黒刃刀姫と黄金雷刀 XVI

 気づくと、空也の目の前から少女の姿は消え、一振りの漆黒の刃を持つ美しい刀が空也の右手に握られていた。


 刀を握った手を額の前に、漆黒の刀身を水平に掲げ、つぶやく。


「もう、迷わない。黒羽さん……俺は君と進む」


 空也の瞳には力強い意思が宿っていた。


 ふわり、と空也の首を半透明の華奢な腕が包んだ。


「巻き込んで、しまって、ごめ、なさい……そして、本当にあ、りがと、う……」


 黒亜だった。息も絶え絶えではあるが、空也の傍でふわふわと浮いている。


「俺の方こそごめん……もっと早くに決めていれば君を傷つけずに済んだ……」


 黒亜が頬を擦り付けながら、震えた声で答える。


「いいん、です…とても、とても、嬉し、かったから……」


 空也は頬が濡れるのを感じた。不思議と不快な感覚はなかった。黒亜の辛さも孤独も悲しみも、すべて共に背負うと決めた。黒亜を今度こそ傷つけ泣かせはしない。そう決めた。あとは黒亜の願いを叶えるために、動くだけだ。やっぱり死ぬのは怖い。だが不思議と震えはなかった。不安定に明滅する路地裏の街灯も、先を照らす輝きだ。だが――


「行こう……君のともだ――」


 言いかけたところで、鼓膜を揺さぶる轟音と共に、周囲の光を全て集めたかのような輝きが建物の向こうで炸裂すると、次の瞬間には街を雷光が駆け巡る。雷光は空や達にも襲い掛かるが、咄嗟に黒滅を纏わせた刀ではじくと、気づいたころには街は輝きを失っていた。明滅していた街灯も事切れている。


「あいつらか……」


 晴れた、雲ひとつない天気の中で、一瞬にして街を停電させるなど、黄金の刀を持つあの帯刀者と、その刀人である黄菜にしかできない芸当だ。


「は、やく、止、めないと……被害が」


 空也は刀を握り直し、一歩踏み出す。


「そうだな。行こう。黒亜」


「っ――はい!」


 パートナーを名前で呼び、覚悟を決めて光を失った夜の街を駆け出した。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 路地を進んでいると、二人は違和感に襲われた。


 ――音が、しない。


 いくら路地が奥まったところにあるとはいえ、聞こえてくる音が空也のスニーカーがアスファルトをたたく音だけというのは以上だ。停電しているとはいえ、いや、停電しているからこそ街の人々がパニックを起こし、騒然となっていても不思議はない。なのに、人々の声が欠片も届いてこない。


 路地をさらに進んで、大通りに近くなっても聞こえて来るのは何かがぶつかる衝突音ばかりで人の声が全く聞こえてこない。人がいないなんてことはないはずだ。路地を進めば進むほど違和感は大きくなり、やがて不安へ、そして恐怖へと変わっていく。時折聞こえてくる衝突音も恐怖を駆り立ててくる。


 呼吸が荒くなる。路地を抜けた先はいったいどうなっているのか。刀を握る手に自然と力がこもる。黒亜も空也の袖をぎゅっと掴んで空也の後ろをついていく。


 路地を抜け、大通りに出ると信じられない光景が広がっていた。


「なんなんだ……これ……」


「ひどい……」


 空也は顔をしかめ、黒亜は空也の後ろでふわふわと浮きながら顔を背ける。


 眼前には、街の人々があちらこちらに倒れていた。おそらく先ほどの雷光に巻き込まれたのだろう。まさに地獄絵図だ。幸い、絶命しているわけではなさそうだが、誰も彼も不自然に四肢が痙攣していたり、白目を剥いていたりと、放っておいていい状況とは言い難かった。


 通りを往来しているはずの車も、雷光に貫かれそこかしこで事故を起こしている。路地裏で聞こえてきていた衝突音の正体がこれだった。


「こんな……滅茶苦茶じゃないか……」


 路地の裏で、そして黒亜と共にいたからこそ空也自身は無事でいられることを考えると、背筋がぞっとする思いだった。


「早く、黄菜達を見つけ、ましょう。でないと被害が――」


「その必要はないよ」


 黒亜の言葉を遮って聞き覚えのある、丁寧な口調の、それでいて氷のように冷たい声がした。と同時に一筋の雷光が空也の足元で弾け、空也の体は吹き飛び、背中をビルの壁に打ち付けていた。


「っが!」 

「きゃっ!」


 ――油断していた。


 空也はそう思った。こんなにもすぐに鉢合わせることなどないだろうと踏んでいたからだ。背中に鈍い痛みを感じながら、なんとか顔を正面に向けた。


「やぁーっと見つけたよ。あんまり手間取らせないで欲しいな。こっちも暇じゃないんだよね」


秋がニタニタしながら、凍りついた醜悪な瞳で立っていた。その後ろには黄菜が悠然と、ふわふわと浮いている。


「くっそ! なんで…」


 黒亜を抱えて街の中を闇雲に駆け回っていたとは言え、空也は全力で草むらや路地裏を走っていた。対して秋は顎を撃ち抜かれ、しばらく公園にいたはずだ。現に走っている最中、追ってきている気配などしなかった。それなのに、こうもあっさりと居場所を突き止められたことが疑問だった。


「愚かにも、逃げられるとでも思いましたか?」


 黄菜は蔑んだような瞳を向けて、黄金の髪を華奢な指で流れるように梳きながら、つまらなそうに吐き捨てる。


「あなた方の居場所を突き止める事など、造作もないのですよ。私にとっては。只の茶飯事にすらなり得ないのです」


 まるで空也達の居所などわかっていて当然であるかのような口振りだ。


「くそ、高性能なレーダーでも搭載してるってのかよ」


「れえだあ? 一体なんですか、それは?ただ私にはあなた方のことがわかるだけですよ?」


 空也の皮肉もどこ吹く風、そもそも近代的な存在であるレーダー自体を理解していないようだが、黄菜は驚愕する事実をさらりと言ってのけた。


「んなっ!? そんなわけ――」


 空也の言葉を遮り、人を小馬鹿にしたように秋が喋る


「あるんだな、これが。ま、原理なんて教えないけどね。くくっ、こっちのアドバンテージをそう安々とは晒さないよ」


 愉快そうに喉を鳴らしながら、手元の稲妻を模った刀をゆっくりと空也の正面に向け、振りかぶり様に言い放つ。


「さて、それじゃお遊びもここまでにして。君には、いい加減ご退場願おうかなっ!」


 空也の背に冷や汗が流れる。直感が告げている、危険だ、と。刀が振り下ろされるよりも早く、空也は大通りの右側へ飛びのいていた。


「くっそ! ……っぐ!」


 受身など考えず、ただ飛び込む。アスファルトに右半身を打ちつけ鈍い痛みが走るが、自分が元居た場所を見て絶句する。


金色の雷撃が、轟音とともに月明かりに照らされた街の大通りを走りぬけていた。


 横たわる人々や、無残にも物言わぬ鉄塊と化した車を巻き込みながら。雷撃が走り抜けた痕は、ただ焼け焦げた何かが残っているだけだった。それは人なのか車なのか、それ以外の別のものだったのかは今となってはわからない。


「そん、な……」


「なんてこと……!」


 黒亜も悲壮な顔でつぶやく。


 卵の腐ったような、硫黄の臭いが鼻を突く。


「うぇぇぇっ! ……っげほ、げほ!」


 胃から、消化物が逆流してくる。


「空也! 大丈夫ですか! 空也!」


「げほ、……ああ、大丈夫だよ。それにしたって、あいつら……!」


 膝に力を込めて、ゆっくり立ち上がる。右半身はまだ少し痛むが、動きに支障はないようだ。怒りに満ちた瞳で秋を睨みながら叫ぶ。


「なんてことを……なんてことをしてるんだ! まだ、息のある人だって居ただろ!? なんで巻き込んだ!?」


 大通りには、確かにまだ生きている人が居た。適切な治療を受ければ十分に助かる可能性だってあったはずだ。それなのに、秋は躊躇うことなく雷撃を放ち、街を焼いた。到底許せる所業ではなかった。


「外したか。何を言うかと思えば……俺以外の人間なんてどうなろうと知ったことじゃない、ね!」


 言うが早いか、秋は刀を振ると脇に浮かんでいた黄菜の姿がすっと刃に吸い込まれて消える。次の瞬間、秋は人間離れした速さで空也との間合いを詰め、刀で刺し貫こうとする。


「なっ! くそ!」


 剣道で鍛えた瞬発力が生きた瞬間だった。空也は咄嗟に手にした刀で何とか凶刃を受け止める。甲高い、金属が打ち合う音が、人の気配の消えた街に響き渡る。


 空也を刺し貫かんと、秋は手にした刀にさらに力を込める。


「早くあきらめてその刀を、俺によこしなよ!」


 対する空也も、刀に力を込め、押し返す。


 鍔迫り合いの形で、両者退く事はない。


「そうほいほいと、あきらめてたまるか! こちとらさっき覚悟を決めたとこだって、のっ!」


 空也は渾身の力で、金色の刃をはじき返す。予想以上の力に押し返された秋は、後方に飛びのいて三十メートルほどの距離を開ける。


「思ったよりやるね……黄菜!」


「はっ、秋様」


 再び黄菜が現れたかと思うと、ふわふわと秋の隣に降り立ち、秋の身体にバチバチと電流が走り始める。


「ちょっと見せてやろうか」


「仰せのままに」


 秋はぼそりとつぶやき、黄菜は恭しくお辞儀をする。


「空也、気を、つけてください! 何か来ます!」


「わかってる!」


 だが、このとき空也は油断していた。いや、空也が油断していたのではなく、秋が空也の想定の遥か上を行っていたのだろう。


 剣道をしていた経験があるからこそ、先ほどの刺突にぎりぎり反応できたのだし、今まで逃げることもできていた。だがそれは普通の人間が普通の人間に相対するときの話だ。


 今は違う。帯刀者という特異な力を手に入れた人間が相手なのだ。通常の対人戦の技術や知識などまったく持って無意味だった。それを空也は思い知ることになる。


 秋は大きく息を吸い込むと、全身に力を込める。身体に纏った電流が一層激しくスパークし始めた。


「はっ!」


 短い叫びとともに、秋は一瞬で空也の前から姿を消した。


「えっ?」


 目の前の事態に空也の頭は思考を停止する。その直後、頬にわずかな風を感じると、次の瞬間右わき腹に猛烈な痛みが走った。


「ああああぁぁぁぁぁあぁぁぁl」


 たまらず右ひざを着き、左手でわき腹を押さえると、べっとりとしたものが手についた。引き裂かれた右腹部から流れ出た、赤黒い血だった。幸い薄く切られた程度のようだが、それでも痛みも鮮血もあふれ出てくる。


「空っ! ああああああ!」


 空也に続いて、黒亜の悲鳴もこだまする。黒亜の右腹部にも同じような傷がついていた。


「いい具合だね。いい感じの悲鳴に、とても醜い苦悶の表情だよ!」


 かろうじて声のする方向へ視線を移すと、先ほどまで空也が向いていた方向と間逆の方向に秋が悠然と立っていた。まだかすかにぱちぱちと身体に電流が走っている。いったい何が起きたのか、空也にはまるで理解できなかった。


「とてもいい眼だ。何が起きているかわからないだろう?馬鹿なガキ風情にはさっぱりだろうね。漫画かラノベならここで種明かしでもするんだろうけど、あいにくと俺はそんな馬鹿げたことはしない。ていうか、絶対的優位に立った状態で、馬鹿が無い頭絞って必死に考えてる姿が滑稽で、見てて面白いんだよね」


 醜悪な笑みを浮かべながら、手にする刀を肩に置き、愉快そうに笑っていた。

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