ヒーロー

思わず震えだしそうな程寒々しい夜だった。体感気温8℃くらいだろうか?ビュービューと絶え間なく風が吹いており、それに伴って公園を囲む木々の葉を揺らした。ベンチはひんやりとしている。噴水は思わず眠くなりそうな水音をたててささらいでいる。こんな夜には何となく言いようのない空虚な気持ちになるものだが、それはもう過去の話だ。なんたって自分のすぐそばには世界1魅力的な女性がいるのだからな。透は自身の横に腰かけている茜の横顔を眺めた。公園はデートスポットに最適との情報を得たので、透が茜を誘ったのだ。以前は彼女に気付かれないよう顔を盗み見たりもしたが、もうそんなコソコソとした行為をしなくてもよくなった。今は堂々と彼女の顔を見つめる事が出来る。その事に透は感動を禁じえない。茜の横顔は透にとってどんな名画や芸術作品よりも尊く、魅力的なものに思えた。46億年以上に及ぶ地球の歴史の中で、人類が作りえた奇跡とでも言えるだろうか。彼女の肩までの長さの黒髪を見ているだけで透は忘我の境地に達してしまいそうだった。こんな思いを出来るのは地球上でただ一人、自分だけなのだ。透はその事を町中に自慢してやりたくなる衝動に駆られた。


「何見てるの?」


透がうっとりして虚ろな瞳で涎を垂らしていると、茜がその様子に気付いたのか、透の方に向き直った。まるでアニメのキャラのように大きな目や小ぶりな鼻、そして形の整った唇、彼女の顔の造形美は透の理想の女性を体現しているかのようだった。人口1臆人以上の日本で彼女と出会い、あまつさえ両想いの関係になれたのは奇跡というべきか、それとも神の思し召しというべきか、とにかく何か大きな力の存在を感じずにはいられない。


「なあ、何で茜は俺の事なんかいいと思ったの?」


透は鼻の頭を掻きながらそう言った。やはり、あの痴漢から救ったのが決め手になったのだろうか。あの日、あの電車に同乗していなかったら…。そんな事は想像もしたくない。


「何でそんな事聞くの」


「いいじゃんいいじゃん教えてよ、やっぱ俺、イケメンだから?」


「馬鹿」


茜はしばらく言い渋っていたが、透のあまりのしつこさに根負けした。彼女は恥ずかしそうに口を開いた。


「ホントは昔から、気になってたんだ。透君のこと」


「…マジすか?」


透は自身の見当が外れ、面食らった。まさか自分みたいな、フツメンの代表格と言えるような、何の取柄もない、多少スケベなだけの男を、彼女は好いていてくれていたとは…。やはり運命の赤い糸というのは実在するのかもしれないな。ラブコメの主人公にでもなったような気分だぜ。


「私ね、小さい頃よく同じ夢を見てたの」


「夢?」


「そう、怖いお化けに追いかけられて食べられそうになるんだけどすんでの所でいつも男の子が助けてくれるの。似てたんだ、その人、透君に」


茜は数秒置いてこう続けた。


「鼻が」


「えっ鼻?」


鼻?鼻なのか?いや、別に悪い気はしないけども。そんなに俺特徴的な鼻してたっけ?


「だけど、透君はやっぱり私のヒーローだった。だって私を助けてくれたから」


茜は、はにかんでそう言った。その表情を見た瞬間、透の自制心という名の小さなダムが脆くも決壊した。ああ、この子はどこまで純情に俺の心を刺激するのだ。ある意味、自覚のない魔性の女と言えない事も無い。透は茜の肩を掴んでキスしようとした。


「わっやめてよ」


茜は透を突き飛ばした。透はひっくり返って無様にもベンチから落下した。


「いでで、何よ今いいムードだったじゃんよ?」


「恥ずかしいでしょ」


そう茜は咎めた。もう既にファーストキスは済ませたというのに、今更恥ずかしがる事ないではないか。やれやれ、乙女心は社会の状勢よりも複雑なのだな。まことに残念だが、キスはお預けか。まあいいさ。次は君の方からおねだりさせてみせるぜ?透はベンチに腰掛けなおした。ふと隣を見ると、茜が寒そうに腕をさすっていた。おっと、俺としたことが気が利かない。透はユニ〇ロで買った一張羅のジャンパーを脱いで茜の体に被せた。もちろん彼も肌寒いのは一緒だったが、彼女のためならそんな事は気にならなかった。自分の事よりも他人の事を優先してしまうのが彼の性分だった。


「ほらよ」


「透君、悪いよ。寒くないの?風ひくよ」


「何をおっしゃる。バカは風ひかないとか、どっかのバカが言ってただろ?俺は昔から体だけは丈夫なのさ」


そう言って透はグーサインを作った。ただそうは言ったものの、鼻水が垂れ下がってきた。透はそれを茜に気付かれないように啜った。


「本当にいいの?透君、ありがとう」


「滅相もございません茜様」


「何、それ」


二人は笑いあった。


透が空を見上げると夜空にテニスボールのような満月と、満点の星が輝いている。耽美な光景だ。壮観でもある。何故か普段とはまったく違って見えた。下らないポエムでも披露したくなってくる。


「帰りたくないな」


茜がそう呟いた。


「俺もそう思っていた」


二人の視線が交錯した。言葉はなくとも、お互いが何を思っているのかわかるような気がした。茜が顔を寄せてきた。やったぜ。神様、今までアンタに感謝なんてしたことなかったけど、今なら心から出来るよ。透は茜を抱き寄せて口づけしようとした。


「不純異性交遊発見」


聞きなれない声がした。

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