————————事件
第1話:Recall
秋も終わりを迎え震えるほどの冷え込みを感じる夜。師走の汐留駅は周囲が電飾で彩られ、カップルや家族連れの姿ばかりが目立っている。
黒のスーツの上に、冬らしくグレーのチェスターコートを羽織った宮津は、周囲に溶け込むようにビルの外壁にもたれ掛かると、凍える手に息を吹き掛け手のひらをこすり合わせた。
ほどよく暖まったところでその手をコートのポケットに突っ込んだのも束の間、ジャケットの内ポケットに入れたスマホが振動し始め、うんざりとした表情を浮かべながら再び手を外気に晒した。
そして、その画面に表示された名前を見るや否や、宮津はさらに顔を歪める。
「なんの用だ?営業時間外だぞ」
「それは失礼。てっきりイルミネーションの明かりを頼りにお仕事かと思ってましたよ」
赤らんだ耳に当てたスマホから聞こえてきたそんな声に、宮津は周囲をキョロキョロと見回した。
「お前、どっから見てやがる?」
「やだなぁ先輩、人をストーカーみたいに言わないでくださいよ」スピーカーから聞こえてくる
「5秒で本題に入らないと切るぞ」すると、世屋上は特に慌てる様子もなく、寧ろ挑発でもするかのようにいつもよりもゆっくりとした口調で口を開いた。
「そんなに慌てなくたって、待ち合わせの時間までまだちょっとあるで――」話している途中であることなどお構いなしに、宣言通り5秒で通話終了ボタンを押すと、ジャケットの内ポケットにスマホをしまい、再びコートの中に手を突っ込んだ。
そして、すぐに掛け直してくるだろうという予想のもと、絶対にポケットから手を出さないと決め込んでスマホの振動に対して身構える。
だが、意外なことに数十秒経ってもポケットの中が震えることはなかった。しかし、それがかえって宮津を不安に陥れた。
今日に限ってたまたま素直に引き下がってくれたのか。いや、世屋上福也という男はそんな人間ではない。
1度噛み付いた獲物は自分が満足するまで離さない、まるでヒルのような人間であるということは宮津が1番よく知っている。
あるいは、忘れかけた頃合いを見計らって再度電話を掛けてくるつもりなのだろうか。
何にせよ、これ以降の時間に着信があるのは宮津にとって非常に都合が悪い。今この瞬間だけならまだ僅かに猶予はあるが、もう少し時間が経ってしまえばこのあとの予定に支障をきたしかねない。
もういっそのこと電源を切ってしまおうか。そんな考えも頭を過ったそのとき、ポケットの中でスマホが振動するのを感じ、宮津は緩み掛けていた気持ちを再び引き締めた。
だが、その振動はとても短く、また、先ほどスマホをしまったポケットとはまた別の場所から感じたものだった。
宮津はホッと胸をなで下ろすと、コートにある左のポケットに手を突っ込み、ゆっくりともう1台のスマホを取り出した。
画面に目を向けると、メッセージアプリのポップアップに"メッセージあり"という文が表示されており、そこをタップしてアプリを立ち上げる。
そうして開いた画面には、送信者である"S-松阪"という名前と、今までのメッセージの履歴が表示されている。
そして、その1番下には"ごめん!今からそっち行く!"というメッセージに、ぺこり。と頭を下げるつば九郎のスタンプが添えられていた。
宮津はそれに対して"了解"と、淡泊な返信を送ると、画面を閉じてスマホをポケットにしまう。
すると、その瞬間を見計らったかのように、今度はもう1台のスマホがブルブルと振動を始めた。
それが何を示しているのか、もはやわざわざスマホを見るまでもなく容易に想像はついた。
宮津は、はあ。と大きくため息を吐くと、覚悟を決めた様子でスマホを取り出して応答ボタンを押す。
「手短に済ませろよ」電話に出るや否や相手の様子を伺うこともせず、宮津は吐き捨てるようにそう言った。
「はいはい。わかってますよ」本当にわかっているのか問いただしたくなるような口振りの世屋上だったが、意外なことに今度はすんなりと口を開く。
「一昨日、横田にアメリカから
「一応知ってはいるが、ただの定期便じゃないのか?」宮津がそう言うと、世屋上はチッチッチッと舌を鳴らた。
電話の前で人差し指を振っている姿が容易に想像できたが、その光景をすぐに頭から振り払い、雑踏に掻き消されて話を聞き逃さぬように神経を耳に集中させる。
「確かに、輸送機自体はいつものスケジュール通り、荷物も一見した感じは部品や武器弾薬といった物資でした」ならば何がそこまで引っ掛かっているのか。宮津がそう尋ねるよりも早く、世屋上はその疑問に答えた。
「でも、それらをお出迎えした人たちの顔ぶれは、いつもと違いました」
「そいつらが誰なのか、それを知りたいと?」宮津が言うと、世屋上は、うーん。と唸るような声を上げる。
「部分的に正解。でも、それじゃ不十分です。我々が知りたいのは、誰が、何故、何を持ち込んだのか。です」
「そういうことは、俺じゃなくて空軍の広報課に問い合わせてくれ」すると、世屋上は、はははっという乾いた笑い声を上げる。しかし、すぐにその声もピタッと止まり、また言葉を発した。
「横田の同居人なんですし、調べてくれませんか?防衛省で掲げてる旗がまだ日章旗なら、ね」含みのある、挑発でもするかのようなその言い草に、宮津は冷静に思考を巡らせる。
いくら検察と協力関係にあるといえど、それぞれ全く違う目的の下設置された機関であり、ときには利害が不一致の場合もあるだろう。
ここで易々と挑発に乗って請け負ってしまえば、今後も検察の便利屋として利用される可能性も大いに考えられる。
そして何より、防衛省が無断で米軍の周りを嗅ぎ回ってると勘づかれれば、外交問題に発展して特防隊の存在を公にされかねない。
とは言え、これが世屋上の個人的興味に基づいたものであるとも考えづらい。ここで断ったところで、今度はお互いの上司を通じて、断れない正式な任務として手元に帰ってくることは目に見えている。ならば、今のうちに快諾して心証を良くしておけば、後々面倒事があったときに検察の力を利用できる可能性が高まる。
それに、仮に今回のことで何か米軍の弱みを掴むことができれば、今後の政局を有利に進めることができるかもしれない。
思い付いたメリットとデメリットを天秤にかけた上で、今どう返答するべきか、その結論を出すまでにそう時間は要さなかった。
「わかった……こっちで調べてみるよ」宮津が、さも悩んだ末に渋々了承したかのような様子でそう答えると、世屋上は思うような返答が得られたためか、満足げに礼を述べる。
「ありがとうござ――」しかし、そんな声を遮って、宮津は再び口を開いた。
「だが、俺たちはこれからも日章旗を掲げるために最善だと思う選択肢を選ぶ。それは忘れるなよ」都合が悪くなればとっとと手を引けばいい。それが宮津の現時点での考えであり、返答にそれほど悩まなかった理由である。
そんな宮津の考えを見透かすかのように、世屋上はフッと笑う。
「じゃあ、その最善の範囲内で、何かわかったらご一報ください」それだけ言うと、宮津の返事を待つことなく通話を終了させた。
下らない無駄話を繰り出したかと思えば、一方的に要求だけを突きつけ、それが済めばすぐにさよならとは、相も変わらず勝手気ままな人間だ。
宮津は呆れながら溜息をつくと、スマホをポケットに貼り付けるかのように奥深くに押し込んだ。
世屋上の話も、個人的に興味を惹かれるものでもあり、調べると言った以上放置できない問題である。だが、今はそれよりも大事な任務がある。
宮津は三度コートのポケットに手を突っ込むと、中にあるもう1台のスマホをギュッと握りしめた。
すると、程なくして手の中のスマホが短く振動する。それを合図に、宮津は視線を上げて辺りをキョロキョロと見回した。
少し時間が経ったこともあり、来たときよりも周囲は賑わい、人混みが厚みを増している。宮津はその中を縫うように進む人間の姿を捉えると、ポケットから右手を出し、目一杯上へ伸ばした。
すると、あちらも宮津の存在に気付いたようで、小走りになって首に巻いた赤いタータンチェックのマフラーの端を揺らした。
「お待たせっ」そう言って駆け寄ってきた
それに対し、零は一瞬首を傾げる。しかし、すぐに意図を察したのか、肩に掛けていたバッグの持ち手をその手に引っ掛けた。
「そっちじゃねえよ」本来の意図とは違う捉え方をされ、宮津は気恥ずかしさを感じながらそれを誤魔化すようにボソッと呟く。
そして、普段やらないことはするものじゃない。つくづくそう思いながら、鞄の掛かった手を引っ込めてポケットに突っ込もうとした。その瞬間、宮津の左手に零の右手が重なる。
「知ってる」零はいたずらっぽく笑うと、その手をギュッと握った。予想外の出来事に、宮津はドキッとして僅かに体を跳ね上がらせる。
こういうことに関しては、いつまで経っても勝てる気がしない。宮津は無駄とわかりつつも強がって平静を装い、そっと左手を握り返す。そして、優しくその手を引いた。
「よし、行くか」
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