断鎖

ミーティングは予定より1時間伸び、ようやく解散となった。

ぶつぶつと呟く小隊長たちに混ざって帰ろうとしたが、伊地知に呼び止められてここで共に暖かい茶を頂いている。


「伊地知大尉…、有難うございます。」


彼の襟の階級章を見ながらそう呼んだ。


「あぁー、今は野戦任官で私は少佐なんだがな…」

「……左様でしたか。申し訳ありません。作戦案採用の件、感謝致します。」

「まぁ、戦術で戦略をひっくり返すには、それしかなかったからな。」


彼はそう頷いて続ける。


「よく作ったな、あんなの…。『迫撃砲』か。戦場が…変わるぞ。」

「いえ、ただの趣味に過ぎないですよ」

「まさか。それが趣味なら本業はどんなレベルなんだ…」

「本業?本業は――…軍人、になるんじゃないでしょうか…。」

「かかかっ!戦術家でかつ、戦略家ってわけか?大層なことだ」

「そんな肩書ぶら下げられませんよ。せいぜい一介の少尉の妄言です」


本当にその通りだ。史実知識ぶっこんで強化しただけの、本質はただの平成人、たかが士官候補生なのだ。


「…今作戦、どうぞ宜しくお願いします。」


直立不動で、去る前に深々と敬礼する。


「なに、タダで聞き入れてやるわけじゃない。」


僕へ背を向けながら伊地知はこう返す。


「…そうだな、少し意趣返しさせて貰おう。」

「………?」


彼は振り返って、荷車を指先で指し示した。

僕はわからずに何も返せないでいると、彼は口を開いた。


「その改造小銃、バレないように気をつけろよ。」

「…――ッ!!?」


凍った。

何も発せなかった。只々やばい、と脳が警鐘を告げ続けるのみ。

暫く場を沈黙が支配した後、それを伊地知自身が破った。


「とっ捕まえて送り返す気なんざねぇよ。」

「少佐殿、何故それを――!?」


彼は軽く笑う。


「言っただろ、意趣返しだ。それ以上でもそれ以下でもないが、私以外にバレたら厄介だからな。最大限の注意を払え。」


彼はそう言って踵を返す。

僕は戦慄しながらその背中を見送るしかなかった。


・・・・・・

・・・・

・・


「第2小隊、進軍開始!」


総員34名が気だるそうに足を踏み出す。

時折此方を伺ってヒソヒソとつぶやく姿が垣間見える。


「……くす、安定の人望低さね」

「うるせぇ」


僕でもぎりぎり聞こえるかどうかという声で咲来が話しかけてきた。

こいつ相変わらず笑ってやがる。


「随分と人が馬鹿にされるのを見るのがお楽しいようですねぇ。えぇ?」

「いつもこっちはあんたの無茶苦茶に振り回されてんのよ。おっそろしい自作兵器ばっか作って肝冷やさせて…、あんたが困ってる姿なんて珍しいじゃない?」

「困ったも大困惑だよ。士気が低すぎる……」

「普段からあんた見下されてばっかりだものね」

「うるさいですね…。てかもうここは戦場だぞ、"あんた"じゃなく小隊長と呼べ」

「はいはい、小隊長殿」


そう軽口を叩きつつも、一歩一歩進んでいく。


「おぉ――」


谷底に最瀬布村を確認する。石と、瓦か藁でできた江戸と北欧を足して2で割ったような建築の密集する集落を中心に、麦畑と芋畑が広がっていた。内地と似ているようで似つかない、奇妙な世界が広がっていた。

感慨もつかの間、後ろの下士官列からは侮蔑の視線。


「隊長があれじゃ、やる気も出ねー」

「どーせ机上だけ。いつも運動成績は最後尾だからなぁ」

「はぁ…考査でしか点数の取れない理屈論者だぞきっと」


自身の求心力のなさを呪いつつ、溜息をつく。


「前線より通達!切通の渓谷側300m先にロシア兵と思われる人影を視認。」


その報告と同時に、戦闘の火蓋は切られた。


「行動開始、配置につけ。」


切通に臨む高台を占拠。敵の姿が見えてくる。


「射撃許可、各自判断で交戦開始。」


隣の下士官――二大隊生の伍長が、その人差し指を数センチ動かした。

薬莢が排出される音が響いたかと思うと、敵兵が血を吹いて倒れた。


「――ッ!」


それを目の当たりにして僕の足はどうしてか、

竦んでしまった。


「……。」


気がついたら僕は前線から距離を置いていた。

軍人としてあるまじきことだ。

状況把握なんてもっともらしい理由をつけられなくはない。


(ふぅ……、森はやっぱり落ち着くな。

 …2年間の生活圏だからか?)


咲来との戦闘演習も積んだものの、やはりは故郷というわけだろうか。


(森林は生活圏、地の利は十分ある…。)


そんなふうに物思い、若しくは自分への言い聞かせに耽っていたのが仇になった。


「………!」


視線の先に明らかに味方と違う格好をした影がいる。発見が遅れた。距離にしておよそ100m先。木にもたれかかっている、前線から離れているということはもしかして、戦闘を避けようとして逆の方に来てしまった気弱なおっちょこちょいか。


しばらくしても動く様子はなく前線の方をおどおど警戒している。それなら、こちらから手を出す必要はない。幸いだった。そう思って安堵した。

そして、微妙な親近感を覚えた。


――それ故の気の緩み。


カラン


腰から、6.5mm弾が抜けて、不幸にもすぐ直下の石に当たった。


相手ははっとしてこちらを向く。咄嗟に銃を構えて銃口をこっちに向けた。

軍事教練の賜物か、僕もごく自然にそうしていた。

先手必勝、当然の定理。すぐに撃鉄を絞ろうとして――


両者の間をびゅうと、北樺太の9月の冷たい風が吹く。


(なんで動けない……!??)


手汗が滝のように腕を伝う。僕の体は金縛りのように動かない。

まともに狙いが定まらない。

驚いたように向こうも同じようだった。いくら経っても銃口を向けたまま微動だにしなかった。僕と同じなのだろうか。


しばらく時間が経った。


「………っ。」


思考を張り巡らせ、一つの考えに至る。

彼が戦闘に怯えているのなら、このまま睨み合いながら互いを視認できなくなるまで互いに遠ざかれば良いのだ。そうすれば僕も彼も助かる。

全部なかったことに出来る。ハッピーエンドだ。


そんな考えが僕の脳内を支配する。

やっぱりどうにかなる。

数ある異世界モノだって、最初は魔獣といった動物を狩るじゃないか。

最初から人殺しなんてする必要はない。

やはり、それが「王道」―――


「ぁ――。」


眼前のロシア人は、壮絶な笑みを浮かべて、僕を捉えていた。

時間がゆっくりと過ぎているように感じる。これが噂の走馬灯か。

ただはっきりと、彼の右手の人差し指が微かに動いているのが見えた。


(………ッ!?)


直近30秒、理性を奪われていたが如く、思考力が一気に後退していた。

だがその後悔は、迫る死の前にはもう遅く――…、


「馬鹿ッ!撃たれる前に撃ちなさい!!」


咲来の声。

それより僅かに早く、突然僕の背後に降り立った彼女の人差し指が、僕の引き金にかけている指の上に被さるようにして、力を込めた。


銃声、一発。


タァ――ン


11.9ミリ弾の排出される音、弾丸はまっすぐ突っ込み、相手はのけぞった。

そして同時に、7.62mmロシア弾が僕の頭上をかすめて背後の木に穴を開けた。


彼は撃ったのか。

銃弾に貫かれた直後に。


「あんた阿呆なの!?いつ死んでもおかしくないのに何やってるのよ!」

「僕は…、い、ま……?」


攻撃の命令を下したことはあっても、自らの手で殺しをしたことがなかった。

この手を、汚したことはなかった。


それを。

それを今。


「死にたいの!?」

「あ――」


咲来の遥か背後に、彼女を狙う敵兵。撃たなければ。


すぐに銃口を向けるもその後が続かない。

平成人には耐えられない。撃てない。


ダァ――ン


一閃の光線が眼前を通り抜け、向こうの木に突き刺さる。

瞬間、咲来が何も発さず眼前で倒れ伏した。

ドチャァと、泥が飛び散って僕に掛かる。


咲来が撃たれた。


「く…ぁ――」


自分が何をやったか、心底から自覚した。

敵前逃亡。

味方を見殺し。

人として最も醜悪な行為。


僕は此処に至り、漸く現実と向き合った。


時間が恐ろしくゆったりと過ぎ始める。

人間の命だか、人生を奪うだか、責任だか――

僕の矜持と、本能の警鐘が僕を挟み込み、潰しにかかる。


結果。

矜持と呼ぶにも烏滸おごがましい、平成の忌まわしい遺物は今、徹底的に打ち砕かれた。

それを凌駕した生存本能が、身体を操縦し始めた。


ただただ、滑らかに指が動く。


タァン――


次の弾を装填していた敵兵は、いとも簡単に崩れ落ちた。


「あ――っ…」


あぁ、そうなのか。

自らの意志で人をあやめてから気づいた。


今更、今更僕は、戦場というものが、命をやり取りするフィールドだということを受け入れた。


殺らなきゃ殺られる。


生命体としてこの世に生を受けた以上、当たり前、大前提の基本原則。

何らおかしいことじゃない。


「"王道"?"異世界"?僕の脳内は花畑か――…!」


『平和』という絶対的な価値観信仰の下に、対話だか不殺傷だか和解だかを脳死で謳っていた平成の世界に、甘やかされ続けた成れの果てだ。


あまりにも下らない。

誰もが大真面目にそんな幻想に踊らされる世界観のままに130年前の戦場を駆けようだなんて、どこまでもおぞましく、烏滸おこがましく、くさり果てている。


「正義なんぞクソ喰らえ…!」


そんなものを「王道」と宣うのなら、徹底的に踏み外してやるまでだ。


戦場に舞う命に価値など無い。

いくらだって代えはある、死ねば別の兵士がその位置に立つのみ。

その命は一瞬で吹き飛ぶほど脆く、軽く、儚い。

自分だけが死ぬわけがないだなんていう、無責任で何処迄も現実から逸れた保証は、もうどこにもない。

だからこそ。


命を必死に抱えながら、全力で足掻いて藻掻いて殺さねば、生き残れない。

元始、あらゆる生命はそこに在った。


此処は確かに異世界だ。


「だが決して『ファンタジー』なんかじゃない――!!」


僕は、漸く平成という鎖を断ち切った。

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