ける。
「これ以上の攻撃の停滞は敵に時間を与える。直ちに継続的な攻撃を必要だ。」
「渡河突破は全く必要ありません。」
そう言うと周りが一斉に唖然とした顔をする。
複数が嘲けるようにフッと頬を緩めた。
「『北鎮期待の星』と持て囃されて随分と浮ついてるようだなぁ。なぁ、野戦任官少佐――、尉官さんよぉ?」
便乗して、阪鎮の参謀長を務める大佐の男がそう煽った。
「猶予を与えれば、敵の要塞は更に強固となることは明白……。
それもわからないとは。流石、大尉殿。」
別の少将の男が追い打つようにそういった。
もはや煽りじゃなく直接的挑発だ。
それにもめげず伊地知は続ける。
「……ガトリング砲には2つほど欠点があります。一つは射撃中、夢中になって回転速度を上げすぎると、過熱による破損が起こること。」
叛乱軍側は戦闘開始から3時間強、連射体制を継続しており、故障や破損を起こしたガトリング砲が続出している筈である。
「もう一つは重く、機動展開に対応できない点です。そのため、高度な機動戦闘を行える部隊を敵が予想しない方向から投入することが勝利の鍵になりますね?」
少しばかり伊地知の知識量に驚いた。
戦術だけでなく、敵兵器についても熟知しているとは。
「……何をたかが少佐ごときが偉そうに。」
「そんなことができたら苦労はせんだろう。これだから佐官待遇の尉官は…。」
「出しゃばっておきながら、具体的なことはどうせ何一つ考えてないんだろ?」
出る杭は打たれる、文字通り多方面から威圧を食らう。相当プレッシャーに潰されかけているだろう。それでも、伊地知は喋りつづける。
「ええそうでしょう、敵が河川防御陣を採用している以上、陸上においては、敵が予想できないような突破口など存在しません。」
付け入らせないよう、すぐに息を吸い込んでから伊地知は言った。
「――ですが、空中ではどうでしょう?」
あまりにも突飛な提案。
「「「は?」」」
周囲は唖然として、沈黙が場を支配する。
それを機と見て、伊地知は続ける。
「依然と川の水量は多いですが、雨はやみました。台風一過で快晴です。気球の飛行にはもってこいの空模様だとは思いませんかね。」
そこではじめて大山が口を開く。
「……気球でどうするつもりだ。」
「『空爆』です。文字通り、空中よりガトリング砲めがけて爆弾を投下します。」
「具体的には?」
「夜明け前に闇に紛れて出撃、野戦砲の通常弾を空から人力で投下、ガトリング砲を破壊し、混乱の隙を突いて本隊が強襲渡河。―――以上が、作戦要項です。」
すぐに準備ができないガトリング砲の欠点を突いて、大規模な奇襲を敵の想像もつかない「上空」より敢行。睡眠中の彼らは効果的な迎撃もままならずして猛爆撃される。同時に本隊が大規模渡河を開始、混乱中の敵地に上陸を開始する。
「そんな…こと……」
「うまくいくわけが――…」
一気に場が静まり返る。
叩こうとしても、妙に作戦が現実的であるからできない。
先程から、鎮西軍司令の椅子に座って、目を閉じてなにやら考えている男――大山巌皇國陸軍中将。鎮西軍の司令の判断を、静かに待つ。
「…却下、だ。」
少しの沈黙の後、彼はそう言った。
「枢密院じきじきに提案した基礎作戦要項に背くことはできない。『渡河突破』を命ぜられている我々はそれに従い…、強行突撃しかないだろう。」
(……っ、予想通り、だ。)
枢密と関わっていれば、大体誰もがその答えを出すだろう。史実知識を踏まえた――仮にそれを知らなくとも、維新の英傑が中心となって立案した作戦だ。だれもが、容易に自身らでより良い作戦を思いつけるとは信じないだろう。
「これ以上時間を与えれば、更に敵は防御陣地を強固なものにしてくるであろう。…強襲渡河を実行する以上、我々はここでは退けない。――戦力を逐次投入する。」
ガタルカナルを見事に再現、か。
悪夢だな。
これはどうしようもない、とばかりに伊地知が肩をすくめて僕を振り返る。
彼が司令に会釈し、背を向け踵を返そうとした瞬間。
ざっ…。
僕は前に出た。
「中将閣下は枢密の傀儡であせられますか?」
唐突の罵倒。
一瞬で、場が静まり返った。
「何故『渡河』にこだわるんですか。参謀本部が示した作戦では二次元でしか戦場を見ていないから『渡河』なのであって、我々は今、三次元立体戦術を考案したではないですか。ならば躊躇なくそれを使えばいいだけでしょう。」
僕は畳み掛ける。
「指揮系統にも明記されていない、枢密以下参謀本部の提案に、何故細部いちいちまで縛られなくてはならないんですか。それが甚だ理解できません。」
准尉が中将に面と向かって食らいついている。
その異様な光景に伊地知でさえも立ち尽くし、結局、最初に沈黙を破ったのは大山巌陸軍中将その人の返答だった。
「枢密は列強さえ凌ぐ遥かに優秀なシンクタンクだ。きっとこうなることさえ踏まえて渡河突破を命じているだろう。維新期を支えた英傑たちが数日もかかって編み出した戦術に、我々ごときが小一時間討論したところで敵うはずがない……!」
その異常なまでに腑抜けた考えに、右手が拳を作って震えた。
「枢密は絶対に間違えないから、それに従うべき、というわけですか…」
「そのとおりだ。事実、枢密院成立から3年で、皇國は目を見張るような発展を遂げている。そして枢密が存在する限り、これからもだ。……これだけでも、十分信頼に値するとは思わないのか?」
僕はここに至ってついに自覚した。これはどうしようもない憤りだと。
「目を見張る発展?冗談はよしてくださいよ。――あの『真縫領土協定』が?」
「………っ」
その言葉に大山巌は拳を震わせて黙りこくった。
「我々北方鎮台の軍人がどのような境遇に立たされたか教えて差し上げましょうか。僕たちは北方戦役で、地獄を潜りました。多くの人間が死にました。」
樺太で負けていれば、戦場になっていたのは本土だった。必死こいて友人や家族を護るため軍人は戦った。北の大地にて総計102人の戦死を出しながら、戦い抜いた。
「各々、軍人の責務をこなしぬきました。勝利という与えられた任務を背負って、最善と命を尽くして、大雨と泥と血にまみれながら戦場を征きましたよ。」
もはや軍人ですらない人々は更に悲惨だった。
北方開拓団は、村落ごと敵に焼却されてなお、老若男女死ぬまで抵抗したのだ。
「僕の指揮する小隊からも、3人の戦死者が出ました。それでも――勝利だけは掴み取りました。北鎮の軍人たちは己の領分を全うしました。
…その過程で犠牲が出ることも、ええ、そこまでは納得できますとも。」
「……私も今まで幾多の戦友を喪ってきた。
それが戦場の現実で、軍人になった運命だ。」
大山はそう答えた。
ああ、全くその通りで、何も間違っちゃいない。
「軍人たちは、枢密は政治を全うしてくれると信頼しているから、軍事という領分に専念しました。
――さて、枢密院はどうでしょう?」
そんな疑問を呈する。
「「……ッ!」」
場の空気がガラリとひっくり返った。
将校たちが血相を変えたのを、肌で感じた。
「自身がやるべきだった内政を怠り、内戦を起こされ、外交で負けました。
半壊して掴んだ勝利は、敗北へ塗り替えられ、守り切れたはずの樺太の人々を見捨てました。他でもない枢密院の行為によって!」
それで被害者面しながら、今まさに、戦傷すら完治していない僕を前線に立たせる。
建前は、北方戦役で戦果を挙げたから。
本音は、『非協力的逆行者』を最前線に立たせて排除するためだ。
「枢密の行為、俗になんて称されるかわかりますか?」
沈黙する大山と鎮西軍の将校たちに毅然と告げる。
「裏切り。」
「「「 ――!!」」」
「……枢密を信じて戦場で散った総戦死者102名への侮辱、そう称することすら躊躇を覚える悪夢ですよ。人々を守り抜いたことを誇りに散った、二度と戻らない戦死者たちの墓標に齎された果報は――『敗北』だった…!!」
ただただ湧き出る憤慨に打ち震える。
「成すことをなさず、軍人の本懐を踏みにじり、そして……、果てには多くの人々の信頼を裏切ってのけた。本当に、……本ッ当に、冗談じゃない!!」
なにより、と吐くように言葉を継ぐ。
「同じ軍人でありながら、そんな連中を盲目に絶対視して信仰する貴方がたのその姿勢に、一番腹が立つ―――!!!」
大山はギリと奥歯を噛みしめる。
「完全無欠の英傑集うシンクタンク?そんなの英雄譚の幻想に過ぎない!そんな無条件な信頼の押しつけは、ただの枢密への依存で、実質的な思考放棄でしかない!!そんなことすらわからないんですか!!?」
悲痛なまでに声を張り上げて続ける。
「敵うはずがない?従っていればいい?…それが自称精鋭師団、名古屋鎮台の偽らざる姿でしょうか?」
「……ッ!」
黙りこくるその姿に僕は咆哮する。
「…――平和ボケしたのか!?そんな腑抜けた連中に軍刀帯びる資格などない!
どん底に叩き落された北鎮軍人の前で、二度と『軍人』なんか名乗るなッ!!」
いつから忘れたか、貴様らは武力だ、と。
その罵倒を突きつけられて、ついに大山は額に青筋を浮かべた。
「たかが准尉の分際で我に楯突くか…っ。挙句我らを『軍人』ですらないと…!?
――戯言も大概にしろォッ!!」
大山が机を両手で叩いて立ち上がった。
「そこまで言うなら採用してやる!!代わりに全責任は貴様だッ!
攻勢が失敗した暁には、軍法会議にかけて処刑してやる!覚悟しろ!」
「ええ、そんな暁は来ませんよ、永遠に!」
真っ直ぐに参謀室を退出した。
これから速攻で部隊再編を図るしかない。
「何やらかしてくれたんだお前!!?」
外に出るなり、伊地知に片腕を掴まれて止められる。
意志に反して静かにも濁流のように言葉が堰を切って溢れ出す。
「確かに枢密は強いです。ですがそれは、史実と言う既に敷かれたレールの上での話ですよ。これから歴史が変革するにつれて、そのアドバンテージは大きく後退していくことになるんです。」
「は…ぁっ…!?『史実』だぁ…?おま一体、何言って――」
「無論のこと、枢密が大失敗を喫する可能性も増えるでしょう。その時大事になってくるのは、枢密以外の人間たちの思考力です。それ次第ならその失敗を切り抜ける事だって出来るでしょう。―――ですが」
「………っ」
「このまま枢密が無双し続ければ、誰もが自分で考えることを無駄と判断するようになり、大山司令の如く思考を放棄していく。」
「それが、どうなると言うんだ…!」
「そしてそれが極まった時、枢密が致命的――すなわち亡国に至るような
改変の責務を背負っているという、英雄的な自身らの姿に酔う枢密は、この戦役を起こすまでこの事実に一切気づかなかった。この戦役で気づいたという保証もない。
「……だからこそ、僕は絶対に枢密の
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