黒刃刀姫と水氷蒼刃 Ⅵ

 退院となり一旦帰宅するために病院を後にする空也と黒亜。夜に再び病院に来る必要があるため、黒亜も空也の家に同伴することになっていた。


 病院の正面玄関を出ると、外はうだるような熱気に満ちていた。空調の効いた快適な空間から一変、地獄の釜にでも投げ入れられたかのような錯覚に陥る熱さだった。


「よう、空也~! 久しぶりだな! 大変だったみたいだなぁ?」


 空也が外の熱さに辟易していると、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。


「正志!? なんでここに?」


 声の主は正志だった。赤い髪が陽の光に照らされ、燃えるように輝いている。正志には入院したことを伝えていないはずなのに、なぜか目の前に居る。偶然居合わせるにしては、病院と言う場はあまりに不自然すぎるのだ。空也の疑問も最もだった。


「うん? そりゃあ、お前、遊んだ看護師さんから聞いたに決まってんじゃん~」


「俺の個人情報どうなってんの!?」


 夏の青空の下で声高に叫ぶ空也。病院の職員から自身の個人情報が漏れていた。この病院のセキュリティの甘さに頭を抱える空也であった。


「まぁまぁ、気にすんなって! せっかく退院したんだし、どっか飯でも食いに行こうぜぇ? 黒亜ちゃんもどう?」


「あれ? お前なんで黒亜のこと知って……」


 正志が黒亜のことを知っていることに疑問を抱く空也。正志は空也の顔をみてにっと悪戯っぽく笑う。


「愚問だったな……俺と同じか」


 その笑みを見て全てを察する空也だった。本当にこの病院の個人情報の取り扱いはどうなっているのか、怒りを通り越して呆れてため息しか出ない。


「えっと……私もご一緒して大丈夫なら……」


 黒亜はおずおずと答える。空也と正志の間に割って入ってしまってもよいものか、いまいち図りかねているようだ。


「大丈夫大丈夫! 華がないとつまらないからねぇ! ていうか来て欲しい!」


 そんな黒亜の様子を見て正志は能天気に答えた。


 そうして三人で連れ立って歩き出す。暑い日差しがじりじりと肌を焼く。食事を取るために繁華街の方へ向かう三人だった。




 そんな様子を遠巻きに眺める人影が一つ。


 パーカーのフードを目深に被り、棒突き飴を舐めている少女だった。真夏の暑い時期に長袖のパーカーを着込み、フードまで被っているにも関わらず、少女の顔には汗の一つも浮かんでいない。暑さなど全く感じていないようだ。零れ落ちる水色の髪にも汗の雫すら見当たらない。


 病院を出入りする人々はそんな少女を不審に思うこともなく、横を通りすぎる。


「ちっ。赤熱炎刃め……ぴったりくっついてんじゃねぇよ。ゲイかよ。空也は私のだっての。仕方ない、この場は出直すか」


 少女は憎憎しげに呟くと、飴をごりごりと噛み砕き背を向けて歩き出す。おもむろに腰に差した刀を抜くとくるくると手で弄びながら往来を進む。すれ違う人々はその様子に目もくれることはなく、警察署の前を通り過ぎても一切咎められることもない。


 目の前で刃物を持った少女が平然と真昼間の街を歩いているのに誰も気にしていない。異常な光景であった。


「……あおい。どうする?」


 少女の頭の横に、雪の結晶があしらわれた涼しげな着物を着た幼女がふわりと現れる。


「うん? ちょっと手間だけど、あれ張ろうかな」


「あれを?」


「そう。そうしないと赤熱炎刃の邪魔が入りそうだし。赤熱炎刃を引き離すにはあれしかないから」


 蒼と呼ばれた少女は、幼女と共になにやら議論をしながら街を分断し流れている川を目指す。


「そう……」


 幼女は小さく呟くと姿を消した。少女は無言で歩を進め、川へと辿り着く。水面はきらきらと輝き、川原に生えている水草は青々と茂っている。


「めんどくせぇ……赤熱炎刃め。余計な手間かけさせんじゃねぇよ」


 少女は川べりに辿り着くと、手にした刀をさらさらと流れる川に突き刺す。


「ふふふっ。もう少し、もう少しで空也を私のものに! ふふふっ、あははははは!」


 少女は何かを空想して艶かしく笑った。清々しい気候とさんさんと照らす太陽の光とは対照的な、妖しい笑みだった。


「――水氷蒼刃、水霞天幕すいかてんまく


 少女がそう叫ぶと、刀が川の水を吸い込み始め、少しずつもやを発し始めた。その靄は徐々に範囲を広げていく。靄がどこまで広がるのか、それは少女しか知らない。

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