第2話
10時半に届いた荷物。それらの中身を取り出し棚に並べながら、空になった落り畳み式の箱をバコン! と音をさせて畳んだ。ここへ入ったばかりの頃は、中身をどこに並べたらいいのかも分からず、あっちへこっちへと右往左往し時間ばかりかかっていたものだけど、8年が経過した今はもう手慣れたものだ。
私は訳あって、23歳になったその年から、ずっとこのコンビニで働いてきた。
畳んだ箱をカートに入れ、外の所定の位置へ運ぶ。その間にも、休みなくお客さんが中へ入って行くのが見えた。
あの子、大丈夫かな? そう思いながらも、早く仕事に慣れてもらわなきゃならないし、甘やかさないようにしなきゃ! と自分に言い聞かせる。店内に戻ると、今度は段ボールを畳み倉庫へ持ち込んだ。
「光輝ちゃん、田中さんの教育もお願いね」
奥さんの声が聞こえた。奥さんは倉庫と繋がっているバックヤードで、狭い通路に置かれた机で業務用のパソコンと睨みあっていた。
段ボール箱を整理すると、私はすぐに一昨日入ったばかりの新人クルーである田中さんがいるレジに向かった。私がバックヤードから出てきたことに気づいていない田中さんは、これだけお客さんが入っているというのに、レジの後ろにある煙草の棚に寄りかかり、片手でスマホをいじっている。
何やってんの? 仕事中なのに。
私はイラッとしつつ田中さんに近づいて行ったけれど、田中さんはスマホに夢中になっている為に全く気付かない。田中さんの胸のポケットの名札はまだ手書きで、初心者マーク付きだ。下の名前はまだ知らない。
「ちょっと! 仕事中にスマホいじるなんてやっちゃだめだよ」
田中さんのスマホを奪い取ると、田中さんがびっくりした顔で私を見上げた。
「池野さーん、ここ、学校じゃないんですよー? 今レジ誰も並んでないしぃ。お客さんがレジに来たら、ちゃんと仕事しますってぇ。返してくださぁーい」
大学生の田中さんは、着けまつ毛をバサバサ瞬かせながら訴えてくる。コンビニのクルーは、一見なんでもアリのように見えるかもしれないけれど、結構厳しい服装の決まりがある。長い髪は結ばなきゃならないし、濃い化粧も禁止。派手なマニキュアや付け爪なんてもってのほかだ。
田中さんはそういう点で、かなりギリギリのラインにいるように思える。化粧は派手だし、茶髪を結い上げてはいるけど、お水のお姉さんのように髪を盛っている。スマホをいじる指の爪はかろうじて伸びてはいないけれど、きれいにマニキュアが施され、ラインストーンが光っていた。まだ大学生だと聞いているから、社会人としての責任が持てないことは仕方がないことかもしれない。
「バイトだからってそういうノリで来られたら迷惑なんだけど? ここは仕事場なの。社会っていうのは、学校よりずっと厳しいものなの」
「分かってますよぉ。お客さんがいる時にはちゃんとしますってぇ」
私たちが言い合っていたので、バックヤードから奥さんが出てきた。口を尖らせる田中さんと、私の手の中にある田中さんのスマホを見て状況を把握した奥さんが、私に合せて話しをしてくれる。
「田中さん、光輝ちゃんはあなたの先輩で教育係なんだからね。それに、仕事中にスマホを見るなんて、ダメに決まってるじゃないの」
私と奥さん二人に注意された為に田中さんは大人しくなったけど、納得している顔ではなかった。
子供か! そう言ってやりたかったけれど、確かに子供かもしれない。私より10才は確実に年下なのだから。
このコンビニは、オーナー夫婦と息子さんの家族経営で成り立っている。日中は奥さんが店に入り、夕方からオーナーが。そして深夜に息子さんが入って、店を切り盛りされている。その3つのシフトにはオーナー家族以外にそれぞれ曜日ごとにバイトが入るので、10人ほどのバイトがいると思うのだけど、気が強い奥さんとの相性が悪いのか、日中のバイトに入る子はなかなか続かない子が多かった。8年もの長い間続けているのは、私だけなのだ。そのため、求人に応募があればどういう子であろうと、とりあえず入れるということになっていた。一応面接は行われているようだけど。
私は、朝9時から夕方17時までの日中のシフトで働いており、パートナーを組むのは奥さんだ。確かに奥さんは口うるさいし、面倒に感じることも多いけど、間違ったことは言ってないし、私的には裏表がある人よりずっといいと思っていた。
ただ、コンビニは当然のことながら24時間休みのないフル稼働だ。世の中では週休2日が当たり前となってはいるものの、コンビニにそれは通用しない。そういう事情もあって、万年人手不足のこのコンビニでは、世間が休みであっても土日を連続で休むなんて許されることではない。だから私はせめて……と、水曜日と土曜日に休みをもらうことにしていた。一般的な人たちが休みを獲れる日曜は、私にとっては出勤日だ。
ふくれっ面の田中さんを横目に見ながらレジをこなしていると、バックヤードから奥さんが出てきて私に声をかけた。
「光輝ちゃん、先に休憩入ってちょうだい」
時刻は11時半。とりあえず30分の休憩だ。残りの30分は、午後15時になってから。
先に休憩をもらった私は急いで制服を脱ぎ、一旦「お客さん」になってからコンビニでサンドイッチと缶コーヒーを購入した。そしてバックヤードに戻り、人が1人通れるかどうかの場所にある休憩用の椅子に座って、今買ったばかりのサンドイッチを食べた。休憩時間の30分はあっという間の時間だ。私は急いでサンドイッチを噛み砕いて飲み込んだ。
そして固形物を飲み込み終わると、缶コーヒーを飲みながら、ポケットから取り出したスマホでメールのチェックをした。期待していたメールは届いていない。その確認が終わると、スマホのホームにブックマークしている和さんのブログ「雲の流れるままに」をタップした。すぐに画面いっぱいに空の画像が現れる。
『雲一つない空。澄んでいる。この碧さを君に』
添えられた言葉と空の写真を見ていると、身体の無駄な力が抜けていく。和さんのブログは、何気ない言葉と自然の写真が載せられていた。花や鳥、たまーに小さな子供の写真。言葉からも写真からも、和さんの人柄を感じることが出来、このブログを休憩時間に見ることで、私は午後からの働くエネルギーを得られる気がしていた。
あぁ午後もガンバロウ! そう思えるのだ。
和さんのブログをチェックした後は、「ライター和」の名前で検索をかける。和さんはライターとしていろいろな記事を書いている。だから、「ライター和」で検索をかければ、和さんが書いた新しい記事が出てくることがあるのだ。ここまでくると、私は和さんのストーカーと言っても過言ではないと思う。和さんとのやり取りが好き過ぎて、常にメールをしていたいと思っている。田中さんではないけれど、私だって仕事中にスマホをいじりたいのを我慢しているのだ。
検索画面にこれまで見たことがない新しい記事が出てきたことに気づき、そのタイトルをタップすると「大人世代を輝かせるアイテム」という記事が現れた。私よりずっと「大人世代」の方たちの生活を充実させるアイテムのおススメ記事だ。そして最後に「ライター 和」の文字を読み取る。
「頑張ってるなぁ。和さん……」
私だっていつかは……そう思いながら、実際にはいつまでもコンビニで働いている自分が悲しくなる。理想と現実の厳しさというところだろう。
「ライター和」の文字に見惚れていると、スマホのアラームが鳴った。
あぁヤバい。5分前だ。
私は慌てて「お先しました!」と声をかけ、レジへと戻った。今度は奥さんが休憩へ入るらしい。奥さんがバックヤードへ消えるのを、田中さんが不満そうな顔をして見つめていた。
店内のレジは2つ。
私は入り口近くのレジへ入った。お昼時に入るので、お客さんが増え始める。田中さんもお弁当の温めやら精算やらと、忙しく動き始めたけれど、まだ入って2日目の田中さんが全てをこなせるハズがない。
「池野さぁん、コレ何分温めればいいですかぁ?」
「揚げ物、どれとどれでしたっけぇ?」
いちいち私に聞いてくるので、実質私は2人分の仕事をしているようなものだった。そういう意味でも、不慣れな田中さんと2人でのシフトはかなり辛く、いつもより時間がとても長く感じた。でも誰でも「初めて」を経験して育つものなのだから。そう自分に言い聞かせる。
15時になると、また30分の休憩がもらえる。こちらも交代制だけれど、お昼と同様に、私が一番に休憩に入った。一応、それぞれの水筒やペットボトルをバックヤード近くに置いていて、喉が乾けばそこで水分を補給するようにしている。仕事中に落ち着いて水分を摂取することは出来ない。一口二口含んだら、すぐに業務に戻る。それがコンビニ店員の定めだ。だから、お昼を取ってからようやく口にする水分に、私はホッと息をついた。
あと2時間……。今日の業務の残り時間を計算していると、そこへ当然のように大地が入って来た。
「ミツキ、ただいまー」
大地は奥さんに可愛がられている。だから、一般人は進入禁止になっているバックヤードにも平気で入れてもらえるのだ。奥さんには離れたところで暮らしている大地くらいのお孫さんがいるそうで、そのお孫さんと大地を重ねているらしかった。
「大地、ここには来ちゃダメって言ったでしょ?」
そう言ってみるも、大地は澄ました顔だ。
「奥さんにはちゃんと挨拶したよ? あの派手なメイクの人、バイト? あの人って続くの?」
また余計なことを。そう思ったけど、さすが大地。大人ばかりの環境の中で育ったせいか、大地は子供のくせにやけに落ち着いていて観察力に優れている。田中さんが続くかなんて、私だって怪しんでいたくらいなのだから。
「あんたには関係ないでしょ? それよりここにいるんだったら大人しくしてなさいよ? 奥さんに迷惑かけないこと。私はもう休憩終わるからね」
とりあえず釘を刺し私はまたレジへと戻った。今度は奥さんが休憩に入る。大地がいることを知ったら、奥さんは大喜びで甘やかすだろうな。そう思ったとき、裏から大地の弾んだ声が聞こえてきた。
「おばさん、ありがとう」
ありがとう! という言葉からして、また何かもらったな。全く……。
時折聞こえてくる大地の声にハラハラしながら、ようやく私のシフトが終わる17時を迎えた。この17時をもって、コンビニではシフトが代わる。17時以降の夜組と交代するのだ。
バックヤードの狭い通路で、急いで帰り支度を始める私とは対照的に、田中さんはバックヤードの壁にある鏡に向かって、必死に髪の毛を整えている。これまでのバイトの子は、大地との関係をやたらと聞きたがったものだけど、田中さんは自分の髪の毛の方が気になるらしく、大地を見ているはずなのに何も聞いてこない。それはそれでいいことなのだけど、ちょっとだけ拍子抜けした気分だ。
大地は大人しくしてはいたけど、何やら口をもぐもぐさせていた。奥さんにお菓子をもらったらしい。晩御飯前にお菓子を食べるなっていつも言っているのに。でも奥さんの手前、怒るわけにもいかない。
「お疲れ様でしたー。お先にー」
私は声を張り上げながらバックヤードを出た。大地も付いてくる。
コンビニの入り口ドアには、田中さんがいつ辞めてもいいようにか? バイト募集の張り紙が貼られたままになっていた。
駐車場の端っこに停めておいた自転車のカゴに大地のランドセルを押し込み、私たちは歩き出した。大地が横に並ぶ。大地が大人しいので横を向いてみると、大地は自分の顔と同じくらいの大きさのフーセンガムを膨らましていた。コンビニの帰り道、大地は学校であったことを逐一報告してくるのが常だけど、今日はガムを噛んでいたからか……。
あ、そう言えば大地は今朝、今日発売のカードが欲しいって言ってなかったっけ? ふと思い出したけど、出たばかりのコンビニに戻るのが面倒で、忘れたふりをすることにした。大地も忘れているようだし、このまま知らん顔で通そう。
「ねぇ、ミツキ?」
あちゃー。カードのことを思い出したか? 私は顔には出さないようにしながら「何?」と聞く。
「今日のバイトの人までいくと派手すぎるけどさ、ミツキももう少しお化粧とかしたら? 髪の毛ももう少し明るい色にカラーリングしてさ。髪の毛は真っ黒より茶色い方が表情が明るく見えるらしいよ?」
天真爛漫そうに見える大地だが、大人の都合の中で生きてきたこともあって、いろいろなことを考えているらしい。私の化粧や髪の毛に関しての干渉は迷惑だけども。第一、表情が明るく見えるという言い方からすれば、私の表情が暗いと言いたいのか? 大人げないと思いつつ、ちょっとだけムッとする。
「いいよ。私は今のままで。ナチュラルメイクの方が自分に合ってると思うし、髪の毛のカラーリングをしたところで、誰が見てくれるっていうの?」
私が笑うと、大地は大真面目な顔をして言った。
「リュウくんがいるじゃん。男っていうのは、彼女が綺麗でいてくれると嬉しいらしいよ? パパが言ってた」
全くあの兄は。こういう無駄なことばっかり入れ知恵するんだから。どういう話しでそういう話になったのかは知らないけど「彼女が綺麗でいてくれたら嬉しい」なんて、子供に教えること? 今日帰ってきたら、文句を言ってやらなくちゃ! 私は決意する。
離婚した兄が大地を連れて実家に帰って来たのは、大地が1歳の頃だ。それからは私が大地の母親代わりとなって大地を育ててきた。独身で、子育て経験もない私が子供なんて育てられるのかと思っていたけれど、今年大地は12歳になる。今は随分落ち着いたものの、子育てでバタバタした生活の中にいた私が、自分のオシャレから遠ざかったのは仕方がないことだと思う。
そもそも私が付き合っているリュウは幼馴染で、私の小さな頃からのモロモロも知っている人物だ。今更飾りたてたところで喜ぶも何もあったものじゃない。そんなことを考えながら自転車を押していると、リュウが膨らませたフーセンガムが「パンッ」という音とともに破れ、大地の顔中に貼り付いた。
あーあー。私がティッシュを出すべきか悩んでいると、大地はそれらを指で剥がしながらまた自分の口に入れた。
「ミツキだって元はいいんだからさ。お化粧して、オシャレな服を着れば、そこそこイケるって。そうすれば絶対リュウくんは『結婚してください』ってプロポーズしてくれるよ」
そこそこってどういう意味? と思いつつ、内心、私の中に冷たい風が吹いた。けれど、大地に悟らせるわけにはいかない。
「いいの。私は私。リュウは、飾らない私のことが好きなんだから!」
そう言い返すと、大地が「うわー。ノロケかよ!」と呆れた声を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます