右腕

裏山の切断された右腕は弧を描くと、田畑の足元にべちゃりと落下した。田畑はゾッとして後方に飛び退いた。


さて、肝心の裏山はというと、切断面から景気よく血をまき散らし、半狂乱になってのたうちまわっていた。まるでB級スプラッター映画を彷彿とさせる光景だった。田畑の横で千佳がうっ、と唸った。


常史江は絶叫する裏山を尻目に呟いた。


「勝負あったな。さっき君はボールから自分を防御する際、右手だけを振り回していた。それは人や物を消滅させる力は右手でしか使えない事の証だ。両方の手でその能力が使えるんだったら、さっきの時点でやってるだろうからな。そしてこの時点で君の能力は封じられた」


裏山は青筋を立てて言った。


「何で俺が攻撃するタイミングと居場所が正確にわかった」


常史江は答えなかった。千佳は常史江の左手に黒っぽい何かを見た。その物体には見覚えがあった。以前、彼が見せてくれた探知機だった。彼はこれを使って裏山が姿を実体化させた瞬間を見破ったのだった。野田はこの世から消滅しているため、画面に何も映らなかったが、裏山が常史江の背後に現れた時、画面はその映像を投影してくれたのだ。


常史江は刀を右手に裏山に接近した。


「来るんじゃねえ、うわあ」


裏山は這いずって逃げまわった。彼が這いまわると血の跡が出来た。裏山は僅か数分の内に、見るも無残な姿になっていた。


「殺しはしないよ。まずは消した人達を戻してもらおうか。そうすればその腕も直してやる」


常史江は刀の切っ先を裏山に向けてそう言った。


「わかったわかったっ、戻す戻すっ!」


裏山は慌てふためいて左手の指を鳴らした。すると忽ち床の上に靄が出現し、人の形を作っていった。彼が消した人達だった。野田と小林の舎弟、そして初老の女性の三人である。皆一様に意識を失っているのか、仰向けの姿勢のまま、起き上がらなかった。野田は怪我を負っているようで、左目から出血していた。


「これで全員だろうな」


常史江が三人の安否を、ひとりひとり確認しながら言った。


「全員だよ全員!なあ頼む、もう病院につれてってくれ!このままじゃ出血多量でお陀仏だ」


裏山は右腕の切断面を抑えながらオーバーに慟哭した。顔面は血と涙と鼻水で酷い有様だった。数分前まで尊大な態度をとっていた人物とは思えない変わりようである。恐らく、この情けない姿こそが彼の地なのだろう。彼はたまたま超能力を得て図に乗っただけの、自意識過剰で自己陶酔者のガキだったのだ。物凄く迷惑ではあるが。


そんなあさましい姿で喚き散らす裏山を、普段より一層冷たい目で見つめながら常史江が言った。


「その点なら心配ない」


常史江は刀をおろした。裏山は失ったはずの右腕がまだ存在しているうかのような感覚を覚えた。幻肢というやつだろうか?何でも四肢のうちどれかを切断した者は高い確率でこの感覚を味わうとか聞いたことがある。そんな事を考えながら、裏山が目を向けると、右腕が元通りになっていた。どうやら常史江が能力で新たな腕を作ったらしい。切断された方の腕は床の上に転がっていた。


「治してやったよ。もう戦う気力もないだろう。まあ、変な動きを見せれば、次は両腕を切断するけどな。こいつは一応『何でも切れる剣』だ、首とかもスパッといくぞ」


裏山は出血多量で死亡するのを免れた事を安堵するとともに、常史江に対する凄まじい敗北感を味わった。どうやら相手が悪かったようだ。裏山はようやくその事実に気が付いた。最終手段である自分の姿を消す、という能力すらも攻略されてしまった今、彼に手立ては無かった。裏山は生まれてこの方、これほどの屈辱を味わった事は無かった。自分は地球上で、最も神に愛された存在だと信じ込んで疑わなかったが、現実を叩きつけられた。黒く濁った感情が沸き上がったが、彼が次にとった行動は、呆れたものだった。


「なあ、許してくんない?ちょっと調子乗っちゃったんだよね。反省してるってマジで、謝るよ。金だってあるぜ?いくら欲しい?」


裏山は制服のポケットから財布を取り出し、札束をこれ見よがしに左右に振った。千佳は軽蔑の視線を向けた。


「それ、君の金か?」


田畑が言った。恐らく、あの金は小林の舎弟から奪った物だろう。つくづく、呆れた男だ。


裏山は小さく舌打ちすると、田畑に向かっておどけたような口調で言った。


「田畑~、さっきは悪かったな~。でも野田の野郎を消したのはお前を思っての行動だったんだぜ~?許してくれるよな?俺達、友達だろ?な?な?な?」


「断る、友達なんてよく言うぜ」


田畑が吐き捨てるようにそう言うと、裏山は顔を歪め、本性を表し、彼を口汚く罵った。


「このクソ野郎が!俺が甲斐甲斐しく目をかけてやったっちゅーのに、む、無下にしやがって!負け犬の分際で…後になって俺の存在の有難味がわかるだろうよ!」


「僕は君がいなくても平気さ」


田畑は冷笑して、こう続けた。


「あと、前から思ってたからこの際言うけど、その髪形、どうかと思うぜ」


裏山は癇癪をおこして,山猿のように彼に飛びかかった。田畑は咄嗟に足元にある裏山の元、右腕を拾うと、彼に投げつけた。


裏山は皮肉な事に視界を自分の手の平に遮られ、その直後、10発以上の野球ボールが体中に叩き込まれた。


「おぶっ」


彼は錐揉みになって吹っ飛ぶと、フェンスにめり込んで意識を失った。


田畑は肩の荷が下りた気持ちになり、安堵のため息を吐いた。終わった。なんとも晴れやかな気分だった。遂に裏山の悪事にピリオドをうつ事が出来た。


「はあ。どうなるかと思ったよ。一件落着って奴かい?」


千佳がその場にへたり込んでそう言った。


「いや、まだだ。新たな問題が浮上した」


常史江の不穏な言葉に、二人は表情を曇らせた。裏山は確かに倒したはず、一体彼は何について言っているのか。常史江は口を開いた。


「そいつの吹っ飛んだ腕の後始末をしなくちゃならない」


千佳と田畑はああ、そういう事か、と安心し、苦笑いした。




それから数日が経過した。裏山の切断された右腕は常史江が処理すると言っていた。実際どうしたのかは彼しか知らない。きっと彼の能力ならどうとでもなるのだろう。裏山はというと、原因不明の重傷を負ったという名目上の理由で病院に担ぎ込まれた。もう彼には色々な意味で掛ける言葉が見つからないが、更生してくれるのを祈るばかりだ。


クソッタレの野田は左目を負傷していたが、彼が意識を失っている間に常史江が角膜細胞だりなんだりを新たに作った事で大事には至らなかったようだ。


どうやら彼を含む裏山の能力で一時的に消された者達は、意識を失う前の記憶が曖昧になっているらしく、ほとんど何も覚えていないようだった。二人の生徒がほぼ同時期に行方不明になったと思いきや、学校の屋上で謎の中年女性と居眠りをこいていたという、新たなミステリーが学校に誕生した。


こうして、頻発した行方不明事件はあっけなく解決した。






「ごちそうさま」


田畑は朝食を平らげると、明瞭な声でそう言った。同じテーブルを囲んでいた妹が味噌汁を啜ると、不思議そうな顔で田畑を見た。


「何かさあ、いいことあった?」


「別に?」


田畑ははにかんだ表情を見せた。その顔にもう以前のような憂愁の影はさしていなかった。


彼は変わった。野田が相変わらずちょっかいをかけてきたが、田畑が抵抗の意思をしめすと以前ほど干渉してこなくなった。


そして田畑には、友人が二人出来た。


「なんか、キモイ」


妹が爽やかな笑みを浮かべる田畑にそう言った。


「ひどいな」


田畑は席を立つと制服からiPodとイヤホンを取り出し、耳に装着した。


「じゃ、行ってくるよ」


家族が返事をする。


iPodのボタンを押すと、軽快なリズムが再生された。

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