黒刃刀姫と黄金雷刀 XXI

 錯乱したように叫ぶ秋に狂気を垣間見た空也は、わずかにたじろぐものの刀を構え直し秋を見据える。傍らには黒亜がぴったりと寄り添う。


「あんたの思い通りになんてさせるわけないだろ! 関係ない人を巻き込んで、それこそあんたが他人の邪魔してるじゃないか!」


「あぁ!? んだと!? てめぇになにがわかる!?」


 秋は血走った眼でぎろりと空也を睨み、低い声で荒々しく凄む。先ほどまでの芝居がかった口調もなりを潜め、ところ構わず吼え散らかす野犬のような口調になっている。街を照らす怪しい月光がその血走った瞳を闇夜に浮かび上がらせ、不気味さに拍車をかけていた。 


「今まで散々俺は虐げられてきたんだ! 今度は俺が虐げる側に回って何が悪い!」


「やられたからやり返すなんて不毛だろ! それに、ここに居た人たちはあんたと無関係なんじゃないのか!?」


「そんなこと知った事か! この腐った世界を放置するようなゴミ共なんぞ何匹死のうと関係ねぇ!」


 秋は小さいころから苛められ、虐げられて生きてきた。甘えられる家族も、苦楽を共にする友も、支えてくれるような恋人も、一切合切を持たずに、持てず、持つことが許されずに常に押さえつけられて生きてきた。そんな男が何の因果か強大な力を手に入れ、一瞬にして『持てる者の側』に回ったのだ、増長し他者を蔑ろにするのも無理はなかった。


 しかし、だからと言って他者の命を奪って良い理由になるはずも無い。秋の言葉を聞いていた黒亜が堪らず口を開く。


「あなたの勝手に誰かを巻き込むなんて卑劣です!」


 先のやりとりで生半可な言葉では秋と黄菜をとめることはできないとわかっていても、それでも黒亜は言わずにはいられなかった。誰しも辛いことや苦しいことを抱えて生きている。それでも必死で生きている人たちが、その辛さから逃げだした人間の手によって、そのあり方を否定されることがどうしても我慢できなかったのだ。


「例え辛いことがあっても、みんな今この時を生き抜いているんです! あなたにそれを否定する権利なんて無いはずです!」


「分かった風な口を利くなぁぁぁあぁ!」


 秋は左手に持つ刀に雷を纏わせ、近くにあった瓦礫に撃ちつける。雷の衝撃で瓦礫は粉々に砕かれ、ぱらぱらと散らばる。癇癪を起こした子供のように周囲に当り散らし、今まで胸に抱え込んできた鬱憤をぶちまける。


「俺が、俺がどんな想いで今まで生きてきたかも知らないくせに! この痣のせいで、俺がどんな目にあってきたのかも知らずに! お前らからしたら俺の辛さ、苦しみなんざ取るに足らないものなんだろうな! お前らみたいな奴らは、俺より辛い人間なんてごまんと居るって言うんだろう!? ああそうだよ、俺より辛い奴なんて沢山居るだろうぜ! けどそれが俺の辛さを否定する理由にはなんねぇだろうが! 俺は一生辛いままでなきゃなんねぇのかよ!? 他の奴らは俺を否定する権利があって俺には無いってのか!? 俺はそれに甘んじなきゃいけねぇのかよ!? あいつらは良くて俺は駄目だってか!? そんなの筋が通らねぇだろうが!」


 怨嗟の篭った言葉だった。小さいころの秋に落ち度はなかった。手の痣を気持ち悪がられた。持って生まれたものが人と違う、ただそれだけだった。自分は悪くない、それなのに回りは常に自分に敵意を向ける。その環境が幼心にどれだけの負担を強いて、その心を歪ませるに足るのもだったのかは想像に難くない。


 ――何かが少し違うだけで、俺もこうなっていたかも知れないのか?


 秋の在りようを見て空也はそう感じ、右手の甲をちらりと見る。


 空也の右手にも痣がある。秋と同じ、生まれ持った真っ黒な痣だ。ほんの少し環境が違えば、秋の立場にいたのは空也だったのかもしれない。空也の周りは痣を気味悪がる人は居こそすれ、虐げる人間は居なかった。家族との折り合いは悪いけれども、友もいるし学校生活だって苦ではない。


 空也は周りに恵まれて、秋は恵まれなかった。たったそれだけのこと。けれど決定的な、大きな違いだった。空也も黒亜も秋の境遇を想像することしかできなが、それが悲惨なものだったのだろうとそう察することは容易だった。


 二人は秋の憎しみを知り、少し胸が痛む。秋の言葉で、その辛さや苦しみが少しだけだが理解できた、できてしまったから。それほどまでに強い憎しみが秋の言葉には詰まっていた。


「そんなに辛い思いをしたのなら! どうして少しだけでも他の誰かを思いやることができなかったんですか!?」


 だからこそ黒亜は思う。それだけ辛い想いをしたのならば、他の誰かの痛みや苦しみも理解することができたのではないかと。どこかで踏みとどまることはできなかったのかと。


 黒亜の言葉を聞き、秋は侮蔑の表情を浮かべ叫ぶ。


「思いやるだと!? あいつらは俺を思いやることをしなかったのに、俺は誰かを思いやらなきゃなんねぇのか!? ふざけるな! お前は何かを奪われたことが、奪われ続けたことがあるのか!? お前はそんな人間に、他の誰かはお前の大切なものを奪うけど、お前は他の人の大切なものを奪ってはいけないと、そんなクソみてぇな理想を叩きつけるのか! そいつの憎しみはどうなる! ああ!?」


 痛みを知ったのだから、他の誰かの痛みも理解できて、優しくできる――美しい言葉である。だが、それは清廉過ぎた。中にはそれを実行できる人間もいるだろう。だが、大多数はそうではない。そんなに強い人間は数えるほどだろう。多くの人間はやられたらやり返す、大なり小なりそう考えてしまうだろう。


 黒亜の言葉は確かに正しく、理想的なものだった。だが、正しいだけでは、理想を掲げられるだけでは人は動かないことを黒亜はまだ理解できていなかった。


「それでも――」


「黙りなさい!」


 口を開きかけた黒亜を、ぴしゃりと遮る一言がぶつけられた。


 秋が左手に握る黄金刀から現れた黄菜だった。その声は静かなものだったが、しかし激情が篭っていた。


「そんな綺麗ごとで、私の……私達の思いが晴れるとでも思っているのですか! 私が虐げられている間、あなたは何をしていましたか!? ただ見ているだけだったでしょう? 救う? 何をふざけたことを! ただ傍観しているだけならば、その人間も同罪です! そんな存在も、そんな存在を許す世界もなくなってしまえばいい!」


 黄菜は髪を振り乱し、左手で黒亜を指差しながら捲くし立てた。黄菜も秋と同じく虐げられた側の人間だった。二人とも環境は違えど、回りの誰かが助けてくれると言うことは一切無かった。そんな人間が周りを、社会を、世界を恨むのも無理はないのかもしれない。


「っっ! そ、それは……私には力がなくて……でも、私なりに……」


「力が無い? あなたは今、力が無いからといいましたか? 言い訳をするのですか? 私たちには理想を押し付けるくせに、自分は理想を成す力がないと言い訳をして逃げるのですか!?」


「そ、それは……で、でも、あなたたちのやり方は間違って、います……」


 黄菜に気圧された黒亜はしどろもどろになり、終いには弱弱しく答えるにとどまってしまう。黄菜の言葉が図星を突いており、答えに窮してしまったのだ。


 秋と黄菜の言うことは最もであるのだが、二人は決定的に方法を間違ってしまっている。その点を強く指摘するべきであるのだが、勢いの削がれた黒亜にそれはできなかった。仮にできたとしても、二人は間違っていることを理解した上でことに及んでいる以上、平行線が交わることはないのだが。


「間違っている? ではあなたたちは間違っていないと!? 今まで傍観し続け、苦しみに喘ぐ人間を見捨てきたその行為は間違っていないというのですか!? ずいぶんと独善的ですね! だからあなたたちの言葉は薄いというのです!」


「もういい、黄菜。こいつらと話すと苛々するだけだ。こいつら殺すぞ」


 肩で息をする黄菜の横で、秋は心底鬱陶しそうな声でぼそりとつぶやく。


「脇差はもう良いのですか? 秋様?」


「こんな奴ならもういらねぇよ。こんな奴らが生きてるってだけで虫唾が走る。ぞ、黄菜」


「――はい。仰せのままに」


 黄菜は秋に向かって仰々しくお辞儀をする。


 秋が発した『解放する』と言う言葉。何故か空也は嫌な予感がしてたまらなかった。これまでも秋の力についていくので一杯一杯だったのに、まだ何か隠した力があるというのか。正直なところ空也にはこれ以上を戦いぬく自信がなかった。だが、それでも刀を強く握り直し正眼に構え秋を見据える。


 諦めてしまったらそこで終わりだ。諦めた瞬間に自分と黒亜は終わりだろう。どんなに困難でも自信がなくともそれだけは空也はしたくなかった。


 秋は刀を水平に構え、口を開く。その口から発せられる『解放』はとてつもないものであった。


「全部消し炭だ」


 秋の言葉と共に、秋の手にある刀からすさまじい放電が起きる。ばちばちと弾けるような激しい音と今までとは比較にならないほどの勢いをもってそれは刀を取り巻いている。


 秋は、無言で静かに刀を頭上に掲げる。放電はさらに激しさを増す。青白いプラズマと黄金色の刀身が輝きを放ち、月明かりのみが支配する宵闇に幻想的な光景を浮かびあがらせる。異常なほどの力の集束が見て取れる。


「……無理は、なさらないでください」


 黄菜は両腕で秋をふわりと包み込むと、耳元で優しげに呟く。その呟きに秋は応えることはしなかったものの、ちらりと黄菜を見た後、空也と黒亜を見据え高らかに叫ぶ。


真銘抜刀しんめいばっとう――黄金雷刀、雷切らいきり!」


 秋は両手で掲げた刀を全力で振り下ろす。空也との間には五、六メートルほどの距離があり、たとえ刀を振るったところで届くわけがない。だが、当然刀身自体を当てるつもりで振り下ろしているわけでないことぐらい空也でなくともわかる。明らかな危険を感じとった空也は、黒滅を自身の前方に展開しつつ、姿勢も考えずに右方向に飛びのく。


 次の瞬間には、秋が振り下ろした刀から円筒状に雷が渦を巻き、街を飲み込んでいた。その勢い、威力は尋常ではなく、雷が当たった先から建物や車、人、ありとあらゆるものが蒸発していき、街が一瞬のうちに破壊され尽くしていった。


 空也と黒亜の前方に展開した黒滅にも、雷がわずかに掠る。ただ掠ったそれだけで二人の身体に異常なほどの衝撃が走り、一気に弾き飛ばされる。直撃を免れるために体勢を崩した状態では満足にその勢いを殺すことができず、二人は瓦礫に全身を打ち付けられていた。

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