第9話
リュウの家まで歩いてくると、リュウの家の塀に寄りかかって大地が待っていた。辺りが暗くなる中、どれくらいの時間そこで待っていたのだろう? 大地は私の姿を見つけると何も言わず走ってきて、私の胸に飛び込むと、ぎゅっとしがみついてきた。日頃は憎まれ口ばかり叩くけれど、しがみついてくるその手は必死で、私は大地に必要とされているのだと感じた。
「ばか! ばかミツキ! 心配するじゃんか!」
泣かないように必死に耐えているのが分かり、私も大地を抱きしめ返した。
「ごめん。あの人と喧嘩しちゃって。どうしても帰りたくなくてさ」
私のシャツを掴む大地の指に力が入る。でもしばらくするとその力も緩み、大地が私の顔を見上げた。
「これまでミツキは頑張って来たんだからさ。これからは、おばあちゃんをこき使えばいいんだよ。そう考えたら楽にならない? やっぱり帰ってくるのはムリ?」
すがるような目に、私の心が折れそうになる。大地のことを考えるなら、帰る方がいいに決まっている。だけど、あの人にテリトリーを奪われた今、私があの家にいる意味なんて……
無言になる私の後ろからリュウがサポートに入ってくれる。
「大地、光輝に少し考える時間をやれよ。しばらく光輝は俺んちに預かるから。大地だってもう12歳になるんだから、少しのガマンは出来るだろ?」
大地はリュウの方を見て、また再度私を見上げた。
「ミツキのやりたいようにすればいいよ。俺のことは考えなくていい」
大地の言葉に胸がいっぱいになる。ヒリヒリとした痛みさえ感じた。
「だけど、俺なら。もし、ママが急に帰ってきたとしたら、俺はママの話しを聞いて、話しをしてから決める。ママが悪いのかどうかはそれから決める」
大地の声が鼓膜にこびりつく。私は大地より子供だ。大地は今でも自分の一方的な感情でママが悪いと決めつけてはいない。きちんと話しを聞いてから「捨てられた」のかどうかを決めると。なのに私は、あの人と向き合うのが怖くて逃げている。
「大地、光輝を困らせるなって。コイツ今、頭の中ぐるぐるだから」
リュウが言うと、大地は頷き、私のシャツから手を放した。
「何かあったら呼んでね。隣りなんだから、すぐに来るよ」
大地はそれだけ言うと、軽く手を上げて玄関へと消えた。その姿を見ながら、私の目に涙が溢れてくる。そんな私を、リュウは自分の隣りの部屋へ入れてくれた。おばさんには了解済みだと言う。
この部屋はリュウのお姉さんの部屋だ。5年前にお嫁に行ったチカ姉ちゃんの。
「ここにあるものは好きに使っていい。必要なものは、ベランダ使って取って来いよ。鍵は大地が開けてくれてると思う。俺、会社に戻らなきゃならないから……」
会社を抜け出して探してくれていたのだと分かり、私は頭を下げた。
「ごめん。リュウ、私……」
「だから、遠慮すんなって。俺たち、付き合ってんだから」
そう言ったリュウが、私をじっと見つめてくる。その目に、ここ最近含まれているものを感じて、私は慌てて目を逸らした。
「俺は急ぐつもりはないし、光輝がその気になるまで待つつもりだよ。それに、もし大地のことが気がかりで踏み出せないでいるのなら、大地を俺たちの養子にしてもいいとも思ってる。これはずっと考えてたことで、今思いついたことじゃない。そういうのも含めて、そろそろ真剣に考えて見ないか?」
大地を養子に? 大地が私とリュウの子供になるってこと? 私が大地の正式なお母さんに……? でも、それは……。
「今のままの関係じゃダメなのかな? ほら、結婚って形に縛られなくても、私たちらしくいられればそれで良くない?」
これまで言えなかったことを恐る恐る伝えてみる。リュウの目は見れない。
「さっき、ネットの小説サイトを運営している編集部から連絡がきてね。私が書いた小説が今月のピックアップページに掲載されることになったそうなの。すごくない? 私、今まで以上に頑張らなきゃって思ってて……」
必死に話しを続けていると、ドアのそばに立っていたリュウが、一度だけではあったけれど、ドアを激しく突いた。
ダンッ!
床にまで響くほどの音がして、私の体が震えた。
「光輝、いい加減現実を見ろよ。小説を書くことが悪いとは言わない。だけど、俺たちもう31だろ? 夢ばっかり見てる年じゃないんだよ。俺は光輝と結婚して、俺たちの家庭を築いて、俺たちの子供だって欲しいと思ってる。子供を産むための期限だってあるんだよ。そういう現実をちゃんと見ろよ」
私の目に涙が溢れた。
リュウが怒っている。現実を見ないようにしている私のせいだ。リュウにこんなことを言わせたのは私だ。私が10年もの間、リュウとあやふやな関係を続けてきたから。リュウが私のことを大事にしてくれるから、その気持ちに甘えて。
自分がしてきたことに対して反省しつつも、やはりリュウは違う。そう私は思ってしまう。リュウと私は分かりあえない。子供の頃からの付き合いでも、恋人として10年付き合っても、根本的なところで私とリュウは違う。
ポロポロと涙をこぼす私を見て、いつものリュウなら抱きしめてくれただろう。でも、今日は離れた場所からただ私を見ているだけだった。
「結婚して家族になろうよ。光輝?」
これはプロポーズだ。でも、私もリュウも、その中に含まれる痛みに傷つけられていた。
「結婚してくれれば、俺が光輝を養っていく。光輝が家を守ってくれるのなら、俺、どれだけでも働く。光輝は家事をしつつ、小説を書き続ければいい。お互いにとって、理想の結婚だと思うんだ。光輝、そうだろ?」
私は答えられなかった。自分の中がぐちゃぐちゃだ。
結婚すれば、小説が書き続けられる。働かずに、苦労することなく好きなことが続けられる。でも、私が求めているのはそういうことじゃない。そういうことじゃないのだ。
私はそれをうまく伝えられる自信がなく、リュウの前でひたすら涙を流し続けた。そんな私を見て、リュウが息を吐く。
「つまり、この沈黙が答え。光輝の答えはそういうこと?」
私は何も答えられなかった。喉の奥から嗚咽だけが洩れる。
一言「うん」って頷けば、解決する問題だ。
「結婚しよう?」
「うん」
「別れよう?」
「うん」
どちらにしても、ただ頷けば解決する。でも、私はまだズルいことを考えているのだろう。今はどちらにも頷けない。
「……分かった。とりあえず、俺は会社にもどる」
リュウはそれだけ言って、階段を下りて行った。私たちの言い争いは階下に聞こえていたはずだ。そのせいなのか、リュウが私を一人にしておくようにと声をかけてくれたのか、リュウのおばさんもおじさんも、私に接触しようとはしてこなかった。
そしてそれから3日間。リュウは家に帰って来なかった。
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