久々登場

ベーシックな外観を持つ、多少立地が悪い事がネックだが、それに目を瞑れば極々ありふれた一軒家の、テレビも、本棚も、cdプレーヤーもインテリアも存在しない、ある物といえばカレンダーに机、ゴミ箱などといった、ミニマリストを思わせるどこまでも簡素で面白みのない、カーテンを閉め切った薄暗い一室に、時計の秒針の音だけが等間隔で鳴り響いている。微かに開いたカーテンの隙間から見える家の外も、既に夜が訪れているようで、ほの暗い。部屋の扉から対角に設置されてある折り畳みベッドの上で何者かが僅かに、窮屈そうにもぞもぞと蠢いた。防寒効果のある白色の掛布団からは黒い長髪だけが覗いており、顔は全て隠れている。男の名は常史江永遠。昨日の夜はとりわけ寒々しく、うっかり風邪をひいてしまい、やむなく学校を欠席した。とにかく彼は寒さにはめっぽう弱いのだ。暑さには凄まじく鈍感だが。とはいえ、彼が自身の能力で作り出した特効薬により、午後3時を過ぎたころには、大分体調も良くなっていた。そのまま途中から出席しようとも思ったが、面倒くさかったのでやめた。それに風邪がぶりかえしてしまっては意味が無い。そう判断して、泥のように1日中寝ていた。息苦しくなったのか常史江は掛布団を顔からはらった。一見、女性と見紛えそうな、ジェンダーレスで、どこか人間味のない、まるでマネキンのように無機質な雰囲気に満ちた顔が露わになる。その目は虚空を見つめている。その時突然、ベッド脇の棚に置かれている彼のスマホが音を発した。無味無臭の単調なメロディ、デフォルトのままの電話の着信音だ。常史江は上体を起こさず寝た姿勢のまま、右手だけ動かして携帯を掴もうとした。しかし、しくじって棚から携帯は滑り落ち、クッションフロアの床に落下してボトンと音を鳴らした。常史江はようやくベッドから起き上がった。寝ぐせで何とも奇抜なヘアスタイルになっている。寝巻きは青色のジャージだった。寝ぼけ眼を擦りながら携帯を拾い上げた。暗い部屋の中で、スマホだけが光を発している。眩しさに目を潜めながら画面を確認すると、遠井千佳と表示されていた。常史江は通話ボタンを押して携帯を耳にあてた。

「やあ、どうした千佳?」

しかし聞こえてきたのは、彼女の声とはとても似ても似つかない、砕けた感じの男の声だった。

「ハロー常史江。風邪の方はどうだ?」

「…誰だ」

携帯越しに男は不快な笑い声をあげた。

「僕が誰か、なんてのは重要じゃないんだよ常史江。ちょっとあんたのガールフレンドを預からせてもらった。心配するなよ、まだ何も変な事はしてないから。気を失ってるだけだ。可愛い寝顔だよ」

男は随分と上機嫌な様子だった。

「彼女がガールフレンドかどうかはさておき…一体何が望みだ?」

「話は単純だ。あんたと決闘したいんだ常史江。もし拒否するならチカちゃんはバラバラにして殺す。男なら、もちろん売られた喧嘩は買うよな?場所は彼女の家の近くの廃工場だ。そこの一番大きい棟にいる。言っとくが僕は待つのが何よりも嫌いなんだ。1時間以内に来い。一秒でも遅れたりしたら彼女の命は無いと思え。じゃあ、来るのを信じてるぜ?」

そう言って男は高笑いすると、電話を切った。

「…病み上がりに、随分とハードな問題に巻き込まれちまったな。わざわざ俺と決闘がしたいなんて、新手の超能力者とみて間違いない、かな。そして俺が風邪をひいていたのを知っているあたり、恐らく同じ高校の人間か」

常史江はそう忌々し気に独り言ちると、寝間着姿のまま、髪も縛らず部屋を抜け出すと、階下に降り、居間でくつろいでいる両親に気付かれないよう、リビングに面した廊下を音もなく横切り、狭苦しい玄関でシューズを履くと家から外に出た。外気に触れ、常史江は思わず縮こまった。常史江が右手を前方にやると、その場所にどこからともなくマウンテンバイクが現れた。見てくれは銀色で分厚いブロックパターンのタイヤを持つ、シンプルなフォルムの至って普通の自転車。常史江はそれに跨ると、変速を全開にして、一目散に廃工場に向けて逸散した。やはり夜というだけあって日中より人通りも交通量も少ない。よって常史江は円滑に道を走らせることが出来た。マウンテンバイクはどんどん加速していった。時折、目にかかる前髪を掻き分けつつ、ロードレース大会の選手も腰を抜かすスピードで、すいすいと道を走らせた。この調子なら余裕で約束の時間にも間に合うだろう。勿論、このスピードは常史江自身の運転技術ではなく、特殊な性能を持つ自転車によるものだ。やがて遠景に廃工場が姿を現した。夜に見る廃工場は、白昼で見るよりも、はるかに疎外感や退廃的な風情がある。常史江は敷地へのゲートを通ると、自転車から飛び降りた。横に倒れた自転車は数秒後、タイヤを回転させながら次第に消えて無くなった。最も大きい棟はすぐに見つかった。入り口のシャッターは半開きになっている。奥は非常に暗く、何も見えなかった。常史江は片手でシャッターをこじ開けると、自身の能力で右手に懐中電灯を出現させ、警戒しつつ、中へ入っていった。

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