黒刃刀姫と黄金雷刀 XVII

「うーん、そんなに深く斬ったつもりじゃないんだけどね」


 秋はとぼけた様にうそぶく。


「っく! く、空也! だ、大丈夫ですか! 空也!」


 切り裂かれた右わき腹が疼くような痛みを抱えている。空也の耳に入る悲痛な叫びもどこか遠く感じるほどに、頭が働いていないようだ。秋の言うとおり、命にかかわるほど深くはないようだが、それでも、普通の高校生活を送っている人間が刀による傷を負うことなどまずありえない。非日常の出来事が連なりすぎ、正常な思考ができない。


 ――なんだこれ、めっちゃ痛ぇ。ていうか、斬られた?血とまんねぇ。なんだよこれ、意味わかんねぇ。あいつが急に消えたら、腹斬られて、そんで、ええと――


「いいねぇ、その顔。苦悶の表情に、今起きてることに理解が追いついてないっていう、すごい間抜けなツラだよ。それじゃ、次、行こうか! しっかり防がないとそっちの娘も傷つくよ!」


 バチッと、またもスパークする音が響くと、今度は先ほどと同じように一陣の風が吹き抜けたかと思うと、次の瞬間には左太腿に激痛が走る。左膝から力が抜け、ぬめりとした湿った感覚がズボンに広がる。


「あああぁあぁぁぁああああぁ!」

「くぅ!」


「いいよ! いい悲鳴だ! もっと聞かせてくれよ!」


 バチッ、バチッと続けざまに二度三度とスパーク音が響くたびに、空也の体には傷が刻まれていく。右腕、左肩、右頬どれもが致命傷には至らない傷。だが痛みは着実に空也の意志を削いでいく。


――何で俺、こんな斬られてんだっけ。痛ぇ。なんか頭ぼーっとしてきたな、あれ、でも俺なんで右手でずっと、なに握って――


 着実に増える傷に意識を刈り取られそうになりながらも、右手に感じる重みで、右手に握る其の漆黒の一振りで、一太刀一太刀黒亜のぼろぼろの姿を見て、我に帰る。


――そうだよ、俺は黒亜を助けるって決めたはずだ。何をぼーっとしてんだよ、頭を、手を、足を、体を動かせ――


 斬られた傷はひどく疼くし、泣きそうになるくらいに痛い。頭もいまいちうまく働かないが、それでも自ら助けると、ともに歩むと誓った少女を、醜悪な笑みを浮かべ人を躊躇無く斬るような男に渡すわけにはいかない。


 左右前後から雨あられのように鋭い斬撃が繰り出されるが、空也は文字通りその身をもって刃の嵐を受け続ける。


 単調なテンポかつ、直線的な軌道しかとらない、黄金の斬撃を。


「次で、終わりかな?」


 男の言葉とともに、聞きなれたスパーク音が鳴る。


 空也は全神経を研ぎ澄ませ、男の挙動を観る。


「そんなわけあるか! いつまでも斬られてばっかじゃいられないんだ!」


 金属と金属が打ち合う、鈍く甲高い音が木霊した。


 空也はよろよろと立ち上がる。


「空也! 大丈夫ですか!?」


「まぁ、なんとか」


「っ!? くっそ、ぼろくその体で…急に弾いてくるし、むかつくなぁ。」


 秋の頬からはかすかな血が流れていた。


「秋様! こっの、ゴミ以下の存在で秋様に傷を!」


 美しい顔を憎しみで歪め、黄菜が叫ぶ。秋に心酔している身としては、わずかな傷でも腹に据えかねるらしい。


「調子にのって、とどめささないからだ…あー痛ぇ」


 空也は頭を振って、黒刀を構え直す。


「それに、急にじゃない。あんだけ斬られ続けてれば慣れてくるさ。あんたの斬撃は鋭いけど単調なんだよ。確かに人間離れしてる動きだし、どうやってそんな動きしてるのかなんてさっぱりだけど、真っ直ぐ向かってくる刀にただこっちの刀を当てただけだ。それに、どうやら帯刀者と刀人はリンクしてるみたいだしな。俺が傷つけば黒亜も傷つくから、おいそれと斬られるわけにもいかない」


 昔とった杵柄というやつだろうか、剣道をしていた空也の目は秋のスピードに着実に慣れ、秋の斬撃パターンにも眼が追い付いてきていた。


 そして、ここまでの自分の状況と黒亜の状況を見ていれば嫌でも気づく。帯刀者と刀人がつながっている事に。それは即ち、空也へのダメージは黒亜にも蓄積されるということを意味していた。


「……ちっ。見透かしたようにペラペラ喋ってんじゃねぇよ!」


 バチッと再びスパーク音が鳴る。が、今度は空也の体に傷は増えず刀と刀が打ち合う、鈍く思い通り音が響き、空也と秋がつばぜり合いの形で向き合っていた。


「っ!」


「何驚いてるんだよ。言ったろ、慣れてきたって。それに超スピードのタネも、今のでなんとなく掴めて来たぞ?」


「ほざけ、雑魚が!」


 何度目かもわからないスパーク音が響く。今回も空也は秋の刀を真正面から受け止めていた。


「おいおい、冷静な口調がどんどん乱れてるぞ?」


「くっそがああああ!」


 バチッ、バチッ、バチッと連続するスパーク音。そのあとにはギンギンギンと刀が打ち合う音。秋は縦横無尽に街の大通りを駆け巡り、空也に向けて黄金の刀を振るうが、すでに空也には一太刀も届かなくなっていた。


 ギィンと一際鈍い音が辺りに響くと、秋は空也から数メートル離れた位置に、刀を支えに膝をつく。


「はぁっ、はぁはぁ。ホントにムカつくな!てめぇは!」


「息切れてるぞ? ……読めたぜ。その超スピードの正体! あんたの力の欠点もな!」


 秋は目をスッと細める。


「言ってみろよ。答え合わせしてやるよ。欠点とやらも含めてな」


 ふぅっと、小さく息を吐き空也は秋を見据える。


「なんのことはないさ、ただ単に速く動いてたってだけだろ? その刀で電気を体に走らせて」


「…………」


「医学とか、人間の体の仕組みなんて良くわかんないけど、確か、神経同士は電気信号でやり取りしてるんだっけか? その刀で電気信号を操作して異常な筋肉の動きと反射速度で動く。タネが分かればなんのことはない。速いってだけで、人間にできない動きをしてるわけじゃない。動きのパターンを読んであわせて打ち合えばいいだけだ。俺たちの居場所をすぐに特定できたのも微弱な電流を読み取ったってことで説明がつきそうだしな」


 空也は黒刀の切っ先を秋に向けて告げた。


 そう、秋は黄金の刀の電気操作を利用し、超人的なスピードで動いていたのだ。動き出す直前、体がスパークしていたのは、全身に電気刺激を与えている証拠であった。


 秋は何も答えない。ただ細めた目でじっと空也を見据えているだけだ。


「弱点も、あんたの戦い方でわかった」


「……聞いてやる」


「あんた、超スピード出す前に電気流さなきゃいけないだろ? 動くたんびにバチバチいってれば誰だって気づくさ」


 空也が言い放った瞬間、またも弾ける様なバチッという音がしたかと思うと、秋の姿が消える。


「だから、タネは割れてる!」


 ガキィィンと金属同士がぶつかりあう音が響く。空也の刀と秋の刀が打ち合った音であった。二人は鍔迫り合いの形でお互いを押し合う。


「どんなに速かろうが動き出しと動線読めればどこに来るかわかる。それが分かりゃ対応だって簡単なんだよ!」


「ふん、優位に立ったかと思えば急に饒舌になったじゃないか。おまけに刀人の力も使わないときた。舐めてるのかな?」


 そう、ここまで空也は刀の力である黒滅を使っていない。それは秋を見くびっているわけではなく、ただ単純にあの力を振るうことが怖かっただけだった。全てを飲み込んでしまうような漆黒の刀の力。それを他人に向けて使い、取り返しのならないことになったらと思うと、あの力をどうしても使うことができなかった。


 秋は今まで何人も殺しており、そんな相手と対峙しているのだから、それなりの覚悟をもたなければいけないのだが、空也にその覚悟はなかった。ただの高校生にその覚悟をしとというのは酷かもしれないが、やはりそれは空也の甘さだった。


「使うまでもないだけだ。そういうあんたは急に静かになったな」


 空也は自分の甘さを見破られまいと虚勢を張る。


 秋は小さく舌打ちすると、両腕にさらに力を込め、わずかに押し込める。空也もそれに負けずと押し返すが、それは秋が狙っていたことであった。


 いったん距離をあけるために、空也の力を利用してその場から後方に大跳躍したのだ。支えを失った空也はわずかにバランスを崩しよろけそうになるが、前に出ていた右足で踏ん張り、転倒せずになんとか耐えた。


「っと、危ねっ」


 再び数メートルの間をあけて、月光に照らされながら対峙する二人。空也の傍らには漆黒の長髪をたなびかせた黒亜が、秋の傍らには黄金の長髪を煌かせた黄菜が浮いている。


「黄菜! こんなことはもうやめてください!」


 黒亜の悲痛な叫び。人道から外れた友を探すために故郷を発ち、やっとの思いで見つけだした。そしてその友と今、刃を交えている。たとえ命を奪い合う状況であっても、黒亜は諦めなかった。わずかでも己の言葉が友に届くと信じて。


「こんなこと? こんなこととは一体何を指すのですか? 私はただ秋さまのためにを排除しているだけです」


 だが、その言葉は友には届かない。道に倒れる人々やその人々が築き上げてきたであろう多くのものを破壊しておきながら、それをと断じ、一切合切を排除しようとしている。


 黒亜にはそれが悲しかった。故郷に居たころ、自分の想像がつかないほど辛い目に合わされていたのは知っている。それでも自分と遊んでくれたときの黄菜は優しく、温かい存在であったはずだった。それが、平気で全てを傷つけるような、そんな存在になってしまったと、そう思いたくはなかった。


「あなたは……私と遊んでくれたときのあなたは優しい人でした。人を傷つけるようなことなんて、やめてください!」


「あなたは馬鹿ですか? 優しい人? 当たり前でしょう。奴隷が主人の娘を丁重にあつかうのは当然でしょう。あなたをぞんざいに扱ったら何をされるかわかったものじゃない。人を傷つけるな? 散々私を傷つけてきた家の人間がよく言いますね?」


「っ! それは……確かに私にはあなたをあの状況から救うだけの力がなかった。私の言葉を父様は聞いてくださらなかったから。けれど! あなたを傷つけたのは私たちです! この街の人は関係ないはずです!」


「そんなことは私の知ったところではありませんね。ただ秋様の邪魔だから排除しているだけです。それに、救う、と言いましたね? 先ほども言いましたがその考えが傲慢なんですよ」


「それでも……!」


「いい加減にしてください! 綺麗事なんて聞き飽きたんですよ!」


 言葉を尽くしても、黄菜には黒亜の言葉は届かなかった。友だと思っていたその想いはただの独り善がりだと告げられた。自分と共にいた時間はただの義務であり、決して救われるような、そんな心休まる時間ではなかったのだと。


 黒亜は涙がこぼれそうになるのを、唇を嚙みしめて堪える。今泣くわけにはいかない。今はまだ全てが解決していない。泣くのは全てが終わったそのときでいい。黒亜は必死で黄菜とその主を見つめていた。


 空也は、ああ、この娘はやっぱり強い娘だなと思っていた。どれだけ友に拒絶されようとも泣きたいのを堪えて諦めず、必死で今できること、やらなければいけないことを投げ出さずにやろうとしている。それは、空也がいつの間にか失っていたあり方だった。

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