遥かの家族
恵瑠
第1話
*注訳……ワナビ。「Want to be」の略で、「こうなりたい」「そうしたい」という意味を持ち、現代では一般小説やライトノベル(ラノベ) のプロ作家を目指している人のことを指す。つまり、「小説家志望」「作家志望」 という意味にもなる。
*****
朝はトーストと決めている。ワナビである私にとって書く時間を確保できるのは真夜中しかなく、一行でも一文字でも多く文字を打つためには、かなり遅くまで起きている必要がある。そんな私が睡眠時間ギリギリまで眠りたいというのも無理のない話し。
おまけに、私が一人で朝から味噌汁や焼き魚など、和風料理をこなせるわけがない。メタボ気味の父の大作(だいさく)は和食好きなので不満がありそうだけど、文句は言わせない。言えるものなら言ってみろ! と私は強気な姿勢で毎朝挑むのだ。
肩より少し伸びた髪を無造作に後ろで一つ結びにし、首に赤いリボンを結んだ白猫の絵が描かれたシンプルな黒Tシャツにデニム。今日もなんの飾り気もない服装だ。そもそも、私がオシャレをしたところで気づく人が家族の中にいるとは思えないけど。
私は順番に起きてくる家族分のパンをトースターに放り込み、目玉焼きとベーコン、生野菜が添えられたお皿をテーブルに並べた。毎日代わり映えのしない朝食だ。ベーコンがウィンナーに代わることはあるとしても。
「ねぇミツキ、せめてジャム買ってきてよ」
不満そうな声が聞こえるけれど、私は聞こえないふりを通す。
「ちぇっ」
舌打ちが聞こえるも、それもやっぱり聞こえないふり。
我が家の男どもは朝が弱い。だから、起きているのか寝ぼけているのかも怪しい状態で朝ごはんを食べ始める。そして歯磨き、洗顔、髭剃り……と進むうちに、我が家の大黒柱とその息子は世の中にいくらでもいるサラリーマンへと変身を遂げていく。
7時30分。
「忘れ物ない? 今日は仕事あるから届けてなんてやれないからね」
私の皮肉に負けることなく、小学6年生になった大地(だいち)は、白い半そでシャツに黒の学校指定の半ズボンにランドセルを背負って玄関へ向かう。身長が150センチを超えた大地の背にあるランドセルは、色が茶色のせいもあって、なんだか蝉のように見えてしまう。ランドセルが小さくなった気がするけど、大地の方が大きくなったのだとおかしくなってしまう。
今日は月曜日だから、給食袋や上靴バッグ、体操服入れとランドセルの横にも両手にも荷物がいっぱいだ。
「もう子供じゃないんだから、それくらい分かってるし!」
一丁前に言い返す術も習得し始めているらしい。最近やたらと反抗的なのは反抗期と呼ばれるものに入っているからだろうか?
「あ、そうだ! ミツキ、今日コンビニ寄ってもいい? 今日発売されるカードがあるんだ。アレ、欲しいんだけど」
振り返った大地に、私は眉をひそめた。
「コンビニは遊びに来るとこじゃないの。来たらダメって何度も言ってるでしょ。それにカードは先週買ったばかりじゃないの。あんた、来年は中学生になるんだから、そういう子どもっぽいものからは卒業しなさいよ」
「うるさいなぁ。子供らしく遊べるのは子供のときだけなんだぜ? これだから大人って。ヤダねぇ」
大地はませた口調でそう言って、玄関に並べられた靴に足を入れるとそのまま飛び出していく。さっき自分で「子供じゃない」と言ったくせに、こういうときだけは「子供」だと主張するんだから。
「あ、こら! 踵を踏まない!」
玄関から飛び出した大地を追いかけ注意するも、既に大地の姿は通りの方へ消えてしまっていた。昔から足だけは速い子なのだ。
「全くもう」
ため息交じりに玄関ドアを閉めようとしていると、兄の大輝(だいき)がネクタイを結びながら走り出てきた。
「光輝(みつき)、今日俺メシいらない。それと再来週の水曜日、大地が授業参観らしいんだけど、お前水曜日は休みだよな? お前、行ける?」
行ける? と聞いてはくるものの、この時点で兄は行く気がないことを私は知っている。大地が小学校に入学して以来、ずっとこんな感じなのだから。
「しょうがないなぁ。バイト代弾んでよね」
「分かった。頼むよ」
昨夜も遅く帰ってきた兄。寝ているのかいないのか微妙だけど、サラリーマンというのはそういうものらしい。いつも「ご飯がいるのか、いらないのか」を私が聞くので、それだけは律儀に毎日答えてから出て行く兄。毎朝見かける後頭部の寝癖が気になったけど、いつものことだから。と、そのまま送り出す。
「はいはい。じゃあ、行ってらっしゃい!」
大地と兄が出てしまえばひと段落。と言いたいところだけれど、主婦としての朝は忙しい。のんびり新聞を読みながらトーストをかじる父を横目に、ブザーが鳴った洗濯機へ近づく。家族四人分の洗濯物はかなりの量だ。大地の分だけでも私たち以上の量だ。制服のシャツ、下着類、体操服。おまけに火曜と木曜は放課後サッカー教室に通っているので、翌日はサッカー部のユニフォームまでもがそれらに加わる。
今日は少しだけ控えめに見える洗濯物のカゴを抱え、リビングから続くウッドデッキへ出た。
快晴。とても気持ちがいい日だ。今日は洗濯物が乾きそう。
私は洗濯物を干すのが大好きだ。お日様の光りを浴びながら風にはためく洗濯物は清々しい。天気がいい日は洗濯機を何度も回して、洗濯物をこれでもか! と干したくなる。ただ、当然のことながら、大量に干せば夕方同じ量を取り込み、畳むハメになるので、いつも後悔してしまうのだけど。
大地のシャツをハンガーにかけていると、隣に住む中島家のおばちゃんが声をかけてきた。Tシャツに八分丈の花柄スパッツを履いたおばちゃんは、こちらも花柄のエプロンをつけていた。おばちゃんたちって、どうしてこうも柄と柄を組み合わせるのが好きなんだろう? つい笑いそうになるが、我慢する。この時間、私が洗濯物を干していることを知っている彼女は、毎朝こうして垣根越しに声をかけてくるのが日課なのだ。
「光輝ちゃん、おはよう。今日も精が出るわねぇ。でも今日は午後から天気が怪しくなるって、さっきニュースで言ってたわよ?」
お隣の中島さんちは、昔から仲良くさせてもらっているお宅だ。わが家のことをとても気にかけてくれていて、私的にはとても助かっている。
「マジ? どうしよう? いっぱい洗濯しちゃった……」
こんなに天気がいいのに。でも午後から天気が悪くなるのなら、室内に入れてから出かけるべきだろうか? 私が悩んでいると、おばちゃんが笑った。
「いいわよぅ。おばちゃんが注意しとくから! 天気が崩れそうだったら、軒下に入れておいてあげる」
「おばちゃん、いつもごめんねぇ。ありがとう」
「いいのよ。光輝ちゃん、ほんと頑張ってるから、それくらいはお手伝いするわよ。それに比べて。光輝ちゃんがこんなに頑張ってるのに、聡子(さとこ)さんったら……」
いつもの穏やかならぬ会話が始まりそうになったとき、中島家の玄関が開いた。
「ミツキ、おはよ」
仏頂面で出てきたのは、幼馴染で同級生の竜(リュウ)だ。こちらも朝が弱いため、この時間に会っても愛想を振りまいてはもらえない。今日は紺色のスーツにきれいなブルーのネクタイを締めていた。あくびをかみ殺しているけれど、リュウもそろそろ出かける時間だ。
「お袋、親父がツナギが見つからないって騒いでるけど?」
「あら、出しておくの忘れてた?」
リュウのお父さんは、整備工場で働いている。おばちゃんは慌てて玄関へ向かったけど、家に入る前にリュウを肘でつつきこちらを振り返った。
「光輝ちゃん、いろいろ大変だとは思うけど、そろそろ……ね?」
意味深な発言に頬が熱くなる。言いたいことは十分分かっているつもりだ。でも、それは私とリュウの間では触れないようにしている話題でもあり、無難に笑ってはみたものの、私は自分の顔が引きつっているのを感じた。
おばちゃんが中へ入ったのを見届け、リュウが手招きをして私を呼んだ。私は戸惑いながらも、拒否する理由が見つからず、ウッドデッキに置いてあるサンダルに足を入れると、隣との境にある生け垣へ近寄った。
「お前、今日って何かある?」
今日……? 頭の中のスケジュール帳をパラパラとめくってみると、今晩の予定がピコーン! とヒットした。
「ごめん。今日は大地の宿題を見る約束してて」
申し訳なさそうに言う私に、リュウは特に残念な素振りも見せず「分かった」と簡単に答えた。
「じゃあ、夜部屋に行く」
「うん」
私が頷くと、リュウは私の後ろをチラリと確認した後、私の肩をぐっと自分の方へ引き寄せると唇へキスを落とした。そして私の頬を一度だけ撫でると「行ってくる」と言って手を上げた。スーツ姿のリュウを見送りながら、今触れあったぬくもりにぼんやりしてしまう。
だがその直後、リビングの方から父の声が聞こえた。
「光輝、俺も出るぞ」
「はーーーい!」
急いで返事をしたものの、「も」と言ったところを見ると、リュウとのキスを見られたのかもしれないと思い当たった。顔から火が出たように頬が熱を持つ。
私は父と顔を合わせないよう、途中だった洗濯物干しを再開した。大判のバスタオルを広げ、顔が見えないように工夫する。玄関のドアが開く音がし、コツコツと革靴独特の音。父が出かけて行く。その音を聞きながら、私は毎日同じことを繰り返しているのだと思った。
私の日常はハタチの春からずっと変わることなく続いている。
洗濯物を干し終ると、洗濯カゴを脱衣場に戻した。これでようやく本当のひと段落。
誰もいなくなったリビングではつけっぱなしのテレビが音を流している。誰が見る訳でもないというのに、消すのが面倒でそのままになっているのだ。
私はテレビを消し、起きてから初めての水分を摂取すべく、コーヒーを自分のマグに注いだ。そしてリビングのソファに置いてあった自分のノート型パソコンを持ってくると、電源を入れた。パソコンが立ち上がるまでの間に、自分の朝食用のパンをトースターに。トーストが焼き上がるのを待つ間に一度テーブルに戻り、インターネットエクスプローラーをクリックした。すぐに画面が立ち上がる。まずチェックするのはメールだ。
私のホーム画面は、情報サイトのパフー。そのパフーのフリーメールをクリックすると、三通のメールが届いていた。二通は以前ネットで買い物をしたときのお店のダイレクトメール。もう一通は私の大事なメル友、和(なごみ)さんからのメールだった。
『キラ、おはよう。こっちは今日いい天気だよ。今日もいい一日になるといいね』
その文面から始まるメールをやり取りするようになって、三年ほどになる。
インターネットという世界で知り合った友だち、和さんと会ったことはない。でも、彼女と私の感性が似ていることと、彼女の歯に衣着せぬ物言いに憧れている私としては、リアル世界の友だちよりも頼りにしている部分があるのは事実だ。言葉で説明するのは難しいけれど、一言で言うならば『馬が合う』というのだろう。
ちなみに、彼女が呼んでいる『キラ』という名前は、ネット上で私が名乗っているハンドルネームで、本名の光輝を発展させたものだ。もちろん、彼女の和という呼び名も、ネット上のハンドルネームであり、彼女の本名は知らない。私が知っているのは、彼女がライターという職業に就いていることと、「和」というハンドルネームをライターネームとしても使っているということくらいだ。
『この間のメールにあったキラの結婚観について考えてみたけど、こっちとしてはアリだと思うな。付き合っているからといって必ずしも結婚というのは変だと思う。もちろんそれには相手の同意が必要だとは思うけど。そういうの、彼氏さんときちんと話しているの? 彼氏さんが納得されていないのであれば、キラの独りよがりってことだし、こっちに相談する前に彼氏さんに相談して、お互いの気持ちをぶつけ合う方が先だと思うよ』
和さんからのメールを読んでいる途中で、トースターがチン! と軽い音を立てた。パソコンの画面をそのままに、トーストを取りに行く。テーブルに戻ると、トーストにマーガリンをジャリジャリと塗りたくった。私はバターたっぷりが好みだ。
『結婚はしなきゃならないものではないと思う。キラがそれでいいのなら。だけど彼氏さんは結婚を望んでいるんじゃないの? キラのこと大事にしてくれるんでしょ?』
トーストをかじりながら、メールを読み進める。読み進めるごとに、和さんが真面目に私のことを考えて文字を打ってくれていることが分かり、嬉しくなる。和さんの意見は最もなことばかりで、私自身よく分かっていることなのだけど、私はまだそれらを家族にも、彼氏であるリュウにも打ち明けられずにいた。
私は今年31歳になる。リュウと付き合って10年だ。私たちの家族やお互いの共通の友だちはみんな、私たちが結婚するものだと思い込んでいる。
『今のキラに言えることは、彼氏さんと結婚しないと宣言した場合、彼氏さんを失う場合だってあるよってことかな?』
パクついていたトーストを左手に持ったまま、私はその画面を見つめた。
『相談されたから答えているけど、最終的に決めるのはキラだよ? しっかり考えて結論を出すことだね。じゃあ、今日も一日ガンバロウ!』
締めくくられた文字をぼんやり見つめる。そうしている間に、思いのほか時間が進んでいたことに私は気づいた。
「うわっ、ヤバい!」
時計の針は8時40分を指している。私はかじりかけのトーストをお皿に戻すと、パソコンの電源を落とし、戸締りにかかった。
「窓よし! 元栓よし!」
ソファに放り投げてあったバッグを肩から斜め掛けにし、慌てて玄関から出る。今日も私は化粧なし。すっぴんだ。
「戸締り、戸締り」
玄関にカギを差し込んだ後、ポスト前に立てかけてあった自転車を引き起こす。
『彼氏さんと結婚しないと宣言した場合、彼氏さんを失う場合だってあるよ』
和さんのメールの文字が浮かんだ。和さんの言葉は真実なだけに、心が重くなってしまう。でもとりあえず、目の前に広がる空は青い。私は頭を振り、気持ちを切り替えて自転車を踏み込んだ。
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