第6話:市ヶ谷の昼






 宮津と斑鳩は、庁舎を出て歩くこと10分弱。曙橋駅の近くの郵便局、道を挟んで向かい側にある丼もの屋を訪れた。暖簾も看板もなく、引き戸の磨りガラス越しに中の照明が点いているのが見えなければ、店だということはおろか人が居るとすら気付けそうもない。


 ガラガラと音を立てながらドアを開くとその外装故か昼食時にもかかわらず、会議室で使われるような長机とパイプ椅子を並べた店内には客が1人も見受けられず閑古鳥が鳴いているといった様子だ。


 台所の奥に置かれたテレビの前に座り、ドアが開く音がしてもいらっしゃいすら言わずただ黙って来店者の顔を確認するだけの中年の店主を見て、この店は商売が目的ではないことが窺える。


 「連れが居るとは珍しいな」店主はその重そうな腰を上げるとコンロの前に移動し、注文を聞く前からフライパンに油を敷いて火にかけた。


 「俺と同じでいいか?」宮津と同じというのが何の料理を指すのかわからないが、上司と食事する場合は同じメニューを注文するのがマナー。と以前何かで見た記憶があったので、斑鳩は取り敢えず頷いた。


 すると店主は冷蔵庫から白いトレーに入ったバラ肉と思しき豚肉をまな板に並べ、大きめに切った後にフライパンに投入した。ジュウという音を立てて徐々に赤から白へと色を変えていく。


 粗方火が通るとコンロの横に並べられた調味料の中から味醂のボトル、シュガーポット、醤油の瓶を選び出し、量を量ることなく順番にフライパンに入れていった。そのまま水分が少し飛ぶまで煮ていく。


 その間に店主は再び冷蔵庫の方に行き、今度が水に漬けられた千切りキャベツが入ったタッパーを取り出した。そして丼に白飯を装うとその上に一掴みの千切りキャベツを鏤める。最後に豚肉とグツグツ煮えた味醂、醤油、砂糖だけでできたシンプルなタレを丼の上から掛けると豚丼が完成した。


 丼と麦茶の入ったプラスチックのコップ2つをカウンターに置くと、店主は定位置であるテレビの前へ戻り椅子に腰を下ろした。


 各々自分の分を持ちパイプ椅子に座ると、竹筒に入った割り箸を手に取った。宮津は割り箸を丼の上に置くと、いただきます。と両手を合わせた。斑鳩はそれを見て、割りかけていた箸を持ったまま慌てて手を合わせた。


 宮津に聞きたいことは沢山あるが、まずは一口食べてみようと箸を割り肉を口に運んだ。


 舌に乗せた瞬間豚肉の甘みを感じた。次の瞬間、タレの甘辛い味が口いっぱいに広がり、気が付くと肉の下に隠れた白飯に手を伸ばしていた。白米の旨みとシャキシャキとしたキャベツの食感、そして調味料を大雑把に入れたように見えて絶妙な辛さと甘さのバランスがとれたタレの味が相まって、肉と白飯を交互に口に運ぶ箸を止めることができなかった。


 宮津も黙々と箸を進めていたが、途中でお茶を飲み箸を置いた。


 「それで、何か聞きたいことでもあるのか?」すると斑鳩はビクッとして箸を止めた。何故わかったのか。直ぐにでもそう聞きたかった。だがあまりにも突然だったので口の中にはまだ肉とキャベツと米が残っている。それでもお茶で流し込むには勿体ないとよく咀嚼した。


 きょろきょろと目を四方八方に動かす姿を見て、宮津は斑鳩が今知りたいであろうことを推測して答える。


 「いつもならとっとと帰るところをわざわざそっちから飯に誘ったということは、俺に何か用があるということ。出る前にしていた話は俺の立場の話だった。つまり、官僚だった俺がどうしてこんな実力組織じみた部署を任されているのか、その経緯が知りたい。違うか?」斑鳩は口の中を空っぽにすると、お茶を含み肯定の意を表す言葉と一緒に飲み込んだ。実際その通りであるが、他人に心を見透かされるのは快くない。それがいくら恩のある上司であろうと。


 「飯食うときくらい頭働かせるのやめて、もっと気楽になりましょうよ。俺はただ、丁度昼飯時に上司が目の前に居たから奢ってもらおうと思っただけですよ」斑鳩は精一杯強がってみせたがそれすらも見透かされているのだろう。宮津は、そうか。と言って再び箸を動かし始めた。食べ終われば直ぐに宮津は庁舎に戻り斑鳩とはここで別れることになるだろう。そう考えていると次第に焦燥感に駆られ、見透かされた敗北感を感じてでも理由を聞かずにはいられなくなった。












 「どうしてそれだけ他人の考えを読む力も、他人を引っ張る力もあるのに、この隊の隊長やってるんですか?」宮津は丼に残った米粒を箸で寄せ集め掻き込むと、お茶を飲み干し丼の上に割り箸を並べて置いた。


 「ごちそうさま」一瞬そのまま帰るのではないかと思われたが、合わせた手を下ろすと斑鳩の問い掛けに口を開いた。


 「どうしてこの部隊が創られたか知ってるか?」斑鳩は、いえ。と首を振った。


 「現在、国内で諜報活動を行っているのは各道府県警察に設置されている警備部公安課、及び警視庁公安部のみだ。そして、自衛隊も監視対象とされ、国内における危険分子の捜査、情報収集を独自に行うことがままならないのが現状となっている。そこで、防衛省内で秘密裏に捜査を行える組織が創設された。それが特防隊だ。今は試験的な運用だが、正式に運用されるようになれば国防において大きな利益をもたらすようになる。俺はそう考えている。だからここで、今持てる限りの力を振るわそうと思った」そして最後にこう付け加えた。


 「国家の安定のためではなく、国民の命のために」その声はまるで自分に言い聞かせているようだった。それでも斑鳩には、しっかりと心の奥底にまで響き、この言葉には言語としての意味以上の意味、重みがあるということを感じ取った。


 暫しの沈黙が続くと、宮津は立ち上がりポケットから財布を取り出す。そして、1000円札を斑鳩の目の前に置いた。


 「釣りはやる」そう言うと宮津は店を後にした。その背を黙って見送るとしばらく頬杖をついてボーッとしていた。


 ふと丼の中を見て食べかけだったことを思い出し、冷めた丼の中の残りをゆっくりと口に運びよく咀嚼した。5分ほど掛けて完食すると、お茶を飲み干してカウンターの方へ行った。


 「ご馳走様でした」斑鳩は札をピラピラさせて店主を呼んだ。来店したときと同じように、返事もせず黙ってのそのそとカウンターまで来て1000円を受け取ると、ポケットから取り出した100円玉を4枚カウンターに置いた。


 斑鳩は、首尾一貫して気怠げな態度の店主が何故この店を経営しているのか些か疑問に思った。だが一見の客が易々と聞いていいものか悩んだ末宮津が居るときにしようと、この場は黙ってポケットに400円を入れて店を後にすることに決めた。


 ドアの方まで行くと、今まで片時もカウンターから出なかった店主がドアの前まで着いてきた。始終気怠そうにしていたにもかかわらず見送ってくれことに驚きつつも、少し嬉しさを感じながら店を出た。


 すると、背中から、また来いよ。と声を掛けられる。そう思っていたのだが、予想とは裏腹に聞こえてきたのはサーっという引き戸を閉める音。そして、ガチャッという鍵を掛ける音だった。


 斑鳩は唖然とした。よくよく考えてみれば、入店したときにいらっしゃいと言われなかったのだから、退店時も同じ対応をとるのは当然のことだ。それでも、無愛想だが根は親切な下町のおやっさんを期待した斑鳩にはショックだった。


 ポケットに手を突っ込んだときのジャラジャラと100円玉同士が擦れる感触が、余計にもの悲しさを感じさせる。


 そして斑鳩は白銅を握り締め、家に着く頃には手が鉄臭くなるな。と考えながら家路についた。





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