黒刃刀姫と水氷蒼刃 Ⅲ

「こ、こは……?」


 空也が目を覚ますと、いつも見慣れた自室の天井ではなく、見知らぬ真っ白な天井と照明が目に飛び込んできた。はっきりとしない頭を必死で働かせる。


「俺は……昨日……そうだ。雷を操る男と闘って……黒亜は!?」


 そこまで呟いて、頭がはっきりとしてくる。昨夜のこと、黒亜のこと、帯刀者のこと、刀人のこと。様々なことをフラッシュバックするように思い出し、そして最も心の中で気にかかったのが、昨夜ともに命を掛けたパートナーである黒亜のことだった。


 周囲を見回すが、部屋には空也がいるベッドが一つしかない個室であり、他に誰かがいるような場所はない。


「黒亜! ……あぐっ!」


 黒亜を探しに行こうと衝動的にベッドから降り足を踏み出そうとしたとたん、全身に激痛が走った。どうやら昨夜のダメージが身体に残っているようだ。


 ベッドの脇にへたり込む空也。どうにも全身に力が入らず、立ち上がることすらままならない。


「くっそ……」


 そんなとき、部屋のドアがガラッと音を立てて開かれる。


「全く、全身打撲に刃物による切り傷、肋骨骨折、両手を貫く刺し傷。後遺症が残ってもおかしくない怪我だというのに、何をやっているんだお前は」


 ドアの奥に立っていたのはぼさぼさの黒髪を無造作に掻いて、呆れたようにな目で空也を見下ろす白衣の女性だった。


「す、菫叔母さん!? な、んで!?」


 牧区上昆子まきくかみびりこ すみれ。空也の母方の叔母に当たる人物だ。菫は、空也の保護者としてこの街で空也の面倒をみている。


「それはこちらの台詞だ。お前の方がこの病院に担ぎ込まれたんだぞ」


「え!? じゃあここは、菫叔母さんが働いてる……」


「そうだ。わかったなら寝ていろ」


 菫はそう言い放つと空也の傍に歩み寄り、ベッドに戻そうとする。


「す、菫叔母さん! お、俺のほかに運び込まれた娘は!? 女の子がいなかったか!?」


 空也は菫の肩を借り、ベッドに腰掛けると必死の形相で菫に掴みかかり問うた。


「女の子? ああ、あの刀人の娘か。お前と怪我をしていたからな。今は別室で寝ているぞ」


「そ、そっか……それならよか……って、菫叔母さん! い、今、なんて!?」


 黒亜の無事を知りひとまず安堵した空也だったが、菫の言葉に驚愕する。


 菫は今なんと言った。『刀人』と確かに空也にはそう聞こえた。だが菫が何故、刀人のことを知っているのか。菫はとても優秀な人間で脳神経外科医をしていると、かつて両親からそう聞いた気がする。


 いくら優秀とは言え、ただの人間なはずだ。それがどうして刀人のことを知っているのか。黒亜と出会ってから空也は菫と連絡を取っていない。というか取っている暇などなかった。


 となればもともと知っていたとしか思えない。一体どうして。


 空也の頭の中に疑問が渦巻く。


「うん?」


「か、刀人って!?」


「ああ。そのことか」


 菫は近くにあった椅子にどかっと腰を下ろすと、こともなげに答える。


「簡単なことだ。私はこの病院で刀人の研究をしているからな。なんならお前よりもよほど詳しいぞ」


 衝撃の事実だった。こんな身近に刀人について知っている人間がいるなど、空也には思いもよらなかった。


「それに、お前の怪我の応急処置をしたのも私だ。帯刀者の力でな」


「はいぃ!?」


 次々と明かされる事実に空也の頭はついていかない。菫が刀人のことを知っているだけでも驚愕だったというのに、おまけに帯刀者だという。もはや何がんなんだかわからなかった。


「スミレ……話して、よかったの?」


 こんがらがった頭を抱えて今の状況を整理しようと必死な空也の耳に、物静かな声が声が飛び込んでくる。


 その声につられて空也が頭をあげると、菫の後ろにふわふわと浮かぶ人影があった。


「……構わんよ。いずれわかることだ」


 菫の後ろには、真っ白な空間に漂う薄紫色の長髪と、その髪と同じ色の瞳を持つ少女が浮かんでいた。


「そう……ならいいのだけど」


 少女は一言そう言い残すと、再びその姿を消してしまう。


「す、菫叔母さん。今の子は?」


「帯刀者ならわかるだろう? 私の刀人だ。名を美守 薊ひだのもり あざみという。見ての通り周りに対してあまり興味を持たない性質たちでな。あまり気にするな」


「そ、そうなんだ……」


 頭を整理する前に新しい出来事が降りかかり、空也は理解するのを諦め、ただその事実を受け入れることにした。


「でも、なんで今抜刀なんて? 別に戦うわけでもないのに……」


 空也の疑問も最もだ。菫が帯刀者であれば対となる刀人がいるのは分かる。だが有事でもないのに抜刀していることが空也には分からない。


「何を言う。お前の治療をするために決まっているだろう?」


「治療?」


「そうだ」


 菫は羽織った白衣で隠されている腰の辺りから、すらりと短刀を引き抜く。刃渡り二十センチといったところか、その刀身は紫色に染まっており、時折どくんどくんと脈打っていた。


「そ、それが菫叔母さんの……?」


「そうだ。治癒紫刃という。その名の通り傷を癒す力をもった刀だな。ベッドに横になって傷を見せてみろ」


「え、あ、うん……」


 空也は言われるがままベッドに寝る。菫は慣れた手つきで包帯やガーゼを外していくと、空也の身体に短刀を掲げた。


「ではいくぞ――紫刃活性」


 菫の言葉と共に短刀が妖しく煌き始める。その煌きを、空也はどこかで見たことがある気がするが、どうにも思い出せない。


「この紫色の光は……?」


 空也は身体に纏わりつく紫色の淡い光を不思議な視線で見つめる。


「薊の力だ。自然治癒力を爆発的に活性化させ、普通であれば治らないような傷でさえも治癒する効果がある」


「そんな力、が……」


 空也はぼーっとしてきた頭で菫の言葉を聞く。昨日の戦闘の疲れが残っているのか異常な眠気に襲われる空也だった。


「眠くなってきたか? 気にせずそのまま眠れ。治療は済ませておくし、お前の刀人も治療しておいてやる」


「あ、りがとう……菫、叔母さん……」


 空也は朦朧とする頭を必死に動かし、菫に礼を言う。


「気にするな」


 菫は空也の顔をじっと見下ろしながら、紫色の光を放ち続ける。その光は空也の身体を異常な速度で修復する。両手を貫く刀傷も、全身の打撲も、骨折もたちどころに治していく。


 空也はとうとう眠気に耐えられず瞼を閉じる。その瞬間に見えた菫の顔には三日月のようにつりあがった口元と、歪な笑みが浮かんでいるように見えた。しかし、空也にはそれが現実だと認識するだけの思考力はもはや残っていなかった。

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