野田の冒険!

午後11時過ぎ、野田は人気のない夜道を当てもなく蹌踉と彷徨っていた。そして突然、電柱に倒れ掛かると、その根元に盛大に嘔吐した。死にかけの虫のように明滅を繰り返す街頭に彼の吐瀉物が何度も照らされた。


「ひー。ちくしょう体調も気分もクソみたいだ」


何故彼がこのような状態になったかというと、あのどこの馬の骨かもわからない表情に乏しい転校生、常史江永久に何度もしてやられた事と、それによってやけ酒に走った事が影響していた。当然、未成年飲酒である。彼は学校から逃げ出した後、最寄りのスーパーで発泡酒を数本ネコババしたのだ。


目ざとい店員に気付かれたようで店を出た直後に声をかけられたが、自慢の俊足で無事、逃げおおせた


困った時は逃げる、それが彼のポリシーであり、人生哲学だった。野田は自分を知っていた。彼はそんな自分が大好きだった。彼は世界で最も自分を愛していた。


常史江に対する憎悪はまだあったが、それよりも畏怖の感情が上回っていた。


「あの野郎、マジで人間かよ」


まあ、自分はより強い方につくだけの男、いざとなれば小林のグループを離れ、彼の下につくというのも視野に入れておくか、そう思案した。


野田は口の中に指を突っ込むと何度も続けざまにえづいた。夜のしじまに彼のえづく声だけが鳴り響いた。ひとしきり胃の内容物を吐き終えると、野田は自身の右手から三メートル程度の場所に男が立っているのに気付いた。


「わおっ」


彼は驚いた拍子に体制を崩し、自身の吐瀉物に手を突いてしまった。野田は電柱を使って立ち上がると男を凝視した。服装はパーカーにデニム、頭にはニット帽を被っていた。全て黒で統一されており、黒装束と言っていい出で立ちだった。


身長は野田よりもひとまわり大きいが、華奢であり、弱弱しくも見えた。マスクを着けているようで夜の暗さも相まって顔はよく見えなかったが、野田に視点を定めているのは確かだった。


「何見てんだ、見せもんじゃねーぞこの野郎」


そう凄んだが、声がうわずった。男から返事はなかった。野田は普段ならばプライドをかなぐり捨て、男から逃走をはかっていただろうが、酔いの為か、それとも単に浅はかさ故の行動なのか、彼は男に罵声を浴びせながら猛然と向かっていった。そして男の襟首を掴み、顔を覗き込んだ。それは予想に反し見覚えのある顔立ちに見えた。


「あれ?お前…」


野田が酒臭い息でそう言うと、男が頭上に右手を振り上げた。その手にはボールペンが握りしめられていた。男はそれを振り下ろし野田の左目に突き立てた。ペン先は易々と角膜を貫いた。


「んぎゃん」


野田は奇天烈な叫び声をあげると地面に倒れこみ、陸に打ち上げられた魚を彷彿とさせる動態でのたうちまわった。残った右目で男の方を見ると、彼は悠然とした動きで野田の傍らにしゃがみ込み、野田に右手を伸ばしてきた。


「わー殺される殺される!」


野田がそう確信した途端、彼の意識は遠のいていった。最後に彼が見た男の表情はマスクの上からでも笑っているのがありありと伝わった。




田畑は憂いに満ちた表情で通学路を歩いていた。昨夜は裏山が去り際に言ったセリフが頭から離れず、気もそぞろだった。


田畑の家は学校から徒歩で10分程度の距離であり、幾つかの横断歩道を渡ると、あれよという間に校門が見えてきた。


田畑は重い足取りでそれをくぐるとまっすぐ下駄箱に向かった。下品な声でだべっている女子生徒の横を通り過ぎると、背後から「キモー」と聞こえてきた。


自分に言っているのだろうか。まあ、多分そうなんだろうけども。田畑は何も言わず歩き続けた。


校舎の玄関に入ると下駄箱の陰から裏山が顔をのぞかせた。


「よお」


そう言って裏山は口角を上げた。田畑はか細い声で返事を返した。裏山は上機嫌な様子だった。昨日感じた気迫や殺気のようなものは感じられなかった。


彼は田畑の傍まで詰め寄るといった。


「喜べ、ゴミ掃除を済ませてきたぜ」


田畑は彼の言葉の真意が汲み取れなかったが、背筋に冷たいものが走った。


「どういう意味だよ」


「まあ、すぐにわかるさ」


田畑は彼の笑みに薄気味悪いものを感じた。




教室に入り着席すると、ほどなくしてホームルームが開始した。だが担任である不精髭を生やした小太りの飯田という教師の様子がいつもとは心なしか変わっていた。


彼は教卓に寄り掛かるとだみ声で言った。


「えー、昨日から隣のクラスの野田君が返ってこないとの連絡が親御さんからありました。えー、皆さんもえー、何か知っていれば一刻も早く情報提供をえー、お願いいたします」


飯田は尻をかきながら退室した。


その直後、教室中がにわかにざわつき始めた。


どうせすぐに見つかる、と言う者。


どうでもいいという者。


死んでればいいのに、という者。


朝飯食ってなくてさーという者。


反応はそれぞれまちまちだった。そんな中、田畑はただ一人、自身の不安が杞憂ではなかったという事を実感していた。


裏山だ。彼が野田に何かやったのだ。裏山の方へ視線を向けると、彼は何食わぬ顔で隣の席の男子と会話をしていた。

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