黒刃刀姫と水氷蒼刃 Ⅳ

「次は黒刃刀姫か」


 空也の治療を終えた菫は、別の病室の前に来ていた。黒亜のいる部屋だ。


「黒刃刀姫、まだ寝てるみたい」


 菫の脇にふわりと浮かぶ薊が静かに告げた。確かに、部屋の中から物音はせず誰かが動いているような気配はしてこなかった。


「それなら好都合だが……」


 菫としては別に中の人物が起きていようがいまいがどっちでもよかった。治癒紫刃の力を黒亜に使うことができればそれで菫の目的は達成されるのだから、意識の有無などどうでもよかったのだ。


 力を込めてドアの取っ手を引く。僅かな抵抗と軋むような甲高い音を響かせながら、ゆっくりと病室のドアが開いた。


 病室の中は、空也のいた部屋と同じくベッドと椅子が置かれただけの殺風景なものだった。


 菫はベッドを見て目を細める。ベッドの中には誰もいない。部屋の中へ一歩踏み出したその時だった。菫の死角から何かが飛び出し、菫にぶつかる。


「っ!」


「スミレ!」


 菫はその勢いのまま、病室の壁際に叩きつけられ押さえこまれる。


「黒刃刀姫か……」


 菫の頭を壁に押し付け、後ろ手に押さえ込んでいたのは黒亜だった。


牧区上昆子まきくかみびりこ! 貴様っ、よくも私とを!」


 憎悪に塗れた表情で黒亜が叫ぶ。いつかの優しさに溢れた少女の面影はそこには微塵も感じられなかった。


 頭を押さえつける手に力を込め、万力のように菫の頭を締め付ける黒亜。


「やはりか……」


「スミレ。力が解け掛かってる」


「薊ぃ! あなたも、こんなやつに力を貸すんじゃないっ!」


 薊が現れ、菫に声をかけると同時に黒亜が凄む。薊はすっと目を細め黒亜を一瞥した。


「私にはスミレしかいない。黒刃刀姫にどうこう言われる筋合いはない」


「あなたはっ!? わかってるでしょう!? こいつが、私たちにどんなことをしてきたのかを!」


「私の力を使ってるのだから、当然知ってる。そしてそれはこれからも変わらない!」


 薊が声を張った瞬間、黒亜の身体が宙を舞う。菫が拘束を振りほどき、桁外れの力で黒亜を投げ飛ばしたのだ。黒亜は強かに病室の壁に背を打つ。肺の空気が一気に外へ逃げ出し、呼吸が一瞬止まる。


「……まったく。やはり定期的に掛け直さなければならないのか」


 黒亜が顔を上げると、そこには何事も無かったかのように悠然と立っていた。


「この、いったい何を……?」


「ただ、投げ飛ばしただけだが? あの程度の拘束など児戯にも等しいからな」

 

 黒亜は菫を睨む。鈍痛が支配する全身を奮い立たせながら、壁にもたれながらゆっくりと立ち上がろうとした。しかし、菫はそんな猶予を与えない。


 紫色の薄いヴェールのような輝きが菫を包んだかと思うと、次の瞬間、菫は黒亜の目の前にいた。


「っっっっっ!?」


「何を驚く?」


 黒亜は予測の出来ない事態に困惑する。菫との距離は数メートルは開いていたはずだ。それが一瞬のうちに距離を詰められた。おそれく薊の力であることは確かなのだが、その全容が全く掴めなかった。


「くっ!」


 黒亜は何とか菫から逃れようと出口の方へと身体を向ける。


「悪あがきだな」


 菫の言葉を耳に残しながら、それでも出口を目指す黒亜。ただの悪あがきでも、なんの抵抗もしないままでいることは黒亜自身が赦さなかった。


「いい加減……寝ていろ!」


 往生際の悪い行動に僅かに腹を立てた菫は、黒亜の腹部を殴りつける。


「えぶっ!」


 鈍い痛みと込み上げる嘔気。そして悔しさに包まれながら、黒亜は意識を手放してしまう。ぐったりとした少女の肢体が、菫の足元には転がっていた。


「全く、手間を掛けさせてくれる。……薊」


「……わかってる」


 菫は腰から紫の短刀を引き抜くと、黒亜の首元を斬りつけた。不思議なことに刀傷の痕からは血液が一切流れ出ず、ぱっくりと開いた傷は逆再生するかのように再び閉じていった。


「まだまだ私のために働いてもらうぞ、黒刃刀姫」


 そう言って菫は歪な笑顔を黒亜に向け、不敵に嗤うのだった。

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