第5話

 コンビニという特殊な職業に就いているせいで、私の休みは水曜日と土曜日だ。いつも真夜中には会っているし、会おうと思えばいつでも会える距離ではあるけれど、週末が休みであるリュウと会える日となると、それは必然的に土曜日しかない。 

 土曜日。

 リュウはTシャツにジャージというひどくラフな格好で私の部屋のベッドの上にいた。持参した分厚い本を寝ころびながら読んでいる。

 10年も付き合っている私たちの過ごし方と言えば、どちらかの家のどちらかの部屋で、借りてきたDVDを見たり本を読んだり、とにかくのんびりゆるゆると過ごすことが多かった。明らかにマンネリと呼ばれる過ごし方になっているのは当に気づいていたけれど、そこに変化をもたらす気力もなく、私はリュウとダラダラと1日を過ごすことに疑問を持たないように決めていた。

 リュウが本に夢中なのをいいことに、私は床に置かれた小さな机にパソコンを開き、自分の文章を思い描くために自分の想像力を働かそうと躍起になっていた。本当は和さんにメールを送ったり、和さんのブログを楽しみたい気持ちが大きかったけれど、週に1度の二人の時間にそれをしてしまえば、私とリュウの関係は終わる気がして……。

 それを望んている自分がいるのを感じつつ、リュウを傷つけることが怖い私は、無難に生きる道ばかりを選んできた。

 その後ろめたさから、こんな風に二人で同じ空間にいるときだけは、せめてリュウ以外の人と話すことはしない。そう決めて、私はネットには接続せずにワードに文字を打ち込んでいた。

 そうだなぁ。今日のテーマは「桜」なんてどうだろう? 

 テーマを思いつくと、そのテーマである「桜」からどういう展開に広げていくかを悩む。ピンク色、溢れる花、青い空……目を閉じると浮かび上がる風景を思い描くだけで、私はとても幸せな気持ちになれる。

 そもそも、こういうネット世界にハマったのは、大地の子育てが始まってからだ。主婦として家に籠り、経験もない子育てをする中で、私は必要な情報をネットから得ることを覚えた。「検索サイト」での検索、子育て中のママさんのブログ、情報だけは豊富にあった。それらを読み、学ぶことで、経験のない子育てもなんとか乗り切ってこられたのだ。

 そうして私は、もともと本好きだったこともあって、小説投稿サイトという場所にたどり着いた。最初は興味本位で覗くだけだったけれど、そのうち自分も書いてみたいと思うようになり、私は感じたことや思ったことなどを見よう見まねで書き始めた。しばらくすると、私が書いた作品に評価やコメントがつくようになり、1年後にはランキングに入ることが出来るようになった。そうしているうちに、私はすっかり小説の世界にハマってしまったのだ。

 大地を育てる中で、私は遊びにも出かけることが出来なくなくなり、友だち付き合いも悪くなった。その点、ネットは出かける必要もなく、家の中で、大地が寝ている少しの時間でも楽しむことが出来る。

 こうしてネットは私の貴重な趣味となり、狭い世界で生きている私が唯一外と繋がれる場所にもなっていた。

 3年前、私が小説を投稿していた「ラブリー」で和さんと出会ってからは、ただ書くだけはなく、小説家として生きていけるようになりたい。と思うようにまでなってしまった。もちろん、和さんの影響が大きいことは言うまでもない。

 和さんはライターという職業であることからも、文章に対して厳しい目を持っていた。文章だけではない。何に対しても冷静で、鋭い。ライターという職業は、洞察力と分析力を育む仕事らしかった。

「光輝、まだ時間かかる?」

 不意に背中に重みを感じ、私が振り返ると、私の背後から抱きしめる形でリュウがパソコンを覗き込んでいた。私はパタン! と急いでパソコンを閉じた。恥じることをしているつもりはないけれど、自分の作品をリアルな友人、家族、そしてリュウに読まれるのには抵抗があった。

「何? どうしたの? 本読み終わったの?」

「仕事用の資料で読み切らなきゃいけないんだけど、なんか疲れてさ」

 耳元に落ちてくるリュウの声。

「疲れてって、この間からそればっかり言ってるよね? 今の仕事、そんなに大変なの?」

「んー仕事っていうか、まぁ人間関係?」

 人間関係か……。誰にでも愛想が良くて、誰にでも好かれるリュウが疲れるくらいの人間関係。社会に出るって、私が考える以上に厳しいってことなのだろう。

「話しくらいなら聞くけど?」

「んー話すのも面倒っていうか……」

「仕事の話しを私にしても分からないか。ごめん」

「あーそういうんじゃなくて。光輝には聞かせたくないような話しってこと」

「何それ?」

「癒してよ。光輝……」

 いつも甘えることばかり要求してくるリュウだけど、この日の甘え方はなんだかちょっとだけ違うような気がした。それが何かは分からない。

「訳が分からないよ。ちゃんと言って。リュウ?」

 リュウが答えることはなく、そのままの態勢から私の服の下へと手を伸ばした。おなかの部分を指が這い、くすぐったさに身体をよじる。

「リュウ? まだ明るい……から。……ん」

 家でのゆるゆるデート。それはとてもまったり過ごせる素敵な時間のように聞こえるけれど、そのデートの最終目的は、結局……

 そうなることを分かっているし、変化を求めようとは思わない。だけど、日に日にその行為を無意味に思う自分がいた。だからって、拒否したところで何が変わるわけではないし、リュウを傷つけたい訳じゃない。

「リュウ、大地が……」

 流されるままに体が反応していくのを感じつつ、理性だけは働く。

「大ちゃんとサッカー用品買いに行った。おじさんも散歩に出かけてた。……他に問題ある?」

 リュウの熱を孕んだ目に捉われると、もう逃げることなんて出来はしない。

 今日もまたリュウに求められるまま、身体だけがリュウに寄り添っていく。まだ明るい陽射しの中で、私の身体を確かめるリュウの瞳から目を逸らし、私はただリュウに任せることしか出来ない。

 お互いの熱を放出しながら、私たちはただお互いの隙間を埋めあう。

 リュウとは付き合って10年になる。隣同士、同級生、幼馴染。これだけそろえば、当然付き合うものでしょ! と思われがちだけれど、私はリュウの気持ちを知りつつ、気づかないように。見ないように。思わせぶりな態度なんて取らないように心がけてきた。

 リュウを好きか? と聞かれれば、好きだと答える。でもその「スキ」は、恋人たちの間の「スキ」とはちょっと違う。だから、リュウの気持ちに応えることなど出来ない。そう思い、ずっと素知らぬ顔をして過ごしてきた。

 なのに母が消えた後、あまりの心細さに身近にいたリュウにすがってしまった。リュウの私への思いを利用し、リュウを側に置いて、寂しさや悲しさを少しでも紛らわせたかったのだと思う。リュウは何も言わないけれど、おそらく気づいている。それでも私のそばにいてくれるのだから、リュウは大馬鹿な上に優しい人なのだ。

 リュウと付き合って10年。私もリュウも31歳になる。リュウの家のおばさんも、兄の大輝も、10年も付き合えば十分だろう? そろそろきちんとケジメを! と言っている。年齢を考えれば、結婚を決める時期なのかもしれないけれど、私はどうしても踏ん切りがつけられずにいた。

 10年もの間側にいてくれたリュウ。リュウが私を裏切るとは思えないけれど、『家族』になる必要があるのか? それを考え始めると、頭の中がごちゃごちゃしてくる。あんなに仲良さげに見えていた私の両親だって、子供が成人したら……。

 夫婦って何? 家族って何? 夫婦として縛りあって苦しくなるくらいなら、今のままの関係を続ける方が断然いい。私はどうしてもそう思ってしまう。

 人として、不完全なのだろうか? みんな、結婚したいって望むのが当たり前なの?

 リュウに抱きしめられ、熱くなっていく身体とは裏腹に、私の心はリュウに抱かれる度にいつも寒々と冷えていく。

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