血の丸

「偵察班編成、接近中の敵の詳細を通告せよ!」


速やかに斥候を組織して飛ばしつつ。

弾薬箱を開放し、一気に迫撃砲の組み立てを始める。


「2個分隊を残して全軍樹上へ散開。切通付近にて集中的に接敵次第狙撃せよ!」


20名は分隊単位まで分かれて渓谷森林内に侵入する。

既に攻撃許可を下した。いつ戦闘が始まってもおかしくない。


南を睨んだ瞬間、思い切り手をひかれる。


「あんたどういうつもり!?」


素早く接近した咲来が、僕に静かに鋭くそう咎める。


「迫撃砲の操作ができんのは今ここに僕とお前しかいないから」

「あたしにここで迫撃砲の指揮しろって?」

「そうしなきゃここで小隊30名諸共僕とお前は死だ。

 ――頼む。」


もうすでに敵はそこにいる。

咲来は僕を睨めつけてから、ゆっくりと顔を逸した。


「……はぁ、あんたあたしの小隊長でしょ?

 胸を張って『命令だ』って言いなさいよ、情けない。」

「っ…、全く、その通りだ。」


僕のこういう煮え切らない態度が、小隊に漠然とした不安感を蔓延らせてしまうのだろう。しばし猛省した。


「わかった。――小隊長の名で命令する。

 迫撃砲展開、切通に迫る敵軍を迎撃、殲滅せよ。」

「…――了解!」


咲来は、ニィと笑ってみせた。


曇天の下に即座に迫撃砲を組み上げていく。

その様を、何も言えずに呆然と眺めている伍長以下8名を招集する。


「迫撃砲の取扱に慣れてる僕か彼女、どちらかの下について欲しい。」

「しっ、しかし!それは指揮系統的に…!」

「っ、融通の効かない陸戦規定め…!

 …わかった。咲来、お前は野戦任官で准尉昇進だ」

「じゅ、准尉!?あたしが!?」

「全部僕の責任に依る僕の指揮だ。大丈夫、敵前逃亡容疑で戦後には軍法会議送りだから、不満があるなら被告人質問の場で思う存分吊し上げてくれ。」


咲来に、小隊にそう言った。

どうせ銃殺なら、大戦果を挙げた上での銃殺のがいいだろう。


「2班4名ずつに分割する。各班から2名ずつは、これを持って前線へ!」


咲来の迫撃砲部隊へ手提灯を投擲してから、2名にも手渡す。


「1名は前線で弾着観測、1名は中継任務を。通信は灯火信号を以てこれを行う!」


送り出した斥候班3名が帰還する。彼らは不満そうな顔でこう報告する。


「既に戦闘開始されてる。敵はまとまって行動中、規模は一個中隊程度!」

「わかった。」


一個中隊、即ち三個小隊180名。約三倍の兵力差。

これを、この迫撃砲二門ぽっちでお出迎えとは心細い。


「感謝する。…森林に戻って各自樹上から狙撃を」


「っ、なんでこんな奴に従わなくちゃ…」

「抑えろ。どっちみち作戦要項には従わなくちゃいけねんだ」


そう3名は渓谷の方へ戻ってゆく。その姿が完全に消えるまで見送る。

信頼は、行動で回復する他ない。咲来にまた新たなものを投擲する。


だ!ボタン打ち間違えんなよ!?」

「そんなヘマしないわよ!」


彼女はそう叫び返す。

電卓。平成世界から持ち込んだたった2台でありながら、この明治には存在しないオーバーテクノロジーの塊。迫撃砲の弾着計算。放物線を高く描きながら敵を砕き抜くその弾道の計算は、空気抵抗も含めた二次関数を重点的に使用する。暗算だけじゃもうどうにもならない域だから。


「こんな…こんな奴が作った無様なガラクタが…。

 そもそも、重砲を森林戦で使えるわけがない…!」


伍長が小さく呟く。


「砲弾装填!」


計算された角度で空を睨む砲口に弾を手で詰め込む。


「低能が、こんなので列強ロシアなんかに敵うわけ――。」


伍長の語尾が、段々と力を失っていく。


「観測員へ戦域着弾警報を出せ!退避勧告もだ!」


少し遅れて、退避誘導完了の報告が舞い込む。


「中隊本部からは?」

「…対毛にて戦闘突入と連隊に通報を入れたところ、渓谷内部での露軍正面迎撃が一通り落ち着いたとのことで、鎮台直属の第7砲兵連隊が出動すると」

「射程圏内への到着は?」

「あと4時間です」

「増援まで――最低4時間、孤軍奮闘か。」


両側にそびえる絶壁の間から、覗く曇天。


「…それは……」

「やるしかないだろう」


眼科には、半壊した隊列を組んで切通を越しにかかる敵兵。


「全軍に通達、一兵たりともここを通すな。

 第7砲兵連隊の戦域着弾警報まで退くことは許されない。

…――小隊諸君、奮戦せよ。」


空を仰ぐ。

どんよりとした、重くて、湿った、息苦しい世界。

ああ――、初陣にはもってこいの空だ。


「拝啓、ロシア軍。近代戦の洗礼へようこそ。」


迫撃砲2門、短機関銃1丁。

数にしてみればゴミみたいなものだが、一つ一つの攻撃は、この明治世界においては戦略級の威力を発揮する。


「そして――…、さようなら。」


すべての準備は整った。おもむろに、一気に渓谷から風が吹き荒れる。

ザァァァ―――、と針葉樹が大きく煽られて音を奏でる。

声を張り上げた。


「斉射ァッ!!」


轟、と二門の迫撃砲が薙ぐ。130年後の電子計算機が弾き出した弾道に沿って、その弧を大きく、どこまでも高く描き空へ消え―――


「はっ、やっぱり火力支援だなんて妄想…――」


伍長の声を切り裂く、キィィィイーンという音。

高度500mまで打ち上げられた迫撃砲弾は重力加速度に従い、地に堕ちる箒星の如く、茂る木々の枝や葉を引き裂いて、敵中隊へ突き刺さった。


ドォッ、ドォオオォォ―――ン


炸裂、爆散。火柱が上がり、火球が森林を呑み込む。


「ッ!??」


絶句する伍長。僕はそれでも攻撃の手を緩めない。

観測員から光信号でもたらされた弾着情報を基に電卓を弾き飛ばす。


「次弾装填、弾着修正!仰角1.2度下げて砲撃続行!」


速やかに迫撃砲弾が装填される。そして地に伏せてから砲声を轟かす。


『敵中隊に援護到着。規模およそ一個大隊即ち三個中隊』


「追加で三個中隊だッ!高高度から狙って撃ち抜け、弾着観測ッ!!」


爆音が森林を引き裂き、響き渡る。


「……な…なんで…、こんな――」


そう立ち尽くす伍長に叫ぶ。


「射撃続行、怯むな、止まるな!」

「てぇーっ!」

「着弾!続けて右修正6度っ!」


爆炎が次々と上がる。


「今まで…、一発一発、装填して、見つけては撃ってきた…。」


また遠方で弾着が。吹き上がる爆炎に、伍長は呆然とする。


「この速射力、破壊力…比較対象にすらなりもしない…!」


時折銃声が聞こえ、敵が混乱状態に陥っているのがわかった。


「傾斜角保てぇっ!一斉射!!」

「次弾装填、続け!」

「射撃続行!右展開3度!」


敵を補足したら歓迎の準備。

手厚く接待してやろう。

この紅蓮の焔槌が止むことはないのだから。


「一体――…何だこれはっ…!!?」


蹂躙の狂奏は、終わらない。




・・・・・・

・・・・

・・




おもむろに轟く爆音。

振り返れば、膨れ上がった火球が、そこにいた小隊ごと区画を飲み込んで。


ドガァアアアン!!


「なぁ…ッ!」

「こんな鬱蒼と茂った針林の中を、じゅ、重砲が通れるわけが…!」

「どうして、どうして枝葉を破ってここまで届く!?」


超高空から弾が降ってくることを知らないロシア軍の兵士達には、こう叫ぶことしかできない。


「こんな兵器を…、なぜ蛮族がぁっ……!」


ここはあくまでも戦場。大隊が独断で撤退したとなれば、上官に敵前逃亡を咎められて文字通り首が跳ぶ。


「しょ、少佐!もう既に他の戦隊も!!」


見回してみればあちこちで悲鳴が上がっている。

ほぼ非武装で逃亡してきた状況下の、敵狙撃隊の襲撃。

もはや、退路に待ち伏せされていたと見るほうが妥当だろう。


「―――!」


少佐は息を呑んだ。


向こうの小隊に、白旗が上がったのだ。


「まさか独断で降伏したというのか!?」

「敵襲!敵襲!新たな敵――ぐわぁっ!?」


その瞬間、怒声が後ろから響いた。


ワァアァァァァ――!!


「サムライ!まさかっ!?」


少佐は察する。

もう、後方で一斉蜂起した敵の開拓団のサムライ共が、ここまでたどり付いたとでもいうのだろうか。


「ふざけんなよォっ!?」


それは、残存部隊戦力すべてが渓谷に閉じ込められたことを意味してしまう。


「もう嫌だァァ!!」

「助けてくれ、オイラは田舎に妻だって子供だって置いてきてんだァー!」

「死にたくねえ!戦場なんてまっぴらだー!」

「撤退するぞ!ヤポンスキーなんか一撃で叩きのめせるなんて、嘘を!」

「そんなこと抜かしやがった司令部なんかに付き合う必要なんざねえー!」


物理的にも、精神的にも最大限に損耗しきっていた敗残兵の指揮統制が崩壊するのも、時間の問題であった。


完全に敗走状態になるまでに数分も要さず、部隊は切通から渓谷へ逆戻り。

渓谷の内では、ロシア兵とその味方が出会うたびに渓谷内に悲鳴が木霊する。


「切通には悪魔がいるっ!重砲を持ち込んでやがる!」

「先行した中隊は一人残らず全滅だッ!」

「遅くねぇから引き返せ!まだ間に合う!」

「早く逃げろッ、逃げろぉっ!」


敗走で充足率一割を切った彼らは、瞬く間に恐慌を起こす。


「そんなっ!包囲されてるってことじゃないか!」

「まさか退路を断たれたのか!?」

「終わっ……た…。詰み、ってわけか…」


そして、当然のごとくこの結論にたどり着く。


「……!」




・・・・・・

・・・・

・・




『敵影見えず』


「ぎりぎり、間に合ったか……」


やっと一息ついて咲来の方を見る。彼女も、息を切らしてぺたんと地面に座っていた。手提灯で交信を続行する。


『前線状況は?』

『1名即死、2名重傷、4名軽傷』

「………っ!」


自分の管轄下において、初の戦死者。言い訳など出来るはずがない。

俯いて唇を噛みしめる。きっとこれが異世界物語であれば、序盤で仲間や部下を死なせることはない。


突きつけられた「戦死者1名」の報告。

ここがファンタジーなどではなく、冷酷かつ非道な現実であるということの、最たる証拠であるだろう。


「だ、第1小隊より報告!新たに二個中隊が切通こちらへ反転、接近中です!」

「砲兵連隊到着までは?」

「残り…90分です。」

「――各員、迎撃配置につき給え。」


それでも、そうだとわかっていても。

否、そうだとわかっているからこそ、止まれない。


「作戦継続、『一兵たりとも通すな』。」


敵二個中隊切迫。

こちらの戦力は増援の第1小隊を足しても2個小隊。

希望を見いだせるとしたら、敵の武装放棄は深刻で、装備充足が3割にも届いていないという点だけだろうか。


速やかに、残弾を切らして使い物にならなくなった迫撃砲を全解し、鹵獲されることないよう洞穴に放り込む。

五一式を構えて、完全に破壊しようとした瞬間だった。


「壊すつもりですか……?」


背後に、静かに伍長が佇んでいた。

僕は少し振り返りながら答える。


「なに、負担になるだけだから。」


そう言うと、伍長は歯を食いしばった。

そうしてゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「貴方のことを誤解してました。別に貴方は――」

「あぁー、」


その告白を僕は遮る。


「軍規違反、敵前逃亡、職権乱用。これに比べりゃ、贖罪にすらなりゃしない。

 君らが僕を糾弾する余地は余りある。」

「それでもっ…!」


伍長が語気を強くするが、それを遮るように僕は振り返って、その瞳を見据え淡々と告げる。


「戦死1名重症2名。紛れもない失態だ。」

「………っ」

「だからこそ」


迫撃砲へ視線の先を向ける。


「また、学べる。犠牲の上に、初めて戦場で実際使って噴出した、失陥を洗いざらい吐き出して次に活かす。失敗の上に失敗を積み上げてゆく。それが―――つまるところ、文明の発展だよ。」


技術革新は、犠牲――それが人であろうが物であろうが――の数と比例する。


二度の世界大戦。

数千万に上る莫大な屍は、潜水艦、飛行機、自動車、ロケット、原子力といった21世紀を根幹から支える技術を生み出した。


犠牲と失敗からの発展。結局、人間はその輪廻から抜け出せない。

そうだとわかっているからこそ、僕は足掻き続けるのだろう。

その抗いきった先の「成功」を求めて。


「………ッ!」


伍長は、少し沈黙してから訊ねる。


「……、壊してしまうんですか。」

「学びきったら過去の遺物だよ。残しても囚われるだけさ」


五一式を構える。

北緯51度の大地にて新時代を轟かせた、世界最初の迫撃砲。


ありったけ感謝を捧げた後、積み上げられたそれを。


タタタッタタタッ!


6発の6.5mm弾は、たった2基のそれを貫く。


沈黙のうちに、僕は砲に土を被せ。

足元に落ちていた手頃で細長い石を手に取る。


『失敗は文明の根幹なり』といったような、気取ったものにしようか。

いや、下手に残して黒歴史になっても困る。

少し悩んだ後、銃剣でそれに文字を彫り、砲の残骸を埋めた上に、石柱を立てた。


『明治24年9月21日

 味方死傷7名、此地に迫撃砲は誕生せり。』


「さて、と」


無難にそう記し踵を返した。

ちょっと歩いて振り返ると、変わらず伍長はそこに佇んでいた。


僕は彼女の後ろ姿に声をかける。


「戦争の時間だ。」


そう促してようやく。


「……ッ」


伍長は静かに墓標に向かって敬礼し、名残惜しそうにしながらも、洞穴を後にした。


「これより持久戦へ移行する。総員、白兵戦に備え。」




9月21日、北緯50度84分線まで第2小隊進出、皇國制圧地の北限を記す。

のち15時33分、敵軍と再び交戦に突入。


――砲兵連隊到着まで、残り90分。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る