決別
田畑はショックで時間が止まったように感じた。疼くような痛みが次第にやってきて田畑は現状をようやく理解した。裏山に裏拳をかまされたようだ。
彼は蔑むような憐れむような眼で田畑を見下ろしていた。例えるなら、壊れた玩具を見る子供のような、そんな目である。
「失望したよ。お前なら俺の考えを理解してくれると思ったんだがな。とんだ見込み違いだったようだ。もうお前には何の価値もないな」
穏やかな口調だったが、裏山はとことん辛辣な言葉を投げかけてきた。田畑は後悔した。やはり話の通じる相手ではなかったのだ。
愚かな事に自分は心のどこかで期待していたようだ。まだ、彼の心に良心が残っている事を。(まあ、そんな物は元から存在せず、自分に親しくしてくれたのは仮の姿だったのかもしれないが)
そして今その期待は、完膚なきまでに打ち砕かれた。
裏山は田畑に向かって右手を伸ばしてきた。田畑は死を覚悟し、目を瞑った。どうやら彼と出会った時点で自分は運のツキだったようだ。さらば、こんな自分を誠心誠意育ててくれた両親と、こまっしゃくれた妹よ、この不条理な世界に負ける事なく強く生きていける事を願っているよ。
しかし、いつまでたっても自分の身に変化は見られない。それとも既に奴の能力で、どこか異空間に飛ばされているのだろうか?だとしたらこんなにも意識が明瞭としているなんてあんまりな話ではないか?
「やめておこう」
裏山の声が聞こえたので、田畑は恐る恐る目を開けた。代り映えのしない光景が広がっていたので田畑は拍子抜けした。裏山はそんな彼を横目に呟いた。
「どうせ放っておいても何も出来ないだろう。負け犬のお前にはな」
裏山は先ほどの缶をもう一度蹴り上げて去っていった。田畑は小さくなっていく彼の背中を見ながら茫然自失の状態になっていた。
うーむ、自分は唯一の友人をたった今、失ったようだ。最初にやってきた感情は意外な事に悲しみのようなものだった。田畑は右の頬をさすりながら心が冷め切っていくのを実感した。心に巨大なクレーターがぽっかりと開いたようだった。
裏山は恐らく自分などなんの脅威でもないと判断したのだろう。消す価値すら無いという事か。負け犬。彼の言葉が頭にへばり付いて離れなかった。
田畑はやっとこさ立ち上がると、断腸の思いで学校に向かった。
道中、個人経営で花屋を営むおっさんに挨拶をされたが、耳に入らなかった。
それから教室に着席し、ホームルームが開始すると、担任の飯田が昨日とほぼ同じ説明で、新たな行方不明者がこの学校から出たという内容を伝えた。放課後は出来るだけ外出は避けるようにと注意喚起も行っていた。
これには生徒達も驚きを隠せないようだった。
「野田の奴と愛の逃避行じゃね?」
クラスのお調子者がそう言うと、室内が笑いに包まれた。飯田も声を出して手を叩きながら笑っていやがった。裏山は「おーこえー」などと言いながらしらを切っていた。
裏山を止めなくてはならない。たとえ殺す事になろうとも。
田畑は一人、静かに強固な決心をした。
昼休み、田畑は漫然と廊下を歩いていた。少し前までは野田に呼び出され陰湿な嫌がらせを受けていたであろう時間帯だったが、彼はもういない。だからと言って裏山に対する感謝の気持ちなどは微塵もないが。
誰も田畑の相手をする者はいなかった。教室では裏山が数人の男女と和気あいあいと会話をしているので教室にはいたくなかった。もうとにかく彼と同じ空気を吸っていたくはなかった。
どうやって彼を止めればいいか。その事に田畑は頭を悩ませていた。彼を止めなければ一体何人が犠牲になるか、想像しただけで恐ろしい。
その時、廊下の反対側から二人の生徒が歩いて来た。一人はいつぞやの転校生だった。彼は夏場にも関わらず、厚手で長袖のワイシャツ姿だった。名前は確か常史江だっただろうか?
もう一人は黒髪でボブカットの少々垂れ目がちの、田畑よりも背が高い遠井千佳という名の女子生徒だった。
「やあ。久しぶりだな」
常史江は田畑に挨拶をした。千佳も便乗して彼に軽い会釈をした。
「どうも」
田畑はそう言って二人の横を通過しようとした。
その時、常史江に呼び止められた。
「君、顔どうかしたのか」
「え?」
田畑はどぎまぎして顔に触れた。右の頬に指が触れるとまだ痛んだ。どうやら青痣になっているのかもしれない。
「さっき転んじゃってさ、はは」
田畑は必死にごまかしたが、冷静に振舞おうとすればするほどボロが出てしまった。
「何か妙だな、転んだ後には見えないぞ。余計なお世話かもしれないが何か厄介事に巻き込まれているのなら俺で良ければ力になるが」
常史江は平坦な口調で言った。田畑は急に顔にヒヤリとしたものを感じた。確認すると知らぬ間にガーゼのような物が青痣の場所に貼られていた。田畑は頭に幾つものクエスチョンマークが浮かんだ。こんな物を貼った記憶も無ければ、誰かに貼られた記憶もない。
「それを貼っておきゃすぐに治るだろう。特別な物だからな」
田畑は彼の発言に仰天した。
「これは君が?一体どうやったんだ」
「すごいんだよ常史江は。何でも出せるんだから」
常史江の代わりに千佳が説明した。何故か誇らし気だった。
「よせよ」
常史江は彼女に呟いた。
自分の耳が確かなら、どうやらこのガーゼは彼が作り出したものらしい。おおジーザス、なんて事でしょう、裏山の他にも存在していたようだ、人知を超えた力を持つ存在が。ワオ。
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