第2話 もうあきらめるしかない(陸)

「東京に――」

 あんな風になんでもない話だといった感じで、大事なことを聞かれると、対応に困る。

 とは言え、別に泣きながら聞いてほしいとかそういうことではなくて。そうだな、もう少し切羽詰まった感じで。

 ……そういうのを望むのは難しい。今でさえ、まるでストーカーのように付きまとっているのに、そんな風に思ってほしいなんておこがましい。俺と一緒にいることが、葉月にとってどれくらい特別なことなのか、そんなの聞かなくてもわかってる。

 だから、あんな日常的な会話で大事なことを聞かれてしまうんだ。卒業したらバラバラになると彼女は言っていた。まさに今のままではその通りだ。

 いつも口下手な俺の話を聞いて、相談にのってくれる佐々木には、きちんと話さなくちゃダメだろうと、さっき叱られた。葉月に東京の話を振ってやったんだから、それを弾みにすればいいんだよ、と。


 もしも俺が佐々木のように饒舌だったら、今日みたいなことにはならなかっただろう。もどかしい。胸の中のもやもやした思いが、言葉という形にならない。三人で話してる時のように、佐々木の立場に立って、葉月を笑わせてみたい。「なぁに、それ。おかしい!」と目に涙をにじませるくらい、面白いジョークのひとつも言ってみたい。

 でも、それができない。


 このまま何もしないままでいれば、本当にバラバラだ。気持ちさえ伝えることができずに、駅までの道を二人で黙々と歩くだけでその一歩、一歩が別れに繋がっていく……。


 未来なんて、ないよなぁ。

 できることならこれからもずっと、葉月と、例え一方通行でも同じ時間を共有したい。気の利いたことなんて、たぶんこれから先も話せない。葉月は俺に嫌気がさして、もう近づかないでほしいと言うかもしれない。

 それでも、まだ一緒にいたい。


 東京行きは自分で決めた。

 行きたい大学があり、学びたい教授がいるからだ。尊敬できる人の元で、どうせなら学びたい。

 それは葉月と天秤にかけることはできない。まったく性質の違うものだから。

 好きなことと、好きな人をどちらも選びたいというのは欲張りだろうか?


 推薦入試なので、自己アピールが上手く行けば落ちることがない。口下手な俺にはちょっと敷居が高い。それなら一般受験も受けるつもりで勉強をしなければいけない。

 手につかない。

 葉月の言葉が耳にこだまする。

「バラバラになる」。


 葉月と知り合ったのは去年、委員会が一緒になったからだ。ほんの数回、仕事のことについて話し合った。みんながポンポン話を進める中、自分だけが上手く言葉にできない。

 その時、葉月が言った。

「どう思う?」

 言葉を選びながらゆっくりと話す俺の目を見て、根気よく話を聞いてくれた。そういう話し合いの場で話す機会を持てずにいた俺は、葉月のことを忘れられなくなった。

 彼女にのぞき込まれた時の、その瞳が忘れられなかった。


 三年になると葉月と同じクラスになった。

 どうしよう、覚えてるだろうか、と不安になった。声をかけてみるべきか、他のクラスメイトと同じように接するべきか。

 去年から同じクラスだった佐々木が、偶然、葉月の隣の席になった。佐々木は唯一、気の置けない友だちだった。上手く話せない時でも、気持ちを代弁してくれる。

「あれ?同じ委員会だったよね?」

 焦る。何か言わなくちゃいけない。

「うん。よろしく」

 なんて素っ気ない挨拶だろう。彼女はにこっと笑って、佐々木と話の続きを始めた。

 その後、佐々木に怒られた。

「はじめが肝心なんだよ」

 まったくその通りだ。小学生にだってできることが、自分にはできない。


 ある日、学校帰りに自転車を走らせていた。坂を下ってしまえば一本道で、ペダルをただ漕いでいればそのうち家にたどり着く。

 その日も他の日と同じように、気の利いたことを言えずにいた。ペダルを漕ぎながら反省する。

 と、前の方に葉月が歩いていた。今日は他の友だちと一緒ではなく、一人だった。

 サーッと自転車で葉月を追い越して、ブレーキをかける。いきなりのことに、葉月は戸惑った顔をした。

 そりゃそうだ。いつもと違って二人きりだ。何か、止まった理由を話さなければいけない。


「……一人?」

 そういう日もあるよ、と彼女は言った。それはそうだ、単なる話のきっかけが欲しかっただけなんだから。

 あるよな、と言って自転車を降りる。葉月の隣を歩く。おかしなことだというのはわかっていた。せめて一緒に帰っていいか、聞くべきだ。

 でもそれも、言葉にならない。

 葉月は明らかに困惑した様子で、たわいのないことを幾つか話題にあげてくれた。次に話が繋がるように、上手く返せない。

 そのうち彼女もあきらめたのか、特に話題を作るのは止めたようだった。

 田んぼに風が吹き抜ける。


 自分のしていることはまるでおかしなことだった。その日から葉月が一人で帰っているのを見かけると、自転車を降りて隣を歩いた。

 様子をうかがう。

 話は弾まないけれど、そんなに嫌な顔はされていないように見えた。安心する。葉月と一緒にいると、沈黙も怖くないと思えるようになった。時々、ぽつりぽつりと、小さなことを話す。

 葉月は俺があまり話さないことを知っているので、答えを急かすこともないし、返事の言葉数が少なくても特に気にとめていないように見えた。

 佐々木は、「はじめの一歩だよな」と喜んだ。


 そうしてそういう日を何日か数えられないほど過ごして、少しは彼女の気持ちも傾いてくれているんじゃないかと思っていた。

 ついさっきまでは。

 俺のことなんて、いつものちょっとした話題の一つに過ぎないのかな?


 バラバラになる。

 それで葉月はなんとも思わないのか。

 好きだと思っていた気持ちを全否定された気になった。

 何度、一緒に帰っても、それだけで心の壁は壊すことができなかった。自業自得だ。


 もう、あきらめるしかないよな。

 彼女は俺をなんとも思っていない。

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