第7話:コンビニにて






 港町横浜。ベイスターズの本拠地横浜スタジアムがそびえる横浜公園からほど近いコンビニは、試合の直前ともなれば観戦客でごった返し繁忙の様相を見せるが、幸い今日は遠征のため試合はなく、日が暮れるにはまだかかるという時間帯も相まって閑散としている。店内には中華街で疲れた足をイートインコーナーで休める客が数人いるばかりで端的に言うとかなり暇である。


 「最近またシフト被るようになったね」レジカウンターの中で佇みながら、手持ち無沙汰そうに腹の前で手を揉んでいた斑鳩の隣で、同年代の少女――葛城蓮花カツラギ レンゲ―—は前を向いたままポツリとそう呟いた。


「飲み屋の仕事クビになってさぁ」


「前言ってた福富町の?」斑鳩は、そ。と言って頷くと、背後の壁にあるちょっとした出っ張りに腰を乗せた。


 「違法でもいいから働かせてくれりゃいいのに。どうせバレっこないんだからさぁ」


「そういうのから足を洗えっていう神様のお告げなんじゃない?そのまま続けてたら、そのうち痛い目に遭うと思うよ」蓮花はそう嗜めるように言うと、レジの前を離れてバックヤードに入っていった。それからすぐ、冷凍庫の扉を開く音と機械のスイッチを入れるような、ピッという音が耳に入る。


 そろそろホットスナックを準備する時間か。と、斑鳩はレジスターの液晶に表示された時刻に目を遣った。そして、ふと何処を見るわけでもなく視線を落とす。


 そのうち痛い目に遭う。蓮花の言ったその言葉を頭の中でよく反芻し、少し前の記憶を思い返した。


 その記憶の中の斑鳩は、全く同じ言葉を相手に投げ掛けていた。だが、その相手は悩むことも自身を疑うこともせず、真っ直ぐな瞳でこう言った。"誰かを救えるのなら、それでいいさ"


 斑鳩はその男に想いを馳せながら、ゆっくりと視線を上げた。すると、そこには大学生くらいの女が立っており、斑鳩と目が合うと、お願いします。と言ってソッと買い物カゴをレジの台に置いた。


 「いらっしゃいませ」斑鳩は軽く頭を下げ、カゴを自分の方に引き寄せる。中には消毒液や絆創膏に包帯、ガーゼやテープなどあまりコンビニで買うような代物ではないものばかりが入っていた。


 差し詰め、連れが怪我でもしたのだろう。斑鳩は想像力を働かせ、些か大袈裟だと思いながら商品を取り出してバーコードを読み取っていく。


 「お会計1788円です」女が財布から金を出している間に客層ボタンと呼ばれる客の年齢を選択するボタンに手を伸ばした。彼女が10代なのか、はたまた20代なのかは迷いどころだが、あまり考えることがせずに直感で29歳以下と書かれたボタンを押す。


 すると、丁度タイミングよく1000円札が2枚置かれたキャッシュトレーが差し出された。斑鳩は素早くレジを打ち込み、釣り銭とレシートを手渡した。


 「ありがとございました」作った笑顔でそう言って頭を下げると、ドアが開く際になる入店音と靴音が店内に響き、女は小走りで店から飛び出ていった。


 それも束の間、入れ替わりで今度は下校途中と思しき2、3人のブレザー姿の客が店に入ってくるのが目に入った。


 どうやら、暇な時間はもう終わったようだ。






 放課後の学生たちを一通り捌き終わって再び店内に静けさが戻ると、沈みかけだった陽は完全に落ちきっていた。窓の外は繁華街の眩い光で覆い尽くされ、歩く人の数も昼間に比べて増えた印象を受ける。


 第1波を乗り切り壁際でまた腰を休める斑鳩の隣で、蓮花も同じように身を預けた。


 「そう言えばさ、お姉ちゃん元気にしてる?」


「なんで俺に聞くんだよ」蓮花が言うお姉ちゃんというのは、斑鳩ではなく蓮花の姉のことである。妹が実の姉のことを何故赤の他人に聞くのか甚だ疑問で、当然斑鳩はそう聞き返した。


 「だって宗肆くん、お姉ちゃんとしょっちゅう連絡とってるでしょ?」百歩譲ってそれは事実としても、自分で聞けば済む話なのではないか。また斑鳩の頭に疑問が浮かんだ。


 「お姉ちゃん結構ずぼらだからさ、ちゃんと生きてるのか気になって」


「さすがにそこまでずぼらじゃねえよ。一昨日、自分で魚捌いたって言ってたし」斑鳩がそう言うと、蓮花は斑鳩の方を向いて悪戯っぽく笑う。


 「ほら、私よりも詳しいじゃん」その言葉にハッとして、斑鳩は思わず顔を逸らし口ごもった。


 何処となくむず痒さを感じ、顔が熱くなる。そんな斑鳩を見て、蓮花はまた笑った。


 「そんなんで顔赤くするって、精神年齢中学生かよ」


「うるせえ」それから2人はクスクスと笑い合った。そして、店内にいる客のことなど気にもとめず、店員という立場も忘れ、ただの高校生として談笑を続けた。


 学校の成績のことだとか、そもそもちゃんと学校には行っているのかだとか、そんな他愛もない話がほとんどだったが、斑鳩にとってはそれが何よりも普通の生活というものを感じらることだった。


 そうしていると時間は瞬く間に過ぎていき、気が付けば時刻は7時を迎えようとしていた。


 そのタイミングで、次いつ会えるかわからないからと、斑鳩は軽い気持ちで常々疑問に思っていたことを尋ねる。


 「そういえば、蓮花はなんでここでバイトしてんの?」斑鳩がそう言うと、蓮花は意図を図りかねたのか、ん?と不思議そうに首を傾げて斑鳩の方を見返した。


「別に貧乏って訳じゃないんだし、わざわざ学校サボってバイトしなくたって生活できるだろ?」蓮花はそれに対して表情を変えるわけでもなく、ただジッと斑鳩の顔を見て口を閉ざしていた。


 そんな蓮花の様子を伺うことも返事を待つこともせずに斑鳩は更に口を開く。


 「姉さんだってあんだけ金持ちだし」その瞬間、何かに触れたのか蓮花は表情を一変させる。斑鳩から顔を背け、暗い顔で俯き、そして、ゆっくりと口を開いた。


 「お金はあっても、貧乏は貧乏だよ……」斑鳩の予想に反していつになく真剣な口調でそう言うと、唇をグッと噛み締める。


「それに、お姉ちゃんの人生はお姉ちゃんのものだから。邪魔したくないんだ」このことは聞くべきではなかった。斑鳩が自身の犯した間違いに気付いた頃にはもう遅く、無理をして笑う蓮花に言葉も返せず、ただ黙って見ていることしかできなかった。


 そして、2人の間に気まずい空気が流れ、しばしの沈黙が訪れる。それを見計らったかのように1人の客が蓮花の前に現れ、商品をカウンターの上に突き出した。


 「いらっしゃいませ」さっき見せた表情が嘘のように、自然な笑顔を浮かべ、蓮花は会計の作業を進めた。


 このあとどんな言葉を掛けたらよいのだろうか。斑鳩は頭を悩ませながらレジを打つ指先を見詰める。だが、言葉を掛けるのにそれほど猶予は残されていなかった。


 会計が終わると、蓮花は手首に付けた腕時計に目を落とす。時刻は午後7時丁度。


 「それじゃ、私もう上がるね」そう言って、斑鳩が声を出す間もなく、そそくさとバックヤードに消えていく。


 斑鳩は呼び止めようと伸ばした手をゆっくりと降ろすと、無力さを感じながらその手に視線を落とした。するとそのとき、店内に入店音が鳴り響く。


 開いた自動ドアから1人の男が入ってきて、斑鳩は、いらっしゃいませ。という声を発しかけたが、その顔を見て寸前のところで口を結んだ。


 「こんばんは、オーナー」斑鳩はそう言うと、軽く会釈する。だが、オーナーは挨拶を返すことはなく、息を切らせながらとても慌てた様子でカウンターの中に歩を進めた。そして、ちょっと。と言いながら後ろから斑鳩の肩を抱くような形でバックヤードまで引っ張っていく。


 「2人ともよく聞いて」オーナーはハァハァと整わないままの息を漏らしながら、斑鳩とボタンを外し制服を脱ぎかけていた蓮花に言う。


「さっき保土ヶ谷の団地で、子供を連れた血塗れの男が歩いてたっていう目撃情報があったんだけど、どうもそいつが海側に下りいったらしいんだ」


「怖いですね」斑鳩と蓮花の2人がそう口を揃えると、オーナーは、でしょ。と言いながら何度も頷いた。


 「もしかしたらこの辺にいるかもしれないから、帰るときは気を付けてね」オーナーに視線を向けられ、蓮花はゆっくりと首を縦に振る。そして、それを確認したオーナーは、今度は斑鳩の方に視線を向けた。


 「斑鳩くん、今日はもう上がっていいから蓮花ちゃんを駅まで送っていってあげて」


「わかりました……」早く上がるということは、予定を調整してどこかで穴埋めをする必要が出てくるということを意味する。斑鳩にとってそれはかなり面倒なことだったが、理由が理由だけに無理矢理でも納得せざるを得ない。


 「それじゃ、そう言うことだから」そう言うと、オーナーは出退勤を管理しているPCを立ち上げた。その間に斑鳩と蓮花は制服を脱ぎ、ロッカーにしまう。そして、私物のリュックを肩に掛けると、オーナーに対して適当に挨拶をすると、2人はそそくさとコンビニをあとにする。


 店を出て2人だけになった途端怯え出すかと心配したが、斑鳩と同じで口では怖いと言いつつもそう都合よく出会しはしないだろうと考えているようで、蓮花の表情には余裕が見える。


 丁度蓮花と話せるタイミングが出来て好都合だ。斑鳩はそんな楽観と、それでも油断は出来ないという僅かな不安。そして、正体不明の違和感を抱きながら、駅に向かって歩いて行った。





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