第6話:自信と覚悟
宮津はダンプカーの荷台に寝そべったまま市ヶ谷へと帰還した。庁舎の地下駐車場に入ると日差しがなくなったこともあり、炎天下で吹き出した汗と焦りと恐怖によって噴出した冷や汗が染み付いたシャツがかなりヒンヤリと感じた。
1度も切り返すことなく後ろ向きに線の中に収められたダンプカーは、ドアが開く音とともに不快な振動を止めた。そのままボーッと天井の蛍光灯を眺めていた宮津に誰かが声をかける。
「着きましたぜお客さん」声の主はつい今し方までこの車を運転していた丹波だった。丹波は荷台のあおりを開けると、宮津に降りるように促す。差し出された手を取って起き上がると、宮津はとぼとぼとエレベーターまで歩いて行った。
「怪我は無いか?」丹波のその問いに宮津は黙って頷く。銃声を聞いて、てっきり宮津が撃たれたものだと思っていた丹波は安心した様子でため息をついた。しかし、今の宮津の姿から察するに弾丸は外れたわけでは無いだろう。丹波はそう思い、それ以上は何も言わなかった。
エレベーターに乗ると、宮津はいの一番に上階のボタンを押す。しかし、丹波はすぐにそのボタンを2度押ししてキャンセルし、特防隊の部屋があるフロアのボタンを押した。
「部長よりも前に、俺たちに言うことがあるんじゃないのか?」すると宮津は、伏し目がちになり黙り込んだ。途中の階で職員が乗り込んできたこともあり、2人はそのまましばらく口を噤んだまま上がっていく。
そして指定したフロアに止まり、丹波がエレベーターから降りた。すると、突如きびすを返しつま先でセーフティシューを押さえた。
「来ないのか?」丹波は腕を組み、半ば呆れのような表情、半ば同情のような表情で宮津を見詰める。宮津は目を伏せたまま上に行くわけでも降りるわけでもなく、ただただ黙って立ち尽くしていた。
そろそろ脚を退けようかと思ったその時、宮津はようやく1歩を踏み出した。伏せていた目はまっすぐ前を向き足取りも軽い。決意を固めた様子で歩いて行く宮津の背を、丹波は見守るように追っていく。
部屋のドアを開けると、向かい合わせに引っ付けた6つのデスク、その上に置かれたパソコンの前で椅子の背もたれに体を投げ出しイナバウアーのような姿勢で天井を見上げる橿原の姿が目に入った。橿原はこちらに気が付くと、姿勢を正すことなく宮津と丹波に言う。
「おかえりなさい」あまりにあっさりと、普段と変わらぬ様子でそう言うので、宮津は余計に負い目を感じた。そんな心中を察してか、丹波は黙って宮津の肩に手を置き座るように促す。
「証拠隠滅は済んだか?」丹波が顔を覗き込みそう尋ねると橿原は、大変でしたよ。そう言いながら力を抜いた両手をブラブラと振った。
「あの建物のカメラの記録をこっちでバックアップとってから消して、パソコンのデータもコピーとりながらハードを壊していって」すると橿原は、何かを思い出した様子で突如体を起こした。その目は宮津の方を向いており、何か訴えたいことがあるのは明白だった。宮津はある程度の罵倒を覚悟して橿原に向き合う。
「宮津さんのスマホ使えなくしちゃったんで、また新しいの買ってくださいね」橿原すいません。と軽く頭を下げた。あまりに予想外のその行動に、宮津は思わず返す言葉を失った。結局できた返事と言えば、ああ。という淡泊なものだけだった。
宮津は顔の前で手を組んでうつむき、そのまましばらくじっとデスクの上にある電源の入っていないモニターを見詰めた。
「最近学校の方はどうだ?」
「まぁまぁ順調ですよ」丹波は橿原の隣まで椅子を引っ張ってくると、背もたれを前にしてそこに組んだ腕を置いた。丹波はあえて今、こんな他愛もない世間話をしているのだろうが、今の宮津の隣でそんなことをしていてよいものなのか、と橿原は宮津の方へチラリと目線を向けた。しかし疑問には思っていても、いざいじける大人の扱い方を心得ているわけはない。だからここは年長者に黙って従った。
「彼女はできたか?」
「できてたらこんな時間にお役所でまったりしてないですよ」違いないな。丹波は自分で聞いておきながら可笑しくなって笑い出した。そんな丹波を恨めしく思い、橿原は睨むように目をすぼめる。
「そんなに笑うんなら娘さんでも紹介してくださいよ」すると丹波は先ほどまで大きく開けていた口を閉ざして、目を丸くして橿原を凝視する。
想定通り返答に困った様子の丹波を見て、橿原は内心しめしめとほくそ笑んだ。しかし次の瞬間には状況が一変し、笑う者は丹波になっていた。
「中学生に興味があるのか?」
「ないです!」
「少しは気が晴れたか?」座る宮津を見下ろしながら、メッシュジャケット姿の高槻は呆れた様子で目の前に立った。その背後には、手に車の鍵をぶら下げ心配そうに宮津を見詰める斑鳩の姿もあったが、恐らく宮津の視界には入っていないだろう。
「本当にすまなかった」
「謝る前に、まずは説明責任を果たして貰おうか。官僚らしくな」宮津はそう言われて上げかけた視線を再び下ろすが、高槻の言う通り全員にきちんと状況を説明する義務がある。宮津は顔を上げて意を決する。そのとき、部屋の扉がゆっくりと開き、小さめの段ボール箱を小脇に抱えた和泉が姿を現した。
「お元気そうでよかった」皮肉なのか、はたまた何も考えていないだけなのかはわからないが、とりあえず心がこもっていないことだけは明白な口ぶりで宮津を一瞥すると箱の中身をデスクの上に並べていく。
乱雑に収められていたであろうコード類や小型の電子機器を、シルクハットから小道具を出すマジシャンよろしく次々と箱から取り出していく。そして、液晶のついた箱状の本体からアンテナが伸びた無線機のような機械を手に取ると、宮津のもとへゆっくりと近付いていった。
そして、機械を持った手を宮津の体の周囲で行ったり来たりさせる。機械がどこかを通過する度に、ピーという何かを感知しているであろう音が鳴る。すると和泉は手を動かすスピードを落とし、音が鳴る正確な場所を探り始めた。
右腕の袖口から上へと上へ、襟、胸ポケットと何かありそうな場所を順に調べていく。そして、体の反対側へと手を動かし、今度は逆に上から下へと下ろしていったその時、止まっていた音が再び鳴り始めた。
すると宮津は、もしやと思い左のサイドポケットに手を突っ込み、握られた左手をポケットから引き出した。一同が橿原に目配せする。橿原は既にその手に何か袋を持っており、宮津はそこに目がけて手の中のそれを投げた。
宮津の手から離れたそれは、吸い込まれるように袋の中に姿を消す。刹那、橿原は袋についた紐を引っ張り、口を固く閉じた。今度は橿原がその袋を和泉に投げ渡す。それをキャッチした和泉は、先ほど宮津にしたように無線機のような機械を袋の周りで往復させ、何の反応も示さないことを確認した。
すると宮津は、ふーっと大きく息を吐きデスクの上にへたり込んだ。
「水あるか?」
シャワーを浴び服を着替えた宮津は、スッキリした様子で椅子に鎮座していた。先ほどまでのような、至って普段通りといった様子だった。
「いつ盗聴器を仕込まれたか心当たりはあるか?」
「いいや」宮津と高槻は互いに腰を下ろし、間にデスクを挟んで向き合った。高槻は足と腕を組んで踏ん反り返ったような体勢で宮津と言葉を交わす。
「でも、少なくとも今日じゃない」
「じゃあ、今日綾部に接触することは事前に知られてたって訳か」それに対して宮津は、みたいだな。と肩をすくめた。その様子があまりにも他人事のように見え高槻は、はぁ。とため息のように息を吐いた。
「俺らがお前を監視してなかったらどうなってたことやら」
「監視されてたから、あそこに行ったんだよ」高槻が誰に目にもそうとわかるように嫌味を言うと、宮津は意に介することなくいつもの調子でそれに応じた。
「なんにしても、あの盗聴器がいつ仕込まれたか考えてたって仕方ない」宮津はそう言うと、デスクの上に置いた腕時計を見遣って立ち上がった。背もたれに掛かったスーツのジャケットを手に取り袖を通すその様子から、今からお偉方に会いに行くということが伺える。
「お前、ほんとは何考えてる?」はなから納得できる答えなど期待していない。それでも高槻は、宮津の真意を尋ねてみた。
「別に何も考えてねぇよ」それは、案の定まるっきり想定通りの返答だった。その直後、宮津はこう付け足した。
「綾部を助けること以外はな」
それを聞いた高槻は、妙に納得した様子で外に行く宮津の背を見送った。
「忙しくなりそうだ」
「プランAは想定通り失敗だな」向かい合って座る宮津と松阪の間には、周りで依然として忙しそうに動き回る職員たちとは違った空気が流れていた。両者ともに、普通の仕事の打ち合わせを思わせるほど余裕のある表情をしている。
「想定通り、彼らにも接触できました」
「綾部が撃たれたのも想定通りか?」松阪が意地悪そうにそう言うと、宮津は顔を強張らせる。発砲自体は確かに想定通りだった。しかし誰かが被弾し、その上それが綾部だったことは想定外で、その点だけは宮津も心に引っかかりを抱いていた。
「負傷者を出した以上、向こうも表沙汰にはできないでしょう」
「全て計画通りというわけか。恐れ入るよ」松阪は口ではそう言ったが、宮津の腹中を見透かしている。そう思えてならなかった。
「それではそろそろプランBとやらを詳しく聞かせてもらおうか」宮津があれこれと思いを巡らせる中、そんなことより。と言わんばかりに松阪は話を次へ進めた。そこで宮津は一度頭から他のことを振り払い、意識を次の一手に集中させようと試みる。
「プランBは部長のご想像通り、スマホのGPSを利用して綾部の位置を特定し、武装して拠点を襲撃。若干の打撃を与えたのちに綾部の身柄を奪還します」
「お前の意図することは概ねわかった。だが、今回は相手が相手だ。防衛装備品の支援は期待できないぞ」この時点で既に松阪は難色を示したが、もとより支援など期待していなかった宮津は意に介することなく話を続ける。
「必要な物資は自分たちで調達します。場所は綾部のスマートフォンのGPSからすでに特定済みです。物資の調達はこれから行います」その淡々と話す姿は自信の表れか、はたまたブラフか。松阪は注意深く宮津を観察した。
「物資は足が付かないように調布の友人から。既にコンタクトはとっています」
「彼らがこの話に乗るとは思えんな」そう言って松阪が顔をしかめると、宮津はすかさず首を横に振る。そして、絶対に乗りますよ。とそうそう揺るぎそうもない自信を覗かせた。
「我々の共犯者になるということは、彼らも奴らに対する強力なカードを手に入れるということですから」宮津は迷いのない視線で松阪を見遣った。その目を見返した松阪は確信する。宮津に確固たる自信、そして、それ相応の覚悟があるというとこを。
これ以上何を言っても無駄だとある種の諦め、ある意味での期待を抱いた松阪は宮津に向き直り、わかった。と観念した様子で宮津に言う。
「私の権限の範囲内であれば可能な限り協力しよう。何かしてほしいことはあるか?」すると宮津は顎に手を当て、そうですね。と考え込んだ。そして、少し経って顎にあった手を下ろすとニヤリと笑う。それを見て松阪も同じように薄ら笑いを浮かべる。
「黙って見ていてください。何もせずに、ね」
「心得た」
宮津が部屋に戻ると、宮津の定位置を除く5つの椅子が隊員たちによって埋められていた。普段なら用が終わるとすぐに帰宅する橿原や、よく部屋の中をウロチョロしている斑鳩も例外なくその中に顔を連ねている。
宮津は定位置まで行くと、デスクに両手をついて全員の顔を見回した。全員、これから何をするか重々承知している。それでも誰一人として迷いの表情は浮かべていない。
高槻と丹波はもう慣れたもので、いつもとさして変わらぬ顔つきで、和泉は腹をくくり一層気を引き締めた様子で、橿原と斑鳩は喜びすら感じさせる表情で、宮津に顔を向けた。宮津はもう1度そんな全員の顔を見回すと、すぅっと息を吸って口を開く。
「反撃開始だ」
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