裏山の苦難④

雷雨降りしきる灰色の街、人々の群れを縫うように自転車で疾走する男が一人。

裏山は、街のメインストリートを走らせていた。狭苦しい場所で逃げ続けると不利だ、いずれ退路を断たれるかもしれない。そう判断しての事だった。ワイシャツは雨でぐっしょりと濡れている。あの『死神』は尚も同じ距離間を保って障害物や通行人をすり抜けながら彼を追跡してきている。

「クソ、いいかげんしつけえぞ骸骨野郎、可愛いねーちゃんなら大歓迎だけどよ」

彼は忌々し気にそう呟いて自転車を走らせ続けた。すると前方にある横断歩道の信号が赤ランプを点灯させた。

げぇっ。ここで止まったら、青になる前にあの野郎に追い付かれちまう。仕方ねえ。突っ切るとするか。

窮余の一策。彼がやむを得ず赤信号をフルスピードで突っ切ろうとすると、危惧していた通り右側からエンジンにうなりをあげて銀色のセダンが突っ込んできた。

裏山は視線をそちらに向けると、無言で右手を車に伸ばした。

運転手は青ざめて急ブレーキをかけたが間に合わず車のバンパーが裏山の右手に突っ込んだ。だがその瞬間、中の運転手毎、車が綺麗さっぱり消滅した。

裏山はすました顔で横断歩道を渡り終えると、左手の指を鳴らした。すると、先程の位置に車と、中の運転手が出現した。通行人と運転手は状況が呑み込めず、目を白黒させていた。『死神』はそんな彼らをすり抜けながら尚も追いかけてくる。

「ふうーっ。やっぱやばいな。いずれ追い付かれるのは目に見えている。この方法だけはとりたくなかったが、仕方あるまい」

裏山はズボンから携帯を取り出すと、器用に片手を使い、ある人物に電話をかけた。

しかし、待てども応答はない。空しくコール音だけが耳元で鳴っている。

…やはり、出ないよな。

裏山は気を落として電話を切ろうとした。その時、聞き覚えのある声が耳朶に触れた。

電話の相手は、裏山のかつての友人、いや正確には彼にとって自分の引き立て役程度の存在だった男。田畑だった。

「何の用だ」

余所余所しい口調だった。まあ当然だろう。電話に出ただけでも奇跡だ。裏山は驚いた。ダメ元で彼にかけてみたが、出るとは期待してなかった。逆の立場だったら、自分は絶対にでないであろう。そう思った。裏山は思わずしどろもどろになって話を始めた。

「よ、よお田畑。元気か?出るとは思わなったぜ。いやほら、あんな事あったしよ。電話に出てくれて嬉しいぜ」

「白々しい事言ってないで、早いとこ要件を言ってくれないか?」

田畑は苛立った様子で裏山にそう指摘した。

「…実は今、超がつくほどやべぇ状況に陥ってる。死活問題だ。お前、常史江の奴の連絡先知ってるだろ?奴と連絡を取りたい。なあ田畑、お前に俺がやった事を許してくれとは言わねえし、許されねえだろうとは思ってるが、もし、もしだよ。お前がよければ奴の連絡先を教えてくれ。決めるのはお前だ。お前が嫌なら、俺は引き下がるよ」

「僕に常志江君の連絡先を教えてくれと?」

「ああ」

数秒の沈黙の後、田畑はため息交じりに言った。

「わかった」

彼のフラットな返答に裏山はまたも驚いた。何度も言うが逆の立場だったら、自分は絶対に了承しない。

「え、マジいいの?何で?」

「高校入学当初、僕は君以外、誰にもなじめなかった。君はきっと僕を自分の引き立て役程度にしか思ってなかったんだろうけど、僕の相手をしてくれるのは君だけだったんだ。君がいなかったらその内、学校に行かなくなってたかもしれない。僕はその時の事を、どうしても忘れる事が出来ない。下らないだろ?理由はそれだけだよ。じゃあ、今から送るから電話を切るぞ」

「…サンキュー、田畑」

裏山が呟くと、田畑は電話を切った。ツーツーというビジートーンを聞きながら、裏山は、よくわからない感情を抱いた。心が清涼感に包まれるような、今まで味わった事のない感覚。

だが今は感傷的な気分に浸っている場合ではない。

すぐに彼の携帯に常史江のラインのアドレスが送られてきた。しめしめ、これで希望が湧いて来たぞ。

以前、戦って分かったが、常史江の能力は恐らく想像したものを具現化する能力。

奴の力があればこの敵の居場所を突き止められるかもしれない。チキン野郎、今に待ってやがれ。俺様を怒らせるとどうなるかたっぷりわからせてやる。


夜、壁一面が美少女キャラのポスターに囲まれた部屋で、一人のマッシュルームカットの男が椅子に座りながらデスクの上のキーボードを無我夢中で叩いていた。彼の着ているスウェットの胸元は、微かに茶色くなっていた。家の外では雨音が鳴っている。棚には夥しい数のフィギュアが保管されていた。どのフィギュアも体の露出が多く、悩ましいポーズをとっている物ばかり。

パソコンの液晶画面には、最近恋愛関係のスキャンダルを起こしたアイドル崩れの声優に対する、低俗な誹謗中傷が書き込まれていた。

男はおもむろに時計を確認した。

…そろそろ死んだかな?アイツ。けけけ。まあいいや。どうせあの『死神』から逃げ切れる奴はいない。それに俺の居場所がばれるワケがない。

彼が薄ら笑いを浮かべていると、部屋の扉が音をたててゆっくりと開かれた。男は舌打ちして、長い前髪の奥の濁った双眸で睨め付けた。

「おいババア、勝手に入ってくんじゃねーよ!」

しかし、扉から顔をのぞかせたのはババアではなく、予想外の人物だった。びしょ濡れのワイシャツを身に纏った、細長い四肢を持つ長髪の少年、そう、裏山椎名だった。黒髪には乾いた血がこびりついている。男は悲鳴をあげた。

「ひゃあっ、お、お前はっ」

彼がそう言って椅子から逃げ出そうとすると、裏山は手に持っていた包丁を彼の手に突き立てた。手から貫通した包丁はキーボードにも食い込んだ。血飛沫が数滴、液晶画面に飛び散った。

「あびゃあああ!」

「会いたかったぜ~?肝杉毒男(きもすぎぶすお)25歳(無職)」

裏山は血に染まった鬼気迫る表情で肝杉と呼ばれた男に顔を寄せ、包丁をまるで泡だて器でかき混ぜるようにぐりぐりと動かした。肝杉は部屋の外に向かって叫んだ。

「ぎょえ~っ!おいババアっ!助けてくれ~!」

「残念だったな、肝杉毒男25歳(無職)。お前さんの母親はちょっと消させてもらった。まあ安心しろ。恨みがあるのはお前だけだ。あとで復活させてやる」

裏山は自分が入って来た開けっ放しのドアをちらりと横目で確認した。

「あの『死神』がはいってくる気配がねえな。どうやら手をぶっ刺されたショックで能力が解除されたようだな。ヘタレ野郎が。これでテメエに勝ったぞ。しかしお前さんの能力、正直恐れ入ったよ。罠をはった後は相手が死ぬのを待つだけ。マジでまいったよ」

そう言うと裏山は包丁にさらなる力を込めた。

「いぎぎぎぎ」

「だが逆に言えばそこがお前の弱点。相手に居場所を特定されたらお前には身を守る術がねえ。なあ、覚悟しろよ貴様?」

裏山は部屋の様子を伺った。

「趣味のいい部屋に住んでるじゃあねえかよ肝杉」

そう言って彼は机脇の棚をマッチ棒のように細い足で蹴りつけた。飾られていたフィギュアが床に次々と落下した。肝杉がどこか悲し気な声を出した。

何故、裏山が肝杉の居場所を特定できたか?理由はこうだ。

裏山が常史江に連絡をすると、後はトントン拍子に事が進んだ。まず、常史江が紙から相手の情報が何か分かるかもしれないと言ったので、裏山は紙を置いてきた自分の家の住所を彼に教えた。その後、彼の家に訪れた常史江が、能力で創造した指紋鑑定機で紙を確認すると、紙の表面に指紋が付着していたのが分かった。さらにその後、彼の能力で警察のデータベースを探ってみたところ、過去に万引きで捕まった男の指紋と一致しているのが判明した。その男こそが肝杉だったのだ。後は、探知機で彼の居場所を特定するのはたやすかった。

「お、お、お、俺を殺すのか?」

肝杉はガタガタと震えながら言った。裏山は冷たい笑みを浮かべて言った。

「いや、殺すだなんてそんな可哀想な事はしねえよ」

そう呟くと裏山は肝杉に向かって親指の無い右手を伸ばした。

肝杉の絶叫が、部屋中にこだました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る