団欒
田畑の家は賃貸型の公団住宅だった。棟の数は四つ。田畑は敷地の入り口から見て左側の方だ。階層は4。田畑は二階に住んでいた。田畑はエレベーターを使おうと思ったがスーパーの帰りか何かの、手荷物の多い家族が入り口を占領していたので、田畑は挨拶だりなんだりをするのが面倒に感じ、差し足忍び足で彼らに気付かれないよう階段を登って行った。廊下を歩いて家のドアの鍵を開けて中に入ると、テレビの音声と共にシチューか何かの香りがリビングの方から漂ってきた。靴を脱いで居間に向かうと田畑の妹がソファに寄り掛かってニュースを眺めていた。台所では母が料理をしていた。この部屋はダイニングキッチンだった。父は例の如くまだ仕事中で帰ってきていなかった。
「ただいま」
そう呟くと田畑は妹が腰かけているウレタン製ソファの開いているスペースに脱力して倒れ込んだ。
「うおお」
ようやく彼の存在に気付いたのか妹は目を剥いた。
「おかえり」
母が台所から顔だけ向けて返事をした。田畑は倒れた姿勢のまま、テレビに目をやった。名も知らぬ政治家が汚職を働いた等の興味を惹かれない報道が流れていた。田畑はソファの前方にあるテーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばした。
「兄さんさあ、野田って人知ってる?」
「え?」
田畑は狼狽して手を引っ込めた。まさか妹の口から忌々しい奴の名が出てくるとは。野田というのは奴の事だろうか。あの性悪の権化とでも言うべき、記念すべき裏山の初犯の犠牲者第一号のウスラバカの事だろうか。田畑は妹の次の言葉を待った。
「私、その人の妹と同じ中学なんだけどさあ、何か行方不明らしいじゃん。その人。兄さん、同じ高校だよね」
「ま、まあね」
「あれかな、やっぱ死んでんのかな、ひひひ」
母が品位に掛ける笑みを浮かべる妹の方を見て、眉をひそめた。決まりが悪そうに妹は肩をすくめた。
「何か最近元気ないんじゃない」
母が死んだ顔の田畑に言った。田畑は必死にかぶりをふった。余計な心配を家族に掛ける訳にはいかない。彼なりの気づかいというやつだった。
「普通だよ普通、あは、あは」
そう言って彼はひきつった笑みを浮かべた。母は釈然としない顔でならいいけど、と言うと再び料理に取り掛かった。田畑は冷や汗を拭った。
「そうだ、あのさ」
「え、何」
田畑はソファにもたれたまま、テーブルに足を乗っけてふてぶてしい態度をとっている、二つ程年下の自身と瓜二つだが性格は似ても似つかない妹に声を掛けた。
「その子、悲しがってたりとかしなかった?」
田畑はそれが気がかりだった。あんな品性下劣で良い所を見つけるのに苦労しそうな男も、家族には優しかったりとか、あり得なくもない話ではないだろうか。皆さん。
「いや、別に。家から木偶の坊がいなくなって清々したと言ってたけどね」
「そ、そうか…」
田畑は笑った。これは正真正銘、本物の笑顔だった。
夕食を済ませ、風呂に入ると、田畑は自室へと向かった。部屋の電気を点灯させると、部屋の壁に貼ってある様々なロックバンドのポスターが見渡せた。ベッドの横には並列してCDラックが置かれており、1000枚を超えるCDが保管されていた。入りきらなくなったCDは机の上に無造作に置かれていた。彼は筋金入りのロック少年だった。誰に見せる訳では無いが、田畑にとって自慢の部屋だった。
彼は明日の用意をすませるとベッドに横になった。天井を見つめているといやでも最近の出来事が脳裏に浮かんできた。
裏山は一体何になってしまったのだろうか。彼は何度も人には人の役割があるだの力説していたが、もしそうだとするならば、『神』としか形容しようのない絶対的な存在が彼にあの力を与えたのだろうか?人の上に立つ者の証として。
高校に入学して最初に声をかけてきたのが裏山だった。彼は引っ込み思案な田畑に気兼ねなく接してくれた。
そんな彼が殺人鬼。いや、人を触れただけで消せるような化け物になるとは。うーむ、現実とは小説より奇なり。
正直、彼とはずっと友人でいたい気持ちはある。しかし、今こうしている間にも次の犠牲者が出る可能性は十二分にある。もしそうなればそれは夢見が悪い。どうしたものか。
警察に言った所で軽くあしらわれるのがオチな気がする。(僕のクラスメートは人や物を消せる力を持っていてそれで野田君を消したんですー!)
やはり、誰だって鼻で笑うだろう。それに仮に信じてくれたとして、彼に密告したのが気付かれれば、最悪自分が消されちまうかもしれない。
田畑は、もし自分がいなくなれば誰か悲しんでくれるだろうか、と考えた。
両親は心から悲しんでくれるだろう。(妹は怪しい。)
それぐらいだ。自分のようなちっぽけな存在が一人減ったところで、この世界は何ら痛痒を感じないだろう。田畑はそれ以上考えていると、首をくくりたくなるような気がしたので、寝ることにした。
明日はマシな一日でありますように、と淡くも切実な思いを抱きながら…。
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