探知機

「びっくりしたね、野田の奴」


千佳は傍らで辞書を読み耽っている常史江に声を掛けた。つっけんどんな口調で返事が返ってくる。


「まあね」


昼休み、二人はまた屋上のフェンスにしゃがみ込んで会話していた。内容は当然、ホームルームで話題に上った事だ。屋外では教室や廊下よりも蝉時雨がより一層はっきり聞こえた。


日は容赦なく二人を照り付けていた。千佳は正直、暑かったが、彼と人目を気にせず話すのにこの場所は最適だった。


「あいつしょっちゅう遊び歩いてるし、すぐに見つかると思うよ」


常史江は本のページを捲ると言った。


「いや、そう簡単には行かなさそうだぞ」


「何でさ」


「俺はもう彼を探してみたんだ。こいつでね」


常史江が右手を顔の高さまで上げると彼の手の平に液晶画面のついた小型の機械のような物体が出現した。千佳はぎょっとした。


「何だいそりゃ」


「ご覧の通りレーダー探知機だよ。どこにいようと生きてさえいれば該当人物の居場所を投影することができる、俺が創造した最新鋭の物さ。しかし困った事に一向に探知できない。映るのは暗闇だけさ」


千佳は息を吞んだ。


「じゃ、じゃあもしかして…」


「死んじまったのか、それともこの世からキレイさっぱり消えちまったのか。正直さっぱりだね。とにかく情報が少なすぎる。まあ、無事を祈るばかりさ」


そう棒読みな口調で言うと、常史江は手からレーダーを消滅させた。そしてまた読書を再開した。


千佳は首を捻った。人が消滅する。そんな事があり得るのだろうか?


何かの事件に巻き込まれたか、不慮の事故で命を落としたか、そのどちらかの方が可能性としては高いだろう。


野田のような根性と顔が捻じ曲がった、弱いものいじめばかりしている唾棄すべき人物を千佳は心の底から忌み嫌って軽蔑していたが、もし死んだとなれば素直に喜べはしない。それは非道徳的だろう


彼はそこら辺、どう考えているのだろうか。千佳は常史江の横顔をちらりと見た。


「常史江アンタ、さっそくその能力、人の為に使う事にしたんだね」


「さあ、何の事かな?」


何となく、予想通りの返事が返ってきたので千佳は苦笑した。まったく、つむじ曲がりな奴だ。


そう思った。


それから、しばらく、沈黙が続いた。


風の音、蝉の声、常史江がページを捲る音、校庭で小学生のようにはしゃぐバカみたいな生徒達の声。千佳はなんとなく気まずくなったので何か話題はないだろうか、と考えた。


「好きだよね、辞書」


そんな言葉が出てきた。


「別に好きではない」


「もっと面白い本、ごまんとあると思うけど」


「本には明るくない。よかったら君がおすすめを教えてくれないか?」


千佳は少し戸惑った。彼とはまだ出会って数日であり、どんな音楽を聴くのか、好物は何なのかさえ知らないのだ。千佳は今までの読書歴の中から、彼に合いそうな物をリストアップしようとしたが


なにしろ彼が掴みどころのない人物のため、難儀した。


千佳はふと、自分が小説を書いている事を思い出した。


「あのさあ…よかったらこれ読んでもらえるかい?」


千佳はショルダーバックからノートを取り出すと常史江に差し出した。日頃の癖で彼女は屋上に


行く時ノートを手放さなかった。


常史江は黙ってノートを受け取ると最初のページに目を通した。


「へえ、君が書いてるのかこれ。いい趣味してるな」


「まあ、ちょっとね」


千佳は目を伏せて言った。彼の顔が見れなかった。彼女はまだ他人はおろか、家族にすら、自身の小説を見せた事が無かった。理由は至極単純、相手の反応が怖かったからだ。


だが、千佳も人並みの承認欲求は持ち合わせている。誰かに読んでもらうチャンスを伺っていたのである。


常史江はいつもの表情筋が死んでいるのではないかと疑いたくなるような無表情さでノートを読み進めていった。千佳はその横でばつが悪そうにしゃがみ込んでいた。


彼があまりに何の反応も示さないので、千佳は次第に渡したのを後悔してきた。


彼は数ページ程読むと千佳の方を向いて言った。


「面白いじゃないかこのコメディー」


千佳は絶句した。コメディーのつもりで書いた物では無かった。常史江の斜め上の反応に返事に詰まった。


「そうかい…ありがとうよ」


「何か悪い事言っちまったかな、コメディーだろこれ?」


どうやら悪意でそう言ってる訳ではないようだった。それはそれで複雑な気持ちになったが、千佳はノートを受け取った。


常史江はノートを返す際、また読ませてくれ、と呟いた。


千佳はまあそれも悪くないかと思い、頷いた。

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