黒刃刀姫と黄金雷刀 XVIII

「君、すごくイライラするね」


 黙って二人の会話を聞いていた秋が、黒亜を心底軽蔑した瞳で睨みつけ、ぼそりとつぶやく。


「お行儀いいことばかり言ってさ、人殺すのが悪いことってか、罰せられるべきこと?ってことぐらい理解してるけど?」


「え?」


「だーかーらー、は悪いことなんですーって言えばそれでやめるとでも? たかがその程度のことじゃ、僕らが止まる理由にはなんないよってこと」


 ここに来て、黒亜はようやく理解した。秋と黄菜が自分たちとは違う考えの下で動いていることに。人の世が決めたルールなど、自身の行く手を阻むものにすらなりえないという強固たる意志を、二人は持っているのだった。


「全くさ、そんな薄っぺらい言葉じゃお話になんないよ。自分たちが優位に立ったかと思ったら急にお説教なんて、寒すぎるよね。反吐が出るよ」


 秋は道路に唾を吐く。秋にとっては殺人が悪だということなど重々承知の上で、そんなことはぽっと出の少女に諭されるまでもないことだった。


「というわけでさ、優位に立ってると思われるのも癪だから、いい加減、本気出そうかな? やるよ、黄菜」


「はっ、秋様の仰せの通りに」


 秋は左手の刀を握りなおすと、眼前にゆっくりと掲げる。黄金の刀が夜の闇を切り裂きながら雷光を纏い、辺りには電気の弾ける音が響く。


「空也! 気をつけて!」


「わかってる!」


 空也は黒刀を構え、秋の一挙手一投足を見逃すまいと、全神経を集中させる。例え超スピードで動かれようと、秋の動き出しさえ捉えることができればなんとか対応できるはずだと、そう思っていた。


「あー、僕の動きを見切ろうとしてる? 無駄だと思うけど、やってみるといいさ」


 次の瞬間、空也の左側頭部に衝撃が走り、ふわりとした浮遊感に包まれた後、ものすごい勢いで吹き飛ばされていた。


 空也はそのままの勢いで、地面に叩きつけられ、ボールのように二度三度とアスファルトの上をバウンドする。その拍子に、手に持っていた黒刀もはじき飛ばされ、がらがらと地を滑る。


「がっっっっ! はっ、ひゅっ! ぐあっ!」


「あっ! くぅっ!」


 何が起こったのか理解できなかった。あまりの衝撃に正常な思考ができない状況であることは確かだが、超スピードなどという次元を遥かに超えた現象に頭が追いついていなかった。


 帯刀者である空也が深刻なダメージを負ったせいで、黒亜も弾き飛ばされ黒刀のそば苦しそうにでうずくまっている。


「だぁから言ったのに」


 空也は秋から目を逸らしたつもりはなかった。あの超スピードを見切るのには動き出しとその兆候であるスパークを捉えることが重要であり、逆に言えばそれさえ外さなければ対応できるものだったはずだ。なのに、今、空也は殴り飛ばされ地に転がっている。

 

「うーん、斬り払ったつもりが勢いあまって鍔で殴っちゃったよ」


 秋が首をひねりながら、黒刀の方へ歩いていく。身体はスパークなどしておらず、普通の人間と同じ状態だ。


「馬鹿ほど扱いやすいものはないよねぇ。ちょっと隙を見せればそれが弱点だと思い込むんだからさ。大体、超スピードの原理に気づいた時点で考えなよ。人体にそんな過剰な電流いるわけないだろ? ただのパフォーマンスだっての」


 簡単なことだった。空也が弱点だと思っていた、思い込んでいたことは全て秋が仕組んだものだったのだ。動き出しの前のスパークはただのパフォーマンスでしかなく、スパークが無くとも秋は超スピードで動けたのだ。


 動き出すたびにスパークさせることによって空也の思考を誘導し、あるはずの無い弱点を作って見せたのだった。


「よいしょっ、と」


 秋は遂に黒刀のそばまで辿り着くと、刀を拾い上げる。


「や、やめろ……黒亜から、手を、離、せ!」


 朦朧とする頭を必死に動かしながら空也は口を開く。今まさに、秋の手に黒亜が握られている。その光景が耐えられないが、しかし満足に体を動かすこともできず、言葉で抵抗するしかなった。


 黒亜にいたっては先ほどの一撃で脳が揺れているのだろう、気を失っているわけではないようだが、刀のそばで蹲っているだけであった。


「嫌だね。どうせこれから僕の『脇差』になるんだからさ。まぁ、その前にやらなきゃいけないことがあるんだけど」


 そう言うと、秋は醜悪な笑みを浮かべながらゆらゆらと空也の方へ向かって歩き出した。右手には黒刀、左手には黄金の刀が握られている。


「ところでさ、君は抜刀と納刀の条件は知ってるよね?」


「抜刀と、納刀の条件……」


 唐突に秋に尋ねられ、一瞬戸惑う空也。だが、少し前に黒亜が言っていたことを思い出す。


 抜刀と納刀の条件――それは、帯刀者と刀人が触れていること。もしかしたらそれ以上何か条件があるのかもしれないが、空也が聞いた条件はたったそれだけだった。


「まぁ、帯刀者と刀人がお互い触れてればいいんだけど、抜刀状態のときにがあるみたいでね」


「制、約?」


「そ。制約。抜刀状態のときは、他の帯刀者が触れても刀の能力は使えないし、抜刀も納刀もできないんだよね。刀としては触れられるから普通の刃物としては使えるけど」


 だが、その制約が今ここで何か関係あるのだろうか。空也は言われている意味は理解できても、それを今この場で秋が言う意味が分からなかった。


「んー、わからないって顔してるね。僕の目的はこいつを脇差にすることにあるんだけど……」


 そう言って、秋は右手の黒刀を手の中で揺らす。


「そのためには、抜刀しなきゃいけない。でも今これは君が抜刀してるから、一度納刀してもらわなきゃいけないんだよね。そうでないと僕が抜刀できないからさ」


 空也はここに来てようやく合点がいった。秋の目的は黒亜を脇差にすることにある。そのために空也に黒亜を納刀させたいのだ。だが、それを聞いた空也は素直に首を縦に振るわけにはいかなった。


「そん、なの、そんなこと言われて、俺たちが、はいなん、て言うわけがないだろ」


「うん? 君らの意志なんて知ったことじゃないよ。これから嫌が応にも納刀してもらうからさぁ!」


 秋の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。空也は背筋に悪寒が走るのを感じた。これから一体なにをするつもりなのか。秋の接近を許してはいけないと頭の中で警鐘が鳴り続けているが、頭を打ちぬかれたダメージが残っており、腕を動かすのが精一杯だった。


「さてと、それじゃあ、よっと」


 ごりっ、と嫌な音がした。


「ぐあっ!」


 空也の右手が秋に踏みつけられていた。幸い骨折はしていないようだが、硬いアスファルトと靴の間に挟まれ自由に動かすこともできず、かなりの圧痛が空也を襲っていた。


「こんなので声上げるのかぁ。先が思いやられるね」


「うぐっ!、うぅ、く、空、也……?!」


 右腕に走る痛みで黒亜の頭は徐々にはっきりとしてくる。帯刀者である空也へのダメージが連動して黒亜にも伝わったのだ。黒亜は目に飛び込んできた光景を認識するや、必死に叫ぶ。


「な、何を、しているんですか! 空也、から、離れて!」


「うん? あぁ、君からも言ってやってよ、帯刀者なんかやめて普通の高校生に戻りなってさ」


 秋はめんどくさそうに黒亜を一瞥して、飄々と言い放つ。その様が馬鹿にしているようにしか見えず、黒亜はさらに声を張る。


「馬鹿なこと言わないで! その足をどけて!」


「五月蝿いなぁ。自分の状況わかってんのかなぁ」


「秋様、もういっそ帯刀者を殺して奪うというのはどうでしょう。これ以上野犬のように吼えられてはかないません」


「なっ?! そんなこと絶対させない!」


 秋のそばで事態を静観していた黄菜がたまらず口を挟み、物騒なことを言う。黒亜は驚愕の表情で黄菜を見つめ、空也の顔からは血の気が引く。が、それに対して秋から意外な返答が告げられる。


「んーまぁそれは今のとこしないかな」


 空也の頭は疑問符だらけだった。何故、自分に止めを刺さないのか。


 今、自分はほとんど動けない状況にあり、黒亜までもその手から失っている。抵抗する手段が無い今が絶好の好機だというのに、秋は一向に殺そうとはしてこない。


 あたり構わず雷撃を放つような人間が、今更人一人を殺すことを躊躇うだろうか。


 それはないだろう。だとすれば理由があるということだ。


 であるならば、すぐさま殺されるという事態は避けられるはずだ。秋の考えが変わらないうちになんとかこの状況を脱する手段を考えなければならない。空也がそう考えていると、秋が黄菜に語り始めた。


「別にこいつを殺すのなんていつでもできるんだけど、多分こいつ殺すとこの子も死ぬんじゃないかなと思って。なんか帯刀者と刀人って抜刀状態だとダメージがリンクしてるみたいだしね。帯刀者が死んだあとの刀人もどうなるかわかんないし。一旦僕が抜刀すればたぶん大丈夫かなと思うけどね」


「ではどうされるのですか? 素直に納刀に応じるとも思えないのですが……」


 秋は犬歯をむき出しにし、おぞましい笑みを浮かべながら答える。


「要は殺さなきゃいいんだよ。殺す一歩手前くらいまでならいいってことさ。くく」


 空也は勘違いしていた。殺されないこと即ち安全であるというわけではなかったのだ。命さえ奪わなければ、何をしてもいいと、秋は考えているということを空也は理解した。


 全身が泡立つ感覚がする。体の全神経が危険信号を発しているかのように、全身から冷や汗が噴出している。だが、それでも空也はいまだ動けずに居る。

 

「な、何をするつもりですか!?」


 黒亜も異様な空気を察したのか、身構え威嚇するように秋を睨む。


「何って、こう、するのさ!」


 秋が叫び、足元めがけて突き立てる。


「ぎゃあああああああ!」


 空也の右手に、先ほど踏まれたときとは比にならないほどの激痛が走る。燃えるような痛みと生暖かいぬめっとした感触が右手に広がる。

 

 黒刀が空也の右手を、手の甲から手のひらにかけて貫通しアスファルトに縫い付けていた。

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