第13話
私と大地は、よそのお宅だということを忘れているかのように、買ってきたお菓子を冷蔵庫に入れたり、お風呂にお湯を張ったりと好きに過ごした。ナゴミさんはそういう私たちを構うこともなく、一心にパソコンに向かっていた。机のまわりには紙が散乱し、何冊もの資料が山積みになっている。それらを時折開き、内容をチェックしては、素早いキータッチで文字を打ち込んでいる。
本当に文字で「仕事」をしている人なんだ。
当然のことながら、間近でみる「本物」に、私はついつい見惚れてしまっていた。ナゴミさんの外見がカッコいいとか、異性として惹かれるとか、そういうことで見惚れているわけではなく、物書きとして生きているナゴミさんを純粋に尊敬しているからだった。
そうして私と大地がお風呂を済ませ居間に戻ってくると、仕事から解放されたらしいナゴミさんがまた煙草を燻らせていた。
「ご飯、駅弁買ってきたんですけど、それでいいですか?」
台所に置いていたお弁当と、冷蔵庫の中から飲み物を取り出し、炬燵の上に並べる。
ナゴミさんは嬉しそうな顔で、煙を吐き出した。
「懐かしいなぁ。この駅弁、この辺じゃ有名なヤツでさ。子供の頃、お花見とか運動会とか、何か特別なときに買ってもらった覚えがあるよ」
「俺が選んだんだ。すごくおいしそうだったから!」
「へぇ」
大地はお弁当を結んである紐を解き、早速蓋を取って食べ始めた。お弁当は三色弁当になっていて、鳥そぼろと海苔、卵が敷き詰められている。端っこに遠慮気味なお漬物と青菜の和え物が添えられていた。
「うん! おいしい!」
満足気な大地を見て、私もようやく気持ちが落ち着いてきた。
家を出てきたときも、電車に揺られていたときも、ここへ着いてからも、何もかもに神経を張っていて緊張の連続だったように思う。
「キラ、飲めるんだろ?」
ナゴミさんが冷蔵庫からビールを二本持ってきた。発泡酒ではないちゃんとしたビールだ。
「ミツキはあんまり強くないんだ。ビール一本で真っ赤になるんだよ」
大地が得意げに説明する。
「まぁ、女の子はそれくらいが可愛いわな」
ナゴミさんの言葉で、私の頬に熱が集まる。31歳になる私を女の子扱いしてくれる人なんて、ここ最近会ったことがない。リュウは彼氏だけれど、それだって今はもうただの馴れ合いでしかない。
私はナゴミさんからビールを受けとり、お互いの缶をコツン! と当てて乾杯した。
それから……ナゴミさんが男の人であることは別としても、違和感を感じることなく、私と大地はいつも通り伸び伸びと話しをした。ナゴミさんは、やっぱりナゴミさんだった。目の前に見えるナゴミさんはちょっと思ってたのと違うけれど、根本的な部分はネットの中にいたナゴミさんそのもの。同一人物なのだから、当然といえば当然のことだけど。
食事が済み、私たちはそれぞれにリラックスした状態で思い思いの作業をしていた。私とナゴミさんはパソコンに向かい、大地はDSに夢中……。
気が付けばかなりの時間が経過していた。大地は、DSを握りしめたまま炬燵で眠ってしまっている。その大地に毛布をかけ、ナゴミさんが意味深に笑った。
「さて、大人の時間といきますか!」
ナゴミさんの言い方にドキリとして、私は思わず俯いた。ナゴミさんがそんな私をからかう。
「キラ、今、変な想像した?」
「してません!」
慌ててとりつくろうと、ナゴミさんは「そういうことにしておいてあげよう」と笑った。そしてまた煙草に火をつける。ナゴミさんはかなりのヘビースモーカーらしい。
「で? 何があったわけ?」
煙草の煙を吐き出しながら、後ろに束ねていた髪の毛のゴムをほどくナゴミさん。髪の毛は肩よりも長かった。その髪の毛をワシャワシャとかき混ぜ、私の方を見つめる。その視線に色っぽさを感じた私は変だろうか?
「メールでちょこちょこ話してましたが、急に母は帰ってくるし、兄はできちゃった婚するって言うし、リュウはそろそろ真面目に結婚を考えようって言うし。なんでもが一度にきちゃって、混乱したっていうか。私の居場所が無くなっていくのも感じてて。大地も私と似たようなもので、私たち、どうすればいいのかわからなくなったんです。それで、一度家から離れてみるのもいいかな? って。ナゴミさんに会ってみたかったっていうのもありますけど……」
「で、来てみたら、ナゴミが男で驚いた、と」ナゴミさんが笑う。
「私にとってナゴミさんって、頼れるお姉さんって感じがしてて。いつも相談すると的確なアドバイスが返ってくるし、いつも冷静に分析してもらえるように思えて。だから、ナゴミさんなら、今の私の気持ちも理解してもらえる気がしたんです」
「なるほど」
ナゴミさんが煙草を灰皿に押し付け、火をもみ消した。
「キラはさ、真面目すぎるんだよ。そういう環境で育ったこともあるだろうし、母親が出て行った直後に大地を育てることになって、責任を背負いこんだっていうのもあるだろうけど。でも、もう大地もこんだけ大きくなってるんだし、これからはキラがやりたいように生きていけばいいんじゃない?」
ナゴミさんは何てことないように言いきった。
やりたいように生きる。それって、どういうこと? ついこの間、父の大作に同じことを言ったというのに、私にもその意味が分からないなんて。親子って、似るのだろうか?
「俺が思うにさ、家族って星みたいなもんだと思うんだよね。一家の大黒柱になる父親、もしくは家庭を守る母親、どちらかが母星でさ。もちろん、その時々によって、父親が母星になったり、母親が母星になったり立場が逆転することもあるとは思う。で、その子供や孫は母星の周りをまわってる衛星みたいなもんじゃないかな? 母星は衛星に対して責任がある分、勝手な回り方は出来ないけど、衛星は母星とは違って自由なんだよ。だから、好き勝手回ってればいいんじゃないの? そのうち否が応でも衛星が母星にならなきゃならない日が来るんだし。ま、これはあくまでも俺のイメージの話だけど」
「……私は……衛星なのかな?」
「キラは知らない間に母星になりつつあったんだよ。キラのお父さんやお兄さんが甘え過ぎててさ。本来、彼らが母星であるべきなのに、キラを母星として回転させちゃってたんだ。でも、大地だって一人で回れる衛星になってるし、ここで衛星に戻らないと、キラはずっと母星でいなきゃならなくなる。キラだって自由に回ってていいんだよ」
ナゴミさんに言われて、私は考え込んでしまった。
そうだろうか? 大地はもう一人で回れるようになってるの?
その時、ふとリュウから言われた言葉を思い出した。
「リュウが……彼氏が『大地を俺たちの養子にしてもいい』って言いだしたんです。大地がいるから、私が結婚に踏み出せないでいるんだろうって」
「あらら……リュウくん、待てなくなったか! まぁそんだけキラのことを自分のものにしたいってことじゃないの? 大地を養子にしてまでも、キラと結婚したいってことでしょ?」
「そうかもしれないんですけど……」
私は歯切れが悪くなる。どういえばいいのか分からない。胸につかえてるものを全て吐き出したくてここへ来たつもりだったのに、いざナゴミさんの前に出ると、言えなくなってしまう。
「キラはさ、俺に肯定してもらいたいんだろ?」
「……え?」
「自分の中で答えは出てるっしょ? でも、周りの人たちにとって、それは受け入れられない答えでもあるから、不安。一人で向かうのは怖いから、俺の『間違ってなんかないよ』っていう一言が欲しい。そうじゃない?」
私の目に涙が浮かんできた。10年も付き合ってきたリュウと結婚しないと宣言をしてもいいものか。決して嫌いではないけれど、結婚となると、リュウではないと思ってしまう。
「ちょっと前のメールにも書いたけどさ。最終的に決めるのはキラなんだよ。俺が決めることじゃないんだ。俺はキラの人生に責任を持てないんだから。アドバイスをもらうのと、甘えるのとは違うぜ?」
ズキン! と心に痛みが走った。痛かった。とても。ぎゅっと心臓が握りつぶされる。
ナゴミさんは、どうして私が見たくないことをこんなに素早く見つけることが出来るのだろう? そして何故それを私はいつも的を得ていると感じるのだろう?
何を期待してここへ来たのか?
私はナゴミさんに「リュウと結婚しなくてもいいんだよ」そう言って欲しかったのだ。自分のうしろめたさを、ナゴミさんに「大丈夫」と認めてもらいたかった。間違ってなんてないんだと。
けれどナゴミさんは、いつものごとくシビアに、私の中に見えてくる事実を突きつけた。これがナゴミさんであって、私はそのナゴミさんに会いたくてここへ来たのだ。なのに、今回は今までのようにすぐに反省には結びつかなかった。
どうして理解してもらえないの? どうして私を否定するの? そればかりが胸の中でひしめく。悲しいのか、怒っているのか、自分でも分からない感情と無言で格闘していると、ナゴミさんがキッチンへと歩いて行った。カチャカチャと音が聞こえ、まもなく珈琲の香りが漂ってきた。インスタントではない、ちゃんと豆を挽いた珈琲の香り。
「俺の言い方でキラを傷つけたかもしれないけど、決めるのはキラ。それは変わらない。ただ、失敗した経験者の立場で言わせてもらえば、結婚を悩む時点で、その相手とは合わないんだろうと思う。だから、付き合った年数や周りの意見に引け目を感じるのも分かるけど、結婚はするべきではないと思う。リュウくんがかわいそうだとは思うけどね」
目の前に、渋いマグカップが置かれた。香りと湯気が立ちのぼる。コーヒーの香りにはリラックス効果があると聞く。ナゴミさんのコーヒーの香りで、私の尖っていた気持ちが丸くなったような気がした。
「失敗したって……ナゴミさん、結婚してたんですか?」
興味本位な質問かもしれないと思ったけれど、聞かずにはいられなかった。
「若いころに一度ね。あ、俺、こんなだけど、キラより年上だからね。若気の至りといえばそれまでだけど、家族より自分の夢のほうを優先しちゃったんだよね。今のキラとは真逆だ」
マグを手のひらで包むと、心地よい温かさが伝わってくる。コクリと一口口に含むと、少しの苦みと共に甘さを感じた。
「お子さん……は?」
突っ込み過ぎかもしれない。そう思いながらも知りたかった。目の前にいるナゴミさんのことが。
「この家で、俺の祖母は駄菓子屋をやってたんだ。その祖母が亡くなった後、この家は空き家になることになってね。小さい頃から長い休みがあったりすると、俺はいつもこの家で過ごしてたから、どうしてもこの家を手放したくなかったし、荒れ放題にしたくなかった。ライターなんて、ネットに繋げさえすればどこでも出来るし。だけど、奥さんは都会の人だったから、こんな田舎で暮らしたくないって。それで、結婚して半年で別居。そこから離婚まではいろいろあったけど、まぁそんな感じで失敗」
自嘲気味に笑うナゴミさん。
やっぱり結婚って、簡単なことじゃないんだ。そう思うと、やっぱりリュウとは結婚するべきじゃないと思えた。リュウだけではなく、私が誰かと結婚するなんて、到底ムリなことのように思える。
「お互いの意思を尊重し、敬い合うってなかなか出来ることじゃないね。奥さんのことも分かってたつもりだったけど、全然分かってなかった」
「すみません。思い出させちゃいましたね……」
しんみりと言うと、ナゴミさんが笑った。
「もうずいぶん前の話しだから。それに、一回くらい失敗しておくのも悪くないぜ? それこそ小説のネタにはなるしさ。あの頃の経験に基づいて書いたヤツが、ラブリーで掲載されたヤツだし」
「え? あの『二人の願い』っていう作品ですか? でもあれって、主人公の二人はすごく想い合っているように感じましたけど? 離婚が背景にあるなんて、全然分からなかったです」
ナゴミさんが書いた小説『二人の願い』は、主人公である二人が純粋に思い合っている作品だった。悲しかったり、せつなかったりという感情を感じた覚えがない。ただ愛しい。その思いが一途に描かれていたように思う。
「離婚したからってお互いのことが嫌いってワケではなかったしね。でも、そういう離婚だってありえるってこと!」
嫌いではない離婚。嫌いではない別れ……
「そういう意味でも、失敗を前提に結婚してみるっていう方法もあるぜ? リュウくんと結婚して感じたことをネタにできる」
「ナゴミさん!」
「うそうそ! キラは真面目だから、そういうの出来っこないよなー」
コーヒーを飲みながら笑うナゴミさんと私。
さっきまでナゴミさんは男の人で、とても距離を感じていたのに、今はその距離を全く感じない。男の人だと分かっているけれど、やっぱりナゴミさんはパソコンの中にいたナゴミさんだ。
それから私たちは、お互いのパソコンを開き、ラブリーに掲載中の作品の討論会へと入って行った。この作品はこういうところが良いね! こっちの作品はもう少しプロットを考えた方がいいような気がするね! そんな意見を交わしながら、尽きることのない話しが明け方まで続いた。
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