第9話:奪還と疑問
薬室から吐き出された薬莢は床に当たり、カランというむなしい音を立てた。それとともに、綾部の前に立ち塞がっていた部下の男が綾部の足元へと倒れ込んだ。
既に警官に拳銃を向けていた部下の女は、予想外の一撃に驚いた様子で倒れる男を目線で追った。眼球を僅かに動かしただけに過ぎなかったが、気が付けば視界に写るのは警官が投げた帽子が飛んでくる光景だけになっていた。
反射的に拳銃を握った右手ではたき落とすが、視界を確保した時には既に警官は綾部の眼前まで行き、倒れたまま床に転がる拳銃に手を伸ばそうとする部下の男、その頭に銃口を向けていた。警官は綾部の方を向いておりドアの近くに立つ女が完全に背後をとった形となったが、それがアドバンテージとは思えないくらいの異様な雰囲気を感じ取った。
「陸仁リクト?!」口を開く余裕がない部下2人を尻目に、綾部はようやくその顔が明らかとなった警官を見て驚愕し、思わず声を上げた。
宮津がここに来たこと自体十分に驚きだが、その宮津が警官の服装をしており、部屋に入ってくるや否や発砲し部下の男を負傷させた。その上、発砲したのは自衛隊には正式に配備されていないH&K社製のUSP、おまけにサプレッサーまで装着しているとなると理解が追いつかずただ狼狽するほかなかった。
宮津は男と背後に立つ女の顔をそれぞれ一瞥して拳銃を上に向ける。そして、床に落ちた男の拳銃を蹴飛ばし、綾部の隣に移動し振り返った。
これでようやく、宮津と女は顔を向き合わせる形となった。赤坂で会ったときと同じパンツスタイルの黒いスーツで、ワイシャツのボタンをきっちり上まで留めている様は仕事の出来る秘書を思わせるが、その手に握られた銃を見る限り仕事が出来ることに違いはないが秘書だと言うにはいささか不相応だろう。
床にうつ伏せになっている男の方も、右足の太ももに血を滲ませていることを除けば赤坂で顔を合わせたときと変わらぬ姿だが、這いつくばる姿を見下ろしてみれば以前受けた印象とは打って変わって哀れに思える。
「脚は動くか?」
「ご心配痛み入るよ」男はその見た目に反せず実に若者らしい口調でそう言って体をひねりながら上体を起こし、無事であることをアピールするように右足首をしきりに動かした。それを見た宮津はホッと息を吐く。そして、襟の中に手を突っ込みベストの下に隠れたホルスターへ銃をしまった。
依然として女は拳銃をこちらに向けているが、宮津はお構いなしに綾部の手を引いて扉の方へ歩みを進める。
「動くな!」女は甲高い声で制止を促すと、引き金にかけた人差し指に力を入れる。それでも宮津は足を止めることなく歩き続けた。その背にへばりつくように綾部はヒヤヒヤしながら追っていく。そうして、手を伸ばせば銃身に手が届きそうな距離まで近づいた時、宮津は突如足を止めた。女は腕を上げて宮津の額に銃口を向ける。それでもやはり宮津は臆することはなかった。そして、至って冷静な様子で口を開く。
「このままドンパチと洒落込んだら、お互い上が黙っちゃいないだろ」
「先に撃ったのはそっちでしょ!」その甲高い怒鳴り声を間近で受け、宮津は一瞬ビクッと体を跳ね上がらせるがすぐさま切り返す。
「それを言うなら、先に綾部を撃って怪我をさせたのはこいつだろ?」そう言って、机を支えに立ち上がろうとする部下の男を指差した。
「そっちが綾部に負わせた怪我で失点1。そして俺がこいつに負わせた怪我で1失点。1対1の痛み分けだ」やっとの思いで立ち上がった男は、それを聞いて顔をしかめる。女も同様に納得のいかない様子で睨み付けるように宮津を凝視した。
「そんな屁理屈―」
「それが1番いい落としどころだろ?」宮津は男の言葉を遮ると、牽制するかのように男と女、2人の顔を交互に見回す。
「あんたらは法案を通したくないがために官僚を拉致して怪我を負わせた。俺たちは違法な活動をしている。大事にしないように仲良く口をつぐんでおいた方がお互いのためだ。違うか?」敵方の2人は当然のことながら、味方であるはずの綾部までもその主張には無理があるように感じた。宮津自身もこんな理屈が通るはずもないことは承知の上だが、それでも尚、口を動かし続けた。
「それが嫌だってんなら撃てばいい。防衛省の官僚を2人も殺せば一体どうなるか、あんたらの末路をあの世から見守っといてやるよ」安い挑発だということは明らかだった。それでも女は顔を強張らせ、拳銃に添えた左手の力を抜いた。この直後に右手を振りかぶって頬、あるいは頭部にあの金属の塊が振り下ろされることが予想できる。だが、宮津は身構えることはしなかった。
そして拳銃から左手が離され、右手を振りかぶろうとしたその時、一瞬の静寂を埋めるかの如く着信を知らせる鳴動音が鳴り響く。それは、宮津が待ちわびていたゲームセットの合図でもあった。
「出て船倉フナクラ」拳銃から離した手をジャケットに突っ込むと、おもむろに振動するスマホを掴み出して船倉と呼んだ男に投げ渡した。黒い板が突然飛んでくるも難なくキャッチした男は、画面に表示された名前を確認すると電話に出る。
「船倉です・・・はい、今ここに居ます」そう言って宮津をチラリと見遣る。直後、何かを聞かされた男は冷静さを残していた表情を一変させる。そして、それ以降は耳へと入ってくる相手の声をただ黙って聞き続けることしかしなかった。
「・・・わかりました」男は頭に浮かぶ言葉の数々を必死に嚙み殺し、絞り出すようにそう言うとスマホを机の上にそっと置いた。
「行かせろってよ」そう言った男は顔の筋肉を痙攣させており、怒りを必死に抑えていることが伺えた。
「でも―」
「厩橋ウマヤバシ!」女の言葉を遮って男はひときわ大きな声を上げると、机の天板に平手を打ち付けた。金属の甲高い音が混じったガシャンという音の後、静かになった部屋に骨組みの震える音だけが鳴り響いた。
「2人を解放しろとの命令だ」殺意にも似た感情を纏ったその言葉に、女は奥歯を強く噛み締めて悔しさをあらわにする。それと同時に、右手には小刻みに震えるほどの力を込めた。
何も言わずにただ銃口を向けるそのわずか数秒が女の葛藤をより強く感じさせた。それでも自分の立場を見失うことはなく、ほどなくして両腕を力なくダランと下ろす。それを見て宮津は床に落ちた帽子と薬莢を拾い上げあげると、抑えきれない感情を必死に押し殺そうとする2人を見遣った。
「佐藤に伝えておけ。あとはこっちで片を付けるってな」そう言い残し部屋を出る。すると、扉を閉めるや否や綾部は宮津の背中に飛び付いて何度も何度も肩を叩いた。どんな表情で後ろを歩いているのかを見ることはしない。だが、涙を浮かべていることだけはよくわかった。
先に任務を終えて部屋に帰ってきた和泉は、作業着から着替えることもせずにデスクの上に両腕を乗せてボーッと佇んでいた。丹羽はそれを隣に座ってしばらく眺めていたが、あまりにも動かないため心配になり声を掛ける。
「どうした?今回はそんなやばい任務じゃなかっただろ」丹波の存在は完全に意識の外だったようで、和泉は少し驚いた様子で顔を上げて丹波の方を向く。そしてキョトンとしながら、何ですか?と聞き返した。すると丹波はおもむろに和泉の頭に手を置き、髪の毛をぐしゃぐしゃと乱し始めた。
突然の攻撃に、和泉は叫び声をあげる。頭の上で乱舞する豪腕を必死で抑えようとするが、和泉がどれだけ両腕に力を込めようとも勢いが弱まることはない。
ひとしきり髪を荒らし回り気が済んだのか、毛先があちこちに向いた頭から手を退けると再び疑問を投げかける。
「なに難しい顔してるんだ?」今もまだ難しい顔をしているとすれば、それは何者かによって爆破された頭部を思ってのことだろう。和泉は目を細めて不貞腐れた表情で丹波を見た。このまま答えずにいてやろうかとも考えたが、いつまたあの暴虐的な右腕が猛威を振るわれるかわかったものではないのでここは大人しく答える。
「僕ら、本当に"公安"を敵に回したんですね」
「そうだな・・・」丹波は先ほどまでの悪戯っぽい顔から一転、深刻そうな表情に変わる。しかし和泉は、その顔にはどこかまだ余裕があるように感じた。すぐにリラックスした様子で椅子に深く腰を預けたことから、おそらくそれは間違いではないのだろう。
「なんの考えもなしに喧嘩ふっかけるような宮津じゃないだろう」丹波の言う通り、いくら友人が絡んでいるかといって感情だけで公安と戦争状態に持ち込むような真似はしないと断言できる。それ自体に何の疑いもない。だが、果たして部隊の全員がそう思っているのだろうか。和泉が先ほどから考え込んでいたのはこのことだった。
この事件の捜査が始まった直後、宮津をよく知る人物であるはずの高槻は言っていた。"わかっているからこそ、俺はあいつを信用できない"と。和泉はこの言葉の意味をずっと考えていた。
友人のためなら組織を裏切る?いや、それはないと高槻自身が言っていたし、現に宮津は裏切るようなことはしていない。では、高槻は宮津の何を信用していないのか。過去に何があったのか。いくら可能性を思い浮かべようとも推測の域を出ない。答えの出ない問いに和泉は頭を悩ませる。
「丹波さんも高槻さんも、宮津さんの何が信用できなかったんですか?」和泉は遂に考えることを探すことを諦め、当事者の1人である丹波に答えを聞くことにした。すると丹波は、妙に合点がいった様子でクスクスと笑い始めた。
またはぐらかされるのか。そう思ったそのとき、入り口の扉がガチャッと言う音を立てた。丹波の体越しにそちらに目を向けると、ちょうどドアノブが回り扉が開く。だが、それよりも先にピントがズレた視界の端で丹波が口を動かしているのが意識に入った。
「もうすぐわかるさ」
「こってり絞られたか?」高槻は上階から帰ってきた宮津を一瞥すると、楽しみにでもしていたかのような様子で尋ねる。しかし、宮津は首を横に振った。
「想定の範囲内。だそうだ」残念だったな。そう言わんばかりに宮津はしたり顔で言う。一方の高槻は、意外に思うような素振りを見せることはなく、それこそ想定の範囲内であるかのような様子が見て取れた。
「何したら陸将補の想定を越えられるんだよ」
「あんた方が裸で陸将補のところに乗り込めば流石に驚くんじゃないか?」巻き込まれないよう話に参加していなかった和泉だったが、丹波その発言に思わず吹き出してしまった。大の大人2人が全裸で上司の元に行く様を想像すると、とてもじゃないが笑いを堪えることなどできない。そして、危惧していた通り丹波がそれを見逃すことはなかった。
「和泉も追加だな」
「なんでですか!?」見事なまでに予想通りの飛び火にツッコミを待っていることが見え見えの釣り針だったが、悲しいことに頭でスルーを決めるよりも先に体が反応してしまう。
しかし、笑っていたのは自分だけではないはず。橿原もこの会話を聞いていたのだから。そう思い、道連れにしようと橿原を見遣る。がしかし、さっきまで何もしていなかったはずの橿原は視線をパソコンのモニターへと釘付けにし、耳はヘッドホンで覆い隠すというあからさまな回避行動をとっていた。
その様に口をあんぐりと開きかけたのも束の間、この場に居る全員の意識の外から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「人が命からがら危険な場所に潜入したって言うのに、みなさん楽しそうですね」
その声に反応して扉の方を振り返ると、そこにはスーツ姿の斑鳩が佇んでいた。警視庁に行く前と同じ格好なので、現地で変装してその場で元の姿に戻ったということが想像できるが、着替えるだけでは当初の課題はクリアできない。今回は一体どんな手法を使ったのだろうか。和泉は想像を巡らせながら斑鳩の持つビジネスバッグを見詰めた。
「獲物は手に入ったか?」先程までおふざけの輪の中にいた宮津だったが、一瞬で態度を翻すと斑鳩に問いかける。すると斑鳩は、誰に聞いているんだ。と言わんばかりに得意げな表情で答える。
「そりゃもう文句のつけようがないくらい完璧にね」そう言いながらビジネスバックに手を突っ込んだ。何を出すのかと思えば、斑鳩が手に持っていたのは綺麗に畳まれた水色のワイシャツだった。襟を摘んでワイシャツを広げると、裾から5枚の紙らしきものがデスクの上に落下する。
紙"らしきもの"。和泉がそう思ったのには理由がある。それは確かに紙のように薄く広いシートのようなのだが、その表面はほぼ視認ができないほど照明の光を反射している。まるで銀色の折り紙をA4サイズにしたような明らかに普通とは異なる材質の紙だった。宮津はそれを拾い上げて、銀色の面をまじまじと凝視する。
紙の中身は気になるが、自分が見ても仕方ない。和泉はそう思い、視線を他所へやった。すると、ちょうど視界に先ほど裾から紙を吐き出した斑鳩のワイシャツが目に入った。あることに違和感を覚え、そのワイシャツに手を伸ばす。
普通ワイシャツというと表と裏で色や材質は同じはずだが、襟口から見えるシャツの裏地は表側の水色とは異なり、白色でうっすらとストライプが入っているように見える。
手にとってよく見てみると、水色のシャツと白いシャツが縫い合わせられており、自身が今身につけているシャツに比べるとやや厚手になっている。それだけでなく、プラケットの方もよく見てみればボタン、ボタン穴共に右側に縫い付けられているという奇妙な作りなっていた。めくってみればファスナーがついており、それで前を開け閉めするようだ。裏面も同様で、引き手が裏と表を行き来するようになっている。
なるほど。今回どんな手を使ったのかおおよその見当がつき、とてもスッキリした状態で椅子に腰を下ろす。そこで丁度宮津の方も一通り紙に目を通したようで、紙をデスクの上に置くと満足した様子で腕を上にあげて体を伸ばした。その時に発した猫のような声が事件の終結を告げ、全員の力がフッと抜けるのがわかった。
「二兎追う者、二兎とも得た。みたいですね」斑鳩は椅子に座ってくつろぎながらそう言った。すると宮津は、伸ばしていた手を下ろして首を振る。
「いや、得た兎は3匹だ」この発言に対し斑鳩は首を傾げた。もちろん和泉や橿原もそれは同じだったが、意外だったのは高槻と丹波までが同じように首を傾げていたことだ。
そして5人で口を揃えて言う。
「3匹?」
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