第14話

 翌朝目が覚めると、私は炬燵に突っ伏していた。肩に毛布がかけられており、私はかまくらのような形で眠っていたようだ。なんだか頭がすっきりしているのを感じ、久しぶりに熟睡したのだと気づいた。

 今、何時だろう?

 部屋を見渡すと、壁にかけられたアンティークの時計が目に入った。この時計にも昭和を感じる。ナゴミさんは古いモノが好きなのだろうか? 昨夜、おばあさんの家だったと聞いたけれど、おばあさんが愛用していたものをそのまま使っているのだろうか?

 そんなことをぼんやり考えながら、その時計の針が指す時間を見て驚いた。もう既にお昼近い。こんな時間まで一度も起きることなく眠ってしまうなんて。

 明け方までナゴミさんと小説についての話しをしていたのは覚えているけれど、どこで寝てしまったのか分からない。私が先に寝たんだっけ? ナゴミさんが先? それすらもあやふやだ。

 家の中がしんと静まり返っているのを感じ、あたりを見回してみる。居間から続くナゴミさんの書斎にも、その奥にある台所にも、大地とナゴミさんの姿は見当たらなかった。

 炬燵からのそのそ抜け出して毛布をたたみ、台所の方へ歩いて行く。

 どちらにしても、お昼ごはんを食べたら帰らなくてはならない。大地には明日学校がある。私だってコンビニに出なければならない。そのことが苦しく思えたけれど、今はあまり考えないようにしようと決めた。

 冷蔵庫を開けてみたけれど、ナゴミさんが言っていたとおり、お茶や水、ビールしか入っていない。昨日、晩御飯とお菓子だけは買ってきたけれど、今日の朝ご飯と昼ごはんのことを考えていなかったことに気づいた。

 それにしても、ナゴミさんはいつもどういう生活をしているんだろう? ふと疑問が浮かんだ。あのヒョロリとした体形から見ても、きちんと食事をしているのか怪しいものだ。

 昨日のコンビニまで歩いて行ってみようかな? 冷蔵庫の中を見て考えていると、表のガラス戸が派手な音をさせて開いた。

「ミツキ、ただいまー。起きてるー?」

 元気に飛び込んできたのは大地だ。その後ろから、ナゴミさんがまた煙草を吸いながら入って来た。今日もナゴミさんは髪の毛を後ろに束ねている。

「おはようございます。こんな時間まで寝ちゃって、ごめんなさい」

 慌てて居間の方に戻ると、大地が持っていたガラス瓶を私の目の前に突きだした。

「ミツキ、見て見て! ほら、メダカ!」

 大地が差し出すガラス瓶には、数匹のメダカが泳いでいた。

「この近くに小さな川があってね。網でちょっとすくうだけで捕れるんだよ! すごいよね! ナゴミさんに教えてもらったんだ!」

 大地は昨日に続きハイテンションだ。これまでになく目がキラキラしている。

「久しぶりに行ったから、メダカがいるかどうか怪しかったんだけど、まだ泳いでた。キラがいいって言うなら、持って帰るといいよ。飼えないのなら、俺が後で川に戻しとく」

 上り口に腰掛けて、ナゴミさんはおいしそうに煙草をふかしながら言う。大地は居間の方へ上がってくると、得意の「お願い攻撃」に出始めた。

「ミツキ、お願い! 飼っていいでしょー? お風呂掃除手伝うし、ちゃんとお世話する! だから、ね! お願い! ね!」

 大地にとって、メダカ捕りなんて初めてのことだ。相当楽しかったに違いない。

「分かった、いいよ。その代り、ちゃんとお世話しなよ?」

「うん!」

 大地は嬉しそうに返事をすると、居間へ上がってきて炬燵の上に瓶を置いた。小さなガラス瓶の中で泳ぐメダカをじっと飽きることなく見つめている。

「昼飯何にもなかったから、大地とコンビニまで行って来たんだ。昨日はおごってもらったから、今日は俺のおごり」

 煙草を吸い終わったナゴミさんが居間へと上がってくる。その手には、コンビニの袋が下がっていた。

「キラ、この系列のコンビニで働いてるんだって? さっき大地に聞いた」

 そう言いながら取り出されたお弁当は、パスタに唐揚げ弁当、のり弁。その他にもフライドポテトや串刺しの唐揚げ、コロッケ。揚げ物ばかりが並ぶ。

「どれだけ買ったんですか? しかも揚げ物ばっかり! 野菜がないじゃないですか!」

 私が言うと、大地が「ほらね!」と得意気に言った。

「これじゃあ、絶対ミツキに叱られるよって、俺言ったんだよ? サラダもちゃんと買わないとって。なのにナゴミさん、野菜なんか草だ! とか言って買わないんだもん。野菜が食べられない大人っているんだね」

「大地! こら! お前生意気だぞ!」

 ナゴミさんと大地の追いかけっこが始まった。そう広くない家の中をドタバタと走り回り、どちらかが捕まると、それぞれの脇腹をくすぐりあって転げまわっている。

「子供のくせに偉そうなんだよ!」

「大人のくせに最低!」

 二人はいつもそうしているかのように、言い合って、くすぐりあって、転げて……。こんな風に子供らしくジャレている大地を見るのが初めてな気がして、私は何も言えず二人を見つめてしまう。

 ナゴミさんは昨日会った人だ。なのに、たった数時間で大地とこんなにも打ち解けてしまった。リュウは10年一緒にいるけれど、大地とこんなふうに遊んでくれたことはない。もっと言うならば、大地の父親であるお兄ちゃんだって、大地とこんな風に転げまわったことなどないはずだ。

 しばらく見つめていると、二人は、はあはあと息を乱しながら畳みに大の字になった。走り回って力尽きたらしい。

「もう! 大地ったら。ナゴミさんもナゴミさんだよ」

 そう言う私の耳に、大地の呟きが落ちた。

「ナゴミさんが俺のパパだったら良かったのに。そうしたら、ミツキと三人でここで暮らせるのに」

 大地……。私は何も言えなくなってしまった。

「大地、そんな風に思うのは、俺が良い顔しか見せてないからだよ。本当のパパなら、ダメなことはダメって叱るだろうし、良い顔ばかり出来ないもんさ。俺はお前に責任がないから、こういう風に甘やかせるんだ」

 ナゴミさんが大地の髪の毛をくしゃくしゃと撫でながら起き上がった。大地も続いて起き上がる。その顔は泣きそうになっていた。

「親のありがたみっていうのは、いなくなってからしかわからないもんなんだよ」

 そう言うナゴミさんの表情も、少し沈んでいるように見えた。でも、それは一瞬。

「さ、弁当食べよう! 大地は明日、学校があるんだろ? だったら、そろそろ電車に乗らないと遅くなる」

 私と大地の中に「帰りたくない」という文字が浮かんでいるのを感じた。でも、それは絶対に言ってはいけないことだ。私も大地も、それはよく理解している。だから、私たちはそんな気持ちを抱えていることなど微塵も感じさせにように明るく振る舞った。

 そして別れの時間。

 昨日ここへ来るとき、今日は帰るのだと分かっていた。帰らなければならないのだ。なのに、こんなに胸が苦しくなるのは何故?

 ナゴミさんはやっぱり仕事があるからと言って、昨日と同じタクシー会社に電話をしてタクシーを呼んでくれた。タクシーはそう待つでもなく、「槇田商店」の前に停まった。

「じゃあ、またメールするよ」

「はい」

 楽しい時間というのは、どうしてこんなに早く過ぎてしまうのだろう? 

「ナゴミさん、またね!」

「おう!」

 私と大地はタクシーに乗り込んだ。ドアが閉まる直前、ナゴミさんがドアに手をかけて私たちを覗き込んできた。

「キラ、ちゃんと向き合えよ? お前が後悔することのないように」

 ナゴミさんはそれだけを言うと、ドアから手を放した。そのままドアがバタン! と閉じられ、私たちとナゴミさんの間に隔たりが出来た。大地が窓を開ける。

「ナゴミさん、またね!」大地は同じ言葉を繰り返している。

「またね」

 その言葉は、またいつか会えるよね! という意味を含んでいる。大地はまたナゴミさんに会いたい。そう思っているということだ。

 ナゴミさんが黙って手を上げた。タクシーが走り出す。私と大地は後ろを向いて、手を上げて見送るナゴミさんをいつまでも見つめていた。そのナゴミさんの姿が見えなくなって、私は「あ!」と呟いて、手で口を押えた。

 ナゴミさんの本名を聞かなかった。おまけに、私も自分の名前を名乗ってもいない。ナゴミさんはナゴミさん。私はキラのまま……。

 槇田商店での一夜は、夢だったのかもしれないと思う。それくらい楽しくて、心地よかった。あんな場所があったことを知らない方が良かったのではないかとせつなくなるほどに。

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