第2話:非日常と日常
「検察も我々の見解を全面的に支持した上で、起訴したそうだ」捜査報告から約一月、康安会、靑占会ともに目立った動きは見られず、特防隊の結論が正しかったとしてEMP兵器密造及び密売事件は完全に収束した。
夏服である半袖の白い制服を身に纏った松阪は、宮津に事件の顛末を伝えた。
「これで事件は無事解決だな」その言葉に宮津はホッと胸をなで下ろす。しかし、安心する言葉で終わらせないのが松阪澗正という人間だ。
「上の連中に食って掛かったときはどうなることかと思ったが」そのことについて言及されるだろうと予想していた宮津は、特段動じることはしなかった。あのとき感情的になったのは事実だが、結果的に正体不明のネタ元の存在に確信を持てたこともあり、間違った行動ではなかった。宮津はそう考えている。
「1つ伺いたいことがあります」そう言うが早いか、松阪は即答する。
「こっちも上から内容が回ってきただけで、情報源については何も知らん」わかりきっていた返答だったが、宮津はあからさまに落胆して見せた。その様子を見た松阪は冷笑する。
「例えお前が泣いたとしても、知らないことは教えられない」すると今度は宮津が、松阪がしたのと同じ意味の笑みを浮かべた。
「両親が死んでも泣かなかった俺が、そんなことくらいで泣くと思いますか?」
その悪戯っ子のような顔を見て松阪は、まったく。と呆れて溜息をついた。そして、いつもの如くこの話を繰り出す。
「こっちは娘のことでいつも泣かされてるというのに」
いつもなら、この話をされると苦笑いするか視線を逸らすのだが、今日の宮津は未だ笑みを浮かべたままだ。それを不審に思ったのか、将又気味悪く思ったのか、松阪は宮津の顔をマジマジと見詰める。
「今日は定時で帰りますよ」松阪の驚いた顔を期待して得意気にそう言った宮津だった。しかし、松阪は大した反応を見せず、それどころか書類に目を向け、そうか。と無関心に等しい相槌を打った。
「神宮に野球を観に行くんですよ」宮津は若干ムキになって、聞かれてもいない理由を言った。依然、松阪は書類に目を落としたままだが、ようやくまともな反応が返ってきた。
「贔屓が違う2人でよく野球なんぞ観に行けるな」
「文句多いですね」久しぶりに早く仕事を終え
「なんにせよ、喧嘩だけはしないようにな」
「了解」宮津は敬礼すると部屋を後にした。
「何で8回まで引っ張るかなぁ?」零はそう言うと、今の今まで着ていた年季の入ったレプリカユニフォームをグシャグシャに丸めて鞄の中に放り込んだ。
今シーズン5回目の東京シリーズ。3回にスワローズが1点を先制すると、先発は7回までに100球を投げ、被安打3、四死球2、無失点と試合のペースを掌握していた。そして裏にソロホームランが飛び出しリードは2点に広がる。
しかし8回、続投した先発投手が先頭に四球を許すと、次の打者はセンター前ヒット。ノーアウト1、2塁のピンチを招き、4番打者との勝負を迎える。
ボールが先行し、カウント1ストライク3ボール。5球目に投じたアウトローの直球を引っ張り、三遊間へ痛烈なグラウンダーの打球を放つ。これをショートがダイビングで好捕するも、どこへも投げられず内野安打。
続く5番をボテボテのセカンドゴロで463のダブルプレーに打ち取るも、その間に3塁走者が生還し1点差。2アウトながらランナー3塁のピンチが続き、スワローズはここで投手を交代。右のサイドスローがマウンドに上がる。
6番打者に対して2球連続でスライダーを投じ、見逃しと空振りで追い込む。3球目、空振りを狙ったボール気味のストレートは高めに抜け、簡単に見送られた。続く4球目、5球目も連続でボールを出しフルカウントにすると、6球目の内角に投じたチェンジアップが甘いところに入る。しかしこれは、タイミングが合わず打球は1塁側のベンチに転がり込んだ。そして7球目。外角高めに148キロの直球を投げ込むも判定はボール。逆転のランナーを1塁に出す。
ここでジャイアンツベンチも動きを見せる。7番ピッチャーの打順に、今シーズンここまで打率4割超えの代打をバッターボックスに送る。初球、外角のスライダーは見送ってボール。1塁ランナーはスタートを切るが、バッテリーは本盗警戒で2塁に送球せず盗塁成功。塁が空いたため、バッターは申告敬遠で1塁へ。そしてそのまま代走が送られる。
再び満塁のチャンスにバッターは、昨シーズン最低打率ながら今シーズンここまで打率3割を超える8番キャッチャー。そして、ピッチャー変わって守護神が登板する。
初球に143キロの外角ストレートでストライクをとると、続く2球目も外角。今度はスライダーを投じるも見送られボール。次は低めにストレートを投げる。これをバットに当て3塁線上を転がすも惜しくも切れてファール。追い込んだ4球目。先ほどと同じコースに今度はフォークを投じた。バッターはつられかけたがバットを止め見送る。そして、ワンバウンドしたボールをキャッチャーが後逸し3塁ランナーが本塁突入。クロスプレーになるも頭から滑り込んで1点をもぎ取り同点とする。他のランナーもそれぞれ進塁し尚も2、3塁のチャンス。
キャッチャーがピッチャーの元へ行き、口元を隠しながら何か話した。そしてすぐにホームに戻るとプレイが再開される。
平行カウントからの5球目。内角にスライダーを投げ、体の近くからストライクゾーンに入れ見逃し三振を狙う。しかし、これが甘くなりバッターはフルスイングでバットを振り抜いた。
快音を響かせ、打球はレフトの頭を越えフェンスに直撃する。ライトがボールを拾いショートに渡った頃には2塁走者がホームベースを走り抜けて2点を勝ち越した。その後のバッターは、サードへのファールフライに打ち取り長い8回オモテを終えた。
そのウラの攻撃。2アウトから3番が四球で出塁するも、続く4番バッターはワンバウンドの球に手を出し、空振り三振に倒れる。
9回に登板したピッチャーが3者連続三振の気迫を見せ、ウラの逆転サヨナラへと望みを繋ぐ。
しかし、ジャイアンツの守護神の前に5番6番がライトフライ、セカンドゴロと打ち取られ、最後7番バッターはショート正面のライナー。見せ場を作ることすらできずに終戦を迎えた。
宮津にとっては見ていて大変楽しい試合であったが、零にとってみれば継投ミスからの敗戦という最悪な試合であったことだろう。
見るからに怒っている零にどう声をかけようか考えた末に、何も言わないことが最善策と結論づけ、黙って隣を歩いていた。すると、いきなり零が宮津の袖を引っ張り声をかけた。
「せめてリクが嬉しそうにしてくれないとこんな試合観に来た意味ないんだけど?」不満顔でそう言う零を見て、宮津は思わず吹き出した。
「だって、はしゃいだら怒るだろ?」
「私そんな子供じゃない」つい今し方ユニフォームをグシャグシャにして鞄に押し込んだ人間が言うには些か説得力に欠けるが、それだけチームに愛情を持っているということを宮津は知っている。そして、それ以上の愛情を自分に向けてくれているということも。
だから今は、彼女の言うことに大人しく従うことにした。機嫌良さげに鞄の中からオレンジ色のタオルを取り出し首に掛け、零の手をギュッと握った。
すると、零も少し強めに握り返し、宮津の顔を見上げると優しく微笑んだ。
できることならこんな非日常をいつまでも過ごしていたい。そう思いながら、この時間をじっくりと味わうようにゆっくり、ゆっくりと駅まで歩みを進める。
そのとき、スーツのポケットに入れたスマートフォンが静かに振動するのを感じた。ポケットから取り出し画面を見ると、松阪部長と表示されている。喧嘩していないか心配で電話をかけてきたのだろう。
「はい。宮津です」如何にも機嫌がいい。そんな声色で電話に出た。しかしそれは、宮津を非日常から再び日常へと引き戻す着信だった。
「えっ、綾部が?」
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