まいえんじぇる!

有頂天だとか、幸せの絶頂だとか、天にも昇る気持ちだとか、幸せを表現する言葉は幾つもあるが、そんな言葉でも言い表せない程、貫木透は舞い上がっていた。人生の絶頂期と言っても大袈裟ではないかもしれない。それぐらい彼にとっては大きな事だったのだ、意中の相手だった霧島茜を恋人に出来た事が。透は幼少期からおちゃらけた性格で、友達も少なくなかったが、如何せんクラスではスケベキャラとして扱われており、ついたあだ名はスケベニンゲン。何とも安直だ。そういえば銀座にも同名のイタリア料理店があるらしい。そんな事もあって女子達からは多少白い目で見られる事もあったが、決して彼は嫌われてはいなかった。とはいえ女子とは皆友達止まりだったが。彼女いない歴=年齢だった透に転機が訪れたのは数日前、学校の休日に彼は隣町に向かおうと満員電車でぎゅうぎゅう詰めになりながらスマホのエロ広告を眺めていると、偶然ドアの付近にクラスメートである茜の姿を発見した。茜は小柄で黒のショートカットに、二重瞼で目の大きい、素朴だがお茶目な顔立ちをしており、私服は派手さとは無縁のチェックのワンピース、透の好みにドストレートだった。茜はクラスでも比較的冴えない女子グループに所属している女の子だったが、その飾らない透明感のある雰囲気が透は好きだった。彼女の魅力を一番理解しているのはこの俺だ。透は勝手にそう思っていた。授業中、何度彼女の顔を覗き込んだ事だろうか。透が声をかけようか迷っていると、なにやら茜の様子がおかしいのに気付いた。今にも泣きだしそうな顔をしている。透はもしや、と思った。ビンゴ、大当たり!彼の予感は的中した。彼女の尻をスーツ姿の一見誠実そうな白髪の中年男の手が撫でまわしているではないか。それはもう、少しは加減しろよ、と言いたくなる程の豪快な触りっぷりだった。ええい、どこの誰か知らないが、羨ましい事しやがって!と透は義憤に駆られ、乗客を掻き分け茜のそばまで寄ると、茜の尻を執拗にペッティングする変態白髪中年の腕を鷲掴みにして捩じ上げた。透は腕力には自信があった。変態白髪中年は堪らず悲鳴をあげた。


「いで、いで、いで」


周囲の乗客が彼らに目をやった。


「おっさん何やってんの?」


この野郎め、俺は女の尻はおろか、手すら触ったことも無いんだぞ。だと言うのにお前は人の気も知らないで、あろうことか俺の目の前で俺の片思いの相手の尻を触りまくりやがって。クソ。まあ気持ちはわからなくもないが。透は正義の怒りを燃やし、男の少々にやけ気味の顔を睨みつけた。


「すいません許してください、出来心じゃないんです、ただ悪気があって」


「普通逆じゃねえの?おっさん」


透は頓珍漢な言い訳をする男に冷静な指摘をした。男は尚も猥雑な笑みを浮かべている。反省の色が伺えない男に対し、透は憤りを見せた。


「おっさん自分が何したかわかってる?とにかく警備員に突き出すから」


「ええ~?それは勘弁して下さいよ。会社に首きられますよ私」


「どうしよっかな~」


透は茜の顔をチラリと伺った。相変わらず男に怯えているようだった。まあこんな変態白髪中年に尻を撫でまわされたんだから無理も無いよな。トラウマになってもおかしくない。透は結局、男を警備員に突き出した。男は最後の最後まで「堪忍して下さいよ~」などとほざいていた。ああいう異常性癖は死ぬまで治らないものなのだろう。ある意味悲しい性を背負った不運な男と呼べなくもない。だがやはり痴漢はいかんよ痴漢は。透は自分が突き出したにも関わらず、警備員に連行されていく男の姿を見ながら人知れず彼の幸運を祈った。それと同時に茜を魔の手から救う事が出来た事でまるで自分がヒーローになったかのように錯覚した。




翌日、透がルンルン気分で教室の戸を開けると、既に出席していた茜が走り寄って来た。ショートカットの黒髪が鮮やかに靡く。それだけで透には眼副の光景だった。


「透君、昨日はありがとう」


「おう、いいってことよ!」


透は手でグーサインを作った。うん、やはり俺のマイエンジェルは近くで見ると一段と可愛いぜ。そりゃあのオッサンも手を出すってもん…おっと、思考があの野郎と同レベルになっちまう。


「透君、勇気あるんだね」


「いや、体が勝手に動いたっつーかさ」


透は鼻高々でそう言った。茜はただ嬉しそうに微笑んだ。やはり君は笑顔が似合ってるぜ。透も微笑み返した。しばらく二人は教室の隅でそうしていた。


「何だあいつら」


二人の世界に没入していると、クラスメートが奇異の目を向けてそう言った。だが二人はお構いなしにそうしていた。


それから二人が友達から恋人の関係までステップアップするにはそれほど時間はかからなかった。先に告白してきたのは意外な事に茜からだった。場所は学校の帰り道の、石階段の上だった。茜はもっと奥手だったと思っていたので告白は自分からするしかないと思っていたが、何とも嬉しい誤算だった。


「私なんかじゃダメかな?」


「いいや全然ちっとも!是非付き合おう!不純な動機抜きで!俺も茜が好きだっ!」


思いの丈をぶつけると二人は今世紀史上最も情熱的なキスをした。透の脳内にはそれはもう感動的で仰々しいBGMが鳴り響いていた。その日から二人は学校でも人目を憚らずいちゃつき始め、透の非モテ仲間だった友人は透に裏切り者などとわめいて彼にヘッドロックをかけた。茜はその様子を見て笑っていた。


透はヒーヒー言いながらも、自分は今、世界で一番幸福な男だ。そう確信した。そして出来る事なら、茜に世界で一番幸せな女になってもらいたい、そう本気で思った。

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