第3話:失踪と疑念







 野球観戦後、家路の途中でシズクと別れ、宮津は防衛省庁舎へと向かった。時刻は既に午後10時。普通ならこんな時間に呼び出しはない。つまり普通じゃない事態が起きているということだ。


 「ただいま戻りました」宮津が駆け足気味で防衛計画部の部屋に入った。部屋にはまだ大勢の職員が残っており、その一部が松阪のデスクの周りに集まっている。


「呼び戻してすまないな」松阪は宮津を手招くとデスクの前を空けさせる。


 「電話でも言ったとおり、綾部君聖アヤベ キミマサが失踪したそうだ」綾部は宮津と同じく防衛省のキャリア官僚だ。同期入省で共に新任者研修を受けた縁もあり、配属が別れた現在でも付き合いがある。


 「でも私が呼ばれたということは、ただの失踪じゃありませんよね?」その問いに松阪は首肯すると、ある職員の方に目配せした。すると、その職員は手に持った紙切れの内容を読み上げる。


 「綾部は現在タコ部屋で法案作成に参加しています。しかし、3日前の退勤記録を最後に消息が不明となっています。また、何点か資料がなくなっており、綾部が持ち出したまま失踪したものと思われます」


「警察にこのことは?」職員は全員黙りこくって誰一人答えようとしない。しばらくして宮津が松阪に答えを問うように視線を送ると、ようやく松阪がそれに応じて口を開いた。


 「法案の資料の中には今、世に出てはまずいものもある。特防隊おまえたちのこととかな」


「では、今後も警察への協力要請はできないという訳ですね?」


「そういうことだ」恐らく防衛省もこの3日間何もせずに綾部の帰りを待っていたわけではないだろう。ある程度は行方を調べたはずだ。その上で見付けられなかった。にもかかわらず、特防隊だけで探せというのはあまりにも無茶に思えた。


 「早く発見しないと、綾部自身が危険な状態にある可能性もありますが?」


「上が言うには、最優先目標はあくまで資料。身柄を確保した場合は警察に引き渡せ。との通達だ」つまり、資料さえ回収できれば綾部はどうでもいいということか。宮津は、この最初から綾部が資料を持ち逃げしたと決め付けるような通達に違和感を覚える。


 「その"上"というのは統幕ですか?それとも大臣や政務官ですか?」


「通達は以上だ。これより調査を開始する」松阪は宮津の問いを無視し、号令をかけた。職員は特に不審がる様子もなく各自持ち場に戻る。


 「部長!」


「お前もやることをやれ。話はそれからだ」そう言うからには話をする機会を設けてくれるのだろう。納得はいかないが、宮津は一先ず指示に従い、調査を開始すべく部屋へと向かった。












 仮眠を取り朝を迎えると、いつもより早い7時頃に丹波、和泉、高槻が集まった。そして今わかっている現状を伝え、今後の方針を議する。


 「上が何処まで調べたのかはわからないが、重要度から言って最大限の調べは行ったはずだ。よって、手掛かりが出てくることは望めない」


「何か策はあるのか?」ワイシャツの袖を捲りながら丹波がそう尋ねると、宮津は静かに頷く。


 「綾部には妻が居るんだが、3日経った今も捜索願を出していない。何か事情を知っている可能性がある」


「家族への聴取ぐらい既にやってるんじゃないですか?」今度は和泉がそう指摘した。これに対して宮津は、半ば肯定ととれる返答をする。


 「確かに、聴取自体はやっただろうな。その上で手掛かりはない。上はそう結論づけた」だったら何故。と和泉が口を開こうとした矢先、宮津がそれを全否定するような考えを述べはじめた。


 「だが、もしも綾部から何か聞いていたとしたらどうだ?上の聴取に正直に答えるとは限らない」


「仮にそうだとして、綾部が今の自分の仕事をほっぽり出して姿を消す理由は何だ?」そして高槻から投げ掛けられた疑問には、肩を竦めて答えた。


 「それは本人に聞いてみないとな」言葉とは裏腹に妙に自信に溢れた顔をしている。そんな宮津を見て、丹波は疑問を、和泉は期待を、そして高槻は不安を抱いた。












 「わかった。今から伺わせてもらう」宮津はそう言って電話を切ると、鞄のポケットに直した。そして、椅子の背にかけたジャケットに袖を通し鞄を持った。


 「それじゃあ、今から綾部の家に行ってくる。橿原に状況を説明してトラッキングの準備をさせておけ」それだけ言うと、宮津はとっとと1人で部屋から出て行った。


 「自信満々でしたね」楽観的な見方をする和泉に対して、高槻と丹波は顔を顰め、怪訝そうな面持ちで顔を向き合わせた。どうしたんですか?和泉が不思議そうに首を傾げる。すると、2人揃って、うーん。となんとも言えないといった様子で唸り声を上げた。


 「どうも変だと思わないか?」そう言って丹波は人差し指で机の天板をトントンと叩いた。


「確かに最初っから綾部が逃げ出したって決め付けたような物言いは気になりますけど、要は早くこっちで見付ければいいんでしょ?」すると高槻が、はぁ。と溜息をついて首を振った。


 「そっちじゃねえよ」和泉は頭にクエスチョンマークを浮かべるも、その疑問は解消することなく丹波と高槻は2人だけで話を進めていく。


 「先に手を打つか・・・」


「もう少し様子を見てから判断するのもありと言えばありだが、どうする、副・隊・長?」丹波は意地悪く高槻に笑い掛けた。キャプテンシーを持っていないことを自覚している高槻は、そうと知っていて自分に判断を委ねる丹波を恨めしそうに見詰めた。


 「お2人は一体なんの話をしてるんですか?」そんな和泉の素っ頓狂な声に、丹波は吹き出しそうになるのを堪えて高槻に目配せする。高槻は、和泉にも話していいだろうとそれに応じた。


「今回の宮津は、信用できないかもしれない」












 「いらっしゃい、リク君」綾部君聖の妻、舞子マイコは自宅マンションの一室に宮津を招き入れた。玄関には舞子のものと思われるハイヒールと小さめのスニーカー、その隣に2周りほど大きい男性もののスニーカーが並べられている。


 宮津は、本来なら綾部の革靴が置いてあるであろう空いたスペースに自らの革靴を置き、綾部宅に足を踏み入れた。


 玄関を上がったすぐ横、左右に1部屋ずつ。玄関の正面突き当たりのドアの先には15畳ほどのリビングダイニングキッチン。そして、それと隣接する形で更に1部屋といった2人暮らしには十分すぎる広さだ。


 リビングの中央には膝の高さ程のガラステーブルが置いてあり、その下にはい草のマットが敷かれている。宮津はそこに腰を下ろすと胡座を組んだ。


 舞子はキッチンに入り、冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを、食器棚からガラスコップを2つ取りだしテーブルに持って行った。


 「君聖のことなら心配いらないよ」舞子は、宮津の正面に座ると、そう言って麦茶をコップに注ぐ。振る舞いから見てもその言葉に嘘は感じられない。実に落ち着いた様子で何の憂いも見られない。ただ夫が仕事で家を空けている。そんな様子だった。


 「あいつ、何か言ってたか?」


「内緒」舞子は唇の前で人差し指を立て、いたずらっぽく笑う。この様子では、防衛省の聴取もしらを切ったのだろう。


 「最近零ちゃんとはどうなの?」宮津がコップに口をつけたタイミングを見計らって、舞子はこの話題を切り出した。いつもいつもこの話題を振られてはあたふたする宮津を見て楽しんでいたが、今日の宮津は冷静にコップの麦茶を飲み干した。その様子に舞子は、ようやく少しはまともに向き合うようになったのか。と口元を綻ばせた。


 「昨日一緒に野球観に行ったんだって?」中々本題に入る隙を与えてはくれない舞子。宮津は多少の苛立ちを抱いたが、強硬な態度に出ても話してはくれないだろう。何せ当事者たちにとっては原因不明の失踪ではないのだから。


 「あのまま一緒に家まで帰れると思ってたんだけどな」


「ごめんね君聖のせいで」


「そう思ってるんなら訳を聞かせてもらいたいもんだ」宮津がそう言うや否や、舞子の右手が額に伸びてきて勢いよく中指を弾いた。パチンという音とともに宮津は頭部を仰け反らせ、額を押さえる。


 「ほらほら、焦らないの。まだ身の上話は終わってないよ」もうどうしようもないと悟った宮津は、覚悟を決めてコップに麦茶を注いだ。












 「ほんとにやるんですか?」橿原は、宮津が普段座っている席のパソコンを立ち上げると、怪訝そうな顔で高槻を見た。


「もし何もなければ何もなかったで済む話だ」高槻がそう言うと、橿原は渋々自分のリュックからUSBを取り出した。そしてそれを宮津のパソコンに差し込む。


 「何だって今回に限ってこんなことを?」橿原はマウスを滑らせ、カチッという音を何回か響かせた。


「今回はあいつの同期が絡んでるんだ」


「それで宮津さんが僕らを裏切るかもしれないと?」納得できないと言った風に橿原は手を止め、高槻に視線を向ける。すると高槻は大げさに首を横に振った。


 「裏切るとは思っていない。ただ、あいつが俺たちに情報を全て渡すつもりとは限らない」


「そんなことをする人には思えませんけどね」橿原そう言ってから間もなく、USBを抜きパソコンをシャットダウンした。


 「これでこのパソコンに接続したデバイスを遠隔操作できるようになりました。問題は宮津さんがスマホをこれに繋げてくれるかですね」


「あいつは1日1回スマホとPCを同期させている。その点は心配無用だ」高槻のその言い様に橿原は更に疑問を募らせた。


 「それだけあの人のことをわかっていて、なぜ疑うんですか?」すると、高槻は溜息のように、はぁ。と息を吐き、目を伏せた。そして、過去の記憶に思いを巡らせる。


「わかっているからこそ、俺はあいつを信用できない」












 「本当にお願いしていいの?」舞子の問い掛けに宮津は当然とばかりに頷いた。


「その代わり、あいつから何か連絡があったら知らせてくれよ」


「わかった」舞子も同じく、宮津の問い掛けに間髪入れずに首を縦に振る。


 宮津は玄関で靴を履き、舞子が持っていた自身の鞄を受け取るとドアノブに手をかけようとしたその瞬間、舞子が何かを思い出したようにあっ。と声を出した。宮津は手を止め身を翻らせる。


 「そういえば、いつ結婚するの?」あまりにも予想とかけ離れた発言に、宮津は思わずはぁ?と間の抜けた声を上げた。とは言え、これがアラサーの会話のあるべき姿なのだろう。


 「ほら、君たちも言ってる間に三十路だしさ。そろそろ結婚してもいいんじゃないかなって。それに、この子の遊び相手も欲しいし」そう言うと舞子は自分の腹部を手でさする。宮津はその姿を見て様々な思いを巡らせた。


 「もう付き合い始めて長いんでしょ?」


「そうだな・・・」宮津は顎をさすりながら目線を左上に向ける。その困り顔が面白かったのか、舞子はニコニコしてその表情を見詰めた。


 「近いうちに」すると舞子はキョトンとして固まってしまった。そしてしばらく経って我慢できずに吹き出し、大笑いする。


「それ、信用できると思ってるの?」












 朝よりかなり気温が上がり、エントランスホールを出た途端に汗が吹き出る程だった。宮津は袖で汗を拭うと、パンツの後ろポケットに入れたスマホを取り出す。


 「あぁ、俺だ」宮津が電話をかけると、2コールもしないうちに相手は応答した。


「綾部の妻は何も知らないそうだ。トラッキングの準備はできてるか?」高槻がああ。と一言答えると、宮津は矢継ぎ早に指示を出していく。


 「俺のPCに綾部の情報が入ったファイルがある。それを全員に共有しておけ。すぐに追跡開始だ。それから、足取りは逐一報告しろ」


「了解」高槻の返答を聞くと、宮津はすぐさま通話を切った。そして、近くのコインパーキングまで歩いて行き、駐車してあるシルバーのNSXのドアを開ける。


 「暑っ」数時間放置していた車内に籠もっていた肌を焼くような熱気が外に放出され、宮津は思わず声を上げた。窓を全開にして冷房をフル稼働させる。宮津はそのまましばらくシートに座って熱気が抜けるのを待った。


「急がねぇとな・・・」





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