<<幕張の台風>>

「明日台風が来るよ」

看護師さんが言った。


第1病棟の個室に移ってまず何が嬉しかったって、大きな窓があったこと。

風が病室を吹き抜ける。今までの病室は窓がないかあっても小さくて、すぐ空気がこもったのである。

窓の外からは駐車場が見えた。恐らく職員や患者のためのものと思われる。その向こうには遠く、消防車が何台もあった。

手前には木や草花があった。緑のものを見るのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。

そして、たいふー! 自然が増える! 個室ですることもなくじっとこもっていなければならない身には、台風すら特別なイベントに思われた。

ここは幕張。海辺の街だ。

私は海無し県のグンマーで育ち、内陸部の京都や川崎北部で暮らし、今も松戸という内陸部の街に住んでいる。海岸部を通り抜ける台風を経験したことはない。どんなに荒らぶるのだろう?

翌日、朝の検温に来た別の看護師さんに、台風のニュースをねだった。

「ごめん、俺今日はニュース見てこなかった」

はてさて、それじゃあ台風はこっちに来るのだろうか。それとも道を逸れるだろうか。

私は病室の窓を全開にした。涼しく心地の良い風がぶわっと顔に触れた。小さい雨粒が飛んできて頬の上ではじけた。

落ちた木の葉が風に急かされころころと転がっていく。

こうして久しぶりの新鮮な空気をふんだんに楽しんだが、余り長い間窓を開けておくと床やベッドの上が濡れて怒られると思ったので、良い加減にして名残惜しく窓を閉めた。


しかし翌日に第2病棟に引っ越しをしてデイルームで新聞を読めるようになった私は、

この台風18号のために松戸市の全世帯48万人に避難勧告が出ていたことを知って仰天した。源氏物語の「野分」の巻の紫の上よろしく風や草木を「いとをかし~」と眺めている場合ではなかったのである。

私の家は松戸市内でもわりと高台にあるからそんなに心配するようなことはなかったんだけど、そういう話はリアルタイムで教えて欲しいなとちと不満を持った。知ったからってどうにもなる話じゃないけど。


ちなみに去年の御岳の噴火事故は、ナース・ステーションで一人の看護師さんが抱えていた新聞で知った。しかしそのときはまだ第1病棟に住んでいたので、いつも忙しそうな看護師さんたちに訊くのもためらわれた。第1病棟といえども隔離室は抜けたのだから、朝に新聞くらい読ませて欲しかったなぁ。

土井たか子氏が亡くなったのも退院後に知った。

入院中に起こった事件や事故は、私にとって、奇妙にリアリティがない。

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