黒刃刀姫と黄金雷刀 XIX

「あああぁあぁぁぁぁぁああぁぁあああぁ!」


 黒亜の右手にも激痛が走る。帯刀者である空也と同じ傷を、黒亜も負っていた。だが、手の傷以上に黒亜を苦しめているものがあった。


「はっはっ、あぐっぅ、はっぁ、ひぅ、や、やめて! く、空也を傷つけないで!」


 黒亜は反射的に納刀する。霊体状態だった身体が実体化した。黒亜は右手を押さえながら、空也のそばに駆け寄る。漆黒の瞳には溢れんばかりの涙が浮かんでいた。


「空也! 空也! ごめんなさいごめんなさい!」


 己が、己の映し身たる黒刀が、パートナーである帯刀者を傷つけた事実。もちろんそれを行ったのは秋であるのだが、黒亜にとっては自分が空也を傷つけたことと同じことであり、それは酷く耐え難い苦痛だった。


 黒亜は追い詰められた状況にあっても、他人を慮ること、思いやることを意識せず自然とできる優しい少女であった。だからこそ、この状況が黒亜を追い詰めていた。


 他人を思いやることができるということは、時と場合によって他人に感情移入しすぎる傾向があるとも言える。つまり、黒亜にとって思いやりを向けるべき他の誰かを、今は黒亜自身が傷つけているという状況だった。しかも、その誰かが、長らく探し続けて、そして共に歩むと言ってくれた帯刀者だった。


 目の前に右手を貫かれた空也。その光景を生み出した原因の一旦を己が担っているという事実が黒亜の中で自己矛盾を引き起こし、黒亜の思考をぐちゃぐちゃにしていた。


 秋はそれを眺めながら、 高らかに笑う。夜の街に甲高い笑い声が響く。


「あははははは! なんだ、もう納刀しちゃうのか。拍子抜けだね。それで、抜刀される気にはなったかなぁ?」


「そ、それは……」


「だ、だめだ、黒亜」


 空也はくぐもった声を上げた。右手はまだ燃えるように痛み、うまく動かない。ようやく身体は少し動くようになってきたが、今は身体のだるさや頭のふらつきを気にしている状態ではなかった。秋に黒亜を抜刀させるわけにはいかない。こんな男に黒亜を、この優しい女の子を渡していいはずがない。空也は必死で抵抗する。


「ふーん、じゃ次だね」


 秋はスッと眼を細めると、急に冷静になりこともなげに告げる。次だ、と。次が何を意味しているのか、二人は一瞬分からなかった。だが、その一瞬のうちに秋は次の行動に移っていた。


 秋は瞬時に空也の左手のもとに移動すると、右手と同じように踏みつけ、そして今度は己の雷刀を空也の左手に突き立てる。その行動には一切の躊躇いが無かった。


 ずぶり、という肉を裂く音と共に空也の左手を激痛が襲う。


「がぁぁああぁぁぁああぁぁあぁぁぁっぁぁぁぁ!」


 右手と同じように、激痛が空也を襲った。両手を貫かれ、燃えるような痛みのせいで意識が飛びそうになる空也。両手から流れ出る血液がアスファルトの染みをどんどん大きくしていく。


「やめてぇぇぇ!」


 そんな光景を見ていられず、黒亜は悲鳴を上げる。だが、そんな少女の願いなど秋にとっては取るに足らない、むしろ今の状況を面白くするだけのスパイスにしかならないものであった。


「ひひっ、はははは! あーっはっはっは! ひぃひゃはははははははははははははははは!」


 秋は狂ったように笑う。三日月のように裂けた口が、血走った眼が月明かりに照らされ怪しく浮かび上がっている。


「ひひひひっ、さぁて、次はどうしよかなぁあ!」


「……て」


「うん?」


「もうやめてぇ!」


 黒亜は右手を血に濡らし涙をぽろぽろと零しながら、胸の前で手を組み懇願する。右手は疼くように痛むがと、何より空也が黒刀で傷つく光景をこれ以上見ていられなかった。手の痛みより、他の誰かが傷つく苦しみのほうが心を蝕んでいた。


「頼むのなら相応しい態度というものがあると思いますが?」


 ふわり、と金色の輝きが秋の隣に舞い降りる。黄菜は冷たい視線でへたり込む黒亜を見下しながら告げた。

 

「え? あっぅ……」


 黒亜は一瞬何を言われているのか分からず呆けてしまう。その様子を、秋と黄菜は反抗と受け取ったのか、自分勝手に話を進めてしまう。


「あなたの願いは、覚悟はその程度ですか…己のくだらないプライドも捨てられないのですか……」


「がっかりだねぇ! 君がそんなだとぉ! こうなるだけなんだけどねぇぇぇぇぇぇ!」


 黄菜は興味を失ったようにふわふわと浮きながら爪をいじり始め、秋はいびつにゆがんだ笑顔で舌なめずりする。


 黒亜がこれから何が起きるのか瞬時に理解するも時すでに遅く、秋は次の行動に移っていた。


「おまえも、黙ってへばってないでさぁ! 何とか言えよぉぉぉ! 女の子が頑張ってるんだからさぁぁあ! ほらほらほらほらほらほらほらほらほらぁ!」


 秋は叫びと共に空也の顔を二度三度と蹴り上げる。ごっ、ごんっ、と鈍い音がすると同時に空也の口の中に鉄の味が広がる。どうやら口の中のあちこちが切れているらしい。


「ぐっ、がふっ!」


 雷刀が突き立てられた左手からの痛みと、蹴られることによる衝撃で意識が飛びそうになる空也。瞼も腫れ上がり、視界もぼやけてきていた。


「も、もうやめて……もう、やめてください……これ以上、空也を傷つけないでください」


 ふと、空也の耳に消え入りそうな、だが聞き慣れた少女の声が聞こえてきた。すると、雨あられのように浴びせられていた蹴りが急に収まる。


 遮られた視界でわずかに首を動かし、空也は声のした方向に視線を向け、ぎりりと奥歯を噛み締めた。


 そこには、黒亜が地面に額を擦りつけている光景があった。地面に付いた右手からは空也と同じ傷跡があり、血がだらだらと流れている。


「く、黒、亜……」


 またか、と空也はそう思う。この娘を傷つけさせないと心に誓ったはずなのに、全然護れていない。それどころかまた黒亜に庇われている。大地に頭をつけるような屈辱的なことまでさせてしまっている。


 悔しくてたまらなかった。なんて無力で、無能で、役立たずなのかと。自分を呪うしかできなかった。唇をきつく、きつく噛み締めた。たらりと唇から流れた生暖かい血が口元を伝う。


「ははっ! そうだよ! それでいいんだよ! あとはわかるよねぇ!?」


 秋が叫ぶ。黒亜は秋を見上げながら、ゆっくりと口を開く。


「脇差に、なりますから……もう、もう空也を、痛めつけないでください」


「だ、だめだ! 黒亜!」


 空也は必死で黒亜を止める。このままではこの優しい女の子が、悪魔のような男の道具に成り果ててしまう、それだけは決して許されることではなかった。誰かが傷つくことを心から悼むことのできる女の子が、これから先、誰かを傷つけている姿など想像したくもなかった。


「お前は黙ってろよ!」


「ぐっ!」


 ごすっ、と顎を蹴られ、口を塞ぐ空也。秋はゴミでも見るような視線を空也に向けたあと、嘗め回す様に黒亜を見る。その視線に黒亜は身体を竦ませるが、今はもう逃げる気力さえ失っていた。


「さて、それじゃあ、ほら、手出しなよ」


「……は、い」


 黒亜はゆっくりと立ち上がると、秋に右手を差し出す。秋は遠慮なくその手を掴み、にたりと笑い思いついたように言う。


「やっと、やっとだ……あぁ、そうだ、最後にそいつになんか言いたかったらいいよ。そのくらいの時間はあげよう。ひひひっ」


「く、くそっ、だめだ、黒亜!」


 空也は歯噛みする。左手を雷刀で刺し抜かれ、満足に動くこともできず、ただ、黒亜を見上げ、惨めに叫ぶしかなった。


「空也……ありがとう。少しの間だったけれど、あなたが私の帯刀者で嬉しかった。もうあなたが傷つくのを見たくないんです。覚悟していたつもりだったんだけどなぁ。……やっぱり私は弱かったみたいです」


 黒亜は空也に向けて精一杯、笑った。頬を伝う涙は止める事ができず、次々と溢れてくる。覚悟を持って、心に信念を抱いて故郷を発った。帯刀者と出会い、共にあればどちらかが傷つくこともあると、それでも最後まで共にあろうと、黒亜はその心に誓ったはずだった。


 だが、現実は厳しかった。かつて抱いた想いは、自分の覚悟は酷く脆く弱いものだったのだと思い知らされた。空也が傷つくのを見たくないと言えば聞こえはいいが、それは結局自分が辛いことから逃げているだけだった。自分がこんなに弱い存在だったとは知らなかった。


 ここで自分の進む道は終わりなのだと思うと、悔しくて仕方なかった。こんな男に協力などしたくないし、一分一秒でもそばになどいたくない。けれど自分が弱いせいでそうなってしまう。黒亜は押しつぶされそうな苦しみの中、空也に笑顔を送ることしかできなかった。それが、共に歩んでくれた人間への最大の感謝だと思ったから。


「だ、だめだ、だめだだめだだめだ! 黒亜!」


 空也に向けられた黒亜の笑顔。それはとても美しかったけれど儚い、今にも壊れてしまいそうな笑顔だった。切なそうに笑う黒亜を見て、胸が圧し潰されそうになり空也は声を張り上げた。自分に力が無かったせいで、人を傷つける覚悟をもてなかったせいで、今、大切な人が奪われようとしている。


 あのとき、黒滅を使う覚悟があったなら。秋を見くびるような油断をしていなかったなら。次々と後悔ばかりが溢れてくる。だが、時間は戻らない。


「挨拶は済んだかな? それじゃ――」


 秋は、空也と黒亜のやり取りを見終えると、愉快そうに、そして酷く醜く笑って高らかに叫んだ。


「――抜刀!」


「や、やめろ、やめてくれやめてくれぇぇえぇぇぇ! あ、ああ、あああ、あああああぁあぁあぁぁぁああぁぁぁああぁぁあああああああああああああああああ!」


 空也はうつむき、自分の無力さを呪う。胸を突き刺すような苦しみを孕んだ叫びが、静まり返った夜の街を切り裂いた。

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