双冠ノ翠星
「――交戦開始ッ…!」
途端に、身体中が燃え盛るような感覚に囚われた。
細かい一つ一つが熱せられているようで、まるで、分子が暴れ出したかの如く。
これは、逆行の影響だろうか。
それとも、人間の本能、生存欲求なのだろうか。
おそらく、そのどちらもなのだろう。
「がぁっ………!」
ただそれだけがそれが僕を突いた。
身体が驚くほど滑らかに、動き出した。
咲来を搬送する前に、敵兵の一掃だ。
周囲を警戒していた敵兵をなんの躊躇いもなく銃口の先に捉え射撃する。先程の矮小で卑弱な自分が嘘のようで。
「はぁっ……!」
空薬莢が排出されて地に落ちる音すら、雨と、泥と、血と、断末魔とで織りなされる戦場の狂奏にかき消される。
「く…っはぁ!」
間髪おかず別の敵兵が現れた。格段に体格がでかく、あのときに相対した巨熊そのものだった。
前に飛び出て切迫、と思わせてから直前で体を捻り、フェイント。
死角を取ってからそのまま引き金を引く。
タァン!
命中するかと思いきや、巨熊はすんでで身体を傾けて回避する。
だがその銃弾は、ギリギリで彼の背負う小銃を貫いた。
「っし……!」
続けて弾丸を排出しようとしたが、出ない。
先程までの激しすぎる機動が祟ったか。
それを見た巨熊は、好機と見て一気に間合いを詰めてきた。
サーベルを抜いて彼は斬りかかる。
ガァン!!
咄嗟に僕は小銃で殴りかかった。
4kgもある小銃の直撃を受けてただでは済まない。
キィン!
思い切り弾かれた彼のサーベルは、後方に吹っ飛ぶ。
「っし…!」
飛び退いて撤退に移ろうとしたその時には―――眼前に
(っ――!?)
彼は尚も突撃してきたのだ。
その顔には凶悪な笑みが浮かぶ。
(やられたッ!)
生と死を隔てるのは、いつだって些細なミスだ。
「くぅ…ッ……!!」
だから、絶対に選択を誤れない。
身を翻して一突き目を躱し。
空を切ったその刃先を――掴み上げた。
左手から血が刃を伝う。ポタポタと地表に流れ落ちる紅い液を前に、巨熊のロシア兵は困惑する。
そうだろう。
僕は刃を握ったのだから。
「ってぇ……」
左手でその小刀を掴み留めつつ、地面を蹴って下半身を浮き上がらせる。
加速エネルギーに任せて宙で廻転し、右足から巨熊の喉仏に蹴りを叩き込んだ。
いくら体格が良くても、人間には鍛えられない部分がある。
みぞおちや肘裏、股間や顎裏。喉仏だってその一つだ。
僕はそこを狙い撃った。
彼が後方に吹っ飛ばされて倒れ込むと同時に、隣の木を蹴り飛ばして空を舞う。
身体を縦に一回転させながら、軍刀を抜刀する。
左手から鮮血が、華のごとく空に舞い散った。
避けられない終焉を悟り、此方をただ呆然と見上げることしかできない巨熊の顔面へと、紅の飛沫が散華する。
遅れて半秒、赤撃の烈風が彼を断つ。
彼は最期に目を合わせて、呟いた。
「
刹那、視界が染まる。
グシャァっ!!
返り血を浴びて、飛び散った泥を浴びて。
酷く汚れながら尚も走り出す。
「……ッ!」
そうして程なく察する。
僕は包囲されたようだった。
木陰に隠れて、6名の敵兵がこちらに小銃を構えている。
(不味い……)
各個撃破は可能だが、包囲突破は不可能だ。
頭をフル回転させる。
どうにか突破口がないか考える。
瞬間、後方に陣取っていた敵兵一人が崩れ落ちた。
「っ、咲来!?」
その抜刀した影は、既に見慣れた翠眼の少女のものだった。
一気に敵兵たちの注意が咲来に向く。
「ッ!」
そうやって彼女が作り出した隙を死なせぬよう、一瞬で包囲下から飛び退いた。
ザッ…。
樹上に退避した瞬間、背中に感触を覚える。
背嚢をくっつけあわせている状態だ。
「お前…、撃たれちゃいなかったのか…?」
「銃声したらとりあえず伏せる。常識よ」
「……よかった。」
ふぅ、と安堵の溜息をつく。
すぐさま一瞬の油断に気づき、ばっと周囲を見回す。
しかし、気づかれている気配はない。未だ敵兵たちは僕らを見つけられない、か。
「けど……困ったな、包囲されちまったよ」
「はぁ、今更でしょ」
ほぼ同時に、僕らは互いに自身の背へ手を伸ばす。
「ま、戦局絶望的とて――」
「――これがあるものね。」
笑みを浮かべながら、レバーをカチリと"単發"から"連發"へ切り替える。
縦列弾倉を差し込むと同時に、咲来も長槍を引き抜いた。
銃剣と長槍、いつもの体系だ。
「なぁ、『二重帝国』って知ってるか?」
「欧州ドナウ流域、帝冠聯邦と王冠諸邦から成る列強の一つでしょう?」
彼女は淡々とそう返す。
「2つの国なのに一つの帝国。面白いよな。」
「あんた何が言いたいの?」
僕は笑った。咲来には見えないだろうが。
「――僕らがそう在れれば。」
少しの沈黙の後に、彼女はクスと笑った。
「あたしは
「……っ。」
僕は、巨熊から賜った称号を添えて呟く。
「”翠星”よ、翔び給え。」
カシャァン、と安全装置を一気に引き抜いた。
時代をひっくり返す一閃が、北の大地に響き渡る。
「「――交戦開始。」」
足を踏み出すと同時に、彼女の背中が離れるのを感じた。
斯くして。
タァン!
赫灼の二連星は、北緯50度の大地に流れ墜つ。
敵を眼前に捉え、引金を絞る。
弾丸は敵を貫けるわけもなく。
命中精度はクソ悪いのだ。
『はっ!極東の蛮族はまともな銃も持ってないらしい!』
『この距離で外す…!?目も当てられない!』
『ははっ、所詮はこんな戦力しか繰り出せないサルってことだ!』
罵倒の降り注ぐ中弾薬を装填するふりをする。
『やいイエローモンキーども、聞けぇ!』
『白人様がこれから文明ってものを教えてやる!』
『劣等人種のくせに出しゃばったこと、後悔しろ!!』
周囲の敵が一斉に駆け寄ってくる。
銃剣を突き出して、確実に仕留めるつもりだろう。
勝ちを確信した、そんな顔をしている。
『死ね、出来損ないの原始人!』
「――連射。」
撃鉄を落とす。
迅速に装填された銃弾は、至近距離にて三連射された。
ズカカカッ、と、世界に未知の音が響く。
『
顔に困惑を浮かべながら、敵は地面に叩きつけられる。
血と泥が飛散する中、銃撃を継続する。
「射撃精度は恐ろしく脆い。―――だからこそ、近接戦闘じゃ猛威を振るう!」
視界廻天360度、身体を捻って一回転。
『…な、な……?』
『今……何が起こった?』
『三連、射撃ッ…??』
「殲滅開始。」
『見たことも…な――』
『どうして…非文明圏の土人がッ…!?』
「四時方向敵兵!」
そう叫ぶと同時に咲来が長槍で援護する。
「知ってるわよッ!」
ズシャァッ――!!
『がぁあッ!』
『くっ、怯むな!たかが子供だぞ!』
『なんだ、なんなんだ、あの弾丸の烈風はぁっ!??』
吐き散らされる空薬莢。ほぼ無尽蔵に弾き出される銃弾。
無慈悲の暴力、その一言に尽きた。
『ぐぁぁっ!弾がやまねぇ!?』
『嘘だ……嘘だろう?』
『お前ら、一体何者なんだ――!?』
僕らは、ニィと口角を上げる。
「「二重帝国。」」
深く生い茂った森林での躍動。
この二連星に敵はない。
「撃破――、撃破――、撃破―――!」
銃弾が尽きかけて、装填をしている瞬間に左足の皮膚が飛ぶ。
気づいて、本能の赴くままに避けた。
銃撃の音源から敵を察知する。
姿は見えなくても、位置がわかればこちらの勝ちだ。
『嘘だ……俺らは白人だぞっ――?がはァッ!?』
枝々を飛び移って、敵の直上を占拠。そこから飛び降りて銃剣で一突き。
銃剣で貫いた敵ごと落下しながらも、それをクッションに、4mの衝撃を和らげる。泥が飛び散って、地表にまた敵兵が一人。
至近距離。
銃撃は間に合わないと察した。
迷わず、小銃を鋭く振りかぶる。
先程の一突きで緩んでいたネジが吹っ飛び、銃剣が抜けた。
銃剣は、綺麗に弧――など描かず、
『がっ…!』
投擲された銃剣は見事に敵兵の胸を貫き、その身体を地に叩きつけた。
そこに、咲来の長槍が直交する。
グサァッ!
「片付けたわ!次!」
「了解っ!」
全身紅く汚れきって、連星は戦場を縦横無尽に翔び荒れる。
手持ちの弾倉3つを使い切ったころには、敵影は跡形もなく崩れていた。
ただそこには、返り血を浴びた2つの影が佇んでいるだけで。
「終わった……。」
「残念ながら?まだ、小隊総員34名が付近で作戦を継続中だ。」
まずは小隊に合流。
頭に叩き込んである地形図を頼りにぐるりとあたりを見回して、視認できる景色から座標を特定する。
「行くぞっ……!」
切通の位置を確認して、移動を開始した。
・・・・・・
数分はかかっただろうか。小隊に復帰する。
切通には既に2,3名の敵兵の遺体が横たわっていた。
逃亡兵か敗残兵の先鋒は、もう既にここまで達しているのか。
此方の守備兵力は損害0と仮定しても1個小隊34人。
伊地知の配置転換令の甲斐もあって、付近には例の2個小隊が構え、第三中隊総勢での待ち伏せ迎え撃ちの構図が完成している。
しかしこの状態が数時間も続けば、いくら高台というアドバンテージがあろうとも消耗する。
交戦通報により、鎮台直属の砲兵連隊が急遽出動するだろうが、少なくとも到着までの4時間弱は増援がない。
対する相手の、渓谷から溢れる敗残兵の供給は止まないだろう。
半壊を負ったらその時点でゲームオーバーだ。
「すまない、…後退しすぎた。」
「小隊…、長…?」
想定以上に僕は泥をひっかぶっていたらしい。
別海伍長といったか、例の二大隊生の下士官は、声を聞いてやっと僕を識別できたようだった。
しかし、その表情をすぐに憤りに変えて、彼女は僕に向かい合う。
「ッ、巫山戯ないでくれませんか。」
「……。」
「隊長不在のまま交戦に突入して、第一小隊総員34名を危険に晒して、
挙句に…っ。なんですかこれはッ!」
そう言って、伍長は荷車で輸送されてきた弾薬箱の中身をばら撒いた。
「どれも、これもっ、貴方が放課後じめじめ独りでお作りになった、ゲテモノのガラクタばかり!小隊に迷惑かけて何が楽しいんだ!!」
もう最後は敬語の形状すら残さずに別海伍長は叫ぶ。
そして、僕が手に抱えるものを指差す。
「雑魚ノロマが!畏れ多くも菊紋のついた小銃を勝手に分解してっ、そんな廃棄物をつくりだしてなお後生大事に抱えながら敵前逃亡だぁ随分と―――」
瞬間、僕は五一式を構えた。
「脅すつもりですか!?そんなガラクタが機能するわけ―――」
伍長の背後、樹木の紛れて至近距離で虎視眈々と射撃の機会を狙っていた敵兵に向けて、撃鉄を絞った。
ダダダダダァンダァンダァンッ!!
淀みなく排出される空薬莢が、カランカランカランッと地面を穿ち、独特の音を奏で立てる。
「ぁ――な…っ―――」
伍長は目を見開いて、ゆっくりと後ずさり、
ぺたんと地面に腰を下ろした。
「今の…な、なんだ――…?」
「銃弾がっ――連続し、て……!?」
始終を見ていた小隊の空気が凍る。
「……。」
僕は空になった弾倉を引き抜いて落とす。
そうして、ゆっくりと口を開いた。
「好きなだけ嘲笑って、糾弾して、憎んでくれ。」
兵学生たちは、呆然と僕を見上げる。
「間違いなく敵前逃亡だ。あとで軍法会議に突き出しても構わない。
いや――、本来そうあるべきだ。」
止血できていた左頬の傷が、つぅうと赤いものを流した。
ああ、天罰か。
僕は傲慢不遜極まりないことを今から言おうとしているのだ。
「でも。……もう少し、憲兵に突き出すのは待ってくれないか?」
遠くからだけど着実に、軍靴の音が鳴り響いている。
敵の一団が着実にここに迫っている証拠だ。
この集団さえ潰せば、続く敗残兵への威圧になりうる。
作戦の本骨子が、迫る。
「だから――…」
佳境に差し掛かっているのは、今なんだ。
「――全体に通達。
第二小隊長初冠藜、小隊長の任に復帰する。これは上官命令なり。皇國陸軍の指揮統制内に則り、異議はこれを認めない。」
「ッ……!?」
伍長は顔を大きくしかめた。
ああ、実にゴミ野郎だ。
「言い訳としては最低の部類だ。でも、殺らなきゃ殺られる。僕らだけじゃなく――今、『皇國』という国家自体が、間違いなく生死の境地に立たされてるんだ。」
そう全軍に向き直って告げる。
無責任で不誠実な胸糞命令、王道からは最も程遠い行為。
これで到底、『英雄』になんかにはなれないな。
本当に――良かった。
「……っ!」
伍長は、此方を睨みながらも細々と言葉を紡ぎ出す。
「何、なん…ですか、それは…――?」
彼女の指は僕の五一式を示した。
僕は肩を竦めつつ、静かにこう返す。
「短機『五一式』。」
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