黒刃刀姫と黄金雷刀 XX

 やはり目標も持たず、無気力に中途半端に生きてきた自分ごときが何かをなそうと思ったことが間違いだったのか。頑張るべきではなかったのか。だから失ってしまったのか。空也の眼前に広がるはずのアスファルトは、止め処なく溢れる涙でぼやけて良く見えない。


 次の瞬間には、秋の高笑いと共に妖しく光る黒刀がその手に握られていることだろう。空也は無力さに苛まれながら痛む両手をきつく握る。


 だが、その考えは良い意味で裏切られる。


「クソっ! なんでだ!? 何で抜刀できない!? クソクソクソぉ!」


 秋の苛ついた声と地団駄を踏む音がする。どうやら黒亜の抜刀が上手くいかないらしい。


「おい! どういうことなんだ!? お前! 何かしてるのか!?」


「わ、私はなにも……!」


 秋は感情に任せて黒亜の頬を打つ。叩かれた黒亜は、あうっ、という呻きと共に地面にへたり込む。叩かれた頬が赤く染まる様が痛々しい。そんな様子を見ていることしかできない空也に、悔しさが募る。


 と、秋の隣から落ち着いた、だが冷たさの残る声がした。黄菜だった。


「秋様。もしかすると私を抜刀しているせいではありませんか?」


「あぁ!? どういうことだ!?」


「あくまで私の推測ですが、帯刀者は同時に一人までしか刀人を抜刀できないのではないですか?」


 黄菜は顎に手を当て、考え込むようなしぐさをしながら淡々と考えを告げる。


 帯刀者と刀人の間には謎が多い。それは当人である黒亜や黄菜でさえ、知らないことのほうが多いことからも明白である。まして、つい最近まで一般人だった秋や空也が知識をもっていないことは当然であった。


「クソっ! めんどくせぇな。納刀するか」


 荒れた口調のまま、というよりこちらの口調のほうが素なのだろう、秋は雷刀を握りなおす。


 秋と黄菜のやり取りを聞いていた空也は、わずかだが光明を見出す。


 抜刀できるのが一人までであるならば、秋は空也の左手に刺さる雷刀を納刀するはずである。その瞬間だけは秋から雷刀のアドバンテージが失われる。空也が黒亜を取り戻すにはその瞬間に賭けるしかない。


 両手も、身体も痛む。頭だってまだ回っている。だが、そんなことはどうでもいい。諦めかけていた空也の胸に、再び炎が灯る。黒亜を渡すわけにはいかない、渡したくない。今ここで動かなければいつ動くと言うのか。苦しみも辛さも痛みも全てを乗り越えなければならない。泣いている場合などではなかった。その一瞬を逃すわけにはいかなかった。


 秋がため息をついて、めんどくさそうに口を開く。空也はその瞬間を、納刀の言葉が出るのを狙う。


「まったく……納刀」


 空也の手を貫通していた雷刀が消え、空也を地に縛るものが消えていく。重石のように身体を縛り付けていた重い心が同時に軽くなるのが分かる。


 空也は全身に力を込める。今しかない。黒亜を取り戻すため、己を奮い立たせる。痛みの走る手足に動け、と無理やり命令を下す。胸に抱いた炎を再び燃え上がらせて、一瞬の隙を付いて飛び出す。黒亜を取り戻すことだけを考えて動く。


「秋様!」


「は!? クッソ!」


 実体になった黄菜が、油断していた秋が驚いたように声を上げる。秋は空也を黒亜のもとに向かわせないように、空也を掴もうと咄嗟に手を伸ばした。伸ばしてしまった。これが悪手だった。秋はこの時、黄菜を抜刀するべきだったのだ。抜刀し、雷崩で空也を吹き飛ばすなり撃ち抜くなりすべきだったのだ。


 空也は秋の手をすり抜け、黒亜の右手を掴んでいた。痛みの残る血にまみれた右手で、もう二度と離すまいと、固く少女の手を握り、抱き寄せる。


「く、空也!?」


 秋に叩かれへたり込んでいた黒亜は、突然のことに何が起きているのか理解できていないようだ。それでも、空也に手を引かれ、勢いのまま立ち上がり空也の胸に飛び込む。強く掴まれた右手は少し痛むが、抱きしめられた身体には、安心できる暖かさが伝わってきた。もう大丈夫なのだと、根拠はないがそう強く確信できた。


「ごめん! もう絶対に離さない! ――抜刀!」


 漆黒が、二人を包んだ。


 街を照らす月明かりさえも通さないほどの深く、濃い闇。全てを吸い込んでしまいそうなほど美しい黒に染まった一振りの刀が空也の手に納まっていた。


 黒亜を取り戻した。だが、これで終わりではない。このままでは結局振り出しに、いや、傷ついている分、空也達のほうが不利な状況に戻るだけである。


 だから、空也はすぐさま次の行動に移る。感覚の薄れている右手で強く刀を握り、黒滅を発動させる決意をする。振り向き様、秋目掛けて刀を振りぬこうとする。


 目に飛び込んで来たのは、空也目掛けて手を伸ばした姿勢の秋。このまま秋に黒滅を打ち込めば事態は集束するだろう。秋の死という結果を以って。


 黒滅――人には行き過ぎた力。その前では人の命の重さなど価値が無いものであるかのように、簡単に命の灯を消し飛ばしてしまうもの。


 空也は思う。扱うのはまだ怖い、と。人を殺す覚悟なんてできていない、いやこれから先そんなものできるのかさえわからない。今もまだ迷っている。けれど、力を使わなかったせいで、大切な人を失うところだった。そんな想いはしたくない。誰かを、何かを傷つける覚悟がなければ護れないものがあることを知った。


 空也は秋の足元めがけて黒滅を打ち込む。まずは秋の起動力を奪うことを考える。命を奪う決心はまだつけられないが、力を振るうことは躊躇ってはいられなかった。


 力のコントロールができるかはわからないが、極限まで力を抑えるイメージは忘れない。できるだけ命を奪いたくない、という選択は間違ってなどいないはずだと信じて、そして秋の脚を狙う。


「黒滅!」


 言葉と共に空也は右手を右斜め下に向けて一閃する。黒刀の切っ先から、渦を巻く暗黒の球体が撃ち出され、秋の左足を巻き込んでいく。べきべきべき、と木の枝が砕けるような不快な音が響き渡る。


「ぎぃやあああああああぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁああ!」


「秋様------!」


 秋の絶叫が宵闇を切り裂き、黄菜は顔面蒼白になりながら主の名を叫ぶ。 


 秋の左足はいとも容易くひしゃげ、肉が抉れていた。かろうじて原型は保っているようだが、つま先があらぬ方向に向くほど折れ曲がっている。極限まで威力を落としてこの有様だ、黒滅を全力で打ち込んでいたら秋の命は無かっただろう。空也は眼の前の光景を見て、改めて刀の力に恐怖を覚えていた。


 空也の目論見通り、秋の機動力を奪うことには成功した。片足が文字通り潰れていては刀の力を使った超スピードも出すことができない。だが、まだ刀自身の力である雷や電流の操作は残っている。油断することなく空也は黒刀を正眼に構え、秋を見る。


「あっ、がぁぁぁ、かひゅ! っクソ痛ぇ! ふざけるな! こんなことがあってたまるか! 黄菜ァァァァァァ!」


 秋はつぶされた左脚の痛みに耐え、悪態をつきながらパートナーである黄菜の名を呼ぶ。その瞳にはもはや空也は映っていないようだ。


「秋様! 秋様、黄菜はここに!」


 黄菜は秋のそばに駆け寄ると、跪いて必死に秋の左手を取る。秋は苦悶の表情を浮かべながらも、黄菜の左手を強く握り締めると、憤怒の形相を浮かべて、


「もうゆるさねぇぇぇぇぇぇ! 抜刀!」


 黄菜を抜き放つ。黄金の輝きが秋と黄菜を包み込むと、次の瞬間には雷が周囲を駆け巡る。標的など狙わずところ構わず雷を打ち放つ秋。周囲の建物や電柱、横転した車や倒れている人々を見境無く巻き込んで雷は暴れまわる。


 空也達は、大規模な雷の奔流に巻き添えを食らわないように、黒滅で自分たちを護るのが精一杯だった。


 大蛇のようにうねりながら襲い来る雷。自身の周囲に無我夢中で黒滅を展開し続け、脚を止めることなく空也は走り続ける。足を止めたが最期、雷に飲み込まれ無残な姿になることは明白だった。


「っ! はっぁ! っぜぇぜぇ!」


 肩で息をする空也。時に瓦礫の影に隠れ、時に黒滅で吸い込む。黒滅がどの程度保つのかなど知る由も無い空也はただただ己と、黒滅を信じるしかない。


 永遠に終わることのないことを繰り返しているのではないかと、そんな錯覚に襲われながらも空也は必死に逃げ続けた。



 どれくらい雷が暴れまわっていただろうか。



 街は無残な有様になっていた。ビルの壁や電柱、道路にあった車は真っ黒に焦げ、倒れていた人々は炭になっていた。あたりを異臭が包む。その中には空也達の姿はないようだ。


「っはぁ、はぁ、はぁはぁ、クソ! クソクソクソクソクソ! あいつらどこ行きやがった」


「秋様! あまり無理をなさらないでください!」


「いいからあのクソどもを探せ!」


 黄菜の心配など気にも留めず、秋は肩で息をしながら叫ぶ。バチバチと黄金の刀が不安定に明滅する。まるで秋の不安定な心の内を表しているかのような輝きだった。左足が砕けてしまっているため、ぼろぼろになったビルに背を預けどうにか立ち上がると、周囲を見回す。


 一角だけ、黒こげになっていない、しかし、漆黒の円にくりぬかれたかのように不自然に暗い場所が秋の眼にとまる。秋はすぐさま刀を振りぬき雷をその場所へ放つ。


 青白い雷が漆黒の円を撃ち抜いたと思った瞬間、雷が漆黒に吸い込まれて跡形も無く消える。漆黒の円を良く見ると、中心に向かって渦を巻いており、常に動き続けているのが分かる。


「クソ! クソクソクソクソクソクソクソクソ! なんでだ!? どいつもこいつもなんで俺の邪魔ばかりすんだよ!」


 秋は錯乱したかのように、二度三度、四度五度と続けざまに雷を放ち続ける。しかし、いずれも漆黒の円に吸い込まれて消えていくばかりだった。


 幾度か繰り返したあと、遂に秋は雷を撃つのを辞め刀を地面に突き刺し、ぜぇぜぇと荒い息をし始める。


 雷が止んで数瞬の後、漆黒の円がどろりと崩れ落ちると、後ろから空也と黒亜が現れる。黒滅の力で、秋の雷崩の力を凌ぎ切ったのだ。黒滅の後ろから現れた空也も大量の汗をかき、荒い息をしている。



「ぜっ、はぁはぁ、ま、っ、全く、何、発撃つんだよ…」


 空也に自分の攻撃が通用しなかったことを悟ると、


「あぁ、あぁぁぁあ、ああああああああ! どいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつもどいつもこいつも! いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもそうだ! なんで俺だけ! 何でいつも俺の思い通りに行かない! 行かせてくれない! 何で俺の人生は邪魔ばかりされなきゃならないんだあああああ!」


 秋は頭を両手でがりがりと掻き毟りながら咆哮した。


 それは、今まで虐げられてきた人間の、不満の詰まった叫びであった。

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