疫病神現る⑧
裏山が火事の中に突入してから数分が経過した。火勢は衰えるばかりか益々強さを増しており、消防隊達は隣家への延焼を防ぐので精一杯だった。取り残された子供の母親は気が気じゃない様子で我が子の無事を固唾をのんで祈っていた。家の屋根は火の粉とともに崩落し始めており、このままじゃ恐らく全焼するだろう、田畑はそう思った。その矢先、煙が立ち込める中、家の玄関先から、何者かが咳込みながらのっそりと姿を現し、こちらへ向かって来た。
裏山椎名である。顔は墨汁でもつけたかのようにススで真っ黒になっており、トレードマークのストレートヘアーは若い頃のマイケルジャクソンの如くチリチリのパーマになっていた。田畑は否が応でも、『スリラー』のMVを想起せずにはいられなかった。まあそんな事は今、どうでもいい。見た所、彼以外の人物は見当たらない。やはり、既に手遅れだったのだろうか?
母親の表情が諦観に満ちたものとなり、その場に崩れ落ちた。
諦めムードが漂う中、裏山がまた咳払い一つついた後、おもむろに左手の指を鳴らした。その途端、彼のすぐそばに、一人の少年が顕現した。言わずもがな、女性の子供である。
なるほど、裏山は少年を安全に救出するため、敢えて右手の能力で少年を一度消滅させ、彼一人で火の手を掻い潜り家から脱出した後、この場で少年を出現させたわけか。田畑はそう推察した。
息子の姿を視界に捉えるや否や、母親のどんよりと曇り切った表情が一気に明るいものへ変貌した。少年は、状況を把握できず、不安そうに辺りを見渡している。母親は息子の名前を叫んで息子のもとへ一目散に駆け寄った。
「あっママ!」
少年は泣きながら母親に飛びついた。母も涙を浮かべながら息子をそれはそれは力一杯抱擁した。
「ふん、俺様の厚意に感謝しろよガキ」
裏山はそう呟くと燃え盛る住宅を背に、田畑達の方に向かって来た。
「ヤッベ、マジ感動すんだけど。マジ泣ける。ヤッベ」
「これニュースとかなんじゃね?ニュースニュース」
野次馬達は目の前で行われた一人の少年による救出劇に、興奮を隠しきれない様子だった。そんな彼らに憧憬の目で見られつつ、裏山はしきりに髪を気にしながら田畑の傍まで来た。
「凄いな、君を見直したよ。あんなのいくら能力があってもなかなか出来る事じゃない」
田畑は彼を称賛した。正直な気持ちだった。
「ま、まあな。俺様も平和を愛する者の一人だからよ。危険とわかっていても体が勝手に動いていたぜ!」
これは真っ赤な嘘だ。彼は初めから計算ずくで動いていた。
疫病神に取り憑かれた者は、『三日後』に確実な死を迎える。
裏を返せばそれは、それまでは絶対に死期は訪れない、という事になる。
まるで屁理屈のようではあるが、裏山の読みは無事、当たったようだ。
「ワシの力を逆に利用するとは…、お前さん、なかなかやりよるのう」
疫病神が感心したように呟くが、裏山は無視して照れくさそうに田畑から視線をそらして言った。
「その、なんだ、田畑、お前が嫌なら別に構わんのだがよ、またお前と以前のようにつるんでいいか?やっぱお前とバカやってた時が一番楽しいのに気付いたんだよ。そんな事が、今更になってわかったんだ。俺はアホだったよ」
田畑は少し笑みをこぼすと、裏山の腕を軽く叩いた。
「また、前みたいにワケわかんない本を僕に貸してくれよ」
「お…おうよ」
二人のやりとりを少し離れた位置で見ていた田畑の妹が言った。
「何この感動ムード。キモイわー」
裏山に息子を救出された母親が彼のもとへ歩み寄って来た。腕には大事そうに我が子を抱き抱えている。
「本当にありがとうございます。どう感謝していいものか…、あの、宜しければ名前をお聞かせしてもらっても…」
裏山は急に得意面になると、まるで選挙カーの街頭演説のような口調で返答した。
「名乗る程の者ではございませんが聞かれたからには名乗っておきしょう。私は裏山椎名、裏山椎名でございます。いや、お子さんが無事で何よりでございます。お母さんに似て、聡明そうなお顔をしておらっしゃる。あ、そうそう、もしもご用件があればこの番号へおかけください。(感謝状の贈呈とかね、ヒヒ)」
裏山はどこからともなく、メモ帳とペンを取り出すと手慣れた動作で自身の番号を書き込み、女性に渡した。
「では、これにて失礼します」
裏山が背を向けると、背後から子供の声が聞こえた。
「お兄ちゃん、ありがとー」
裏山は背を向けたまま手を振り、まだ消火を続けている消防隊に適当に激励の言葉を投げかけ、青ペンキが付着した尻を衆目に晒しながらその場を去った。
午後11時の繁華街、街はまだまだ眠る様子はなく、人通りは多い。風俗店や飲み屋のキャッチが通行人に愛想を振りまいている。裏山は彷徨いながら、これからの計画を練っていた。
すると彼は突然背中に刺すような痛みを覚え、すぐさま振り返った。
見覚えのある男がバタフライナイフを持って立っていた。そう、ノブ君である。顔ははれ上がっており、ナイフには血がついていた。
「て、てめえは…!い、痛ァ…!」
背中の痛みはどんどん激しくなっていく。立つのもままならなくなり、裏山はその場に倒れこんだ。どうやら背後から刺されてしまったらしい。
「ざまあみやがれぇ…!クソ野郎が…」
ノブ君はそう言って走り去って行った。裏山は次第に意識が朦朧とし始めた。視界がぼやけ始めている。
「や、やばい、このままじゃ…!この俺様が…『歩く消火器』なんざに…!」
裏山は血反吐を吐いた。
何て事だ。死ぬのは三日後じゃあなかったのか?
い、意識が遠のく…。
裏山は消えゆく意識の中、疫病神の笑い声が聞こえた気がした。
気付くと見知らぬ白いジプトーンの天井が見えた。そこからカーテンが垂れ下がっている。ベッドに横たわっているようだ。身に着けているのは病衣だった。背中には包帯が巻かれているようだ。不幸中の幸い、何とか一命はとりとめたようだ。
裏山はそれらの事から、目覚めて数秒でここが病室であることを理解した。窓からは日の光が差し込んでいる。裏山は壁に設置してある時計を確認した。既に8時をまわったところだった。
「ようやくお目覚めのようじゃのう。話し相手がいなくて退屈だったわい」
疫病神の忌々しい声が聞こえた。
「お、俺様は一体どれくらい意識を失っていたんだ?」
裏山はいささか寝ぼけながら言った。
「ざっと33時間じゃ」
「ふーん、そう…。33時間ね…って33時間ン!?」
裏山は眠気が一瞬で吹っ飛び、ベッドの上で飛び上がった。その瞬間、背中に痛みが走り、彼は悲鳴を上げた。
「じゃ、じゃあ俺の寿命はあとどれくらいだ!」
「お前さんに取り憑いたのは確か9時じゃったから…あと1時間…いや、もう1時間もないのう。ホッホッホ」
裏山は血の気が引き、頭を抱えた。何てことだ…。
死が、すぐ傍まで来ている。
どうすればいい?今すぐにでもこの疫病神を誰かに押し付けなくては…。とはいえ誰に?同じ病室の奴にでも押し付けるか?いや、それは酷だ。
じゃあ、一体どうする?コイツを押し付けても心が痛まない奴…。
そうだ、一人いた。このジジイのご主人様にピッタシのクソ野郎が。完璧忘れてたぜ。
裏山は右手の指を鳴らし霊体化すると、その場から消え去った。
その後、裏山が向かったのは病院の屋上だった。殺風景で閑散とした、味気の無い風景が広がっていた。あるものと言えばフェンスくらいである。
「こんなところに逃げ込んでどうする気じゃ?どこにいようと死の運命からは逃げられんぞ」
疫病神がそう言った。しかし裏山は平静を保った様子である。
「逃げてるつもりなんざ微塵もねえよ。俺はここに打ち勝ちに来たんだ。お前にな」
まさかコイツとキスする羽目になるなんてなあ。ゲロゲロ。想像してもいなかったぜ。このジジイのせいで散々な目にあったが、これがまさしく『最低』だな。
裏山は左手の指を鳴らした。
「ぐげげ…ど、どこだここ…?」
茶髪で、前髪の長い男は戸惑っていた。何せ目を覚ますとどこかの屋上に横たわっていたからだ。男の左手には穴が突き抜けており、生々しい血が噴き出ている。
肝杉毒男25歳無職童貞。
そう、かつて裏山を襲い、返り討ちにあった男だった。
肝杉は周囲を見渡すと言った。
「ど~なってんだ…?俺はあのキショイいロン毛男に居場所を特定されて…。ま、まあいいか。なんか知らんが助かったぜ…帰ってエロゲやろ…」
そこで肝杉は妙な違和感を感じた。何かがのしかかっているように左肩が重いのだ。思わず目をやり、彼はぶったまげた。
「ギョ、ギョエエエ!なんじゃこのジジイはぁ!」
「ホッホッホ。お前さんが次のご主人か。よろしく頼むわい」
こうして肝杉の新たな戦いが始まった。
頑張れ肝杉。
負けるな肝杉。
彼の物語は、今始まったばかりだ。
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