第7話:協力と交渉






 宮津は後ろに和泉を引き連れて調布の雑居ビルを訪れた。裏手の非常階段を使って2階まで上がると、宮津はそこの扉を叩いた。数秒後、鍵が開くガチャっという音が聞こえ、扉が内側に開く。


 顔を出したのは如何にもというような風貌の男ではなく、グレーのスーツに前髪を綺麗に分けた、会社員と言っても違和感のない格好をした30代のくらいの男だった。男は睨みながら顔をのぞかせたが、扉を叩いたのが宮津だということに気づくとギョッとした様子で一瞬体を仰け反らせた。


 宮津はそんな入り口の男を一瞥すると何も言わずに中へと歩いていく。それに続いて和泉も登っていくと、入り口の男はさらにギョッとした様子で背中を壁に擦らせるほど。和泉は軽く会釈するとなるべく目を合わせないように宮津の背を追った。


 奥の応接間のようなスペース、そこにあるソファには既に2人の男が鎮座していた。1人は下座に座るグレーのスーツに紺のネクタイといったこれまた会社員を思わせるような装い30、40代の男だ。この男は以前宮津と殴り合った男で、その顔には以前同様眼鏡が光っていたが、銀縁ではなく黒く縁の太いフレームの眼鏡に変わっており、以前会ったときとはかなり違う印象となっている。


 もう1人は白髪混じりの顎髭を薄っすらと伸ばし高級感のあるグレーのスーツに袖を通した60歳前後の男で、会社員のような見た目の組員がばかりの中、唯一それらしい見た目と入り口の男や眼鏡の男とは明らかに違ったオーラを醸し出している。


 そんな浅場諜助アサバ チョウスケと目があった和泉は、ジャケットの裾を引っ張り乱れを直すと体を強張らせながら背筋をピンと伸ばした。対して宮津はネクタイはおろか、シャツのボタンをろくに留めていないことすら気にも留めず浅場の正面のソファに腰を下ろした。


 「早速本題に入りましょうか」宮津は息をつく間も無く話を切り出した。しかし、浅場はそれを制止し易々と主導権を宮津には渡さなかった。


「話すのはいいが、若いのに座る暇くらいやったらどうだ?」浅場がそう言ったことでようやく和泉がまだ自らの背後に佇んでいることに気付き、わかった。と言うかのように、うんうんと黙って何度か頷いた。半ば浅場に促される形で和泉がソファに前面まで回ってくる僅かな間に、宮津は眼鏡の男に視線を向ける。


 「本当に目が悪かったんだな。その眼鏡似合ってるよ」よくもぬけぬけと。と眼鏡の男は口から溢れ出しそうになる本心をなんとか飲み込んで、再び喉元まで逆流してこないように無理矢理にでもソファに腰掛けた和泉の方を向く。視線を向けられた和泉は身を縮こまらせ、びくびくした様子でソファの上に身を収めた。見かねた浅場は、できる限り威圧感を与えないように笑いながら和泉に声をかけた。


 「お前も大変だな。こんな上司に振り回されて」


「ほんとですよ」和泉はハッとして口をつぐんだが時すでに遅し。しっかりと宮津の耳には届いており、横目で刺し殺さんばかりの鋭い視線を向けた。再び和泉がすくみ上がろうとする前に、浅場は宮津に威圧感のある視線を送る。


「そろそろ商談に入ろうか」












 「調達してもらいたいのは同一車種、同一色のワンボックスカーを2台、警官の制服と警察手帳、それと閃光発音筒を3つです」


「車は当然、足がつかないやつだな?」それに対し宮津が首肯すると、浅場は隣でメモを取る眼鏡の男に目配せする。眼鏡の男はテーブルの上に置かれた分厚いファイルを手に取りページをペラペラとめくっていった。すると、ファイルの3分の2あたりのところでめくる手を止めて、テーブルの上に広げて置いてみせた。


 「この車ならすぐに2台用意できる」そう言って黒のビアンテの写真を手で指し示した。そのページを注視すると、車の写真のみならずナンバープレートの表示、入手元、現在の保管場所まで事細かに記載されているのがわかった。入手元が都内の住所になっていることからこの車は盗難車なのだろう。


 「ことがことだ。レンタルじゃなく買取になるが構わんな?」


「はい」再び宮津が首肯すると、眼鏡の男はスーツの胸ポケットに差したペンを取り出し、ファイルの当該のページに何かを書き込んだ。宮津と和泉が文字を書き込むペンの先に目を落とすと、浅場は2人の眼前で指を鳴らし2人の視線を引っ張り上げた。


 「それで制服だったな。あれなら余所の組に言えば払い下げ品が手に入る。そっちもすぐに用意できるだろう」何故さも当然のようにヤクザが警察の制服を持っているのか些か疑問だったが、わざわざ話を遮るのもはばかられる上、知らぬが仏という言葉が頭の中を横切り、和泉はその疑問を大人しく飲み込む。


 「手帳の方は業者に話を通しておこう」


「業者があるんですか?!」先ほどの疑問はなんとか押し殺した和泉だったが、驚愕の事実をさも一般常識かのように話す様をこうもたたみ掛けられては勉強のためと思って着いてきた者としてはその知的探求心を抑えきれなかった。


 「あぁ。免許証に保険証、パスポートも、金さえ払えばなんでも作ってくれる。最近はもっぱら、技能実習生に在留カードを売って儲けてるみたいだがな」やけに丁寧に説明する浅場は、自分たちにとっては当たり前でなんとも思わないようなことにいちいち驚いた反応を見せる和泉を面白がっている。宮津にはそんなふうに見えた。


 「あとはフラッシュバンか・・・」すぐに話を戻しそう口にすると、浅場はそれ以上何を言うでもなくただ宮津の目を見詰めた。一方の宮津は常人とは一線を画す鋭さを持ったその視線から目を背けることなく、寧ろお返しとばかりに浅場の目を凝視する。


 しばらくそのまま沈黙が続いた。そして、いつの間にか始まっていた我慢比べに負け、先に目を落としたのは浅場の方だった。


 「なるほど。大きく出たもんだな」その言葉の意味は和泉にはわからなかったが、宮津と浅場は示し合わせたかのように共に口角を上げた。


 「全て1週間で用意しよう」ありがとうございます。宮津がそう言って頭を下げると、浅場はパンと手を叩いて場を仕切り直した。宮津にとっての最重要事項はこれにて完遂されたが、浅場にとってはここからが最重要事項となる。


 「さぁ、問題は代金だ。幾ら出せる?」金額についてはなんら心配していなかった。しかし、浅場が具体的な金額を提示してくると思い込んでいた宮津は思わず怪訝な顔で、はい?と聞き返した。


 「今回の仕事が普通じゃないことはお前が1番よくわかっているだろ?」それに対し、宮津は静かに頷く。


「もし失敗でもしてこちらにまで連中の手が伸びると目も当てられないからな」宮津はもう1度、納得したとよく伝わるように今度は2回大きく首を縦に振った。


 「そういうわけだ。出せる金額限界まで払って貰う」そう言われ、宮津は凍りついたかのように動きをピタッと止めた。実際に体の全機能を停止させたわけではないだろうが、和泉や浅場からはそんな風に見えていた。そして、次に宮津が動き出したときには、宮津は覚悟を決めた顔つきをしていた。


 「360回払いになりますが、1億なら出せます」それを聞いた浅場はえらく驚いた。1億などという大金が宮津の口から出るとは予想だにしていなかった。そしてなにより、360回払いが意味するところに度肝を抜かれた。


 「お前の覚悟はよくわかったよ」降参だ。そう言わんばかりの様子で、浅場は手で額を押さえた。しかしそれも束の間、浅場はすぐに先ほどまでのような鋭い視線を放つ顔つきに戻った。


 「お前がどれだけダチを救いたいかはよくわかった。だが俺にとってはそんなことどうだっていい」これからの人生を賭けるつもりで1億という金額を提示した訳だが、断られる可能性が十分にあることは宮津自身重々承知していた。それでも、浅場なら、自分が相手なら、断られることはないだろうという驕りがあったことに今になって気付いた。


 宮津は、全てが破綻しかけている現状に頭の中が真っ白になり、何処を見るというわけでもなく視線をジッと留め体を静止させた。和泉からすれば、先ほどのようにまたもフリーズしたように見えた。しかし、先ほどはピクリとも反応を示さなかった浅場が、今度は野太い声で笑いを漏らした。


 「やっぱりお前を見ていると面白い」計画が崩れ慌てふためく姿。どんな御託を並べて言いくるめようか必死に考える姿。浅場にははっきりとそれが見えていた。宮津の心中など知る由もない和泉と眼鏡の男の2人は、笑っている理由がわからず不思議そうに浅場を見詰めている。宮津もその笑い声を聞いて視線を浅場の方へ向けた。


 「お前の給料が欲しいんじゃない」浅場がそう言うと、宮津も怪訝な表情になって浅場を見た。そして、浅場の言動に完全に頭が追いつかなくなった和泉は諦めた様子で目を右往左往させ、最終的には浅場と眼鏡の男の間から見える窓の外へと視線を投げ出した。


 「俺が欲しいのは・・・」いや、俺たちが。浅場はそう言い直す。


「防衛省が税金でヤクザから買い物をしたという事実だ」すると宮津の顔つきがスッと変わる。今の今までしていた曇ったような表情から一転、なるほど。と非常に納得したような顔になった。


 そして宮津と浅場は見合って、互いにフッと笑った。












 「商談成立だな」普通ならお互いに右手を差し出して固く手を握り合うようなだがとてもそんな雰囲気ではなく、これにてここですべきことは全て終了した。和泉は、それでももしかした握手するかもしれない。と少し様子を見たが、結局握手は交わされることなく宮津は立ち上がった。それに釣られるような格好で和泉も腰を上げる。


 「来週の木曜、朝10時に菊野台交差点近くのコインパーキングに車を取りに来い。他の物も全部トランクに積んでおく」ソファに座ったまま立ち上がる気配のない浅場が宮津を見上げながらそう言うと、宮津はわかりました。と相槌を打ったのちに一礼した。あいも変わらず親鳥の真似をする雛の如く、遅れて和泉も頭を下げた。


 1,2秒経ったのちに和泉はゆっくりと頭を上げる。ふと隣を見ると、今の今までそこに居たはずの宮津の姿がない。もしやと思いながら背後に目を向けると宮津の背中はすでに遥か遠く、入り口の目前にまで至っていた。


 慌てて身を翻すと、唯一自慢できると自負している脚力で以ってこの場からすぐさま立ち去ろうとした。その瞬間、逆にこの状況が好機と捉えた浅場は和泉を呼び止める。


 「おい若いの」和泉はビクッと身体を跳ねさせ、恐る恐る浅場の方を振り返る。警戒を解くために和泉らがここに来てからあれこれ気を使ったつもりだったが、全く効果がなかったことに浅場は悔しそうに太もものクリースがある辺りをギュッと握る。その様子を見て眼鏡の男は思わず吹き出した。浅場がじろりと視線を向けると背筋をただし居直るが、口元は未だ緩んだままだ。


 まったく。と呆れながらも自分で呼び止めた和泉そっちのけで部下の相手をしておくのはあんまりなので、しばらく眼鏡の男のことは忘れて和泉の方に向き直った。


 「もし今の仕事をやめることになったらウチに来い」一体どういう風の吹き回しだろうか?1度は複雑にその言葉の意味を考えたが、恐らく裏はないのだろう。そう思った和泉は素直に受け取ることにした。


「ありがとうございます」屈託も嫌味もない心持ちで頭を下げる。しかし頭を上げると、でも。と続けて口を開いた。


 「今回の任務は失敗させません。絶対に」それを聞いた浅場は口元を緩め、これまた屈託も嫌味もない声をかける。


「頑張れよ」和泉は小さく頷くと、もう1度頭を下げ足早に事務所を後にした。


 「一体どんな悪巧みを?」眼鏡の男がテーブルの上の書類を片付けながらそう尋ねると、浅場はソファに体を投げだしてフッと笑った。


「なぁに。あの坊主から陸仁の坊主と似たようなもんを感じた。ただそれだけのことだ」





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