第6話:アパートにて







 新京成線薬園台駅からほど近い築30年ほどのアパート。そのベランダで手すりにもたれ掛かる高槻はスマホをしまうと、ガラガラとやかましく音を立てる引き戸を開けてワンルームの部屋の中へと戻った。


 部屋はそれほど広くはないが、テーブルと布団が置かれているだけで生活感はなく、寝るだけに帰ってくるような生活を送る高槻にとっては十分だった。だが、今日に限ってはやや手狭に感じる。


 普段は隅に置いているはずのテーブルが部屋の真ん中に動かされており、その前に20歳前後の細身の女と中学生か高校生くらいのやや小柄な少年が向かい合わせになって座っていた。テーブルの上にはコンビニ袋と菓子ジュースが広げられており、ちょっとした宴が開かれているようだ。


 しかし、そんな机上の様子とは裏腹に、少年はじっと両膝を抱えてその顔を曇らせている。高槻がその少年をジッと見ていると、視線に気づいたのか少年は顔を上げたが、目が合うとすぐにばつが悪そうに顔を降ろす。


 「ちょっと高槻さん!」すると、少年の向かい側に座る女――鶴岡瑞希ツルオカ ミズキ――がそのオリーブベージュに染めたセミロングの髪を揺らしながら、高槻を叱責するように声を上げた。


 「そんなに睨んだら怖がっちゃうでしょ」


「怖えのはこっちだよ!また厄介事に首突っ込みやがって!」高槻は思わず声を荒げたが、それに対して瑞希も黙ることはせず、高槻に応じるように声のトーンを上げる。


 「この子、独りぼっちで困ってたんだよ?!」


「そうやっていつもいつも勢いで進めやがって!ちょっとは後先考えろ!」高槻は、勢いに押されまいとヒートアップして冷静さを欠いた荒っぽい言動をとった。しかし、ギュッと拳を握りしめ目に涙を浮かべる瑞希の顔を見て、すぐに落ち着きを取り戻す。


 「すまん、言いすぎた」高槻がゆっくりとした口調でそう言うと、瑞希は涙がこぼれぬように深呼吸しながら天井を見上げる。そして、少し冷静になったようで、高槻をジッと見詰めた。


「私も、ごめん」そうしてボヤ騒ぎが鎮火すると、高槻は2人の間にゆっくりと腰を下ろす。


 「取り敢えず、これからどうするか考えねえとな」そう言って少年の顔を伺うが、ジッと視線を落としたままで目を合わせることは叶わない。


 「君、名前は?」高槻は少年を萎縮させないようにと、ゆっくりと柔らかな口調を心がけてそう尋ねた。だが、それでも少年は口を開くことはない。それどころか、両膝を抱える腕により力を入れてその体を縮めた。


 後頭部をポリポリと掻きながら、どうしたものかと頭を悩ませていると、瑞希が少年に対して横から手を差し伸べる。


 「このおじさん、顔は怖いけどきっと君の力になってくれるよ」高槻は、もう少しマシな言い方はできないのかとため息を漏らしかけたが、折角出してくれた助け船を無碍には出来ない。瑞希のその言葉に便乗するように少年へ畳み掛けた。


 「ここまで来た以上、このまま見過ごすわけにはいかねえし、むざむざと見捨てる気もない」高槻はそう言って、少年の目の前にそっと手を伸ばす。


「君の力になってやる。絶対にな」少年はふと顔を上げて、差し出された高槻の右手を凝視した。その目にはまだ迷いが残っているように感じられる。


 すると、すぐにまた視線を下に落とし、今度は自身の手を見詰めた。高槻のそれと比べて細く小さい、傷ひとつない綺麗な手のひら。少年はそんな右手をゆっくりと高槻の大きな手のひらに重ねた。


 そして、1度2度と深呼吸をすると、覚悟を決めた様子で顔を上げてジッと高槻の瞳を見遣った。


 「大和……永井大和ナガイ ヤマト……」少年はか細く、そして涙の混じった声で自分の名を告げる。すると、二筋の水滴が頬を伝って流れ落ち、少年の膝を濡らした。


 そんな少年の手を高槻はギュッと握りしめる。そして、空いた左手を頭の上に乗せてポンポンと優しく撫でた。






 「寝ちゃったね」


「緊張状態が解けたらみんなこんなもんだ」高槻は泣き疲れて布団の上で眠る大和を見遣ると、床にいくつも転がる涙を拭いたティッシュの残骸をゴミ箱に放り込んでいった。瑞希はそんな高槻の姿を眺めながらスティック状のチョコ菓子を咥え、難しい顔を浮かべる。


 「大和くん、どうするつもりなのかな?」


「目が覚めたら話してくれるだろうよ」


「そうだね……」瑞希は不安を拭いきれない様子でしきりに頷くと、開いたチョコ菓子の中袋を高槻に差し出した。袋の口から棒状のビスケット部分が覗いており、おそらく1本取るように促しているのだろう。


 高槻は、遠慮する。と言わんばかりに顔の前で1度手を振ると、そのままその手で顔を拭いながら大きく息を吐いた。


 「それで、お前はなんであいつを拾ったんだ?」高槻がそう言うと、瑞希はチョコ菓子を咥えたまま唇を尖らせる。そのまま口を開こうとしない瑞希に対し、高槻はおもむろに手を伸ばし、唇に挟まれたビスケットに上から力を加えて真っ二つにへし折った。瑞希は目を細めなんとも言えない顔で高槻を見詰めると、口の中に残った方を咀嚼して飲み込む。


 「大学行った帰りにね、駅の近くに交番があるの。そこの前であの子が立ってたんだ」


「何もせずにか?」瑞希は口を結んでゆっくりと頷いた。


 「最初は道にでも迷ったのかなって思ったんだけど、なんか違う気がして……」


「それで連れてきたらこれか」高槻はそう言うと、テーブルの真ん中に置かれた革製の黒いケースに視線を落とす。拳を握り人差し指を突き立てような独特の形状が、その中身を容易に想起させる。


 真ん中辺りに付いたボタンを外してフラップを捲ると、ゴム製の黒いグリップとその底に繋がるカールコード、そして、倒されシリンダーの方に頭を突っ込んだ状態の撃鉄がお目見えした。


 高槻はホルスターから拳銃を引っ張り出し、セーフティが掛かっていることを確認して銃をよく見回す。


 その拳銃は全長16cm程とこじんまりとしており、グリップには下から伸びるコードを取り付けるためのリングが備え付けてある。また、シリンダーの下の方には6桁の番号が刻印されている。


 その特徴といい、紛れもなく日本の警察が使用している"SAKURA"と呼ばれる拳銃に相違ない。


 高槻は慣れた手つきでシリンダーを開けると、銃口を上に向けて手のひらの上に銃弾を落とし、目の前にあったコンビニ袋に放り込んだ。


 「これを何処で調達したかも気になるが、1番はこれを持って何をしようとしてるかだな」


「偶然拾って、ただ警察のところに行くのが怖くて躊躇してただけ。ってことはないよね?」交番の前で立ち尽くしていたとなると何か葛藤していたのは間違いなく、そう考えるのは至って自然ではある。だが、先ほどの大和少年の様子から見るに、緊張状態は並大抵の物ではなくもっと大きな葛藤を抱えていたと推察できる。


 高槻は首を横に振ると、拳銃を元あった通りホルスターに戻した。


 「ほっといたら大事になるかもしれねえな」高槻がそう呟くと、瑞希は暗い顔でテーブルの上に転がる折れたビスケットに視線を落とした。


 それを見るや、高槻は瑞希の頭にゆっくりと手を伸ばす。そして、先ほど大和にしたのと同じようにポンポンと優しく叩きながら髪の毛を撫でた。


 「そんな顔すんなよ」すると瑞希は、俯いたまま上目遣いで高槻の顔を見た。優しい言葉とは裏腹に、眉ひとつ動かさないその仏頂面は、瑞希に高槻と出会ったときのことを思い出させる。


「変わんないね、高槻さんは」


「お前もな」そんな単純な返答にすら安心感を覚え、気がつくと瑞希は自然と顔に笑みが浮かべていた。


 それを見た高槻は、ほっとした様子でため息を漏らす。それも束の間、ポケットに入れたスマホが振動し、高槻の体に再び緊張が走る。


 普段なら電話の1本や2本に臆することなどないが、今は状況が状況だけに神経質にならざるを得ない。


 恐る恐る液晶に目を向けると、そこには着信を知らせる受話器のマークとともに"陸仁"の2文字が表示されていた。


 「ちょっと出てくる」そう言って、瑞希に見えるようにスマホを振りながら顔を上げる。すると、そこには嬉しそうに自身の頭の上に片手を乗せる瑞希の姿があった。


 「何してんだ?」高槻は怪訝そうな表情を浮かべ、瑞希に視線を送る。そうすると、瑞希はいつものような満面の笑みを見せて口を開いた。


 「久しぶりに高槻さんに頭撫でて貰ったなって」そんなことか。と、高槻は拍子抜けする。何か気の利いたことでも言って更に喜ばせてやろうかと思案するが、手の中で振動を続けるスマホに急かされた気分になり、高槻はそのまま何も言わずにベランダへと出た。


 「悪い、待たせた」待ってる側からすればかなり長い時間に感じられたであろうが、宮津は気にする様子もなく高槻に尋ねる。


 「がきんちょ問題は解決できそうか?」


「やっとさっき名前を教えてくれたところだ」そうか。宮津はあまり興味がなさそうにそう相槌を打った。


 「その子の両親が警察に通報する前には片を付けろよ」宮津がそう言うと、高槻はグッと唇を噛みしめる。そして、やや重苦しい雰囲気でゆっくりと口を開いた。


 「多分、警察には通報されない」


「なるほど、そういうことか」合点がいったようで、宮津は同情するようにため息をつく。


「まぁ、そっちはそっちで頑張ってくれ」ああ。高槻は電話の前で大きく頷いた。この先のことや大和のことを考えるとあまり気分は上向いてこないが、今回の電話の主である宮津の話は恐らく悪い話ではないだろうと、強引にでも前向きに考えながら耳を傾けた。


 「サクラの方は良い策が思いついたぞ」高槻の心情を察してか、電話口の宮津はやや自慢気にそう言ってみせる。それに対して、高槻は安堵の表情を浮かべてベランダの手すりに体を預けた。


 「これで90%が99%になる」高槻は部屋の中を見返し、大和の寝顔を眺める瑞希に目を向ける。そして、宮津の言ったその数字の意味をしかと噛み締めた。


「そうすりゃまた、平穏じゃない日常の再会だ」待ちかねたといった様子でそう言う宮津に対し、高槻は大きなため息をついて口を開く。そんな高槻も、言葉に反して表情は柔らかく、どこか嬉しそうにも感じられた。


「まったく、残念でしょうがない」





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