第5話:再会と接触
「ああ、俺だ」宮津は舞子に電話を掛けた。もはや日課になりつつあるこの行動も、そろそろ終わりを迎えようとしている。
「
すると、スマホのバイブレーションによって振動したダッシュボードが車内に不快な音を響かせる。宮津はすぐにスマホを拾い上げると画面を注視した。着信を知らせる画面には"綾部"と表示されている。
「今どこにいる?!」宮津の張り上げた声に、電話の相手は些か驚いた様子だった。
「どうしたんだ急に?」綾部は普段通りの口調でそう言った。監禁され衰弱している様子も、誰かに脅されている様子も感じられない。
「今1人か?」ああ。と綾部は答えた。
「自由に動けるのか?」綾部はその問いに一瞬閉口したが、すぐに同じように、ああ。と答える。
「今から会えるか?」すると綾部は、どうした?そう言った。しかし、しばらく何か考えた後に悟った様子で、わかった。と答えた。
「今スクショを送るからそこに来てくれ」そう言われて、宮津はスマホを耳から離して画面を見た。すると、すぐに通知が届き画像が表示される。マップのスクリーンショットのようで、赤いピンが指している場所は防衛省からそう遠くない東京メトロ千代田線赤坂駅のすぐ近くのオフィスビルのようだ。
宮津は通話のスピーカーをオンにすると、電話を繋いだままスマホを助手席に放り投げた。綾部の耳元でボンという音を鳴らしただろうが、そんなことを気にすることなく宮津は車を発進させる。
教えられた場所に行くと、石垣のように石を積み上げたような外壁のエントランスフロア、その上にミルフィーユ状に白と黒が交互に重なった外観が特徴的な建物があった。駅から近いこともあり駐車場がないようで、運悪くパトカーが通り掛からないことを祈りつつ路肩に車を停める。
建物の中に入ると小洒落た雰囲気のロビーが出迎えた。しかし、そこを抜けた先は打ちっ放しのコンクリートで覆われた殺風景なエレベーターホールがあるのみで、外装とのギャップがその無機質さをより際立たせる。
綾部に指示されたフロアへと上がると、エレベーターの扉が開いてすぐ正面にスーツ姿の女が1人立っていた。女は宮津と目を合わせるが、特に何か声を掛けるわけでもなく、黙って部屋の入り口の前の突っ立っている。制止しようとする様子もないので、宮津はそのままドアの先へと抜けていった。
半円形の部屋の中央には、ノートパソコンが乗ったグランドピアノのような形のテーブルが置かれている。唯一電源が入ったパソコンの前に、大量の書類が散らばっているのが目に入った。宮津はそのテーブルの前まで歩みを進めた。すると、突然男の声がゆっくりと歩みを進める宮津の名前を呼ぶ。
「よう、
その顔は実に健康そのものといった感じで、電話口で聞いたのと同じように衰弱してる様子はおろか、誘拐された様子すら感じられない。その様子が逆に、宮津に違和感を抱かせた。
「いいオフィスだろ?」庁舎ではまずありえない開放的な空間を見回して綾部は両手を広げる。板張り風のフローリングの部屋を囲む石壁には観賞用のツタがあしらわれており、それに合わせるような、見た目を重視し実用性を軽視した棚がいくつか配置されている。落ち着いた雰囲気で確かにいいオフィスだ。
「ここは誰が?」
「詳しく誰とは聞いてないが、厚労省かどっかが貸しオフィスでの法案作成を試験したいって言ったらしくてな。タコ部屋呼ばわりを脱却したいそうだ」綾部のその口ぶりに、宮津はまた違和感を抱いた。いや、もはやそれは違和感ではなく事件の真相。その証拠であると言っても過言ではない。
宮津は綾部に今の状況を伝えようと口を開こうとした。そのときだった、後方から人が接近する気配と、革靴の足音を感じた。音からして人数は2、3人。状況から察するにあまり嬉しい来客ではないだろう。
「ご連絡をいただければお迎えを用意しましたのに」グレーのスーツに白と黒のストライプのネクタイといった平凡なビジネスマンのような格好をした30代の男は、宮津が居ることに特段疑問を抱く様子もなくそう言った。
「生憎あなた方と違って、私はそちらの連絡先を知らないんでね」
「いやだな宮津さん。我々もあなたの携帯の電話番号は知りませんよ」男は初対面のはずの宮津の名前を呼ぶと、ニコッと笑った。整った顔立ちから放たれる異様な気味の悪さに、宮津は思わず視線を逸らし男の後ろに立つ2人に目をやった。
1人は先ほど入り口の前に立っていた女で、20代半ばと思われる顔立ちで、長い足を強調するパンツスタイルの黒いスーツの装いに、ボブカットの黒髪を後ろに流し団子型に結んでいる。全体的にほっそりとした外見ときちんと上までボタンを留めたワイシャツから、仕事のできる秘書を想起させた。
もう1人も歳はあまり変わらないように見受けられるが、女とは対照的にがっしりとした筋肉質の男で、ツーブロックに刈り上げた髪をアッシュブラウンに染め、耳たぶにはピアスの穴が空いている。鎖骨が見えるまでに襟を広げたワイシャツが自分自身への信頼の大きさを感じさせる。
両者ともにジャケットの前を開けており、左脇の下が不自然に膨らんでいる。正面の男こそ身軽のようだが、こちらは丸腰な上に人数も相手方が上回っている。おまけに宮津がここに来ることを誰にも知らせていないとあっては、分が悪いのは火を見るより明らかだ。
「君聖をここに連れてきたのはこいつらか?」宮津のこいつらという言い方を不審に思ったのか、綾部は怪訝そうに宮津の方を振り返った。
「ああ、そうだ」首肯する綾部を見て、宮津は矢継ぎ早に次の質問をする。
「マンションから庁舎に向かう途中の大通りでタクシーを降りて、こいつらの車に拾われてここに来た。違うか?」
「なんでそれを知ってる?」驚いた様子の綾部を尻目に、宮津はスーツの男たちに向き直った。これでこの事件の真相が完璧にわかった。綾部が消えた理由も、この男たちの正体も、その目的も。
「後ろの物騒なもん持ったお2人を下げてもらえませんか?」
「嫌だと言ったら?」予期せぬ返答に宮津は思わず体をビクつかせる。てっきり1体1での対話を望んでいると思い込んでおり、当てが外れ中々返す言葉が思いつかない。
「何か聞かれて困ることでも?」綾部は特防隊の存在を知っている―だからこそ拉致したのだろう―。宮津にとって聞かれて困ることは何もない。しかし、それを聞いてきたということは向こうにも不都合がないということ。つまり、綾部に自分たちの正体を知られてもいいということだ。
向こうに不都合がない以上、交渉のカードにはできない。ならば、洗い浚い全て綾部に聞かせてしまおうと宮津は意を決した。
「目の前に銃を持った人間が居ると、どうも話し辛くてね」そんな宮津の発言に綾部は目を丸くする。どこかの省の職員とでも思っていた人間がやけに宮津と敵意をぶつけ合い、おまけに普通なら持っているはずのない銃を持っているともなればそれも当然だろう。
「銃って一体どういうことだ?!」わけのわからない状況の連続に、綾部を声を荒げた。そんな綾部をなだめるように宮津は1度視線を送ると、覚悟はいいな。と言わんばかりにスーツの男に向かって僅かな笑みを見せた。
「お前は今、失踪してることになってるんだよ」
「なに?」綾部は信じがたいという表情で宮津とスーツの男の顔を順繰りに見回した。宮津も宮津でスーツの男の顔色をうかがうが、さすがに強気に出るだけあり動じる様子はない。ただ1人状況に取り残された綾部は、半ばパニックのような状態でスーツの男に問いかける。
「どういうことなんですか佐藤さん?」綾部はスーツの男のことを佐藤と呼んだ。それを聞いて宮津は思わず鼻で笑う。
「まずは本名を教えてもらった方が良さそうですね」
「この国で1番多い苗字なんですから、偽名と考えるには早計過ぎませんか?」佐藤(仮)は苦笑いこそしたが、単純に苗字に対する偏見を憂いているだけで、この状況から逆転されることはないという自信が透けて見えていた。
「だったら身分証を見せてください。拒否するなら警察を呼びます」
「そういうことでしたら、私がお呼びしましょう」佐藤(仮)はそう言うと、ジャケットの胸ポケットからスマホを取り出して電話をかける。
「もしもしオフィスに見知らぬ男が」さも切迫しているかのようなトーンでそう言って、更に住所を伝える。名前を聞かれたようだが、相変わらず佐藤と名乗り電話を切った。そして、スマホをポケットに戻すと、落ち着いた様子で手首に巻いたオメガの時計の文字盤を見る。
「8分程度で警官が来るでしょう」さぁどうする?そう言いたげな様子で微笑みかけた。宮津は佐藤のその行動に対して疑問を感じる。この男たちの素性から言って例え失踪した官僚がいるからといえど、警察が来て拘束されるのは宮津の方だ。だからこそ警察を呼んだのだろうし、宮津もそれには納得がいっている。
しかし、ただ拘束したいだけなら自分たちでやればいい筈だ。数的優位もあり、おまけに拳銃も携帯しているのだから。だが、佐藤はそうはしようとしていない。寧ろ警察を呼んだことによって、到着するまでに逃走する猶予を作ったように思える。
今この男たちが焦る様子もなく余裕を持って宮津の前に居るということは、宮津たちがここにたどり着くということをある程度予見していたということ。事前に綾部の場所を移すことなど容易に出来たはずだ。
しかし、そうするどころか入り口の前に女を立たせていたにもかかわらず、止めさせることすらせず宮津を綾部とすんなり対面させた。だから宮津は、佐藤が宮津から何か聞き出そうとしているのかと思い込んだ。ところが実際のところ佐藤は、宮津と対話の意志を見せることはせず、ここに警察を呼びつけた。
スーツの男たちの目的がまったく掴めず、宮津は困惑の色を隠せずにいた。それでも、今やるべきと、できることに考えを巡らせる。
警察が来るまでここに残るという手は、仮に無実を証明できたとしても間違いなく拘束され時間をとられるので、まず除外。
次に、今すぐ綾部を連れて正面から出て行くということを考えた。しかし、すんなり通してくれればいいが、目的がわからない以上それを阻まれる可能性があるということも念頭に入れると、あまり現実的ではない。かと言って、4階という高さからアスファルトの上に着地すれば確実に無事では済まない。窓からの逃走も無理だ。
そうこうしている間に、佐藤が警察を呼んでから3分が経とうとしていた。幸いまだサイレンの音は聞こえてこないが打開策は一向に思い浮かばない。
「逃げ道を探すお手伝いをしましょうか?」佐藤は小馬鹿にした様子でニヤリと笑う。その顔に一瞬苛立ちを覚えたが、すぐに振り払い策を考える。しかし、焦りだけが募るばかりで一向に妙案は思い浮かばない。
「ああ。俺だ」宮津に打てる手はないと確信したのか、佐藤は再びスマホを取り出し誰かに電話をかけた。その口調から、差し詰め相手は部下と言ったところだろう。
「車を裏に回しておけ」車を手配したということは、勝利宣言をしたということに相違ない。まだ遠くではあるがパトカーのサイレンの音も聞こえ始め、宮津は白旗を上げるしかない状況に追い込まれた。せめて他の隊員に手掛かりを残そうと、宮津は自らのスマホに目を向けた。
そのとき、綾部のスマホが振動し着メロを響かせた。綾部は慌ててポケットからスマホを取り出すと怪訝な表情で画面を見つめた。画面から目を離し、チラリと宮津の方を振り返る。その異変に気付いた宮津も綾部のそばに行きスマホを注視した。
スマホには着信の画面が表示されいる。画面中央やや下、発信者の名前が出る場所。そこに、確かに"陸仁"という2文字が映し出されている。
しかし、宮津が今綾部のスマホに電話をかけることなどできるはずがない。何故なら宮津のスマホは今、部屋に中央に置かれたテーブル、その天板の上でノートパソコンに繋がれているのだから。にもかかわらず、確かに宮津の電話番号から発信されている。
宮津のスマホから綾部に電話をかける。今それができるのは―
宮津は咄嗟に綾部の肩を掴み、そのまま一緒に床に倒れ込んだ。次の瞬間、ピシッという音と床に何か硬い物が当たる音がほぼ同時に鳴り響く。佐藤とその後ろの2人は反射的に身を屈め、音のした方向に目をやった。
宮津たちと佐藤たちの丁度中間辺りの床には先ほどまでなかった穴が開いている。そして、そのまま目線を上げた奥にある窓ガラスは蜘蛛の巣状に亀裂が入り、中心に空いた穴から入ってくる風がビュービューと音を立てた。
佐藤の後ろに居たがたいのいい男は懐から拳銃を取り出す。すると今度は、微かにボンという鈍い音とガラスにひびが入る音、そして入り口近くの壁に弾丸がめり込む音がほぼ同時に耳に届いた。
そしてすぐにもう1度同じ音が聞こえ、さっき当たったすぐ隣にもう1発着弾した。窓には都合3箇所に穴が空き、4枚繋げてはめられた窓ガラスのうち1枚がヒビによって真っ白になり外の景色を見通すことができなくなっている。
宮津は立ち上がると綾部の手を引き、半ば無理矢理立たせた。そのまま腕を掴んで窓の方に向かって走り出す。しかしその瞬間、今度はひときわ大きな破裂音が背後で発せられた。刹那、宮津の手首を掴んでいた手が、フッと力を失い宮津から離れていく。
気付けば宮津は1人で走っていた。足を止め振り返ろうとするが、低い位置から聞こえる綾部の声がそれを思いとどまらせる。
「行け!」止めかけた足を再び全力で動かす。直後に、撃つな!という佐藤の怒鳴り声が聞こえた。もう1発撃たれることを覚悟していた宮津だったが、それを聞いて冷静に、窓ガラスの30センチ手前で思い切り左足で踏み切った。
床から両足が離れた瞬間、ヒビの入ったガラスは粉々に砕け散り、宮津は大通りの上空に体を投げ出した。後は物理法則に任せただ落下して行くのみだった。
落ちていた時間は3秒にも満たなかったが、宮津にとっては段々地面が近くなっていくのを感じられるほど長かった。そして、その時間の中で衝撃吸収用のマットが荷台に積まれたダンプカーを見付けることは容易だった。とは言え、生身の人間が自由落下中に着地地点を制御できるはずもなく、何処に落ちるかは踏み切ったときの水平方向への初速頼みだ。
ドン。という音と共に、宮津は体を捻りながらダンプカーの荷台に着地した。ぐったりとマットに張り付いたまま目を開けると、眼前には金属に上から塗料を吹き付けた無機質なアオリだけが映っていた。すぐにダンプカーは動き出し、近付くサイレンの音から遠ざかっていく。
ふと空を見上げると、丁度ガラス1枚分ぽっかりと空いた窓からこちらを見下ろす佐藤の姿が目に映った。その表情は先ほどとは打って変わって余裕など何処にも感じられない。
そして何よりも、宮津を捉えたその目は怒りに満ちあふれていた。それは殺意にも似ていた。だが、宮津の目もさして変わらぬ感情をはらんでいる。
10メートルの間で散らされた火花は、ほんの一瞬であったがこれから大火へと広がることを予感させた。
その2つの接触は、あまりに非現実的で、あまりに熱すぎた。
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