第4話
20時に帰宅した父と大地との三人での食事。今日は国産のステーキにしたので、大地は大喜びで食べていた。そんな大地を見ながら、父の大作はのんびりお酒を飲んで食事を進める。父はあまり外で飲んで帰ってくることがなく、家でリラックスしてのお酒を好む。ただ、あまりにのんびりしているので、父の食事が終わるのを待っていると、私の自由な時間なんて永遠に来ない。
私はさっさと2人分の食器を片づけると、約束していた大地の宿題をチェックした。その間に大地はお風呂へ。戻ってくると、大地は今ハマっているプレステのゲームに向かった。今度は私がお風呂に入る番だ。お風呂から上がれば私の自由時間が待っているだけに、私のお風呂タイムは短い。女の子は30分でも1時間でもお風呂に入っていると聞くけれど、私がお風呂にかける時間といえば、長くても15分というところだろう。
私はなるだけ手早くお風呂場内での作業を済ませ、髪の毛も乾かさず、頭にバスタオルを巻いたまま部屋へ向かった。そしてその恰好のままパソコンを開き、ネットに接続できる環境が整うのを待つ。
インターネットエクスプローラーが起動するまでの短い時間に、私は急いでワシャワシャとバスタオルで髪の毛をかき混ぜた。髪の毛はまだ乾いておらず、束になって顔に貼り付いてくる。肩ほどまでの長さの髪は、そのままでは邪魔になるし、結ぼうにも長さが足りない。髪が濡れているのは不愉快極まりないことではあるものの、それに構ってばかりもいられない。
見慣れたページが開かれると、私はすぐにパフーを開いてメールをチェックした。メール着信は2通。どちらもどこかのお店の宣伝メールだ。和さんからのメールが無かったことに落胆しながら、私は和さん宛てのメールを打ち込み始めた。
和さんとのメールは、お互い時間があるときに。という約束を交わしている。書きたいときに書き、返事をしたいときに返事を送る。だから、お互いに忙しいときは、2、3日メールがないというのも珍しいことではなかった。特に、和さんはいつも忙しそうなので、1週間メールが来ないこともザラだ。それでも、私は和さんからのメールを待つ時間さえ好きなのだ。
『和さん
こんばんは。朝はメールありがとうございました。指摘が鋭すぎて、またまた反省ばかりです。恋愛って何なのでしょうね?
今日は、また大地に八つ当たりをしてしまいました。私が大地の本当の母親だったなら、大地にあんな顔をさせることもなかったと思うし、気を使わせることもなかったと思うのに。自分が情けないです。大人だと言うくせに、大地と同じレベルで……。
ねぇ、和さん? 大人って、一体いくつになったら、本当の大人なのでしょうか?』
そこまでを打ち込んで「送信」ボタンをクリックした。私のメールが細いコードを通り、電波にのって和さんのパソコンへと流れていく。どこに住んでいるのかも、どういう女性なのかも分からないまま、「信頼」というだけの関係で続いている私たち。時折、こんな風に「信頼」しているのは私の方だけなのかもしれないと思うことがある。そう思うと、居ても立っても居られないほどに不安に駆られるので、あまり考えないようにはしているのだけれど。
会ったこともない相手との「信頼」なんて、理解されにくいと思う。でも、その「信頼」が今の私にとっては何よりも大事なもので、失いたくないものだった。ネットという世界での友情は、リアル世界の人たちには到底理解出来ないことかもしれない。
メールを送信した後、私はパソコン画面の「お気に入り」の中に保存してある「恋愛小説サイト・ラブリー」をクリックした。私はこのサイトに、『キラリ』として恋愛小説を投稿している。実は和さんとの出会いは、このサイトがきっかけだった。和さんが書いた小説「二人の願い」が、ラブリー編集部のピックアップページに掲載されたことがあって、それを読んだ私がコメントをつけてみたところ、後日、和さんから返信コメントがあり、それから私たちは一気に仲良くなったのだ。
私が書く小説は、まだピックアップページにすら掲載されたこともなく、自分に才能があるのかさえ疑問だけれど、変わらない日常を送っている私の楽しみと言えば、この「ラブリー」に小説を投稿し、評価やコメントをもらうことだ。もちろん、いつかは小説家という職業になれたらいいなと思ってはいる。だからこそ、毎月このラブリーで開催されるテーマごとのグランプリにエントリー出来るよう、私の自由時間は小説を書くことに費やされていた。
ヲタクだと笑われてもいい。私は「書く」ことが好きで、「書く」ことはやめられないのだから。
ふと思い立って、さっき感じたことを詩にまとめてみようと思った。一つの文字を打っては全体を見直し、最後まで出来上がると何度も読み返した。
「瞬きウンメイ論
あたしがキーボードを叩く
キーボードから打ち込まれた文字列
その文字はパソコンに取り込まれ
電波に乗って サイトに掲載される
膨大な文字の中 あなたの視覚に留まる
電波に乗ってやってきた あたしの文字
あなたが瞬きをするその短い時間で
あたしの文字が 瞳から神経を通って
素早くあなたの脳に伝わる
びびびって 痺れる
どきどきって 脈打つ
どっきんばっくんって 動けなくなる
あたしが伝えたいこと あたしが嬉しいこと
あたしが楽しいこと あたしが弾んでること
会ったことも 話したことも
現実世界(リアルセカイ)では接点さえない
あなたとあたしが
電波と神経とで繋がる
あたしの文字があなたへ届いたこと
あたしの感動があなたの感動にもなること
これって 奇跡だと思わない?」
書きあがった詩に、自分だけの満足感を得る。私と和さんの関係ってこんな感じだよね? 私だけがこんな風に和さんに親近感を持っているわけじゃないよね? 聞いてみたいけれど聞けないもどかしさ。和さんの素性を知ることは出来ないけれど、それでも和さんのことを嫌いにはなれなかった。
パソコンの画面を見つめていると、私の部屋の窓が外側からノックされ、私の意識がネット世界からリアル世界へと引き戻された。
この時間にここをノックするのはアイツだけ。
私は後ろ髪を引かれながら、電源は入れたままの状態で、とりあえずノート型パソコンを閉じた。リアル世界の人に私の世界を見られたくないからだ。
窓のノック音が小さく続く。カーテンを開くと、私の部屋のベランダにアイツが立っていた。
「もう! ここから来ないでって言ってるでしょ?」
私が冷たく言っても、相手は気にすることもなく、にへらっと笑った。
「だってこの時間だぜ? おじさん、絶対入れてくれないし」
そう言いながらベランダにサンダルを脱ぎ、リュウが部屋へ入って来た。リュウの部屋と私の部屋はベランダで繋がっているような構造をしている。だから、小学生の頃から、リュウは暇さえあれば、こうやって私の部屋に遊びに来ていた。
「あー疲れたー」
部屋へ入るなり私のベッドにダイブするリュウ。
「そんなに疲れてるなら自分の部屋で寝なさいよ? ほら、スーツ脱がないとシワになる!」
リュウは会社から帰ったそのままの格好でゴロゴロしている。さすがにカバンは置いてきたようだ。
「リュウ?」
私が近づくと、腕を引かれリュウの胸の上にボスンと倒れ込んだ。微かにお酒の匂いがする。
「光輝、俺を癒してよ。今日はホントに疲れた……」
リュウはサラリーマンだ。営業職だと聞いている。営業というのは、コミュニケーション能力が必要な職業ということだ。人間関係を良好に進めなければならない。そういう能力に欠ける私としては、考えるだけで疲れてしまう。
「何か食べる? ビールとおつまみ持ってこようか?」
リュウの腕から抜けようとすると、リュウがぎゅううっと私を抱きしめた。
「いい。ちょっとの間このままでいて」
リュウがここまで甘えてくるのは珍しい。相当疲れているんだな。私は立ち上がるのを諦め、そのままの状態でリュウを抱きしめ返した。
「あー、光輝の匂いだー」
そうリュウが呟くのが聞こえた後、静かに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
酔っていたからなのか? 本当に疲れ切っていたからなのか?
こういうリュウを見ると、自分の甘さを痛感する。社会の荒波の中で生きているリュウに比べれば、私なんて……
リュウの寝顔を見ながらそっとパソコンを開けると、メールが届いていた。和さんからのものだ。
『キラ、お疲れ! 大人になる。難しいね。年齢を重ねればなれるものでもない気がするし、大人って言われれば、もう大人な訳だし。でもたぶん、自分自身が大人だと納得出来たときが、大人になったってことじゃないかな? それに、大地くんはキラの愛情をしっかり受けて育っていると思うよ。会ったこともないし、メールだけでのやり取りだけど、それは感じる。キラは自信を持っていいと思う』
和さんのメールを読むだけで、私の心は穏やかになる。こんな気持ちになれるのは、和さんだけだ。彼氏であるリュウと一緒にいても、私の心はこんなに穏やかにはなれない。
寝息を立てるリュウとパソコン画面を交互に見つめながら、私はフッと息を吐いた
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