球速160キロ
裏山は常史江たちの周りを円を描くようにゆっくりと旋回し始めた。どうやら虎視眈々と隙を伺っているようだった。彼の目がそれを告げていた。
しかし、裏山といえど常史江は未知の相手、十分に警戒をしているはずだ。なんにせよ、裏山は常史江を消滅させるには接近する必要がある。奴の攻撃手段はそれだけだ。
だが、ここからは自分の見解だが、奴はまだ何か能力を隠している。でなければ自分たちの目を盗んで屋上まで行くことは不可能なはずだ。奴は瞬間移動でも会得しているのか?とにかく、この戦いは一瞬の判断ミスや、土壇場での決断力が勝敗の鍵を握る事になるだろう。
しかし自分に出来る事と言えば、千佳と一緒に常史江の勝利を祈るくらいだ。彼が敗れれば、自分や千佳は勿論の事、特に罪もない自分の家族すらも奴の餌食となる。裏山は世界の為に能力を使うなどど抜かしてやがったが、奴は自分中心だ。他人の命など、奴にとっては等しく平等にゴミのようなものなのだろう。世界が自分を中心に回っていると思っているタイプの人間だ。まさしく厚顔無恥。その厚かましさ。見習いたいものだよ、まったく。
「なあ常史江、困った事に俺はお前の能力を知らないんだよ。反対にお前は俺の能力をそいつに教えてもらったようだけどな。お前の能力がわからない以上、下手に動くのはまずいよなあ。さて、どうしたものか…」
裏山はそう言いつつ、着実に距離を寄せてきた。徐々に円が小さくなっていく。
常史江が小さく、呟いた。
「じゃあ、見せてやろう」
「あ?」
千佳は常史江の背後の空間に、球状の何かが形成されていくのを見た。それが野球ボールだと気付いた瞬間、裏山目掛けてボールは射出された。球速およそ160キロ。
裏山は何か言いかけたが、顔面にボールが直撃したため言葉を遮られた。
「ぶっ」
裏山はのけぞったまま、千鳥足になってフェンスに思い切り倒れ込んだ。金網が軋む音がした。裏山は両手で顔を覆った。顔面は鮮血で赤く染まっていた。アスファルトの緑色の屋上床に血の滴が滴り落ちる。裏山は信じられない、と言った様子で目をかっぴらいていた。骨が折れたのか、くの字に鼻が変形していた。裏山に直撃したボールは床を転がると半透明になっていき、やがて完全に消滅した。
「お前…何だ今のは」
裏山の目に闘争心が戻った。彼は立ち上がろうとしたが、その時、足に激痛が走り、前につんのめった。
常史江が二度目のボールを放ったのだった。次々に常史江の周囲にボールが出現した。裏山は顔中血だらけだったが、その光景を見て、恐らく顔面蒼白になっていただろう。
どうやら、常史江はとことんやるつもりらしい。それをその場にいた全員が悟った。
常史江が裏山を指差すと、ボールは一斉に射出された。いずれも160キロの速度である。
裏山は無我夢中で右手を振り回した。二つ程、消滅させることが出来たが、腹や胸や肩に容赦なくボールが食い込んだ。
千佳と田畑の二人はその光景に呆気にとられていた。暑さの事など、とうに忘れていた。
裏山が突然、右手の指を鳴らした。すると彼の体は透けていき、消えてなくなった。ボールは空を切りフェンスにぶち当たった。
「消えた?」
田畑が呟いた。千佳は辺りを見渡した。しかし彼ら三人以外、退屈な光景が広がっているばかりだった。裏山は追い詰められて、勝機が無い事を悟り、自身をも消滅させたのだろうか?
「なるほど、やはり君の能力、自分の姿すらも消すことが出来るのか。この能力を使って、誰にも気づかれる事なく、忍び寄れるって訳だな。そしてこの状態ではどんな物体も透過出来る。それで扉を開けずに屋上まで来れたって事か」
常史江が虚ろにそう言った。どうやら裏山の能力を見破った様子だった。
「やばいじゃないか常史江、どこから襲ってくるかわからない上に、手出し出来ないんじゃ」
「確かにこの状態では手出しは出来ない。だが、それは向こうも同様だろう。俺に攻撃する際、姿を実体化させて襲ってくるはずだ。チャンスはその瞬間だ。失敗すれば、俺の負けだ。触れたものを消す力よりも、本当に厄介なのはこの能力だな」
常史江は冷静だった。何か秘策があるのかもしれない。彼は直立不動のまま、首一つ動かさなかった。
そのまま数秒が経過したが、裏山は姿を現さない。屋上は張り詰めた空気に包まれていた。
田畑と千佳は周囲を警戒しながら、二人の勝敗の帰趨を固唾をのんで見守っていた。裏山も、先程のような野球ボールのラッシュを喰らうのはこりごりだろう。より、用心の気持ちを強くしているはずだ。
ほどなくして、常史江の背後の空間に靄のような物が出現すると、それはあっという間に裏山の体をなした。千佳たちがそれを伝える間もなく、裏山は常史江を消滅させるべく、彼の背中に手を伸ばした。
だが、次の瞬間、裏山の右腕は宙を飛んだ。わずかに早く、常史江が手に二尺ほどの刀を出現させ、彼の右腕を切断したのだった。
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