第10話
リュウが帰って来なくなり、私はリュウの家に御世話になることが心苦しくなって、翌日には自分の部屋に戻った。
リビングは素通りし、父さんともあの人とも話はしない。食事の時間になると、大地が「ミツキ、ご飯だよ」と誘いに来るのだけれど、私はコンビニでお弁当を購入して帰宅するというスタンスを貫いていた。自分でも子供だと思ったけれど、自分を曲げることが出来なかった。
そうして迎えた週末。週に一度リュウとゆっくり会える土曜日。
前日までリュウが帰ってきた兆しはなかった。部屋には一度も明かりが点かなかったからだ。
私のせいだ。そう思いつつ、リュウに連絡を取ることも躊躇われ、私はそのままリュウとは距離を取っていた。
土曜日は私の休日だ。リビングにも降りられない今、私は部屋に立てこもるしかなく、昼過ぎまではベッドの中で過ごそうと決めた。眠るでもなく、ただベッドの中でゴロゴロと寝返りを打つ。
そうしてようやくお昼が過ぎた頃、玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえた。誰かお客さんでも来たのだろう。しばらく階下に耳を澄ませていると、あの人の笑い声が聞こえた。続けて兄さんの声も。兄さんが笑うなんて、どれくらいぶりに聞くだろう? そんなことを思っていると、私の部屋のドアがノックされた。身体を縮こませ、布団に潜りこむ。
「ミツキ、俺だよ。入ってもいい?」
ノックをしたのは大地だった。
私はベッドから顔だけを出すと「いいよ」と返事をした。大地が部屋に入って来た。その顔は今までに見たことがないくらいに酷かった。泣きそうなのを我慢している顔。小さい頃によく見た表情だ。ここ最近は見ることがなくなっていた顔。
「何? どうしたの?」
自分のことでいっぱいいっぱいになっていた私は、ここ数日大地のことを気にかける余裕すら無くなっていた。大地がどういう風に過ごしているのかも、宿題をきちんと終えているのかも、家族とどういう話しをしているのかも全く把握出来ていなかった。
大地は部屋に入ってくると、私が潜りこんでいるベッドの端っこにちょこんと腰かけた。
「さっきお客さんが来たんだ。女の人。……パパ、再婚するんだって」
「えっ!」
思わず布団から飛び出してしまう。
「おばあちゃんはおめでたいわねーって喜んでる。おじいちゃんも、まぁそれなりに」
言葉が出ない。お兄ちゃんは離婚した後、そういう付き合いは懲りたと言っていた。だから、ただ忙しくしているだけだと思ってた。真夜中に帰ってくるのも、休みの日に出かけるのも、仕事だと思い込んでいた。でも……?
「俺、弟か妹が出来るんだって。それで……」
言いかけた大地が唇を噛んだような気配。私は大地の背後からその身体を抱きしめた。
「大地、いいよ。我慢しなくて。ここでのことは誰にも言わない」
大地は声を出さずに泣いた。途中からは私の方を振り向き、私の胸に自分の顔を押し付けて。私のパジャマが大地の涙を吸ってジュクジュクになっていく。
階下では、あの人と父さん、お兄ちゃんがおめでたい雰囲気になっているはずだ。相手の女性も来ているのなら猶更のこと。
あぁ、そうだ! 私はたった今思いついたことを大地に提案してみることにした。
「大地、私と一泊で家出してみない? コンビニに相談して、明日お休みをもらえるか聞いてみるから。私もいろいろ考えたいことがあって、この家を離れてみたいの」
大地は私の胸に顔を押し付けたまま、ただこくこくと頷いた。
『和さん、勝手なお願いでごめんなさい。和さんがどこに住んでいるのかも知らないし、会ったこともないし、本当に私のわがままだと分かっているのだけど、どうか今日の夜一晩だけ、和さんのところに泊めてもらえませんか? どこかに泊まって考えるということも可能ではあるのだけど、出来れば私、和さんに直接会って話しを聞いてもらいたいと思っています。和さんなら、私の気持ちを理解してくれる気がするの。私一人ではなく大地も一緒なので、メンドクサイかもしれないけどお願いします。和さんにどうしても会いたいの』
和さんに教えてもらったスマホのアドレスにメールを送ると、5分もせずに返信が届いた。あの公園でのメールから初めての返信。
『分かった。いいよ。大地くんに会えるのも楽しみ。こっちの住所を送るね。ただ、今日の夕方納期の記事があるから、迎えには行けないと思う。駅に着いたらタクシーを拾ってくれる? キラのところからだと新幹線で2時間。そこから在来線で30分というところかな? 住所は……』
実体がなかった和さんが見えてくる。新幹線で2時間。在来線で30分。その先に、和さんがいる。不思議な感覚だった。これまで和さんとは数えきれないくらいのメールを交わしてきた。それなのに、和さんは私の夢の中に住んでいる人だった。本物の和さんが生きているなんて、実感が湧かない。でも、この住所に和さんは住んでいて、実際に生活しているのだ。私はこれから大地を連れて、そこへ行こうとしている。
そもそも、新幹線で2時間の距離に和さんがいるということすら変な感覚だった。なんだかもっと離れている気がしていた。地球の裏側や果てしない地平線の向こうに住んでいる。そんな気がしていた。新幹線でたった2時間の距離だなんて、信じられない。
『お仕事の邪魔をするつもりはないので、和さんは好きに過ごしててください。晩御飯の時間くらいに着くと思うので、何かお弁当でも買って行きますね。和さんはどういうお弁当が好きですか?』
『ご飯買って来てくれるの助かる! ほんと今追い込みで。コーヒーとお酒とお茶と水はあります』
その文面を読んで、私は思わず吹き出してしまった。和さんの生活の一部を覗けた気がして。和さんはライターだから、どこかの会社から依頼された記事を書いているのだろう。それがきっと追い込みで、食べるものも食べずに、パソコンに向かっているように思えた。水分しかないというのが、その現実を物語っている。
和さんの実態に少しずつ近づいている自分が嬉しい反面、自分でもすごいことをお願いしているなと思ってもいた。会ったことも、直接話したこともない人の家に泊めてくれなんて、図々しいにもほどがある。でも、どうしても和さんが良かった。今は和さんに会うべき時なのだ。
私の決心が揺らぐことはなかった。
そうと決まれば。私は大地に準備するものを告げ、コンビニへと向かった。
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