第10話:警視庁にて





 

 警視庁本部庁舎の一室。グレーのスーツに白と黒のストライプのネクタイといった平凡なビジネスマンのような格好をした男–青葉信貴アオバ ノブタカ–は、神妙な面持ちで目の前に座る上司を見下ろした。この構図になるときは決まって不都合な話をされるときであり、非生産的で青葉が最も嫌いとする時間だ。

 「これが君宛に送られてきた」眼鏡を掛けた50代前後の男は、そう言って手に持ったチャック付きのビニール袋を机の端に置く。袋自体が透明なため、青葉の眼には中身がなんなのかはわざわざ拾い上げずとも一目瞭然だった。

 「所轄署が紛失した拳銃と管理番号が一致したそうだ」青葉は袋を拾い上げると、首を傾げながらホルスターに入った拳銃を凝視した。

 拳銃紛失の騒ぎは一応耳に入っていたが、全て所轄でのこと。青葉たち公安には何の関係もない。にもかかわらず、青葉宛に拳銃が送られてきた。一体誰が?その答えがわかるまで、それほど時間は要しなかった。

 「どういうことかわかるか?」上司のその声に合わせるように、青葉は拳銃と一緒に袋に入った封筒に目を落とした。

 正規の手段で送ってきたようで、封筒には麹町郵便局の消印が押された切手が貼られている。それだけでも十分送り主の想像はついたが、差出人の名前まで書かれており、その丁寧さたるや思わず拍子抜けするほどだった。

 「宮津陸仁。また厄介な人間の手に渡ったものですね」とは言え、これはある程度予想できていたことである。高槻信伍が匿った少年が拳銃を拾っていたことは作業班からの報告で把握していた。その時点で宮津の手に渡るのは時間の問題と考えており、現にそうなった。何も驚くことはない。

 唯一予想外のことがあるとすれば、それは早々に警察のもとへ拳銃が帰ってきたことだ。マスコミにリークすると脅迫してこちらの動きを抑制したり、交渉のテーブルに着かせたりと、保持しているだけで何かと防衛省に有利に働く点はあったと思うが、それをしないということは、それだけ余裕があるということだろうか。

 「まだ外事課ですら掴んでいない邦人テロリストに無実の罪を背負わせ、その身柄を検察の公安に売り、検察庁の後ろ盾を以て活動を再開させる。これはその祝儀代わり、我々警察への心付け。と、言ったところでしょうか」

「本当にそう思うか?」上司は眼鏡越しに鋭い眼光を青葉へと向けた。すると、青葉はクスッと笑いながらその眼を見返す。

 「まさか。慎重な宮津陸仁がそんな傲った行動をとる筈がない」青葉はそう言うと、おもむろに袋の口を開けて拳銃を取り出した。そして、ホルスターから拳銃を抜き、すぐに銃口を下に向ける。

 「やはりそういうとこですか……」手に袋とホルスターを持っていることもあってか、少しやりにくそうにしながらシリンダーを開けると、青葉は目を伏せて何とも言えない表情を浮かべた。

 シリンダーの中には銃弾が入っておらず、薬室を覗くと床に敷かれたグレーのカーペットを見ることができた。

 「盾と矛、その両方を彼らは手にしたようだな」

「申し訳ございません」青葉は頭を下げる。だが、口と動きこそそうしたものの、検察庁がしゃしゃり出てきた時点で、この結果はどうしたところで防ぎようのないものだった。

 上司の方もそれが形ばかりだと理解しているようで、青葉には目もくれず、眼鏡を外して高そうな布きれでレンズを拭った。

 「まぁいい。しばらくは彼らの好きにさせるさ」だが。上司はそう口にすると、眼鏡をスーツの胸ポケットにしまいながら青葉の方に目を向ける。

「次に彼らが虎の尾を踏んだとき、そのときは桜の代紋のもとに鉄槌を下す」それまでとは変わって殺意すら感じるほど鋭い視線を向けられ、青葉は思わず息を呑んだ。だが、その覚悟はとうにできている。

 もとより、そのつもりで特防隊イチゼロ監視班を創設したのだから……






 警視庁公安部、その第3課が本拠を構える部屋の扉を青葉は静かに開けた。

 青葉が班長を任されている防衛省公安部監視班、通称イチゼロ監視班は組織図の上では右翼団体の監視を主な任務とするこの3課に属している。そのため、青葉の普段の仕事場もこの場所ということになる。

 何の意味もない事実確認の時間から解放され、青葉は部屋の隅に追いやられたデスクにずっしりと腰を下ろした。

 使い古された椅子がキーキーと不快な音を立てるが、それを気にする人間などここには居ない。もっと言えば、そもそも今この部屋には青葉と、普段から1日の半分以上をここで過ごしているサイバー担当の部下1名しか居ない。

 「お疲れ様です班長」そんな少女のような甲高い声の方に視線を向けると、姿もまた少女のようにこじんまりとした女――弘前千珠ヒロサキ チズ――が暇そうな様子で、特に何をするわけでもなくぼんやりとノートパソコンの画面を眺めているのが目に入った。

 「部長さんなんて言ってました?」

「相変わらずの風見鶏だよ」呆れた様子で青葉がそう言うと、弘前はパソコンを閉じながら笑みを浮かべる。

 「じゃあ、まだしばらく暇なままですね」そこで嬉しそうにするのは税金で働く公僕としていかがなものかと思うが、街中のオフィスで発砲するよりは遥かにマシだろうか。青葉はここに居ない部下の顔を思い浮かべると、つくづく面倒なことをしてくれたものだ。と大きく溜息を吐いた。

 そんな青葉とは対照的に、弘前は椅子の上で両脚をブラブラと揺らしながら、ピーチティーの入った紙パックから伸びるストローを咥え、至ってご機嫌な様子だ。

 「そう言えば、さっきユタカくんから着信来てましたよ」そう言って弘前が指差した先には、青葉がデスクの上に放置していたスマホが置いてあり、画面上部に付いたランプがチカチカと点滅していた。

 画面を点けると、でかでかと表示された時刻の下にいくつかのポップアップが並んでおり、その中のメッセージアプリの通知に目を遣ると、船倉フナクラという送信者の名前の後ろに、"完結した"の4文字が並んでいる。

 青葉はそれを確認すると、ポップアップを横にスライドして通知を消し、スマホをジャケットの内ポケットにしまった。

 「例の少年、無事に帰る家が決まったそうだ」

「そうなんですね。良かった〜」例の少年こと永井大和。高槻信伍と接触したということで最低限の探りを入れさせたが、まさか所轄が紛失した拳銃を所持しているなど思いもしなかった。

 おまけに、父子家庭で父親から虐待を受けているという情報まであり、一時は警視庁にとって最悪の事態が想定されたが、そこは高槻が上手く収めてくれたようだ。

 おかげで、防衛省に拳銃が渡るという我々にとっては最悪な事態になったわけだが……

 「でも、その子の親にまで会いに行って話をつけようとするなんて優しい人ですね」

「そこで少年自身に刺されたにもかかわらず、その後の面倒まで見るとは敵ながら敬服するよ」青葉も弘前も、このときばかりは上辺だけではない心からの賞賛の念を抱いた。

 だが、たとえどれだけ優しかろうとも、人を殺す能力とその経験双方を有する危険人物だという評価が変わることはない。

 「他からは何か連絡はあったか?」

「暇で死にそう。だそうです」弘前は誰とは言わなかったが、その言い草から誰からのものかは瞬時に分かった。

 和泉悠二の監視を担当させている厩橋ウマヤバシ伊代イヨ。元々刑事部に居ただけにかなり血の気の多い性格で、高槻が和泉の居る病院に押しかけた際は現場に踏み込もうとしたほどだ。

 しかし、情報収集させるとなれば非常に忍耐強く、暇だの何だのと文句を垂れることこそあれど、その実力は目を見張るものがある。

 「高槻信伍と接触したこと以外は、ものの見事に動きがなかったな」

「ほんと真面目な人ですね」その真面目さ故に何処に行っても受け入れられる反面、周囲の者に振り回され続ける道に立っているようだ。もし厩橋が踏み込んでいたらと考えると不憫で仕方がない。

 「学生2人もあれ以降は特に動きはなしか?」既に答えは分かりきっているが話の流れで一応そう尋ねてみると、案の定弘前は首を横に振る。

「斑鳩くんは、学校とバイト先を行ったり来たり。橿原くんは最近学校に居る時間が長くなりましたね。彼女でもできたんでしょうか?」可能ならばそのまま一般的な青春を送って貰いたいものだ。青葉は切にそう願った。

 だが、当の本人たちにはそんなつもりは一切ないのだろう。何せ、正規の自衛官である高槻や丹波を差し置いて誰よりも早く宮津と接触したのだから。

 「結局、2人は自分が何をやらされてたの教えてもらったんでしょうか?」

「恐らく知らされずじまいだろうな」宮津と学生2人による一連の出来事は、イチゼロの活動凍結からしばらくしてアイルランドから宮津宛に荷物が届いたところから始まった。

 荷物の内容がなんなのかははっきりとはわからなかったが、直後に斑鳩と接触したという状況から判断すると、物理的な鍵が掛かった物と見るのが妥当だろう。

 宮津は斑鳩に電話でその解錠を依頼すると、翌日駅のロッカーを使用してブツを受け渡し、2週間後にまた同じ方法で宮津の手元へと戻った。

 そして、鍵の開いたブツを手にした宮津は次に橿原と接触した。しかし、斑鳩の場合とは違ってこちらは宮津からの電話1回きりで、物品の受け渡しやそれ以外の通信記録なども確認できなかった。

 判断材料に乏しく推測も困難を極めたため、そのときは闇雲に監視を強めることになったが、事が終わった今となっては、暗号解読の助言を求めていたのではないかと思われる。

 宮津が受け取ったブツの中には何かしらの記録媒体が入っており、中の情報は暗号化されていた。その解読の方法を聞くために橿原と接触した。

 推測の域は出ないが、かなり筋は通っている筈だ。何せ、この一連のやりとりが行われてから10日と経たずに空港での一件が発生したのだから。

 警察も検察も全く情報を持っていないテロリストの逮捕劇、その現場に宮津が居た。この事実が青葉の推測を確信に近いものにした。

 日本のいかなる組織も知り得ない情報を宮津は掴んでいた。では、宮津はどのようにしてその情報を手にしたのか。

 それこそが、事の発端である宮津宛に届いた荷物だったのではないか。それが青葉の出した結論だった。

 荷物を受け取った宮津はそれが鍵の掛かった金庫のような物だと知ると、物理的、電子的な鍵を学生2人の協力の下解錠し、中に入ったテロリストの情報を手にした。

 その後、ショッピングモールで丹波慶壱と接触し武器庫の鍵を受け取ると、拳銃の弾丸を手に入れた。そして、成田空港でテロリストの鞄にその弾丸を仕込み保安検査場で拘束させ、後ろ盾になることを条件にその身柄を検察の公安に売った。

 以上が、イチゼロの活動を再開させるために宮津が取った一連の行動である。青葉はそう考えている。

 「結局、宮津さんに荷物を送った人は誰だったんでしょうね?」

「大方、IRAかその関係組織の人間だろう」荷物についてわかっていることは、アイルランドから送られてきたという税関の記録あることだけだったが、それだけでおおよその見当は付いた。

 「外事課によると、高槻信伍が過去にIRAの人間と現地で交流を持っていたそうだ。恐らく、そのときの伝手だろう」IRAとなれば、日本の警察よりも海外でのテロ行為の情報を持っていても不思議はないし、件の日本人テロリストがIRAに参加していた可能性もゼロではない。

 何にせよ、想定外の事態に行動が全て後手後手となり、その結果宮津の思い通りに事が進んでしまったというわけだ。

 「しかし、このタイミングでIRAが顔を出してきたとなるとかなり面倒だな」

「そっち方面のことなら湊人ミナトくんが詳しいですし、相談してみます?」そう言って弘前が名指しした岡崎オカザキ湊人ミナトは、元々国際テロリストの調査を担当する旧公安部外事3課に所属しており、現在は青葉の直属の部下という位置にある。確かに、相談するには打って付けと言えるだろう。しかし、そうするには少々問題があった。

 「あいつは今どこに?」

「宮津さんと会うって言ってましたよ」青葉はそれを聞いた瞬間思わず眉を顰めた。

 「勝手なことばっかりしやがって……」対象者と当然のように接触しようとするだけでも理解しがたいが、剰え上司である青葉に何の連絡もせずにそれを実行しようというのだから始末が悪い。

 それも今回に限ったことではなく、今まで幾度となく同じことをしてきた。しかし、それを差し引いてもあまりあるほどの結果を岡崎は間違いなくいつも残している。だからこそ、余計に青葉や上の人間が頭を悩ませ続けている。

 青葉は半ば諦めた様子で今日1番の溜息を吐くと、グラついた椅子の背もたれに体を預けて天井を見上げた。

 今回の件で、防衛省は益々実力組織としての力を付け、政治への影響力も増すことだろう。

 今はまだ表立って行動を起こせないため警察の力で監視できているが、今後防衛省公安部法案が可決されることになれば警察で扱いきれなくなることは間違いない。

 そうなってしまう前に、何か策を講じる必要がある。以前公安部長が言っていたように、協力関係を築くことも考えなければならないかもしれない。

 だが、防衛省にこちらから停戦協議を持ち掛けるにはまだ早い。

 警察の銃弾を防衛省が手にしているように、防衛省の銃弾は我々警察の手の中にあるのだから……

 青葉は、交換したばかりの蛍光灯が放つ光から目を逸らすと、弘前に聞こえるか聞こえない程の声でポツリと呟いた。

「このままでは終わらせない」





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